2021年04月の記事一覧

久しぶりに足の長い宏君です(5時49分)

わけのわからない表題から入ってしまいすみません。(謝りの言葉ではありません。ウキウキの表現なのです。)

昨日の最後に書いたように、私の車の鍵を吉澤施設長が持って帰ってしまい、車を施設に置いて帰った事は書きましたが、今朝もいつものように(とは言っても7日目ですが)早くに目覚め「本日もウォーキングマシンに乗って歩きながらお経を唱えようか」とむっくり起きた瞬間ワクワクすることを思い付いたのです。それは、私の車が施設にあり、「本日は関ヶ原診療所の受診があるので車を取りに行くついでに施設まで歩いて行こう。」と考えたのです。

この発想は小さい頃の私には絶対にない発想だと自分でも思っています。だって、母秋江さんの後ろに隠れているのが常の毎日だったし、朝早く歩く事を母秋江さんが許してくれるわけないし・・・。ワクワクしながら外で歩くのだからパジャマのままと言うわけにはいかないので、準備をしながらもワクワクしてました。

「まだ外は寒いに違いない」と思い毛糸の帽子をかぶり、タオルを首に巻いていよいよ歩きます。天気も良いし爽やかです。まるで私が歩く事を予測して吉澤施設長は鍵を持って帰ったのかと思う余裕すら出てきました。歩いていて楽しくなったのは表題に書いた事です。

つまり、歩いている内に太陽の陽が当たりだし西に向いて歩いていたので私の影が写り私の足がめっちゃ長くなっているのにまたまたワクワクしたのです。(リピーターの皆さん私が何を言いたいのか理解して頂けましたか。)やっぱり外を歩くのは最高です。施設の近くまで歩いて行くと左手ね山の方で「ホーホケキョ」の鳴き声が。「鴬の鳴き声だ」とまたまた嬉しくなってきました。

歩いている途中に白山神社があり2礼2拍手1礼をして、施設入り口の所にある観音さんのところでは手を合わせながら『般若心経』を唱えました。ようやき施設に着いた時に思わずガラケーの携帯で万歩計(はいはい、私の携帯は楽々フォンでございます。)の確認をすると5835歩を示していたので、「本日の万歩計の目標である6000歩は間違いなくクリアだ。それどころか、本日は13時30分に庭師さんと樹木の打ち合わせを盲養護老人ホーム和(なごみ)の現地でする事になっているので本日の数字は楽しみだ。」と思っています。宿直者の五次部長と話をしようと施設の中に入って行き直感的に「滅茶苦茶温かい」と感じたのですが、本当は外の風が冷たかったのだと考え直しました。と言うのは歩いている時に手が冷たく感じて思わず歩きながらズボンのポケットに手を突っ込んでいたからです。

車に乗りゆっくり走っていると見覚えがある水色のタオルが道路に落ちていて、思わず首に巻いていたタオルを確認すると「ない。と言う事は私が首に巻いていたタオルだ」と言う事で車を停めて、タオルを拾うと「確かに私が首に巻いていたタオル」と言う事で改めてタオルを首に巻きました。そして、改めて「どうして気が付かなかったのか」と考えるに「寒かった時には防寒変わりにしていたけど、体が温まったので寒さを感じなくなり、気付かなかったのと、タオルがいつものスポーツタオルよりは短めだったからか」と推理をすると共にこれまた楽しい気分になりました。

取り敢えず家に帰りお風呂に入り朝食を食べるとどっと疲れが出て本日は10時から関ヶ原診療所で血液検査と診察が予約してあるので、少しゆっくりさせて貰い、関ヶ原診療所のかかりつけ医先生から「何か運動をされましたか」と言われたので「頑張って朝歩きました。」と言うと「筋肉痛の数値が出てますよ」と言われてリピーターの皆さん私は苦笑いするしかなかったのですが、皆さんならどんなリアクションをされますかね。

本日は4時40分の奇襲でした

令和3年4月9日

昨夜は21時05分には多分爆睡していたので、しっかり眠れたとの感覚で目覚めたのが午前3時30分で、「流石にこの時間に起きてウォーキングマシンで歩くのも変だし、我が家には仕事を持ち込まない(電話連絡は別ですよ)主義なので、布団の中で戦略を考えていたのですが、表題の通り我が家の老猫『リット』が「ニャーニャー」と朝一番で鳴くので、「ここは私の出番」と起きてウォーキングマシンで歩けるように準備して1階に降りて行くと、リットも後ろからついてくる。この瞬間は堪らなく『いとおしい』リットなのであります。

最近になってつくづく思うのは「我が家の老猫リットは人間の感情を良く理解している。」と言う事です。いつものように(とは言え6日目なのですが・・・)仏壇に蝋燭と線香に火を点け父進さん、母秋江さん、姉光子さん、養母英子さんに挨拶をして、これも、パターン化をした、時速3・9キロに設定して歩き(しょうしんげを唱えながら)お文さんまで終えたタイミングで小休止です。ペットボトルの水を飲みタオルで汗を拭って、今度は時速4・4キロに設定をして般若心経を唱えながら歩きます。この30分の行為の中でわかったのは2キロは歩けて3000歩は歩けていると言う事。

そこで、私が今考えた事は毎日歩くのだから、ガラケーの携帯『楽々フォン』の万歩計の目標数値を5000歩から6000歩に変更することでした。私の日常は事務所内で座っているか会議室でお客様や職員と話をしているか、車に乗って移動するかですので5000歩の目標数値に達しない事が多かったのですが、歩きだして元気な足腰が戻りつつあるので豆腐のような意志しか持たない私ですが決めて設定しました。

話は変わり、昨日の視覚障害者福祉協会の山田会長にお会いしてツーショットの写真をとって、一旦『和』(なごみ)の施設に戻り竣工式の打ち合わせを終えた段階で和(なごみ)の吉澤施設長がしみじみと話したのが「携帯を持って常に緊張しながらいるのは想像以上に大変です。」と言ったので、その時思ったのは、どれだけ話をしてもその立場にならないとわからない事があるな。と言う事と、立場が人を育てると言う事でした。立ち上げには産みの苦しみは当然のようにありますが、それを乗り越えた時には得るものも大きいと思いました。

その後昼食を頂き13時からは2組のお客様があり、16時からは、竣工式の招待客リストを作成することにしたのですが、「机の上や回りを片付けないと落ち着いて考えられない。」と思い整理をすると共に不必要なものをシュレッターにかけていると意外に時間がかかり、18時を過ぎてしまったので、「本日は片付けで終了。明日しっかりリストを作成することにして、本日は終了」と言う事で事務所内にいる職員に挨拶をして、車を開けようとしてハプニングです。

そのハプニングとは、昼間に岐阜県社協の会長さんのところに行った時に和(なごみ)の吉澤施設長が私の車を運転して私の車のキーを持って帰ったようでドアが開かない。吉澤施設長に確認するも出てくれなくて、やむ無く副施設長に家まで乗せて貰い帰って来たのは良いのですが 本当に吉澤施設長がキーを持っていったのが心配でしたが、我が家のお風呂に入っている時に吉澤施設長から「電話に出れなくてすみません。」と太平楽。「私の車のキーはないか」と聞くと(しばらくして)「すまません。持っていました。」の対応に安心した次第です。リピーターの皆さん。キーがあって良かったのとの話でした。

 

本日も新規事業の定例会があります

今朝の「エイ、ヤー」で起きる為の声掛の主は小鳥の囀ずりではなくて、『リット』の「ニャー、ニャー」でした。と言うか、窓の外はうっすらと明るくなっていましたので、小鳥は囀ずっていたのだと思うのですが、いつもの電線には留まっていなかったのかもしれません。こんな些細な変化を捉えれる宏君がいるとは自分自身でもビックリです。6時にはウォーキングマシンによる歩きとお経さんを唱えながらの父、母、姉、養母の写真を見ながらの会話を楽しんでいました。ウォーキングマシンを再開して5日目ですが、毎朝爽快な気分で1日が始まります。相乗効果だと思うのですが、腰の痛みも軽減していて気にならない状態です。但し、1日が終わった21時には異常な位の眠気に襲われます。お陰さまで職員の頑張りで厳しい状態の入居者さんはおみえですが、夜の対応もなくて感謝してます。昨日は午前中に岩田先生との打ち合わせが終了して施設に帰り昼食を頂いて、15時30分からモルテンと言う会社がプレゼンをしてくれる事になっていて、15時から北島部長が前日遅くから筍を掘って来たのを湯がく予定でしたが、「どんな用事がはいるかも知れない」と考えて昼食後に寸胴に火をたく準備をしていると目敏く水野相談員と北島部長が飛んで来て、二人が連携良く筍を洗い筍に包丁を入れて大きな鍋の中に筍を入れる作業をしながら「15時からではなかったのですか」と言うので間髪入れずに「予定は未定で決定ではない」と言いましたが、入居者さん利用者さんの対応をしつつ、私のわがままに付き合ってくれる職員に感謝です。(ようやく、定例の話しになります。あいからわず前段がながくてすみません。)10時から定例があり、竣工式典までの日程の詳細について話し合いをして、会議終了後に建設現場に行ったのですが、本日からメイン道路(幅6メーターの道路を新たに設置しました。)を通って歩いて行きましたが、実に立派な道路が出来ていて、つくづく思ったのは、「予算オーバーにはなりましたが、将来的には良かったと思えるものが出来た。予算が不足した分は理事長として、多くの方に理解して協力して貰わねば」と言う事です。施設の中もゆったりとした空間の中で南側はスカット垂井か見下ろせるロケーションには改めて感動しました。定例会終了後、視覚障害者福祉協会の山田会長に寄付金依頼のホームページ等に私とのツーショット写真をお願いしてあったので山田会長がおみえになる『アソシア』に行き、受付を済ませてしばらくすると会長さんがあるいてみえて「身だしなみを整えて無いけど。」とのユーモアたっぷりの挨拶を頂き、気軽に玄関先でのツーショット写真に収まって下さり、尚且つ車が置いてあるところまで見送って下さり、別れ際に「若山理事長は我々の安心の為に凄い計画をして下さったのだから、出来ることは何でもしますよ」と心強く言って下さったのには目頭を熱くしました。そして、改めて「素晴らしい施設にするぞ」と誓いました。リピーターの皆さん。力強いご支援を宜しくお願い致します。

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確かに5時前から小鳥の囀りを聞いていました

令和3年4月7日

午前3時から寝れなくて(とは言え、6時間近くは寝てます。だって21時には布団に入っていたのだから ・・・)色々と戦略を考えていたのですが、小鳥の囀ずりで「よ~し頑張るぞ」と思いきや眠気が襲い、小鳥の囀ずりと問答をして5時15分に布団をはねのけ昨日より効率的に着替えとタオルと靴下とペットボトルの水を持ち浴室に直行。洗面台で顔を洗い、うがいをしてからお仏壇で蝋燭と線香に火を点けウォーキングマシンのスピードをいつものように時速3・9キロに設定をして、先ずは『しょうしんげとお文さん』を唱えて小休止。汗を拭い水分補給をして再び時速の設定をする時に時速4・4キロにしました。(パワーアップです。)リピーターの皆さん。私は意外にげんを担ぎたい人なので語呂合わせをする人なのであります。3・9は『サンキュー』で4・4は『よし(良し)と言う事です。げんを担いででも、御輿を担いででも、神頼みでも、宝くじに当たってでも、寄付をお願いしてでも、今の厳しい状況からの脱出をしなければと強く思っています。

本日は私が高校2年の時に急逝した姉光子さんの命日に当たるので(ちょうど50年前になります)「お墓参りをどのタイミングでしようか」と考えている時に私にとって大切なもう一人の姉春子さん(私が小さい頃はとっても怖い存在でしたが、今は・・・)から電話があり、「お墓参りに行く」との事に「当然やろ。ただ、10時に岩田先生との打ち合わせがあるので、打ち合わせが終わったタイミングで連絡するわ」との会話をしながら、私が高校2年の日の事を走馬灯のように思い出していました。岩田先生との打ち合わせを終えて(かなり重たい内容でした。)岩田事務所を出て、姉春子さんに連絡を取り、途中で事前にお願いしていたお墓の花を花屋さんで手に入れて姉光子さんが眠るお墓の駐車場に着くと姉春子さんもちょうど着いたところだったので、一緒にお墓に向かいました

。先ずは今年初めてのお参りであることを詫びてからお墓に水を手向けてから般若心経を唱えました。その後、せっかくだからと父進さん、母秋江さん、養母英子さんが眠るお墓にも行く事にしました。ここでもお経を唱えながら墓誌を見て思わず声を出してしまいました。その訳は墓誌の順番は父、母、養母の順に法名等が刻んであると思い込んでいたのですが(我が家の写真がそうなっているからです。)お経を唱えながらよ~く見ると、秋江さん、進さん、英子さんの順で刻んであったからです。(この順番は当然の事で他界した順番なのです。)私は思わず「進さんは天国でも右側から母秋江さん、左側から養母英子さんから攻められているのか・・・。このバトルは凄まじいものがあるぞ。」と叫んでいました。リピーターの皆さん。こんな事が言えるのは久しぶりに姉春子さんとお墓に行きリラックス出来た証しかも知れません。今は新規事業の事で頭がいっぱいで余裕がないのですが「流石に3人の懐は深い。」と思った次第です。こんな私ですがリピーターの皆さん、これからも宜しくお願い致します。

朝5時19分から歩いてます

令和3年4月6日

昨日は我が家の老猫『リット』の「ニャーニャー」で行動開始しましたが、本日は鳥の囀ずりで行動開始をしたので、顔を洗いうがいをして、お風呂のスイッチを入れて、仏壇に蝋燭と線香を点け、父進さん、母秋江さん、姉光子さん、養母英子さんにそれぞれ挨拶をしてから表題の通り、5時19分からウォーキングマシンに乗り歩きました。途中2回マシンを止め汗を拭い、水分補給をしましたが無事に30分歩き、その間お経をあげて頑張りました。30分の間時速3・9キロに設定したゆっくりのペースだったので1・93キロ歩いたと示してして、私は「距離を稼ぎたかったわけではなく、朝早くゆったり爽やかが健康には最高」と思っています。そう言う意味ではオリンピック選手は『より高く』『より早く』を求められる中での生活だから大変だと思いますが、「私は常に健康な生活がより良い生き方に繋がると考えている。」と言えば素敵な生き方に聞こえますが、本当のところは、新規事業での想定内だったのに、しっかりとした対応がとれなかった理事長の責任を強く感じているので、眠れないから朝早くからうごめいていると言うのが正しい言い方だと自重気味に思っています。但し、今までの私は絶望感に強いられた時に救世主のようなホワイトナイト(『半沢直樹』のドラマで覚えた言葉です。)が現れて今があるのですが、当法人も職員数180人を数える組織になった今でも、現れて頂けるのかどうか・・・。いやいや、今までも自分の事ではなく地域の為に一生懸命にがむしゃらにしてきて今があるので、今の危機もがむしゃらにもがいて解決に向けていきたいと考えています。健康管理も大切と言う事で今年になってから一回も行けてないので歯医者さんに行き、歯を綺麗にして貰い、受診後に本部施設に戻り、昨日わかった厳しい状況の対応についての打ち合わせをしていると、和合の事務長が決済印の確認に、和(なごみ)の事務長は5月16日の竣工式の案内文の確認に来たのでその対応をしていると本日は月一回のバイキングと言う事で和の事務長には試食会の形で食べて貰いながら打ち合わせをしました。13時近くになった為に13時30分からの全国老施協正副会長委員長会議の準備をして、定刻通り始まったウェブ会議では、総務・組織委員長としては最後の会議として、しっかりと意見を言わせて頂き、15時30分に終了してからは久しぶりにパソコンの画面を見る事が出来ました。本日は火曜日と言う事で移動販売の『だるま』が17時過ぎに玄関先に車を停めたので、本日の晩酌用にかつおのタタキと長芋を購入して18時には家に帰る事にして、今(18時36分)はお風呂でコラムを打っていて、まもなく打ち終えれので、リピーターの皆さん。昨夜はあまりゆっくりと眠れなかったので、グッとお酒を飲んで寝る事にします。

昨夜の続きです

令和3年4月5日

昨夜は急激に眠くなり、(最近はいつもの事ですが)コラム送信後はしばらくしてから爆睡しました。(間違いなく午前2時まではしっかり寝ました。)いつものように5時前には目覚めていて、「昨日と同じように、ウォーキングマシンで歩きながらお経さんを唱えようか」と考えていると、我が家の老猫『リット君』が「ニャーニャー」と鳴くのです。今までの私なら「うるさい」と怒りながらリットの食事に付き合うのですが、今朝の場合は「このタイミングで起きて歩いてお経を唱えて汗ビッショリになってシャワーを浴びるぞ。よくぞリットよ鳴いてくれた。」と考えて即行動に移し、今は爽やかにコラムを打っている次第です。(ようやく昨夜の続きに入ります。あいからわず前段が長い私なのであります。)デイサービスに続いて本館1階、本館2階がそれぞれに味噌汁を取りに来て、それぞれの家庭用では考えられない大きな鍋に職員が「これで充分です。」と言うまで鍋に入れて、少し時間をおいて新館から新館の責任者の西川課長が新人職員の水谷管理栄養士を引き連れてやってきました。西川課長のさりげない対応は素晴らしいと思いました。残った分を職員にも分けて大きな寸胴に収まる大きな鍋も空になり片付けをしていると、和(なごみ)の事務長さんが5月16日に行われる竣工式の打ち合わせに来てくれたので、色々事を話ししていると、気が付けば18時を過ぎてました。そうそう。和(なごみ)の入居者さんにも筍の味噌汁を持って帰って貰いました。多分味噌汁が和(なごみ)に届いたのでしょう。18時44分に和の施設長からお礼の電話を貰い、和の施設長は新米施設長だけれども、このような配慮が出来るようになったと頼もしく思った次第です。本日は3人の職員を引き連れて岐阜県庁高齢福祉課に行き新規事業の事業開始届けを提出すると共に補助金のタイミングや業者への支払いのタイミング等の指導を受けました。4人で行ったので、指導する側も係長さんと担当者2人の3人で対応して頂けました。担当係長さんはこの4月の異動で赴任してみえた方なのですが、かつても色々とお世話になった方だったので、先ずは経過報告も入れて理事長である私から話をさせて頂きました。1時間程で打ち合わせを終えたので、岐阜県視覚障害者福祉協会の山田会長に携帯で申し込むと(固定電話に連絡したのですが、調節山田会長が出られたので驚きました。)快諾していただいたので、山田会長がおみえになる『アソシア』に移動して、受付を済ますと4階にみえるとの事で階段で行ったのですが、4階に上がった時には息切れがしていたのでしょう山田会長から「若山理事長さんの息が荒いですね」と言われてまいってしまいましたが事実だったので苦笑いをするしかなかったです。(体重を減らさねばとは思いましたが・・・。山田会長さんとの会話には舌を巻く思いでした。と言うのは色々なお願いをしても明快な回答が返ってくるからです。気分良く車に戻り時間を見ると12時少し前なので途中で昼食をとり13時30分からの保安企画さんとのホームページ等の打ち合わせに備える事にしました。何とか会議の時間に間に合い18時前までしっかり打ち合わせをしました。特にホームページ上の『寄付のお願い』では、予算上厳しい部分に対して色んな方が理解して頂けるように特に思いを込めました。リピーターの皆さん。私は神明を誓ってお金を儲ける為に新規事業を計画したのではありません。岐阜県民の視覚障害者の安心と幸せの為に頑張ろうと思っての頑張りです。近々ホームページ上で寄付のお願いのコーナーが出来ます。理想的な施設造りの為にご理解頂ければ嬉しいです。

5時50分からウォーキングマシンで歩いてます。

今朝も5時前に鳥の囀ずりと共に爽やかに目覚めました。(リピーターの方はお気付きかと思いますが昨日と同じ書き出しです。)

布団の中で瞑想するのも一考ですが(最近高尚な書き方に変化しているのではと自身で思っているのですが・・・。)久しぶりに歩こうと考えて6時前に着替えて、「外を歩くとなると多分長続きしないし、お経を唱えながらの方が大きな声でお経を唱えるので複式呼吸が出来るし父進さん、母秋江さん、姉光子さん、養母英子さんとの会話も楽しめるので、ウォーキングマシンでの歩きを復活するぞ』と言う事で5時50分に仏壇にろうそくと線香に火を点け時速3・9キロ(『サンキュー』の語呂会わせに気付いて頂けましたか)に設定して歩くと同時にお経の本を見ながらお経を最大限の声を張り上げて唱えました。

最初の5分は息が上がってしまいしんどかったのですが、不思議な事にその後は息が上がる事もなくお経とウォーキングを楽しむ事が出来ました。スタートして13分が経過した時に蝋燭の火が消えたので、一旦機械を止めて汗を拭い、コップ一杯の水を飲み、お風呂のスイッチを入れてから新しい蝋燭に火を点け再びお経とウォーキングを再開しました。不思議だったのは1本目の蝋燭は13分で消えたのに2本目は30分のタイマーセットが終了する直前まで点いていたので、30分のウォーキングをやりきる事が出来ました。

終了した後の達成感と共に汗びっしょりになったので、水を一杯飲んでから、お風呂に行きシャワーを浴びてからゆっくりと湯船に浸かりました。湯上がりのまま服を着ると風邪をひいてもいけないので(何と言っても私は『虚弱』ですから)改めてパジャマに着替えて布団に潜りこみ、7時30分に朝食コールで食卓に着き、朝食後に施設に行くと先月末まで今須小中学校の校長先生が男女二人の見知らぬ方をお連れしてみえたので、慌てて車を降りて玄関先に行くと男性の方が関ヶ原中学の校長先生で、女性の方が関ヶ原小学校の校長先生だと紹介して頂きそれぞれに名刺をお渡ししてご挨拶をさせて頂きました。3人の方をお見送りをして、改めて玄関先を見渡すと既に寸胴の準備がしてあり思わず「本日も味噌汁祭りだ」と理解して、味噌汁祭りは午後からなので、午前中に長浜の内藤仏壇で5月2日に盲養護老人ホーム和(なごみ)の仏壇搬入等の打ち合わせに行き、静慈圓先生の書を木に彫って頂いているのを見させて頂き素晴らしい出来具合に感動すると共に祈りについてのこだわりが形になっていてたのは最高に嬉しかったです。

12時前に施設に着き急いで昼食のカレーライスを食べ終えると、長浜に行っている間に吉田部長が沢山あった筍の他にもキャベツ、ネギ、油揚げ、大根を切っておいてくれたので、難なく薪に火を点けいよいよ味噌汁祭りが開始されました。本日は雨が激しくてギャラリーはゼロかと思っていたらデイサービスの利用者さんが来てくれて私のテンションは上がりました。デイサービスの利用者さんは14時45分から振る舞う事になっていて、14時30分に北島部長が鍋を持って来たので筍の味噌汁をよそいながら「デイサービスの利用者さんの感想を聞かせて」と言っておいたら律儀に報告に来た内容が「味しい」、「贅沢」、「ちょうど良い」との事で私はめちゃくちゃ舞い上がり「男の料理バンザーイ」と叫んでいました。(あいからわず、私の思考は単純なのであります。)

※まだまだ報告すべき事がいっぱいあるのですが、急激に気力喪失の為に明日に譲ります。

今朝も5時前に鳥の囀ずりと共に爽やかに目覚めました

 

令和3年4月3日

毎度毎度、夜は21時には猛烈な眠気に襲われ、5時前には目覚めて、最大限時間を有効に使いながらの展開が続いている事に感謝してます。考えてみたらしっかり7時間は睡眠が取れているのだし、67歳にして、この動きには『自分を誉めて・・・。』の域と言っても過言でないとも思います。昨夜は看取り対応があるかも知れないと、眠いのに無駄な抵抗も一切しなくて素直に寝たので気力充実で、今はメールでコラムを打ちながらも今後の展開について考えています。

朝、施設の駐車場に車を停めようとすると、北島部長と水野相談員が玄関先で寸胴 の中に筍を洗って入れる作業をしているのです。聞けば昨日北島部長がデイサービスの送迎を終えてから早出を終えた伊藤主任と二人で新規事業で購入した竹藪まで行って筍の2度目の収穫をしてきたとの事で、前回同様沢山の筍が寸胴の中に入っており、準備良く薪が燃えやすい様に積んであったので、お酒とお塩を用意して寸胴周りに手向けてから着火剤を木に付けてからライターで火を点け組んである薪の下に入れるとしばらくして勢い良く燃え上がりました。

どんどんと薪を『くべて』(もしかすると方言かも)いると、新館の入居者さんが風が強くて桜吹雪が舞っている中(なかなか良い表現だと自画自賛です。)筍を湯がいているところまで歩いて来て下さり、私のテンションも一気にヒートアップです。入居者さんが私の事を『おじさん』と言われるのにはやや違和感を持ちながら(せめて『お兄さん』と言って欲しい・・・)も、楽しい会話と笑顔を一杯頂きました。嬉しい展開に頂き物のバームクーヘンを1個づつ食べて頂いて、ますます盛り上がり(いやいや食べられている時は一旦静かになりました。)ました。

前回の湯がきでは、やや堅いのもあったとの事(私も沢山頂いたのですが、私は堅いとは思わなかったのは私の歯が丈夫く出来ているのかな)でしっかり頑張って時間をかけて湯がきましたので、明日の料理では美味しく頂いて貰えると思っています。今回の筍の湯がきで1つだけ気になったのは、今須農協(JAと言うべきですか)の精米場で米糠を頂いてくるのですが、前回の時は沢山あったので楽勝にビニール袋に入れる事が出来たのですが、今朝は底の方にあったのをかき集めて何とか確保出来たのです。と言う事は至るところに筍が出て米糠需要が増していると言う事か。

入居者さん利用者さんの喜ばれる姿を見たくて北島部長、水野相談員、伊藤主任、吉田部長が筍ほりや準備をしてくれているので、私も米糠の確保に知恵を使わなければいけないと思っているのですが、こんな私の事をリピーターの皆さんはどう思われてますかね・・・。

 

北島部長は本当に寝たのか

令和3年4月2日

宿直者の北島部長に20時50分に電話で「泣きながら何とかメールでコラムを送信するので宜しく」と連絡した瞬間に爆睡していて、21時に入居者さん利用者さんの就寝時のメールが入り朦朧としながら「厳しい状況の方が一人みえるけど、頑張って見守ってくれている。」と確認した瞬間にまたまた爆睡。そして着信歴21時29分に携帯がなり、私は多分寝ぼけていたのでしょう。

真夜中の午前2時過ぎだと勘違いして携帯に出ると宿直者である北島部長から「理事長、コラムの送信が来てないのですが」と言われて、私は午前2時過ぎだと思い込んでいるので「こんな時間まで仕事をして待っていたのか」と言うと「大丈夫です。」との珍しく冷静な対応に(私の前では私が何かを言うと正直にあたふたする北島なのですが)私も目がぱっちりと開き21時30分と理解して、「すまんすまん。直ぐに送信する。」と言って、慌てて送信すると、またまた直ぐに北島部長から『コラム送信ありがとうございました。アップしておきます。ゆっくりおやすみください。』とのメールに「流石」と思うと共にまたまた爆睡。そして、23時20分にメール送信がきたので、「施設にいかなあかんのか」と思いつつ内容を見ると、厳しい状態の入居者の経過報告。

私は「流石に北島は律儀な奴」と思いつつまたまた爆睡。そして、私はしっかり寝させて貰ったので5時前に目を覚まして、本日の予定について考えていると5時10分にまたまた宿直者の北島部長からメールで厳しい状況の入居者さんが昨夜よりは落ち着かれているとの報告に安堵すると共に北島部長のメールには『朝早くから申し訳ありません』との書き出しには感心してしまいます。そこで、私から施設に電話をして(この時間ですので、北島部長が出る事を見越して)「ちゃんと寝たか」と聞くと「大丈夫です。ちゃんと寝ました。」の会話に頼もしさを覚えた次第です。

爽やかな目覚めの中、本日はどんな1日になるのか。取り合えず本部施設に行き全国老施協平石会長の施設に書類を作成して速達書留を送り、その足で和(なごみ)の施設に行き10時からの施設建設の定例会議に出席をして、13時30分からは中日新聞の盲養護老人ホームの取材がある事までは決まっていますが、さてさてどんな1日になるか毎日良い事悪い事は別にして、わくわくの毎日に感謝です。10時からの定例会は建物もかなりのところまで出来てきたので、ナースコールの表示とか案内板をどのようにするかとのより具体的な話し合いをして、会議後の現場の確認は13時30分から中日新聞の取材があるので、その時にする事にして、昼食をとりに行き、13時30分からの取材は若干記者の方が遅れてみえたものの、今回の盲養護老人ホームへの思いや福祉への思いをしっかりと話しさせて頂きました。

記者の方は入社2年目の方で色々な視点から質問してくださったのでかなりの時間を話しさせて頂き、尚且つ「時間がない」と言われつつもしっかり、新規施設の見学もして頂きました。リピーターの皆さん今日取材に来て頂いた記者さんとはこれからも長くお付き合い出来ればと考えています。

朝5時30分から大車輪です

宿直者の谷田主任から「施設で手作りしているヨーグルトが上手く固まっていないので、代替えに紙パックのジュースを出して良いですか」との連絡が来た時には「早くに和(なごみ)の施設に行かなければ」と思いながら布団の中でモジモジしていたタイミングだったので、「えいやー」と起きて着替えをして、車のハンドルを握ると清々しい気分で出掛ける事が出来ました。早い時間帯だった為かスイスイと信号に捕まる事もなく行けたので誰よりも早く施設に着き一番乗り(6時10分)、先ずは外回りをじっくり見て回ると、多分しまい忘れたと思われる敷き布団が鉄棒に干してあるのを見つけて「本部施設ではあり得ないな」と思いながら車スペースをどうしたら良いかと考えながら歩いていると、和(なごみ)の施設長の吉澤が二番乗りで来たので玄関から一緒に入ろうとすると、入居者の方が掃き掃除を始められたのは驚きでした。その後は順次早出の職員が出勤して来たのでそれぞれに挨拶をしました。7時30分前には8人の入居者さんが次々と食堂に集まってみえたので一人ひとりにご挨拶をして、全員集まられたところで、先ずは吉澤施設長が挨拶をして、次に理事長である私がご挨拶をさせて頂くと改めて身が引き締まる思いでした。その後は吉澤施設長に職員に対する指示を出し、本部施設に戻る事にして、新規施設の現場事務所前で下請けの職人さんも全員集合のミーティングが行われていたのでしばらく様子を見ていると岐建の監督さんが飛んできてくれ、地元の高齢者の方がゲートボールに高じてみえたのでご挨拶をしていると、日勤帯の職員が次々にきたのでゲートボールをしていた方が車の誘導をしてくださり、思わず「ありがたいなあ」と思いました。その後、本部施設で打ち合わせをして、県社協において、老施協の事務局長の辞令を渡すために県福祉会館に出掛け、辞令を渡したあと県社協の常務さんと事務局長さんにお会いする事になり、事務局長さんのお顔を見てびっくり。と言うのはかつて県高齢福祉課長さんとしてお世話になった方だったからです。挨拶を終えてから岐阜県庁に移動して高齢福祉課長さんが異動により代わられていたので挨拶に行くと和合の建設でお世話になった方が係長として戻られていて、係長さんの方から声を掛けてくださりびっくりしました。その後、再び本部施設に戻り、午前中に垂井町さんの対応に違和感を持った事があり、電話連絡をして、副町長さんと話をさせて頂きました。その後、「和」(なごみ)に行き、明日の打ち合わせをして、本部施設に戻り1日の対応を終え今(20時46分)は目を擦りながらコラムを書いてます。長い1日でしたが、リピーターの皆さん。これからも、是は是、非は非で頑張りますのでこれからも宜しくお願いいたします。

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