2021年11月の記事一覧

本日は眼科受診から一日が始まります。

2021.11.30

とは言え、本日もウォーキングマシンに乘ってのお参りは5時前からやりましたが。からだの何処が悪くても駄目ですが『目』は情報を得るのには最も大切な器官です。学説の中には情報を得るのには色んな器官があるのですが、情報を得る時の80%は目だと言われています。白内障の手術を両目共にして頂いた時にはそれほど危機感を持たなかったのですが、右目の『網膜剥離』の時と左目の『おうはんえんこう』の手術をして頂いた時には「これで、車の運転は出来なくなるのか」と頭が真っ白になりました。とコラムを書いている時にお風呂のお湯が冷めてきたので長くもない足を伸ばして追い焚きのボタンを押した時に『しゃー』と水が流れるような音がして、最初はタオルから水が流れているのかと目で確かめてもそのような事はない。でも、流れている。そこで蛇口を見るとしっかり流れているのを『目で』確認できて、「やっぱり目での確認が確かだと思った次第です。8時過ぎに家を出て、病院に直行しました。

受付を済ませて眼科の所に行くとどれ程も待たないて検査に呼ばれて視力検査などをして頂き、待ち合いで待っていると診察室に呼ばれて名古屋市立大学病院でお世話になった先生に診察して貰い『順調』とのお墨付きを頂き会計を済ませて駐車場に行き出発しようとすると、駐車スペースではないところの車で右にも左にも行けない状態でイライラしていたら隣に停めていた方が戻ってみえて私の車もすんなりと動かす事が出来ましたが、自分勝手な方はどこにでもおみえになるのだなと思いました。

施設に着き何人かの幹部職員からの相談を受け、昼食を頂き、何通かの手紙を書いていると13時30分になり本館1階の係長がお参りの時間だと言ってきたので1階のフロアに行き入居者さんに挨拶をした後、お腹から声を出してお経を唱えました。30分以上腹からの声を出したので喉がカラカラになりましたが、ちゃんとお水が氷入りで用意してあり助かりました。(こんな時の水はビールより美味しいかも)

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引き続き本館2階に行き、ここでも挨拶をしてから大きな声でお経を唱えました。そして1階同様氷水を飲んでいると西村課長がカラオケで北島三郎のまつりを選曲したとの事でこれも楽しく歌う事が出来たのですが、歌いながら『オンステージ』と大きく書いた張り紙の上に大きなちぎり絵が貼ってあり、どう見ても私がモデルのようで、腹の真ん丸さとか顔の大きいところが本当によく似ているのですが、それはともかく足の短さは思わず絶句。ここは絶対に面白いところなのでリピーターの皆さん「トホホ」の話もさりげなくしてしまう私は偉いと思いませんか。正直に打ちながら「トホホ」ですよね。

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本日は9時から20時過ぎまでフル稼働です

令和3年11月29日

20年間デイサービスからショートステイを利用していただき、平成24年からは入居して頂いた入居者の方の葬儀が本当は10時からなのですが10時からは本部施設で3施設の施設長による職員の評価を決める会議があるので、葬儀が始まる前の9時にお断りを入れてお参りをさせて頂きました。

予定通り10時から評価検討会議に参加して、昼食後の13時30分からはリモートでの全国老人福祉施設協議会の理事会に参加して16時30分に会議終了予定ですが、この会議終了後に園田参議院議員の後援会と全国介護福祉政治連盟の合同代表者会議があり、17時30分には業者さんとの打ち合わせがあり、(このタイミングでしか出来なくて)18時40分からは職員研修が(本日のテーマは『感染症対策』です。)あり、引き続き全体会議があります。確かに途中で休憩する時間はあると思いますが全く充実をした一日だと自分でも思います。

虚弱体質だった小さい頃では考えられない事だと我ながら思っています。(今は午後9時10分でようやく朝の内に打った続きを打つことが出来ます。)予想通りに会議は少しずつ早く終わったので16時30分までのリモート会議の後には少し時間的余裕が出来、その次のリモート会議も15分前に終了したので17時30分からの業者さんとの打ち合わせには余裕を持って挑めました。18時40分からの研修までには夕食のうどんとおにぎりをゆっくりと食べる事が出来たのはラッキーでした。

18時20分には法人の顧問である烏野先生(びわこ学院大学教授)が来てくださったのでボランティア室で話をしていると感染症の研修が始まったので地域交流ホールに移動して感染防止の実技指導がされていて、事前に告知されていたので指名されている職員はそれなりに出来ていました。研修終了後には引き続き全体会議になり幹部会職員がそれぞれに話をして最後に私が理事長として総括をしました。本日は会議終了後の片付けは職員に任せて関ヶ原斎場に急ぎました。

と言うのは地元で大変お世話になっている方の奥さまの通夜が行われる事を18時にデイサービスの職員が送迎から帰ってきて教えてくれたので「義理を欠いてはいけない」と全体会議終了と同時に出掛けた次第です。斎場でお話をすると、しみじみと「寂しくなってまった」と言われて私はいつも元気なかたがしみじみと語られるのを聞いて私も熱いものを感じた次第です。私は一日忙しく活動したのですが、リピーターの皆さん。私が改めて感じたねは『元気だからこそ頑張れる』と思った次第です。

大谷徹奘師の言葉をしみじみ感じています

令和3年11月28日

大谷徹奘師の事は何度も書かせて頂いているのでリピーターの皆さんはよくご存じだと思いますが、私がお会いしたのは岐阜県老人福祉施設協議会の研修の講演に来て頂いた1度だけなのですが、あまりにも素晴らしいお話だったので講演された時のCDを購入したので車に乗った時に度々聞いていて何度聞いても「深いなあ」と思っています。大谷徹奘師は私より10歳若いと記憶しているので「私より遥かに充実した生き方をされているのだ。いやいや、比較するのも畏れ多い」と思っています。

本日はお話の中で「老いると言うのは歳をとらないとわからんよ。と薬師寺に来てからお世話をして頂いているお婆さんから聞いた瞬間に『説けた』と思った。つまり、病気になって健康の有り難さをしり、親になって初めて親の有り難さを知り、歳をとって年寄りの気持ちがわかる」と言うものです。私も68歳になりましたので、既に高齢者としてのカウントはされているわけですが、「まだまた若い者には負けん。」との気構えでいるものですから『老いた』と言う感覚が理解できていないので、よく世間で言われている『終活』等とは程遠い生活で、あまりにも充実した日々に感謝する事はあっても『老いる』を感じるのは腰が痛いとき位かな。いやいや腰を痛めたのは児童施設に勤務していた20代の時の話で、古い輪転機を頂き上司の方から「こんなの使えないから倉庫に入れとけ」と言われて持ち上げた瞬間にぎっくり腰になり、(腰が『く』の字になりました。)その時は若さに任せて病院にも行かずに何と無く治してしまい、今でも無理をした時とか、じめじめした天気の時に体が曲がった状態で腰が異常に痛いときがあるので、これは老いた現象では無いのか。う~ん、正直わかりません。

このように書いていて私が38歳の時に他界した私の父進さんの事を思い出しています。私は何度もこのコラムで書いている通り、虚弱体質であったが故にわがままし放題の生活を認めて貰い、尚且つ大いなる支援を受けた生活が認められ38歳で父進と言う大きな存在を無くしてようやく自らを律する生き方が出来るようになったのだと自覚してます。38歳からの生き方になり30年。あれからは語り尽くせない程の生きざまですが、今振り替えると父進、生母秋江には何も恩返しが出来なかった私ですがご縁を頂いている入居者さんや利用者さんに対して、父進と母秋江に恩返しをさせて頂いていると勝手に考えています。そう言う意味ではより良い施設の構築を念頭においてこれからも頑張っていきますのでリピーターの皆さん、より一層のご理解とご支援、ご指導を宜しくお願い致します。

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年末ジャンボを買って来ました

令和3年11月27日

実は今年の年末ジャンボを買いに行ったのは2度目なのです。「えっ、2回も買ったの」と思われたリピーターの皆さん、それは誤解です。いくら盲養護老人ホームの経営が厳しいからと言っても、そんな事は致しません。だって当選する確率など程遠いわけですから『夢を買う』のは1度で良いのです。「ならどうして2度目なの」とのリピーターの大いなる疑問にお答えします。」(そんな大袈裟な事では無いですよね)

実は11月23日に宝くじ販売所に行って思いっきり大きな声で「年末ジャンボを連番で下さい。」と言ったら販売所の女性の方が「年末ジャンボの発売は24日からですよ」と申し訳なさそうに言われて、私は勢いよく言った手前引っ込みがつかなくて、「じゃ、明日来ます。」とすごすごと車に乘ったのですが結局は24日には行けなくて岐阜県社協の会議を終えて若園司法書士に持山の事で相談に行った帰り道である昨日めでたく購入した次第です。昨日は堂々と?購入する時に販売所の女性の方に「2回目の挑戦なので必ず当然しますよね」と減らず口を叩くと、そう言う会話に慣れてみえるのでしょうか「当たると良いですね。」と切り返されました。これからほぼ1ヶ月夢を見させて貰えるのは嬉しい限りです。

 

いよいよ本格的な冬の到来です

 

飛彈地方から雪の知らせが届いています。そう言えば施設がある今須(私も今須に住んでいるのですが)ではここ最近朝は時雨る事が多くなってきました。そして、伊吹山を望むと5合目位まで積雪があるのがわかりました。たまたま滋賀県側の伊吹山の麓に行き積雪があるのをしっかりと確認しましたので、ガラケーの携帯で写したのをリピーターの皆さん、見て頂けたら嬉しいです。さて、富士山はどこの位置から見ても同じような見え方がするのですが、伊吹山は違います。私は岐阜県側からの伊吹山が素晴らしいと思うのですが(だって優雅だから)滋賀県の方は西から或いは北から見た伊吹山のずんぐり感が素晴らしいと言われています。これも『地域愛』と言えるのかも知れません。東京へ行き私が関ヶ原から来たと言うと「雪で新幹線がよく停まりますよね」と言われます。確かにかつてはそう言う事が度々ありご迷惑をおかけしたと思います。私が高校生の時には関ヶ原駅まで歩いて(約4キロ)「関ヶ原駅に着いた。」と思ったら改札口に『学校は休校です。』の表示があり、またまた家に向けて歩く事が度々ありました。(当時は携帯等と言う便利な連絡ツールはありませんでしたから。)その頃は父進さんの指導で屋根の雪降ろしを何度もして、2階の屋根から下に飛び降りた事もありました。ただし、お寺の雪降ろしだけは怖かったのを覚えています。だって屋根の傾斜は半端でないし高いのですから。本日は2題のテーマで書きました。こう言う書き方に対してもリピーターの皆さん、ご理解下さい。

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思い出しました

鼻の上に傷が真横にあるのは鏡を見るたびに気にはなっていたのですが、その因果関係(そんな大袈裟なものではありませんが・・・)を思い出しました。

それは、私が中学1年にまで遡りますので半世紀以上前の事なのですが私は部活動が卓球部で放課後の練習をしていた時の事です。その当時の校舎は木造で廊下がめちゃくちゃ広くてバレーボール部が体育館で卓球部はそのめちゃめちゃ広い廊下で練習をしていたのです。3台も卓球台を縦に並べたら一杯なので私は卓球台の側で見ているときに何と卓球のラケットが飛んできて思いっきり私の鼻の上に直撃をして、痛いと言う間もなく鼻から血が吹き出て大変な思いをしたのを思い出しました。今朝、何と無く鼻の上の傷と部活での出来事が合致したのです。

改めて思うのは「人間の記憶と言うものは何といい加減なものか」と言う事です。そして、その事を思い出すと共にその当時の出来事が走馬灯のように思い出されました。具体的にはドジな私を含めた3人が変な意味では無くて連帯意識を持っていて、休みの時は一緒にいて、我々にしか分からない暗号で呼び合ったり、我々にしか分からない秘密基地を作ったり、帽子の校章の裏側に秘密結社のバッチを作って取り付けたり「ロケットを飛ばすんだ。」と言って花火をたくさん買って来て花火の火薬を燃料にして、ロケットの打ち上げ実験と称して頑張ってみたり。勿論成功などしてませんが・・・。

そんな事を思い出していた時にまたまた面白い記憶が蘇ってきました。それは、いつの事かは分からないのですが家で独りでテレビを見ていたのです。それは怪獣もので想定されていたのが怪獣が名古屋で大暴れをしていて西の方に向かって飛んでいると言う所で番組が終わり私は思わず外に出て「いつ来るんだ。」と東の空を見上げた事も思い出しました。ただし、このような記憶は夢の中の話なのか本当にその頃そのように思ったのかは定かでありません。しかしながら今言える事は「小さい頃は夢が一杯あったのだ。」との思いでした。

さて、話題をガラッと変えて11月23日に満20歳になった我が家の老猫『リット』の為にメロンを買ってきた事はこのコラムで書きましたが私が7時に朝食を頂いた後のデザートで大きなメロンだったのですが4分の1を食べました。(だって実の分は食べないので)私が食べている時は自分のベットで寝ていたので実を食べた後の汁をお皿に貯めてリットが寝ている所に持って行ったらリットがムクッと起きて一生懸命に食べてくれました。あまりに綺麗に飲んであったのでリットに「あと3回食べれるぞ」と話をすると舌舐めずりしていたので理解したのかと思いました。リピーターの皆さん。不思議な老猫だと思いませんか。

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コロナワクチンの後遺症が今なおあります

改めて私が虚弱な人間だと理解しました。それは、インフルエンザの予防接種をして頂いてかなりの日数になるにも関わらず一昨日強かお酒を飲んで爆睡している時に多分自分で予防接種をした腕の所を思いっきり掻いてしまったのだと思います。(掻いている時は気持ちが良かったんだと思います。)昨日は何と無く「痛いな」と感じていて「少し腫れているかな」と言う感じだったのですが、今朝起きて腕を見たら黒くなった一ミリ程度の粒が50個以上あり周りは赤く腫れているのです。改めて情け容赦なく掻いてしまう私は虚弱な体質であると共に無意識の状態とは言え我慢する事を知らない『お子ちゃま』だと言えるようです。と言うのは、寝ている時に右足の甲が痒いと左足で器用に掻いてしまうのです。しかも情け容赦なく・・・。現に今も右足の甲はじんじん痛い状態なのであります。「掻いたらあかん」と頭ではわかっているのに掻きだすと止まらない節操のなさには、自分でも呆れてしまいます。本日は朝は比較的ゆっくりしていたとは言え、10前に岐阜県福祉会館に行き、退職共済会の理事会に出席をして、12時前に会議は終了してお弁当が出たのですが、13時30分から岐阜県老人福祉施設協議会21世紀委員会主催による『ハートミーティングがある為に頂いたお弁当は施設に持ち帰り食べる事にして、施設へ向けて車を走らせて午後からあるリモート会議二本の打ち合わせの為に連絡をいくつかしました。施設に着いてリモートのセットの確認と資料の確認をしながらお弁当を頂きました。そしてこれまた、お弁当を頂きながら電話をかけて打ち合わせもいくつかしました。13時20分になりリモートの画面を見ると既に何人かの方が画面に入っていたので画面に向かって話をしました。私は話をしながらつくづく「便利な世の中になったな」と思いました。予定時間前に来賓挨拶をして頂く事になっている園田参議院議員の顔を確認したので会議を前にして話が出来ました。13時30分定刻にハートミーティングは始まり最初に岐阜県老人福祉施設協議会の会長として主催者挨拶をしました。そのあとに園田参議院議員に来賓挨拶をして頂き講義を二つしていただきその後討議もされて15時30分までだったのですが、私は15時15分にひとつ目のリモート会議を退出して、15時30分から行われる事になっている全国老人福祉施設協議会主催の埼玉県老人福祉施設協議会との役員懇談会の待ち受け画面で待つことにしました。この会議では全国老人福祉施設協議会の平石会長と遠井群馬県老人福祉施設協議会会長の挨拶に引き続き事務局からの入会促進の説明があり、引き続いての討議の進行は総務・組織委員会担当副会長の私がさせて頂きました。全国の役員である私にとっては正直「いらっと」するような発言もありましたが何とか取りまとめが出来て最後の挨拶を総務・組織委員会の渡辺委員長にして頂き無事に終了すると疲れがどっとでました。会議終了後はいくつかの連絡を頂いたのでその対応を終えて帰らせて貰い家でゆっくりしようと考えていたのですが、地元門前区の持山の事での打ち合わせのお客様がおみえになり「少しはゆっくりさせてくれ~」とは思いましたが、リピーターの皆さん。忙しく頑張れる事は幸せな事何だと思うようにしますので宜しくご理解下さい。そう言えば明日は午前8時には施設にお客様がおみえになるんだった。とにかく頑張りますので明日も宜しくお願い致します。

五時間位の睡眠ですが朝から元気です

令和3年11月24日

昨日は強かお酒を飲んだのでが、いつものように4時50分のアラームで爽やかに目覚めて今(午前6時42分)は既にガラケー情報では3332歩を示しています。本日は10時から全国老人福祉施設協議会理事会があり、14時から優・悠・邑   和合で厨房業者選定の為のプレゼンテーションがあり、16時から千葉県老人福祉施設協議会の役員さんとの懇談会がリモートであるのですが本部施設に帰っていてはとても間に合わないと思うので和合の施設での対応になると考えています。

コロナ感染症対策でやむ無く始まったリモート会議ですが、今ではドラゴンボールの孫悟空の瞬間移動のように会議をこなせるのはコロナ感染症対策により生まれた知恵をコロナが収束したとしても活用しない手はないなと考えています。勿論、全てをリモート会議ですると言う事では無くて膝詰めでの会議との併用でないと上手くいかないとも考えています。(ここからはバタバタの一日が終わり今は午後7時02分、家に帰って湯船に浸かりながらバタバタの一日を振り返る事にします。)

8時過ぎに施設に行き本日の10時からの理事会のリモート会議のID番号とパスワードを確認しようとパソコンの画面を見てもそれらしきものがないので全国老人福祉施設協議会の北村事務局長に確認の電話をすると「本日は理事会ではありません。」と言われたので「ないなら安心した」と答えると北村事務局長が慌てて「理事会はありませんが、公的価格検討会議への陳情書の提出の為の会議が10時30分からありますよ。」と言われたので「資料はあるのか」と聞くと「22日にメールをしてます。」と言われて、私は「10時30分なら少しは時間的に余裕があるな」と思いつつ来ているメールを確認するとありました。でも、それ以外にも10通以上のメールが来ていてその整理をしていると10時25分になり、これまた慌ててリモート会議の画面を写し出すと既に会議の画面の方が何人かおみえになり、「岐阜の若山です。」と言ってリモート会議の中に入りました。

話の内容は岸田総理の公約で介護職と保育職の給与を1ヶ月あたり9000円上げる事の検討会と言う事で私は「①介護職以外の職種にも行き渡るように②介護事業所に限定せずに福祉全般に行き渡るように③9000円を一律ではなくてそれぞれの法人の考え方での配分にして欲しい」と訴えました。色々な意見を取りまとめて国への要望書を作る事になりました。12時10分過ぎに終了して昼食(きつねうどん)を頂き、14時から和合で厨房のプレゼンテーションがあり出掛けました。

プレゼンテーションにエントリーをして頂いたのは2社で理事、監事の方にも来て頂き審査をしました。16時からは全国老人福祉協議会総務・組織委員会主催による千葉県老施協の役員さんとの懇談会で入会促進の話し合いを持ち、意見交換会の進行は担当副会長である私がさせて頂き、10名の役員さん方の意見を引き出し進めて行く事が出来てほっとしています。リピーターの皆さん。明日も3つの会議があります。大変な事ですが頑張りますので宜しくお願い致します。

『リット』からの御裾分け

令和3年11月23日

訳のわからんタイトルで始まった事を先ずはリピーターの皆さんにお詫び致します。実は前にもコラムで書いたと思うのですが本日はリット君の(いやいやリットお爺さんの)誕生日なのであります。しかも満20歳の記念すべき誕生日なのであります。インターネット情報だと20➕4✖18=92歳(2年で20歳どその後は1年で 4歳の計算だとの事です。)私はリットの満20歳にはキャットフーズしか食べない(老猫用)のに、例外的にメロンの汁は喜んで飲むのです。リットじい様の記念すべき本日はメロンを買ってきてお祝いをしたいのです。しかしながらリットじい様はメロンの『汁』しか飲まないので果肉は私が食べる事になるのですが正に本末転倒の御裾分けと言うわけです。

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キャットフーズ以外には食べないリットが私がお酒を飲んで帰ってきて、メロンを食べていて、おもしろ可笑しくメロンの汁を与えると想定外にペロペロと喜んで飲み干したのです。それ以来私がメロンを食べていると私か食べている側に来て「ニャーニャー」と鳴いて要求するのです。不思議な事に今でもキャットフーズ以外にはメロンの汁しか口にしないのです。とにかくリットが喜ぶ姿を見たいのとリットの長寿にあやかりたいので本日はメロンを買ってくる事にします。

垂井にある『バロー』と言うお店に行くと立派なメロン2種類置かれていたので迷う事なく大きくて立派な方を買いました。本日は17時30分から大垣で打ち合わせを兼ねて食事会があるのでメロンの汁を飲んで楽しんで貰うのは明日以降になるのですが取り敢えず買い物の帰りに家に寄りリットにメロンを見せてから施設に行きました。話は朝一の場面に戻ります・・・。

いつもの様に4時50分のアラームで布団上での手足の運動をしてから1階に降りて行くとソファーの上の専用ベットで寝ていたので「リット誕生日おめでとう。」と声を掛けてもピクリともしないので耳の所をなでなでしてもピクリともしない。体重が10キロを超えていた時に爆睡していると凄いいびきだったので『爆睡中』と分かったのですが今は6キロに体重が落ちた(ふさふさな立派な毛があるので見た目は余りわからないのですが、触ってみると骨と皮のような状態です。)からかいびきはかいていないのでわからなかったのですが、爆睡中だったのか顔をあげる事もしないのです。

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そこで思ったのはリットが長寿である理由です。その理由とは自分でお腹が空いたと思ったら「ニャーニャー」と鳴いて(夜中だろうが早朝だろうだ私が食事をしていようが)食事の請求をします。一度にたくさんの量ではなくて少ししか食べないのですがとにかく回数は多いです。そして何と言ってもよ~く寝るのです。(必要に応じて1階と2階を行ったり来たりのみ)その他には毎日の排便もしっかりしてます。つまり、『マイペースの(ストレスが無い)規則正しい生活』だからこその満20歳(猫年齢では92歳)の誕生日と言う事なのだと思います。老猫リットの生活を真似れば確かに特別な病気にならない限り長寿でいられるのでしょうがなかなか真似出来るものでは無いと思うのですがリピーターの皆さんはどう思われますか。

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これからコラムを書きます

令和3年11月22日

本部施設で9時から打ち合わせをしていると10時からの業者さんの担当者の方が東京へ転勤が決まったのでとの事で、次の担当者の方と一緒に挨拶にみえて、話をしていると盲養護老人ホーム優・悠・邑     和(なごみ)の吉澤施設長も合流しての話をして、お客様が帰られてからは理事長である私と水野副施設長と吉澤施設長の3人で打ち合わせをしていると、本日は『寿司バイキング』と言う事で、3人でバイキング料理を頂き、食べ終わってからは吉澤施設長の運転でOKBふれあい会館に向けて行きました。

13時30分から町村会の会議があり、盲養護老人ホーム優・悠・邑    和(なごみ)のご案内に5分の時間を頂いたので出掛けました。時間になり会場に案内して頂き、最初に理事長として私がお話をさせて貰い、引き続いて吉澤施設長に現在の様子を話をして貰い再び私がマイクを持ち、お願いの締めをして貴重な時間が無事に終わりました。

説明会前に岐阜県老人福祉協議会の会員施設からコロナの3回目予防接種についての質問があったので吉澤施設運転で岐阜県庁に回って貰い、高齢福祉課へ行きコロナ対策官の方に会員からの質問を投げ掛けました。3回目の予防接種についてはまだ確実な事が決まってないと言う事で「今月中には答えを示せる。」との事だったので、1回目2回目同様の対応をお願いして席を立とうとすると課長さんが別件での話があると言う事で課長さんからの依頼を快諾して高齢福祉課を出て2階玄関に吉澤施設長が待機していてくれて雨も降っていたので助かりました。

その後帰る途中、運転は吉澤施設長ではありましたが本日17時15分から本部施設で幹部会が開催されるのでパンとカップ麺を11人分購入して本部施設に帰りました。その後事務長を呼び打ち合わせをしながら決済をしていると岐阜県庁高齢福祉課のコロナ対策官から「3回目の予防接種に対する要望に出来る限り出来るように努力します。」との連絡を頂き、早い対応に感謝です。

17時過ぎには烏野顧問も(びわこ学院大学教授・学部長)来て下さり、先ずは準備したパンとカップ麺を食べてから幹部会を始めました。幹部会とフロア責任者会議及び委員会の刷新の話や介護報酬の加算のライフの話等々の話に熱が入り気が付けば20時30分を回っていて、家に着いたのが21時で即効でお風呂の湯船に浸かりながらコラムを書いて、それだけでは書けなかったので、(勿論頭も体も洗いましたよ)布団の中で今(午後10時14分)完成です。本日は一日の報告のみですがそれぞれの立場で切り替えながら頑張ったとリピーターの皆さんに評価して頂けると嬉しいのですが。

昨日、盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)に行き感じた事

昨日は10時から入居者さんと一緒に私が導師となりお経さんを唱えました。そして改めて「大きな声で唱えると体の芯から熱くなるな」と感じて上着を脱ぎました。それと同時に「和(なごみ)の入居者さんは毎日お経をあげてみえるのでお経が上手だな。私も負けとれん。」とも思いました。また、職員の対応については「入居者以上に職員がいるので(入居者15人に対して職員が23人)ゆったりとした対応だけれども50人(現在の定員数)或いは80人(建物全体の定員数)になった時に今のような『ゆったりとした』が維持出来るかがはなはだ心配になりました。また、職員が入居者の人数より多いことによって今後困った現象が出てこないかとの懸念も抱きました。

お経を終えて一曲カラオケで歌わせて頂くのですが今回は吉幾三さんの『酒よ』を歌わせて貰ったのですが、これまた聞き上手な方が多くて自分でも「声がよくでてるな」と思いました。職員の動きでの懸念が引き続いて開かれた全体会議の吉澤施設長の話の中で出てきました。

具体的には館内用の携帯電話(通常『ピッチ』と言われているものです。)の機能を使うことなく連絡を直接にしてしまう事です。確かに今は連絡に要する時間は十分にあるのだと思いますが余裕がある今からしっかりとしておかないと入居者の数が多くなった時に身動きが取れなくて「こんなにも忙しいのは大変だ」と言う事になってしまうと思うのです。また、こんな事も吉澤施設長は言ってました。「排泄介助に要する時間にばらつきがある。5分で出来る職員もいれば30分近くかかる職員もいる。」と聞いたので私は「本部施設では考えられない事だな。」と思いつつ「30分を要しても業務に影響しないのは職員が必要以上にいるから問題が顕在化しないんだな」と思い私は「充分に時間がある今、効率よく対応出来るように研修や手際よく出来る職員のアドバイスを聞いてみんなが手際よく出来るようにしないと入居者が充実してきた時に大変な事になるのでしっかりと今の内に学んで欲しい。」と話をしました。また、吉澤施設が「電気や水道等々に留意して欲しい。」との話もあったので私はその点に対しても「ケチと節約は違う。節約に心掛けたら気付きの多い職員になり、節約して出てきたお金は入居者さん、職員に還元する事を私は理事長として約束します。」とも話をしました。今は吉澤施設長が孤軍奮闘しているような状態ですが、必ず吉澤施設長をサポートしてくれる職員が現れる・・・いやいや今でもおみえになると思います。色んな意味で余裕があるからこそ頑張って貰いたいと考えています。

リピーターの皆さんもこれからの和(なごみ)を見守っていて下さい。

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