2021年09月の記事一覧

施設への私の思いを語ります

今までに施設の建設を4回させて頂きました。それぞれに色んな思いで造らせて頂きましたが、揺るぎない思いの一つに『祈りを形にする』があります。

初めて着手したときの本部施設本館の時には「日本の住居の中心には仏壇があるべきだ。しかも70人の方住まいの中心に置くのであれば誰もが素晴らしいと思って頂けるものにしたい。」と考えて長浜で仏壇店を経営している滋賀信行会の内藤会長(40年来のお付き合いです。)に相談して浜仏壇を基本に置いた三方開きで、仏壇は暗いイメージがあるので敢えて仏壇の発想にはないステンドグラスを天井と両サイドに入れて貰う事にしました。ステンドグラスを導入したのは長浜にはガラス細工で有名な黒壁館があったからです。

そしてその当時の設計士の計画では仏壇のスペースは一軒の幅だったのですが敢えて一軒半にして頂きました。ステンドグラスで天井には西国浄土に登って行く龍を両サイドには古式豊かな楽器を作製して貰い欄間には多くの仏様を刻んで貰う事にしました。内藤仏壇店にとっても初めての試みで二人で出来上がるのをワクワクしながら待っていたものです。

しかしながら、内藤会長も私も若かったんだと思います。と言うよりも世間知らずだったのだと思います。だってその当時の我が法人には支払い能力がないなかで夢の中の出来事のように突き進んで行ったのです。(もちろん何年間かかってですが払いましたよ。ただし、大名商売の内藤会長ですので利息はなしでしたが。いやいや太っ腹な内藤会長だから理解して頂けたのです。)

新館の建物は岐阜県で2番目に出来たユニットで4ユニットにそれぞれ静慈圓大僧正の書を入れさせて貰い、私たちが考えた独創的な仏像を彫り物の里の丹生で作って貰いました。

和合の施設には大垣にちなんで京都の新進気鋭の作家軍団に1週間かけて『水龍』(大垣は水の都なので)『養老の滝』(広い意味で大垣と考えて)『大垣城』を壁一面に描いて貰い、その正面に仏壇を設置して、仏壇の背に曼陀羅を掛けさせて頂きました。(地元の企業からの寄付です。)

そして、先般のコラムで紹介しました和(なごみ)には静大僧正の書をいっぱい設置してある次第です。

今、本部施設では敬老週間の真っ最中。その、敬老週間の最後を飾る企画として『千巻経』をさせて頂くのですが、毎年の企画とは言え千巻経を皆さんで唱えた後はいつもいつも『清々しい気』で施設が包まれるように思います。

本日は『薔薇風呂』の企画があるので、私は朝一で神戸で薔薇を栽培されている所へ薔薇を頂きに行きました。薔薇を車に運びながらワクワクしてきました。施設に着くと車の所まで水野相談員が運びにきてくれて水野相談員のワクワク感が伝わってきました。早速玄関ホールで薔薇を分けるために幹部職員が集まってきて、またまたワクワク。こんな時の会話はたまりません。薔薇でこれだけのワクワク感だから明日は明後日の為に松茸が10キロが15時頃にきますので、この時のワクワク感は想像を絶します。リピーターの皆さん。この気持ち理解して下さい。

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朝から背中の右側の所に違和感が

夜、寝ている時にひねったのか、朝から背中の右側の所に電気が走るように痛いのです。そして腰の所は異常な位にだるくて重いように感じるのです。

本日13時30分からのお参りの会場である先ずは本館1階へ行くといつも以上に参加される方が多くて「これは頑張らなければいけない。」と仏さんの前でお経を唱え出して木魚のバチを取ろうとするだけで背中に電気が走るように激痛が。だから大きな声でお経を唱えていて、大きな息継ぎをする度に背中に激痛が・・・。何とかお経を終えて既に早瀬主任がカラオケをセットしていてくれたので昨日同様『兄弟船』を歌いました。歌を歌っているときは不思議な位に痛みがなくて・・・。お経を唱えているときは余裕がなくて気が付かなかったのですが大きな手を合わせた絵が掲示してあり、昨日のコラムで指摘した事を早速形にしてくれたのかと思うと元気を貰ったように思いました。

その勢いのままに本館2階へ行き、同じようにお経を唱えたのですが、お経を唱えながら肩を上下に動かしながら頑張りました。2階でもカラオケが用意してあり2階の定番になっている山崎ていじの『お前しか愛せない』を歌い、いつものようにアンコールの声がかかったのでデンモクが動かなくなったので本体にある曲目の中に加山雄三の『お嫁においで』があったので歌わせて貰う事にしたのですが、いわゆる「本邦初公開」だったのですが自分では合格点でした。

歌を終えてから入居者に「明日は薔薇風呂に入って貰う為に神戸まで朝早く行って薔薇の花を頑張って切ってきます。22日はバイキングが松茸づくしなので21日は松茸がある山に行って松茸を10キロ採ってきます。」と大真面目に話をしました。すると入居者さんから「理事長さん気を付けてね」と声がかかったのは少し罰が悪かったですが、ここはご愛嬌と言う事で。これで16日から4日連続のお参りは終了です。ここは私へのご褒美と明日からの頑張りの為に背中が痛いのでマッサージの予約をすると16時からなら予約が出来ると言う事で16時から2時間しっかりと体をほぐして貰いました。まだ背中は痛いのですが多分明日にはバリバリ元気になると信じて今は(19時24分)のんびりと(とは言えコラムを打っているのですが)湯船に浸かっています。

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さてさて明日からの薔薇風呂や松茸づくしバイキングや千巻経とワクワク感を入居者、利用者と楽しみたいと思います。リピーターの皆さんも報告を楽しみにしていて下さい。

入居者さんとのお参りが続きます

令和3年9月18日

一昨日(16日」は優・悠・邑    和合で、昨日(17日)は優・悠・邑    和(なごみ)で本日(18日)は優・悠・邑本部施設のデイサービス及び新館2階と1階、明日(19日)は優・悠・邑 本部施設の本館1階と2階のお参りが実施されます。(既に実施したのもありますが)

16日の和合のお参りは完全リモートで、私一人がスマホのカメラに向かって少しだけ入居者さん利用者さんにご挨拶をしてから仏壇に向かってお経を唱えました。マイクを通じて私の声が届いているのかがわからないのでしっかりと大きな声を出して唱えました。和(なごみ)で地元の企業さんからご寄付を頂くセレモニーがあったので背広を着ていて、大きな声で唱えていたらめっちゃ暑くなり背中を汗が流れるのがわかるような状態になったので、途中でお経を唱えながら上着を脱いで続けました。入居者さん利用者さんがみえないなかだったので何と無く違和感を感じました。なるべく速い時期にコロナが終息して、皆さんと一緒にお経を唱えたいと強く思いました。

昨日の和(なごみ)でのお参りは、8月23日に地蔵盆で入居者さんとのお参りはしたものの仏間で入居者の皆さんとのお参りは初めての試みだったのですが、朝のお参りは毎日されているとの事で、一緒にお経を唱えていても全く違和感がなくて正直お経を唱えていて私自身が心地良い空間に包まれました。これは、和(なごみ)の仏間が高野山の静慈圓大僧正の書がたくさんかけてあり、しかも仏壇は静大僧正の祈りをして頂いているので私自身は『不思議なオーラ』を感じていたからかも知れません。お経を終えた後は吉澤施設長が準備してくれたのでカラオケで歌を披露する事になり「ここは自信を持って歌える曲にしよう。」と言う事で、鳥羽一郎さんの『兄弟船』と北島三郎さんの『祭り』を歌わせて頂きました。皆さんがしっかりと手拍子をして下さったので正直気持ちよく歌えました。

本日は13時30分からデイサービス、新館2階、新館1階の3ヶ所でのお参りでしたが、正直な気持ちで語ると本日から敬老週間としてのお参りの企画だったので、何か特別な仕掛けがあるかとデイサービスのお参りの場所である本館の仏間に行った時に正直落胆しました。と言うのは「いつもと何も変わらないお参りの対応だったからです。この事の責任はデイサービスの利用者さんには何にも関係ない事なので私は『薔薇風呂』と『松茸バイキング』の告知をさせて頂きました。デイサービスの職員はワクワク感を持って敬老週間を話題にしていないのかと思うと何と無くトーンが下がってしまうので、自らを鼓舞するために話をしました。

その後トーンが上がらない中で新館2階に移動するとデイサービスとは違って活気があり、皆さんとのお経の後は山崎ていじの『お前しか愛せない』を歌わせて貰い、その後は松茸の話で盛り上がりました。気分を良くして新館1階へ降りて行くとこちらも活気があり、いつもの事ながら入居者さんの中で写真を撮られる方が一生懸命にこちらにカメラを向けてくだれるので結構意識をしながら歌は砂田おさむさんの『人生夢の途中駅』を歌わせて頂きました。活気があると私自身もテンションが上がります。そうすると、改めて私は皆さんによって生かされていると感じるのですが、リピーターの皆さんは私の気持ちを理解して頂けますか。理解して頂けたら最高です。

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責任を取らない体質(体制)なのは何故

令和3年9月17日

日本の医薬品研究に対するレベルは決して低いものではないと思うのですが、このコロナ禍での状況をみると「外国が新しい治験薬を承認して使い始めた。」と言っては「だったら日本でも承認するか」と言う状況が続いているように思えて仕方がないのですがリピーターの皆さんはどのように思われますか。確かに『完璧な品物を届ける』のが良いに決まってます。しかしながら、今回のコロナ対策は待ったなしの状況があると思うのです。私はいつも職員には「薬や点滴は人間にとって異物を入れるわけだから考え方によっては毒だとも言える。だから必用最低限にしたい。」と言っています。

だけれども今の現状はコロナに効く治療薬を欲しています。もちろん、異物を投入するわけだからしっかりとした治験は必用だけれども「早く世に出して欲しい」と言うのが本心です。しかしながら、テレビの報道を見る限り日本では、なかなか承認されないのが現実のように思います。

私は自然の摂理として、何らかの障害を持って生まれるのは、おおよそ1%と言われています。野生の動物の場合は障害があると言うことはイコール淘汰される運命にあるわけです。しかしながら、人間は障害を持った方との共生が出来る社会が望ましいと言う事です。私は極端な考え方かも知れませんが仮に治療薬が出来て10万人に1人の割合で副作用が出るからと言って承認されないと言うのはあまりに不合理な考え方だと考えています。

10万人の内9万9千9百9十9人が助かり、1人が厳しい状況になるとしたら、その一人の方を全力でサポートすれば良いのではないかと考えています。どうして日本ではこのような対応が出来ないのかと言うと助かった報道はあまりされなくて、駄目だった事ばかりがクローズアップされるマスコミの対応にあるのではないかと私は思っています。

この事はリピーターの皆さんの中でも批判的な考え方をお持ちの方もあると思いますが早くコロナが終息する為にはそのような決断も必用だと考えている次第です。リピーターの皆さん。私のコラムのコーナーの中で自由活発な意見を交わせたらと考えていますので、是非とも参加して頂けると嬉しいです。

3度も嬉しい事がありました

平成26年4月2日に優・悠・邑和合の事業開始をして8年目の月日が流れて行く中で、私自身和合には幹部会と全体会の月2回は施設に行ってはいても、杉和会の実質的創始者である私の理念や思いがどこまで浸透しているのか、あるいは理解されているのかが正直不安でありました。しかしながらその不安を払拭するにあまりある1通のメールをかつての入居者の娘さんから頂きました。

そのメールは私が毎日書いているコラムの中のご意見コーナーの中にありました。8月にメールを頂いていたのですがかなかな返事が書けず1ヶ月近く経ってから返信メールで送りました。

返信メールを送って何日もしないうちに折り返しのメールを頂きそのメールの中に「理事長さんはお忙しい方なので返事が遅くなった等と謝らないで下さい。」の文面に私は「相手に対する配慮ができる素晴らしい方で余程和合での対応を喜んでみえたんだな。」と思うとまたまた嬉しくなり、今度はメールを出すのではなくてパソコン文字ではありますが、手紙を書き私が岐阜新聞で掲載して頂いた『素描』と静慈圓大僧正の本やパンフレット等を入れて送りました。

すると昨日家に帰るとその方からの封書が届いていたのです。中味を確認すれと手紙と共に手作りしたと思われる布マスクが何と15枚も入っていて柄もカラフルで「愛情いっぱいの素敵なものだ」と思いつつ手紙を読んでいくと、私が送らせて頂いたコラムの本はお母さんに見せたら「面白いので先に読みたい。との事で渡しました。」と書いてあり、同じく同封したパンフレットについては「クリスマスの写真に父が写っていて、とても嬉しかったし、とても笑顔の顔で感謝です。」とも書いてありました。その後「お礼と言う程ではありませんが84歳の母が作った布マスクを少しだけ送ります。父が入所中は優・悠・邑    和合のスタッフの人達にも渡しました。(中略)柄など気に入る物があるかわかりませんが、使って頂けたら幸いです。」と書いてありまたまたビックリです。だって、84歳のお母さんの手作りとは。

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私は本日午後から優・悠・邑    和合で幹部会があったので、頂いた手紙の全文を読ませて頂くと共に私自身、理事長としてとても嬉しく和合の施設を造ったのを誇りに思うとも話をしました。なお、私は15枚の内から『龍』と『家紋』の絵柄のマスクを使わせて頂く事にしました。このような事があるとますます頑張らなければいけないと思う私です。リピーターの皆さん。こんな私をどう思われますか。

奇跡への感謝(それにしてもいっぱいあります。いやいや、進行形です。)

何度もコラムで書いていることですが、今朝4時に目覚めて、「少し早すぎるな」と思い寝床の中で「さてさて本日の予定は。」と確認した後「本日のコラムで何を書こうか」と考えていると走馬灯のように今までの私の過激な出来事が浮かんできて私は思わず改めて「全てに感謝だな」と思ったので感謝を込めて改めて書く事にします。

先ずは生後半年が経過した時に心臓が5分程度停まり、それ以降の私は病気と背中合わせの毎日だったとの事ですが(我が家の縁の下には酸素ボンベが置いてあった。)それでも今の私が存在するのは我が家から200メートルも離れてない所に診療所があり本多先生と言う女医さんが常駐されていたので何かあると駆け付けて下さって適切な対応ををして下さった事です。ただし、ここにも伏線があります。と言うのは私の母親秋江さんは今須の生え抜きのしかも私にとっての祖父である春吉じい様は今須では珍しいその当時の相場師でのうるさい存在で、母親秋江は私が生きる為なら何でもするぞと言う方がだったので、本多先生からも特に大切にして頂けたからこそのいまなのであります。色んな偶然が私を生かして貰えたのだと思います。

何とか小学校に入学して1年から3年まで担任の先生だった塚原先生は『塚原ぼくでん』と揶揄されるくらいに厳しい先生だったのですが私は何故か塚原先生に可愛がられていて、その当時は日直と言うのがあり、私は母親秋江さんに食べきれない程の食べるものを作って貰って学校にいて、大した事をするわけでは無いのに塚原先生の側でニコニコとしていたとの事でした。私にとってアマアマの塚原先生がいたから勉強はできなかったと思うのですが、小学校3年間を過ごせたのだと思います。塚原先生には、私が今須の地に本部施設を建てて間なしの頃、塚原先生の住まいがあった近江長岡に講演のお招きがあり行かせて頂いた時に杖をついてわざわざ講演を聞きにきて下さり「ガリガリで青白い顔だったひろっさんが立派になって嬉しかったよ」と言って下さった時には「頑張ってきて良かった」と素直に思ったものです。体が弱かった私を姉光子さんと春子さんがカバーしてくれたからかそ曲がりなりにも学校に行けたんだと思います。

高校2年で荒んだ気持ちを押さえきれずにいたときも、私の不始末を父親進さんがしてくれたから高校を中退せずに済んだのだし、大学時代に横着をして、教授会で退学寸前のところを助けて下さった学長より実権を持っていた旧文部官僚の先生の存在もあったし。教員を辞めて方向性が定まっていない私を児童養護施設の指導員として紹介して下さったその当時中学校の校長先生の存在もあるし、大学時代にあと一時間遅かったら腸閉塞で死んでいたかも知れない事もあったし。とにかく、「あのとき」と思える場面がいっぱいあります。やっぱり、今生きている事に感謝です。リピーターの皆さんも私が生きているのは奇跡だと思いませんか。

一般社団化を目指して

令和3年9月14日

私は岐阜県老人福祉施設協議会の副会長を5期10年勤めさせて頂き、引き続き会長を5期で9年目になります。常に『会員施設にとってのメリットを』を考えて努めてきたつもりです。その中で私は今、組織の基盤強化の為に『一般社団化』の設立に力を入れています。と言うのは私自身の体験の中で『社会福祉法人杉和会』の認可を1997年(平成9年)7月17日に当時の岐阜県知事から頂いた時には「これで社会的認知が頂けた。」と思いました。今でも岐阜県老人福祉施設協議会は存在していますが、あくまで名称を名乗っているだけで、組織として承認されているわけではないので、公の補助金を頂いて何かをするには岐阜県社協さん経由でしなければいけないのです。

会員の方々の中には「今のままでも良いのではないか」とか「会費が上がるような事があったら困る。」等の意見はあるのですが、主体的な組織を確立することによってより発展的な展開が出来るようにするのが私の使命だと考えているのです。確かに会費の値上げは会員の方々には理解しにくい事なので、岐阜県からの理解を得るなかから支援を頂き持続可能でより確固たる組織にしていきたいと考えています。今までにはない発想で何かをしようとすると色んな弊害や軋轢が生じますが、それを恐れていては良い結果は生まれてきません。課題が出てきたら誠意を持って答えて行く事で問題解決をしていくしかない。今までにも厳しい状況は数え切れないほどあったと思いますが、逃げずに立ち向かって来たからこそ今があるのでここもしっかりと踏ん張って行きたいと考えています。

本日も午後から岐阜県庁に行き打ち合わせをしたのですが、私なりに誠意を持ってお話をさせて頂きました。その中で私は「3年で良い方向を見出だしますので、それまでの支援を宜しくお願いします。」と御話しをさせて貰いました。「よくもよくも、なんの為に骨を折っているの」と言われる方がありますが、私は「誰かが業界の為に骨を折って頑張らなければ、明るい将来は切り開けないと思うので気付いた私がやらなければとの思いでいますので、今後の応援宜しくお願いします。」とみんなに言いたいので宜しくお願いします。

昨日の岐阜新聞の3面記事を見て(本日は休刊です)

令和3年9月13日(月)

タイトルは『ぎふ    そもそも?なぜ?』でサブタイトルは『隣接するJR鵜沼駅、名鉄新鵜沼駅・・・運行の要、ともに重要視』を興味深く読みました。書き出しをそのまま書きます。(決して手抜きではなくて本意をリピーターの皆さんにしっかり伝える為です。)

「県内で、JR在来線と大手私鉄である名鉄が、開業当時から現在まで同じ地で近接している駅の一例に挙がるのが、今年開業100周年のJR高山線の鵜沼駅とその5年後に開業した名鉄各務ヶ原線、犬山線の新鵜沼駅。高架通路で歩いて行き来できるほど近いが、なぜ近接しているのか、そこには交通の要として重要視されたことが理由にあった。」

記事を読んでいる内に町作りの発展には10年先、20年先の見通しを立てた計画が必要なんだと思いました。JR鵜沼駅は高山線との接続を可能にして名古屋方面から飛騨を経由して金沢方面へつながる鉄路の必要性が見込まれての建設だったとの事。確かに名古屋から東海道線で米原に行き北陸線乗り換えるよりは便利だったと思われます。ただし、今は新幹線が時間的に早くて、新幹線で米原での乗り換えの方も多いように思われます。しかしながら、東南海地震が発生した時に海岸端を走る北陸線よりも内陸を走るルートが活用される可能性があり、新東名が山の中をトンネルで行く予備のように考えられるのと何処か共通するとしたならば、このルートは『先の先』までみていたと言う事なのかと一人で感心してます。

また、かつては(2001年)名鉄はJRに乗り入れて特急「アルプス」で高山までの運行が可能だったとか。(この運行がなくなったのは需要の関係だと私は考えています)その当時の考え方は鉄道会社の垣根を越えてのもので、画期的な考え方だったと思います。つまり『競合』よりも『共存』を優先させたと言う事です。JRと名鉄との乗り入れが無くなり2009年に完成した高架通路『鵜沼空中歩道』でつながるまでは、行き来するのには遠回りをして踏み切りを渡らなければならなかった。この通路が出来て徒歩数分で行けるようになった。それまでは「近くて遠い存在だった」らしい。

今、コラムを打ちながら垂井駅の改札口は北側にしかなくて、南側は田圃ばかりがあったのに、南北連絡通路が出来た事によって、南側の田圃は駐車場とアパートが乱立してお店も多くの進出して南側は目覚ましい発展を遂げている。いやいやその前に大垣駅も南北連絡が出来て北側が今ではメインのようになっているし。

(ここからは私の独り言ですが)関ヶ原駅の場合は南側にしか改札口が無いので北側に行けるようにしたら、色んな展開があると思うのですが『目の前の事だけ考える』の発想では、『関ヶ原合戦跡地』だけで埋没してしまいそうです。

今年の5月に事業開始した盲養護老人ホーム和(なごみ)は入居者がなかなか入らなくて苦戦していますがこれから岐阜県のセーフティーネットとしての役割は大きくて必ず必要なものになると確信してますので精一杯頑張って展開していきますのでリピーターの皆さん、ご理解とご援助を宜しくお願いします。

私自身に「クスクス」です。

令和3年9月12日

昨日の朝と同じように4時30分過ぎには行動を開始して車庫の中に入れておいた廃品回収用の段ボールや雑誌を車庫前に出しました。と言うのは、昨日は多分、老人会の役員さんが作業を開始されようとされたタイミングで雨が降りだしたので早々に順延のお知らせが来て、昨日はせっかく出した物を車庫の中にしまったので改めて車庫前に出したのです。

出し終えてからいつものようにウォーキングマシンで歩いたのですが、昨日のコラムの写真で見ていただいたように靴に穴が開いてしまっていて、今から考えてみるに左足の小指は長い間に低温やけどのようになっていたのだと思います。流石に本日も穴が開いたシューズを履くわけにいかないので3足買ったうちの外用にしていたのを綺麗にして使用したのです。そして歩きながらお経を唱えているにも関わらず私は思わず「クスクス」の笑いが止まりませんでした。だって、ウォーキングマシンに乗って歩いていても、左足の裏側も小指はもぜんぜん熱くならないし、歩いていても負荷がかからない為か歩くのも軽やかだったように思ったからです。

リピーターの皆さん、私は物を大切にした結果として穴が開いているのを履いていたのでは決してないのです。現に買いに行くまでもなく、それぼど使っていないシューズを今朝は履いているのですから。改めて自分の事になると無頓着な自分がいることを知りました。

昨日は若干の片付けと法人事務局長(和合の副施設長)との決済と打ち合わせが午前中にあり、昼食後に北島部長との打ち合わせをしてから、自分自身でも分かるくらいに集中力がない自分に気付き、14時過ぎに家に帰らせて貰い昼間の時間ではありますがパジャマに着替えて横になると18時前まで爆睡しました。(途中で3回電話連絡がありましたが)その後お風呂と夕食をとり再び寝る事にして「あんなに寝たのに寝れるのかな」と思っていたのですがしっかりと寝る事が出来て今朝は4時30分には爽やかな目覚めでした。最近は早くには起きてウォーキングはしているものの眠い感覚があったのですが本日はそのような事はありません。現に今の時間は午前6時57分なのですが既にコラムがここまで書けました。(この続きは後程に)

本日は日曜日と言う事で外部との会議は一切なかったので、全国介護福祉政治連盟の会費集めの為の対応をしました。介護に政治は関係無い等と言っていたら、制度的なバランスが悪くなりしっかりとした対応が出来なくなってしまったら大変な事になることを会員の方々に知って頂く為に気が付いた者として汗をかくのは当然の事だと考えています。

社会福祉法人は福祉の上でのセーフティーネットの役割を担う為にも頑張っていかなければと考えていますのでリピーターの皆さん、これからも宜しくお願い致します。

いつも以上に早起きしたら悩みが一つ解決しました

令和3年9月11日

本日は老人会の廃品回収があり、老人会の役員さんの回収は早い時だと7時過ぎにはみえるので、ウォーキングマシンに乗って歩きながらのお経をする前に廃品回収で持って行って貰う雑種や段ボール等を車庫の前に置いておこうと考えていて目が覚めたのは4時30分だったので「時間的にちょうど良い」と考えて、これまたいつものようにベットの上で体操をして、これまたいつものようにリッドに絡まれながら歩いてリッドの食器に食事を入れてから(『えさ』と言うのは止めにしました。)洗面だけ済ませてから廃品回収に出すものを車庫前に置いて、仏壇に灯明を点けてからウォーキングマシンに乗り、いつもだと直ぐにマシンのスイッチを入れるのですが、本日は時間があったので、靴がボロボロなのが気になり(かなり前からなのですが・・・)手に取って見てビックリです。だってリピーターの皆さんもビックリでしょ。

だってだってゴムの部分が減っているどころかしっかり穴が空いてるのですから。自分自身でも自分の行動がおかしいと思います。と言うのも私は常に「いつもと違う何かに気づいたら、その対応をしっかりするように」と言っているのに、毎日毎日歩いていて、20分も歩いていると左足裏側が熱くなり特に小指が・・・。そしていつも「神経の何処かに異常があるのか」と歩きながら心配していたのですが。マシンはしばらく乗っているとゴムの部分が熱くなるのは知っていましたが、足の裏側が直接熱くなったゴムの部分に当たっていて熱くなっていたとは・・・。

「もっと早く気が付けよ」と言う話なのですが、改めて思ったのは、「自分の事になるとこんなものか」と言う事です。確かに大垣市にあるスポーツ洋品店『ヒマラヤ』でウォーキングマシンを購入した時にシューズをまとめて3足色違いの物をお店の方のおすすめで購入したのです。今も外用と施設用とウォーキングマシン用で使用しているのですがこのウォーキングマシン用が一番酷使しているように思います。しかしながらゴム底がしっかり無くなり写真でもわかるくらいに大きな穴が開いているのにはビックリすると言うより感動でした。

今から考えてみると確かに左側は歩いていて『熱い』だけでなくて『歩きにくい』感じがしてました。「だったら気が付けよ」と言う事になるのでしょうが自分の事になるとこれがだめ何ですね。と言う事で今朝のウォーキングマシンでの歩きを最後にしてこのシューズは引退させようと親指に力を入れて感謝を込めて歩きました。多分引退するシューズもここまでになったら引退するのを理解してくれると思います。私自身もこのシューズのようにならないように引き際はしっかりとしなければ・・・。「いやいやまだまだ若い者には任せれん。」と言う事でリピーターの皆さん、もう少しいやいやまだまだお付き合い下さい。

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