2021年06月の記事一覧

眠い中でやることは良くないです

昨日のコラムは少しだけは朝の時間帯に書いたのですが(朝の段階でテーマが決まっていると原稿の進みが良いのです。)最終的には夕食を終えてからになり、最後の方は無理やり絞り出したような感じで(読んで頂いている方にとっては失礼な話ですよね、全く)字数が少なかったとの思いが送信したタイミングで頭をよぎったのだと思います。

そこでガラケーの携帯で梅ちぎりをして私が籠一杯になった写真をとっていたのを思いだし送信して宿直者に写真も入れるようにお願いした後は午前2時まではしっかり寝たのですが、その後は色々な事を考えていてなかなか眠れず(四時間はしっかり眠れたので良いのですが)何となく昨夜送ったメールの確認をしていてビックリです。

何故ならば昨夜の私のコラムを読まれた方はおわかりだったかと思うのですが昨日の写真は前回(6月6日)梅の収穫をした後のデイサービスでの様子を私が撮ったものだった事に気が付きました。だから改めて私がお見せしたかった写真を提示して重ねてお詫び致します。

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それにしても、眠い中の作業は良いものにならないと言う事の証です。これからは頭がしっかり働いている時間帯に書くようにしますのでコラムを読んで頂いている方、これからも宜しくお願い致します。(ここまでは朝起きる前の布団の中で書きました。後は昼間の展開です。寝る前ではなくて書けると良いのですが・・・)

施設のパソコンで確認しました。やはり思っていた通り、違った写真でした。しかも、宿直者が気をきかせたのだと思います。私の撮ったものの他に大きな籠の中の梅が入っていたのですが、私の意図とは違う。だから改めて写真を載せます。今度の写真を見たら母秋江さんがきっと「一個とってでも『偉い』と言っていた宏が凄いすごい」と言ってくれるばずだから。私は余程親に褒められたいのですかね・・・。仕方がないか。だって小さい頃はそんなもんだったから。母秋江さんが今の私を見たら何て言うのかな?叶わぬ事とは言え夢でも(現実は絶対にないのですが)話が出来たらと思っています。

本日は週明けの月曜日(6月14日)が全国老人福祉施設協議会の代議員総会並びに理事会(初めての参加です。)なので、事前に送付された資料の確認しましたをしたり、ボランティア室の片付けや銀行に行って本日購入するカラオケの代金を引き出したり支店長さんと打ち合わせをしていると午前中があっと言う間に終わってしまいました。

カラオケの機械を午後から持ってくる事になっているのを待っていると来ました。最初の1台は新館でセットして頂きました。このカラオケの機械を導入したのは、カラオケの他にもゲームや体操が出来る優れものでこのコロナ禍での余暇にはぴったりと思ったからです。勿論カラオケがメインですので歌い初めは理事長である私が新館でもデイサービスでもさせて頂きました。久しぶりのカラオケでしたがカラオケの機械が優れているのか、それとも私のお腹が上手く歌わせるのかはともかくリピーターの皆さん。気分よく歌えた事をお伝えして、今日は眠くなる前にコラムが書けた事をお伝えしてコラムとします。(眠くなる前に書いた割には中身は大した事なくてスミマセン。)

当たり前じゃないですか

令和3年6月10日

朝6時のNHKのニュースを見ていて『当たり前じゃないですか』をまことしやかにアナウンサーの方が話されていてびっくりしました。と言うのは『ワクチン接種が完了しても感染対策をしないと医療が逼迫する。』と話されていたからです。ワクチン接種を二回完了したからと言ってコロナが絶滅したわけではないし、二回の接種をしたから絶対にコロナにかからないと言う事ではないわけです。『コロナ』『コロナ』と言っていて、最初の内は『クラスター』と言う言葉に「大変だ」と言っていたのが、「あそこでもクラスターが出たんだって」と言う風にトーンダウンしてきて、今ではコロナの予防接種を二回すれば「コロナにかからない」等と思われているのかと思うと何と順応性の高いと思わざるを得ない。

確かに予防接種を二回すれば『かかりにくいし重症化はしない』と思いますが絶対に罹患しないとは断言出来ないのです。つまり、コロナと共存する為には『うがい』『手洗い』『消毒』『マスク』は習慣化していかなければいけないと考えています。コロナの感染力はどんどん強くなっているようですが感染対策をしっかり実施すれば恐れる事はないと思いますが。

現に今年はインフルエンザの流行は全くなかったしましてやインフルエンザによる死亡者は皆無だったと言っても過言ではないと思います。つまり、感染対策をしっかりと実施する事こそ肝要だと思っています。つまり、冒頭に書いたたように感染対策をはコロナが終息出来たとしても怠ることなくしていかなければいけないことがと言う事です。

リピーターの皆さん。今は新規事業の事と本館1階の皮膚トラブルの事で頭が一杯なのですが16時にお客さまが帰られつから水野係長と共に当施設の協力者の方が畑の梅をちぎっても良いとの連絡を頂いていたので梅ちぎりをしたのですが鈴なりになっている梅を遮二無二ちぎる作業をしていると頭のもやもやがとれたように思いました。頭を休めることも大切だと実感した次第です。。明日からは頭を軽くしながら頑張りますので、リピーターの皆さん。。リフレッシュした私をなお一層応援してください。

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温度差(かつての職員だった服部課長の短いテーマでの指摘により短くしました)

色々な考え方を持ち、色々な特技や趣味を持った多くの人間が集まっているのは頼もしいと思います。今は本部施設が80人、和合が70人、和(なごみ)に24人で170人以上の集団になった事は一言では言い表せない気持ちです。勿論、私の考え方は単に事業を拡大させて行く事に執着したのではなく、新しい事業を展開する『必然』を考えての対応だったと自負してます。しかしながら、正直苦労が絶えないのが現実です。そんな中で、本部施設と和合の施設と和(なごみ)の施設において考え方の違いが出て来ているとは思っていたのですが、本部施設の本館1階、本館2階、新館1階、新館2階とデイサービスでさえも違いが出てきていると痛感しています。それぞれのフロアの責任者の考え方や手法により合格点を出せるばかりでない事にイライラが募ってます。確かに幹部職員とは言え色んな考え方を持っているのは良いのですが、杉和会としての方向性は理事長である私が発信していく。その為に月1回の幹部会は開催され、逐一コミュニケーションはとってきたつもりでいたので、私自身の不十分性は何かと自問自答しています。私も先月で68歳になり、各フロアの責任者に任せる事を心掛けてきましたが、私の気持ちとは裏腹に『阿修羅の如く』の立ち居振舞いをしなければいけないのかと正直愕然です。本日の大谷徹弉師の日めくりに『受けとめる     心が決める   幸・不幸』と言うのが目に入り、心の持ち方によって『幸福』にも『不幸』にもなると戒められているとしたら私はまだまだ修行が足らないと言わざるを得ないと言う事になるわけです。確かに平成10年に本館の運営を開始して1年が経過した頃の白い封筒が乱れ飛んでいた(退職届)頃と比べたら「何と平和な」と言う事なのでしょうが、『より良い物を求める』のが自然だと思うのですがより良い方向になることを求めている事は事実ですが、頭1つ分いやいや2つ分出た職員がぐいぐい引っ張ってくれているので悪い所が気になると言う事にもつながるのですが、より高めを求めてあがくのが入居者さんとその家族の為であり強いては職員の為にもなると信じて叱咤激励をしていく覚悟ですのでリピーターの皆さんこれからも宜しくお願い致します。なお、本日はホームページの打ち合わせがあり、私のコラムが一番読まれているとの報告を複雑な気持ちで聞いていました。何故ならば私のコラムを抜いてくれる企画が出てこないと駄目だと思うからです。人間の気持ちは複雑だと思った次第です。

引き出しの多い方との話しは楽しいしためになる

令和3年6月8日

今年1月に行われた知事選挙に立候補されましたが残念ながら当選は叶わなかった江崎さんが、本日は元気な姿で盲養護老人ホーム優・悠・邑   和(なごみ)におみえになり、施設見学も含めてではありますが、しっかりと3時間たっぷりと話をさせて貰いました。

最初は今時の話として『コロナ』が話題になったのですが、その中で都市部より郡部の方が摂取割合が多い理由についての私の投げ掛けに対して、郡部では地区別に摂取をするのも、人数把握がしやすいけれども都市部では人数が多すぎて地区別に分ける事が出来ない状況にあると、理論的に解説していただけました。このように理路整然と話をして頂けると理解しやすいです。

次の話題は今実際に盲養護老人ホームに関わって、措置制度の矛盾点が多く見えてきた事について話をしていくと、江崎さんなりの疑問点を出して頂けたので吉澤施設長に具体的な数値を説明して貰い、今の現状の矛盾点について整理をしていきました。一朝一夕には解決出来ない問題ではありますが、常に声を出していかなければと思いました。

次に関ヶ原町の現状についてもお互いに忌憚のない意見を交わし合いました。結局のところ、今のままにいけば埋没していくのは目に見えているので提案をして、少しでも変えられるようにしていきたいと思いました。

次に介護人材についての話題が上がり、本部施設の職員の勤務年数が10年を越えた事、10年以上前から外国人材を積極的に導入していること等を話すると、江崎さんから国の官僚としての経験からお国柄での為になる話をたくさん聞く事ができました。

その他にも色んな角度から話をして、施設見学もして頂きました。施設見学も終えて再び会議室に入り、地域との共存共栄を図るスタンスに至った経緯を話させて頂きました。そして話をしているうちに新規事業への強い気持ちがわき出てきました。リピーターの皆さん。私はもう一度法人の生き方を整理し直して頑張って行く所存ですので、これからもよろしくお願いいたします。

福祉新聞の記者さんが東京から取材にみえました

令和3年6月7日

朝8時から岐阜県老施協の事務局長さんが本部施設で一般社団化に向けての打ち合わせに来て下さると言うので7時30分に家を出て施設でお待ちしてました。だって岐阜県社協の課長さんとしてもお仕事がおありなのに早い時間に来て下さるわけですから、お待たせをするのは失礼に当たると考えて早くに出掛けたわけです。垂井駅9時51分着で東京から来て頂く福祉新聞の記者さんのお迎えが遅れるのも失礼なので、余裕がある時間に取材用の資料を揃え終わったタイミングで事務局長さんが来て下さったので時間の有効活用が出来たと自画自賛です。事務局長さんを案内して貰った会議室に出向き一般社団化に向けた打ち合わせをしていて9時を過ぎた辺りからお迎えの時間が気になりだしたので打ち合わせ後の雑談はなしで、まだ、事務局長さんは会議室にみえたのですが事情をお話をして垂井駅に向けて車を走らせ、垂井駅の改札口で無事に合流をして、優・悠・邑    和(なごみ)に案内することが出来ました。最初は会議室で改めての名刺交換をしてから、先ずは導入の意味で岐阜県放送で6分50秒流れたら施設紹介のビデオを見て貰ったあと、施設内の案内を基本的には吉澤施設長にして貰い、その間にお茶の手配や昼食の手配をして、会議室に戻られたのを確認してから祈りの間である仏間の案内を私の方で改めてさせて貰いました。その後、会議室で今回盲養護老人ホームの建設に至った経過や建設に対する思いを熱く語り、措置制度の現代社会での不十分性についても熱く語りました。流石に福祉新聞の記者さんだけあって、制度についての不備についてへの理解についての理解は早かったように思いました。私は一気には措置制度の変革が出来るとは思いませんが一つ一つの課題について進めて行くと共に機会ある毎に理解者を増やしていき大きなうねりにしていかなければいけないと改めて思った次第です。福祉新聞の記者さんから色んな問い掛けがあり丁寧に答えていき、時間が勿体ないと私が手配した鰻重を食べながらもやり取りを進めて行き、13時20分までしっかりお話をして、垂井駅まで送らせて貰ったのですが、記者さんから行きも帰りも「理事長さん自ら送り迎えをしていただき恐縮です。」と言われたので、私は「私にとっては当たり前ね行動なのに」と思った次第です。リピーターの皆さん。私の流儀は変ですか。私としては、ご自宅を5時過ぎに出て来ていただき当法人の記事を書いて頂くわけなので当然の事と思うのですが。

静慈彰さん(静慈圓大僧正の次男)に対する私の本心

慈彰さんは私が絶対に出来ない事を自分の責任の中で『大変な事を大変と思わず』に実践されている事には敬意を表したい。一昨日にお会いして親しく話をさせて頂いた時に正直に言うと「めちゃくちゃ器用な方だけど生き方は不器用な方だ」と思った次第です。例えば、廊下に大きな錦鯉が描かれていて、それが生きている感がある素晴らしいものだったし、土壁にタイルの様な物を貼り付け(常識では土壁にタイルは貼れないと思うのですが)洋風なお洒落な仕上がりになっていたり。慈彰さんの中で色々な料理を器用に作られている事がわかったり。それでいて僧侶として瞑想会を主宰されたり、葬儀の仕事もしっかりこなされている。もっとも驚かされるのは非文明的な生活をされていながら、電気はソーラーで賄われているしスマホも駆使して情報を得られている。端的に表現するなら現代の異端児であり、とにかく普通ではない。いやいや、飛び抜けた異端児だと言える。『異端児』だと書きましたが慈彰さんは自らを「40歳になったんだし立派なおっさんだ。」と言われていたので『児』の表現は如何なものかとも思いましたが『異端児』の表現がぴったり何です。しかしながら慈彰さんが今の世の中でここまでの生活を可能にしているのは何故かと考えると私自身の生き方とダブらせるべきではないのですが、ここは敢えてダブらせて書かせて頂く事にします。私が今のような立場になったのは、父進さんが私の生き方を否定せず見守っていてくれたから、今から考えると私の知らないところで色々な根回しや資金援助をして頂いて今があると思っています。慈彰さんはも一人で頑張っているようでいて、父である静慈圓大僧正の存在は大きいと思うし、その他の知縁や血縁の理解と協力無くしては決してなし得ないと思います。今が、再興されようとされている東副寺にしても慈彰さんの祖父が住職をされていたわけだし。もちろん私は慈彰さんに「全てを断ち切ってなさなければ」等と言う積もりもないし、「何を甘えながらやっているの」等と言うつもりも有りません。お釈迦様だって王さまになれる家柄であったにも関わらず苦難の道を歩まれた。と言うことは慈彰さんは現代のお釈迦様❓いやいや今の段階で決めつける事は出来ませんが何年か先にはとんでもない方になっているかも知れないし、寺に引きこもったままかも知れないし。とにかく規格外の生き方であることは間違いないのでリピーターの皆さん共々見守って行きたいと思います。。

《別記》本日の午前中にかつての入居者さんの家族の方から連絡を頂き『梅』の収穫をしました。今年はなり年だったのでしょう。私でもバケツ2杯をとれました。結局、梅干し用の梅が48キロ、シロップ用の梅が16キロ。夏バテ防止のシロップが確保出来た事に感謝です。小さい頃の私がバケツ2杯もとったら母秋江さんはなんて言うかな・・・。

『くるま 暮らし。社会不適合僧侶の究極ミニマル生活』 を読んでの感想

昨日のコラムではほんの触りのみで書きました。本日も全部読んでのものではありませんが、私なりの正直な感想を述べる事にします。『はじめに』に続いて車中泊生活のメリットが①~④まであるのでそのまま書きます。(まるでいい加減な学生の様にいわゆる[コピペ]ですが静慈彰氏の思いと私の考えを知って頂く為に敢えてその様にさせて下さい。

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メリット①「嫌なことゼロ。・・・僕は家に定住していないし、組織にも属していない。どこに行くか、何をして何をしないか、全部自分で決める。嫌なことから逃げる僕を、責める人はもういない。」

(私のコメント)何をしても絶対に嫌な事はありますよ。完璧に自分の思う通りになる事なんて無いですよ。自分の責任に於いて行動しているから誰も責めないだけ。自己完結はめっちゃ大変だけど、きっと慈彰氏は世人が大変と思う事を大変と思わない凄い方何だと思いました。

メリット②「週休5日。・・・家賃や宿泊費が不要。電気、ガス、水道、家の維持費も不要。自炊が基本。車のキッチンで飯を炊き、肉を焼く。だから僕は、週に2~3日しか働かない。平日の昼寝は気持ちが良い。」

(私のコメント)たまの休みに昼寝をすると『幸せ』と思う瞬間はありますが週に3日も4日もあると私の感覚では辛くなると思います。だって『趣味は仕事』と言っている人間だから。

メリット③「僕の車は狭いけれど、そのぶん自然との距離が近い。自然は僕を傷つけないし、僕が傷つけることもない。優しい雨音を聞きながら、僕は瞑想する。」

(私のコメント)閑静な所でのんびりと過ごす瞬間には『幸せ』も感じますが毎日だとそのように感じるかと言うと正直自信がありません。

メリット④「人や社会の中にいると、疲れて心が荒んでしまう僕だけど、こうして車の中に1人でいると、人恋しくなってくる。優しい気持ちになってくる。きみと笑い合える。」

(私のコメント)私は火中の栗を拾いながらひと時の充実感を楽しんでいる生き方なので慈彰氏のような生き方は出来ない。でも、笑い合える同志は多い方が良いと思っている。

48ページに『生きている実感』の中で「車中泊生活は、基本的に不便なものだ。いつでも使用可能なトイレがあるわけでもない。洗濯機もないそシャワーもない。電気、ガス、水道もない。夏は暑いし、冬は寒い。(少し略)それでも、毎日が楽しい。なぜだろう?「生きている実感があるからだ。文明社会で快適な生活に浸っていると、気付かぬうちに生きる力が弱っていく。電車が止まった時には「なんとかしろよ!」と駅員にわめくことしかできなくなる。自分でコントロールできることができなくなる。自分でコントロールできることが、いかに少ない事か。世の中は便利になった分、複雑になりすぎて、かえって不便になっているようにも感じる。車中泊生活は自己完結しているので、そうしたストレスもない。その反面、誰も助けてくれない。(少し略)良くも悪くも、自己責任」

(私のコメント)最後の『自己責任』の言葉をとっても重く感じました。つまり、自由人でいる為には我慢や手助けを求めない自信が無ければ出来ない。私はとても出来ないので私は私の生き方で行きます。私もこれでしんどい生き方をしていると思うのですがリピーターの皆さんはどう思われているのかいずれ聞かせて下さい。

※静慈彰著『社会不適合僧侶の究極ミニマム・・・くるま暮らし。』2018年12月19日発行。発行所「株式会社飛鳥新社」です。興味のある方は是非ご購読を。

 

静慈愛彰(しずか じしょう)氏に会いに行きました

令和3年6月4日

静慈彰氏は静慈圓大僧正の次男であり現在は20年間無住だった彦根市にある『東福寺』の再興に尽力されていてるのですが、19歳の時には家に1年間引きこもりの生活をされたり、『車での生活』を4年間されたりと、凡人の私では経験出来ない生活をされて、今は不惑になられてもなお、自由人として自分自身の姿を追い求められている希有な方なのであります。今回でお会いするのは4回目なのですが、本日は本音トークをしっかり聞いてきたのでお話します。本日は優・悠・邑   和(なごみ)の竣工式前日には仏壇のしょうね入れを静慈圓大僧正と共にお経を唱えて頂き、竣工式当日は静慈圓大僧正の書のパフォーマンスの介助役をしていただいたお礼に滋賀信行会の内藤会長のの案内で行きました。車をお寺の駐車場に入れると慈彰(じしょう)さんが出迎えてくださり本堂(多分)から上がろうとすると足の踏み場もない状態に驚きましたが、慈彰さんは慣れた様子で振る舞われて取り敢えず本尊さんが見えるところに行くと、しっかりと思いを語って頂け私は思わず「器用な方だ」と感心しました。雑然としたなかではありましたが台所はきれいに片付いていて客室の部屋もアンティークな思いを和洋折衷に改装されていて、床の部分には自分で描かれた大きな鯉が何匹も描かれていて色んな才能の持ち主であることや、お客さんを招いた時の遊び心が至る所にあり感心するばかりでした。私も若い頃(26歳から38歳まで)児童養護施設の指導員だった経験談を話をして、慈彰さんの車生活の4年間や今の改修にかけら れる思いや人生観に共感したり反感を持ったりするやり取りであっと言う間に時間が経ち、帰り際には慈彰さんが書かれた『くるま暮らし。』(社会不適合。究極ミニマル生活)の表題で裏表紙に「お寺を3回クビになり、元妻から逃げ続けて離婚、何もかも嫌になり、車に乗って旅に出た。そのまま、どこにも帰らなかった。もう何にも縛られない。僕は自由だ!」と書いてありました。本日はそのまんまの慈彰さんにお会いしてカルチャーショックと共に自己責任の重さを改めて知りました。いっぱい描きたいけど限界ですので、本の紹介共々明日にしますので、リピーターの皆さん。明日のコラムを楽しみにして下さい。

視覚障害者福祉協会のからの取材がありました

令和3年6月3日

午前には予算の流れを見て頂いている税理士の岩田先生に銀行への追加融資に対する相談に行き、理事長としての重い決断をしなければいけないし、今の厳しい予算だてを乗り切るのは並大抵で無いことを理解して心は沈みながらも法人設立前の厳しさを思いだしながら自分自身を叱咤激励していたので昼食は砂を噛んでいるような(決して、コロナによる味覚障害とは違いますから)気分でしたが、14時に視覚障害者福祉協会の取材を優・悠・邑   和(なごみ)で受ける事になっていたので車で移動して待っていると視覚障害者福祉協会の山田会長が担当者の方の運転で降りてみえたので、私のギアを3段階位上げる事にしました。いつも感心するのですが山田会長は明るい雰囲気を醸し出して下さるので、正直勉強になるし尊敬してしまいます。

喫茶室に案内して椅子に腰掛けて頂くと早速に山田会長が「爽やかな風が入ってきて本当に気持ちが良いです。」と褒めて頂けたので空気が一気に和んだように感じました。その後、録音の準備が整い、視覚障害者福祉協会の担当者の神(じん)さんから「上手く話が出来なかったりしたら、言って下さったらいくらでもガットしますので」と言われたので私は思わず「マイクがあってもなかってもどんどんと話をしますので大丈夫です。」と話をして笑いを誘いました。

神さんからの質問に答えながら話をして、時には山田会長が話をしてくださり順調に取材が出来たんだと思います。予定の時間よりもはるかに早くに取材は終わり、話しは養護老人ホームの措置制度の不十分性について、私の持論を話させて貰いました。私は今月14日に全国老人福祉施設協議会代議員総会で正式に副会長になったら、措置制度の不十分性についてしっかり整理していくのも私の使命と考えています。その他にも山田会長から「こんな素敵な施設なので、多くの方になるべく早く入居して貰って幸せな暮らしをして貰えたら良いですね。」と言われたので私は「ハードに負けないソフトの充実を心掛けて素晴らしい施設にしていきたい。」と話をしました。

全てを終了して、玄関先までお送りしながら私は「今は10人の入居者だけれども、本日のように色んな方々の理解を得てなるべく早くにしっかりとした運営ができるようにしたいと考えていますので、リピーターの皆さんからも口コミへのご協力をお願いいたします。

《追記》山田会長から点字の袋に入った冷酒を頂きました。竣工式の時にも私の誕生日と言うことで冷酒を頂いたので私の事をよっぽどの酒飲みと思われているようです。実は山田会長に「私はお酒を飲んで歌を歌って話が出来た。」と軽口を言ったのを覚えてみえたとすると『口は災いのもと』と言うことか・・・。でも、私の好きな冷酒を持ってきて頂けるのは有り難い事。こうなったら『酒の利き酒』が出来るくらいになってみようかな。

見つかってしまいました

令和3年6月2日

新規事業の支払い計画についての打ち合わせを急遽11時から経理等をお願いしている税理士の岩田先生に本部施設まで来て頂いてしたのですが、12時をはるかに超えて熱のこもった話し合いをしていて、かなり話の内容が重いものだったので、打ち合わせが終わって直ぐに昼食を食べる気分になれず、昼食を食べる事なく、結局13時30分からの全国老人福祉施設協議会のリモートによる会議に参加しました。平石会長の挨拶の後は令和3年度から2年間の各委員会の三役を決める議題から始まりました。叩き台は平石会長が悩みに悩まれた末に本日の会議に間に合うように提案されたのですが5人の副会長からの意見を聞いた上で最終的に決める事になったのですが、今回からは役員の候補者は都道府県会長の推薦者の中から決める事になったのです。

と言うのは、私が5月末まで勤めていた総務・組織委員会で全国8ブロックの役員による懇談会で『役員の決め方に一本釣りは良くない。』との意見が多く提案された結果としての決め方です。確かに『一本釣り』では片寄った人選に陥り易く、活性化もしにくいので、今回の決め方は良い方法だと思います。しかしながら、5人の副会長はそれぞれにしっかりとした考えをお持ちなので簡単には決められないし、結局本日だけでは決める事が出来ませんでした。

議題が進んできて、15時前になり、私は急激にお腹が空いてきました。そこで、行儀が悪いし失礼な振る舞いだと言われても仕方がないのですが、私は平石会長が一生懸命に議案の説明をされているときに、事もあろうに職員がお茶とドーナツを用意してくれていたので、思わず大きな口を開けてドーナツを食べて口の周りに白い粉がついたので、手で口の周りを拭っているのを平石会長がしっかり見ていたのだと思います。「若山さんが饅頭のような物を食べて白い粉がいっぱい口に付いているし1時間30分が経過したので10分休憩を取り15時10分から再開をしたいと思います。若山さんは休憩時間にゆっくりと饅頭を食べて下さい。」と言われたので私は思わず「昼食を食べていなかったので行儀の悪いことをしてすみませんでした。ところで会長。私が食べていたのは饅頭ではなくてドーナツですから。」と照れながら話をしました。16時30分過ぎに会議が終了してからの話ですが昨日コロナワクチンの予防接種の2回目が行われたのですが、入居者さんは全くと言って良い程に影響はなかったのですが、若い職員二人から38℃以上の熱が出ているとの報告。と言うことは若い方の方が予防接種の影響を受けやすいのかもしれないので、若い人は注意して下さい。但し、注意して下さい。と言ってもリピーターの皆さん何を気をつけてたら良いのやら。

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