2021年04月の記事一覧

朝の内にコラムを450字は打ったのに ・・・。

令和3年4月30日

本日は朝8時30分から市町村への挨拶回りを新規施設の吉澤施設長の運転でしたのですが、携帯で最悪の事態が起きて頭が真っ白になりました。と言うのは表題の通り450文字打ってあったので、本日は楽勝と考えらていたコラムがとんでめまないハプニングによって全部消えてしまう事になり、ショックでたちなおれていないのです。と言うのも、携帯の画面が突然見えなくなってしまいメールが来ても何が何だかわからないので、折り返し(メールが来るのは施設からに違いがないから)施設に連絡をして内容を確認する方法でクリアしました。そのような事が出来たのは私の車の昨日に接続してあったから出来たのですが、前々から液晶が消えかかっていたのに「まだ大丈夫」とたかをくくっていた私が悪いのですが、これはあくまで結果論です。常日頃私は『5年先10年先を見通して展開しなければいけない。』と熱く語っているのに、こんな簡単な事が出来ないとは「とほほ・・・」と言う思いです。さて、市町村回りについては順調に回れたので予定以上に出来ましたが、正直なところ市町村により受け取り方や理解の仕方に温度差があると思いました。また、一昨日に続いての市町村回りをして、運転でをしながら一緒に回ってくれた優・悠・邑   和(なごみ)の施設長の食事が頑張っていてくれているわりには不充分だと話の中でも感じたので、昼食は『ヒレカツ定食』(おかわりはご飯、味噌汁、キャベツ)を食べて、夕食はビールと焼酎の水割りを飲みながらお寿司を満足が行くまで食べて貰いました。一緒に食事をしなやがら吉澤施設長が「施設長はストレスが溜まる。」と話ししたので私は「何を言っとる。施設長になってまだ1ヶ月も経ってないのに、私は23年もしているのだぞ」と叱咤激励をしてしまいました。吉澤施設長に言いたいです。「愚痴が言えるだけ良いですよ。私は孤軍奮闘をしてきたのですよ。時には職員から戯けにされるような事があった時に悔しい思いをした事も数えれないほどにありましたよ。」と言うことを熱く語りました。厳しい状況はいずれ財産になりますから。とにかくリピーターの皆さん。450文字を無くしてしまい、お酒も入っているなかで代行で家に帰ってからの頑張りだった事をご理解願って『本日もクリア』と言う事で

意外にもヒロシ君は、験担ぎ(げんかつぎ)なのであります

私(わたくし)『ヒロシ君』は驗を担ぐ人間だと思われる方はリピーターの皆さんの中でどの程度おみえなのかはわかりませんが、正直色んな場面で験担ぎをするのです。例えば階段を上る時、下る時に最後が右足でないと気分が悪くなるのです。だから、たまたま行った所の階段を上った時に最後が左足になった時は下りる時には必ず右足が最後になるようにしています。ちなみによく行かせて頂く岐阜県福祉会館は県社協が入っている4階までは階段を利用するのですが、間違いなく右足が最後になるように覚えてしまいました。大抵は無意識に出来るのですが、うっかり考え事をしている時に間違えたりすると「何か不吉な事が起きるのではないか」等と考えてしまうのです。何でこんな話をするかと言うと、4月4日から毎日30分ウォーキングマシンで歩いているのですが、簡単に言うと時速4キロで機械を設定して30分歩けばぴったり2キロ歩く事になるのですが、30分を一機に尚且つ、いきなり時速4キロで機械が動かないなで、ぴったりになる事は無いのです。だから、日によって、最初は時速3・6キロに設定して『しょうしんげ』の途中から3・9キロにして、お文さんまで唱えてから休憩をしてから(水を飲んだリ汗を拭いたり)4・4キロに設定して、般若心経を唱え、30分になると「お疲れ様でした」と言ってから「ピッピッピ」で歩き終わると2・2キロとか2・4キロになるのですが、本日は最初は3・9キロに設定して般若心経からは4・4キロにして「あと1分では2キロに届かないな」と思いながらも、最後の「ピッピッピ」の最後に2キロを示してくれたので、「これは想定外の良い事があるのか」と単にこれだけの事で喜びを感じ験担ぎをする私なのであります。ピタッと2キロにするには中学で習う『連立方程式』を駆使するか、あるいは『丼勘定』で行くかはともかくとして、ピタリ2キロにしたのは素晴らしい。今は19時54分で何も起きてません。根気よくラッキーを待つ・・・。いやいやラッキーは待っていて来る確率は少ないです。ラッキーを取りにいかなければ、何も変わりません。と言う事で今日は法人に寄付して頂いた方々にお礼のお手紙を書いています。今、結果が出なくても『蒔かん種は生えない』の格言通りに頑張り結果が出た時それを幸福と言っていきたい。何かとりとめない話ですがリピーターお許し下さい。

本日は飛騨に来てます

令和3年4月28日

岐阜県老施協飛騨支部の総会に招かれたので、新規事業が措置施設の為に市町村への案内を兼ねて和(なごみ)の施設長の運転で8時20分に本部施設を出発して、関ヶ原インターから名神高速道路、東海北陸自動車道を経由して、先ずは郡上八幡市に行き、アポ無しの訪問にも関わらず資料を基に話をさせて頂くのをしっかり聞いて頂け、気を良くして再び自動車道にのり、高山インターで降りて一機に飛騨市に行き、受付をすると、違う場所にあるとの事で、受付の方が丁寧に教えて下さり、『ハードピア古川』の中にある福祉課に行き受付をお願いすると市民福祉部長兼福祉事務所長さんが直接話を聞いて頂けたのは本当に幸運でした。

飛騨市から高山市へ向かう途中でたまたま信号で停まった時にまだ散っていない桜を見つけ「さすがに飛騨じゃ」と思いパチリと写真を撮りました。

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もう一つ気が付いたのは川の流れが富山方面に向けて流れていた事です。

高山市へご挨拶に行くと別室に通して頂き福祉部長さん、課長さん、係長さんに話を聞いて頂き、部長さんからは、「そのような施設を造って頂けたのは大変ありがたい」とまで言って頂けたのは、勇気を頂けてありがたかったです。高山市役所から飛騨支部の総会が開催される高山市民文化会館に移動しました。支部会においてもしっかりと盲養護老人ホームの事を話したいと思います。(時間合わせで車のなかでのコラムです。)

飛騨支部の会議は参加者が10人だったのですが、私が一般社団化について提案させて頂いたり、研修についての考え方について話したり、業務省力化ついて全国老施協とのパイプ役をしていく事等を話させて頂きました。その後参加された方一人ひとりから質問や提案を頂き丁寧に答えさせて頂いたので、予定していた会議終了後の白川村への挨拶は行けませんでしたが、話し合いについては、コロナ禍ではありましたが、久しぶりの膝詰めの話し合いだったので身のあるものになりました。もちろん、全ての事が膝詰めでなければいけないとは思いませんが、リモートでも良いものはリモートで行う時間と経費の省力化もしながら実施していかなければと改めて思いました。

本日は新規施設の吉澤施設長さん宿直明けにも関わらず運転して頂いたので、5月16日の竣工式の打ち合わせや5月18日と19日の内覧会の事、5月21日からの新規事業開始に伴う打ち合わせ等々もしっかり出来ました。行政回りの時には理事長である私が対応の仕方の手本を見せながら出来ましたし、色々な面で実りある一日となりました。リピーターの皆さん一歩一歩確実に前に進んでいますのでこれからもご支援宜しくお願いします。

 

1つ目の話題『私の特技??だった事?』

令和3年4月27日

平成10年5月18日に特別養護老人ホーム『優・悠・邑』を事業開始した頃、入居される方は比較的元気な方が多くて宿直をしている時には(当時は週に3回は宿直をしていました。)朝4時30分には本館1階の電気を全て点けて回られる方があり、その入居者の後ろから消して歩いたり、テレビの音量があまりに大きくて小さくしたり、その時間には殆どの方が起きてみえたので一人ひとりにご挨拶をして回りました。また、事業開始当初はコンクリートから溢れた水滴が床を濡らしているのをモップで拭いて歩いたり(宿直でない時は出勤して直ぐにしました。)と、ガムシャラにやらせて頂いてました。

そんな中でトイレの便器の中へオムツを詰め込まれる方があり、「便器の中にオムツを詰められて取ることが出来ないのでどうしましょう。」との連絡を貰って状況把握に行くと「確かに便座の中にオムツか詰められているけど、きっちりと詰められていないので何とかなるのではないか。」と職員に状況を聞くと「道具を使っても全くダメです。」と言うので、吸いあげるのは道具では無理だし、余計に中へ入れてしまう可能性が大きいのと違うか」と言って、便器の中に手を突っ込み出来るだけオムツが突っ込まれている奥の方まで手を入れて「ぐっ」と引っ張るとものの見事に『スポーン』と取る事が出来ました。取れた瞬間には「業者に頼めばお金がいるのに助かった」と思うと同時に中学生の頃、近くの川で手つかみで石の間(今は殆どがコンクリートブロックで施工されているのでその様なつかみ方はできません)にいる魚を捕まえた時の事を思い出しました。

それは、石の間にいる魚の腹の部分が手に触れてからエラの所までたどり着くと完全に捕まえる事が出来た時の事を思い出したのです。そう言えば手つかみで魚を捕まえる事は得意だったけど、その時のイメージでオムツが引っ張り出せるとは、面白いものだと思った次第です。但し、その後の対応で便器にオムツが詰められた時には「施設長、また便器が詰まりました。」と言って私の業務のようになってしまったのは嬉しいような悲しいような複雑な気持ちだったのも覚えています。

2つ目の話題『感染症対策に使用するゴーグル』

昨年は筍がいっぱい採れたのですが、その反動なのか今年はあまり採れない年だったようですが、そんな中でも本日5回目の『味噌汁作り』を行いました。天気も良かったし前回のようなきつい風も吹かなかったので、味噌汁作りの見学におおぜいの入居者さん利用者さんが来て下さったのですがその時に皆さんから「今日も会長さん(私の事をそのように呼ばれる方が殆どなのであります。)が作ってくれる味噌汁を食べれるのか。」と言われて、次に話題になったのは私が着けていたゴーグルの話でした。着けていたゴーグルは、感染症対策の為に購入したものなのですが、本日装着したのは前回の時に煙で目が痛くて涙をポロポロだしてしまったので、その対策だったのですが、流石に感染症に効果があるだけあって煙が入らなくて楽だった話題で盛り上がりました。

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リピーターの皆さん。私はどんなこともコラムの話題にしてしまうので2年8カ月も続いているのだと思いますが、皆さんはどの様に思われますか。

感動しました

本日は新規施設の施設の室内外を終了前検査の為に、デザインボックス(設計・管理)、岐建(施工)ハシモト電気(電気工事)松井工業(設備工事)新晃(外構工事)の現場責任者の方々と共に回りました。

毎週のようにヘルメットをかぶり見て回っていたのですが、本日は施設内の工事は既に終了しているとの事で ヘルメットなしで新規施設を見て回り、傷の箇所はないか、掲示してある文字の色、形、大きさ、高さは大丈夫かの最終確認をしました。改めて工期の期間が短い中での建設ではありましたが丁寧に仕上がっていると思いました。

しかしながら、ナースコールの仕様については現場サイドの意見が反映されていなくて、システムの修正をお願いしたり、襖の取っ手の位置が分かりやすくして貰うおねがいをしましたが、室内の感想は「想像以上に何もなもゆったりしているな」と思うと共に「ハード面については自分が住みたい施設になった」と正直に思った次第です。

室内に続き外周も見て回ったのですが、竣工式までに白の玉砂利を敷き詰めて欲しいとか、もう少し点圧をかけて欲しい等との注文をつけましたが、これまた「よくぞここまでして貰えた」との気持ちになり、竣工式の日までの準備についてがいきなり身近な存在になりました。

本日はデザインボックスの八代社長も参加して下さったので、仏間の床柱(今須杉の天然木)話している姿はまるで『今須杉の営業マン)を見て頂き今須杉の素晴らしさを熱弁しました。リピーターの皆さんに敢えて報告しますが、本当に年輪の幅は小さくて極め細かいのです。ちなみに、和合の施設には今須杉がふんだんに使われていますので、そちらの見学も宜しくお願いします。(今回の『和』(なごみ)では、予算と工期の関係で床柱のみです。床柱についても本部施設の家族会さんのご寄付で出来たのですが)

そして、施設が建っている一番南のエリアに行きカーテンを開けて外を見ると高台に建っている事もあり垂井町の北に位置している場所なのに垂井町の南に位置する南宮山もそのまた南に位置する養老山脈まで天気が良いこともありスカッと見えるのは素晴らしいロケーションだと思いました。この風景を地元の方が見られたら恐らく誰もが喜んで頂けるものと考えています。

但し、いくら素晴らしいハード面を整えても、ソフト面として職員がやりがいを持って優しく対応をしてもらう為の職員教育をしっかりしていく事が肝要だとも考えていますので、リピーターの皆さんも優しさの中に厳しさを持った支援を宜しくお願いいたします。

昨夜はシタタカ飲みました

昨夜はシタタカ飲みました

 

私のオクタマ『かをりさま』の誕生日は本当は4月16日なのですが長男夫婦の都合と私の都合に合わせて誕生会を昨夜、ソーシャルディスタンスをしっかりした上で『しゃぶしゃぶの木曽路』で行いました。先ずは久しぶりにあった唯一の孫翔(かける)が大きくなったのには驚きでした。もう一つ驚いたのは孫翔のランドセルの話題が出て私は思わず「来年小学に入学するのか」とつぶやくと長男誠が「翔は今須保育園のシステムで言えば『ぞう組』さんだよ」と言われ産まれた時に救急で大垣市民病院に搬送されて鼻にチューブがしてあり痛々しい時の事を思いだし、成長した姿に感謝です。さて本題に入ります。今朝は5時10分にリットの鳴き声で目が覚めたものの昨夜したたか久しぶりに冷酒を飲み(誠と二人で4合瓶2本)かなりお酒が弱くなっている為か(一般的には十分なのだとは思うのですが)頭が重くて「今起きるのは無理」と言う事でウジウジしていると、リットがうるさいくらいに鳴いてくれるので、私は「お前は口うるさい母親か」と思いながら起き上がり本日も歩きとお経を継続する事が出来ました。流石に朝食は食べれなくて(昨夜しっかり飲んで食べたから)施設に行くと事務長が法人の通帳を記帳してきたコピーを見せてくれて、4月22日付けで多額の寄付を頂いた方があり、その方は以前入居されていた方の家族の方で、入金して頂いた日の日付で丁寧な手紙を頂いていたので「ここはこちらも誠意を表さなければ」との思いでパソコンに向かって手紙を書きました。最初は単なるお礼の文書のつもりだったのですが、書いていて、4月22日付けの手紙を読み直して、その中に『お裾分け』との言葉があったので、「このお手紙は多くの方に見て貰うべきだ。だけど勝手に文章を載せる訳にはいかないのでお礼と共にお願いをしよう。」と言う事でパソコンで思いを打っている内に、よりご縁を強くしなければいけないと考えて『盲養護老人ホームが完成してから是非に施設を案内したい。』との文も足し加えました。確かに本部施設でお世話させて頂いた方の家族とは言え、私のコラムを見て頂いてのアクションに感謝しつつ、盲養護老人ホームへの理解を拡げて多くの寄付が集まり健全な経営が出来るようにしていきたいと考えています。『一点突破の全面突破』を目指してリピーターの皆さんの温かいご支援を宜しくお願い致します。

私は体験型の人間で苦労を背負う生き方しか出来んのです

令和3年4月24日

昨夜一晩試行錯誤した結論は、表題の通り『私の生き方はつくづく苦労を背負う生き方や』と言う事です。何の事かと言うと、昨日13時から古田岐阜県知事と知事室での面談をさせて頂き得た結論です。そして、私の生き方を走馬灯のように巡ってみましたので、何度もコラムに出てきた事も含めて書きますのでリピーターの皆さん宜しくお願いいします。

先ずは何と言っても生まれた時の私は『虚弱』だった事です。殆どの新生児は元気に産まれすくすく育つのに、私の場合は違ったのです。でも、良~く考えてみると、『虚弱』だったからこそ異常なまでの母秋江さんの愛情を注いで貰う幼少期であったと思うのです。そして、何より母秋江さんの『息子の為に何が出来るか』との考え方が私の生き方に大きく影響していると思っています。

そんな私には、多くの出会いがありその都度『相手の身になって』を実践してきました。そんな私が38歳の時に児童養護施設の指導員を辞し、フリーでの仕事を決断した時には『若山家の生活』等と言う事は全く考えもしないでのもので、がむしゃらにうごめく中からの展開でした。当然の事ですが収入は激減する中で、数え上げたらきりがない程の方々に手を差し伸べて頂きながら、ぎりぎりの段階での事業展開です。

児童施設を辞して直ぐに吉田宏岳先生が中心になっての『教育と福祉を考える会』への参加は「訳も分からず」のものでしたが、「私が出来る事をしっかりとやらせて頂こう」のスタンスでの活動を評価されたのか結果的には大垣女子短大非常勤講師2コマだけだったのが徐々に紹介して頂き13コマまで増えました。また、問題を抱えた親子の対応をする為に『教育福祉カウンセラー』と言う名刺を持っての展開の中で、その当時大垣商工会会頭だった河合達雄さんのお孫さんの家庭教師を紹介して頂き、結果的には法人設立に対して多くの支援を頂きました。(結果的には河合達雄さんのお孫さん5人の家庭教師をさせ頂きました。)

『平成8年~9年にかけて今須小学校のPTA会長(1年目は関ケ原町連会長で2年目は岐阜県福会長)をさせて頂いた時のネットワークは今でも繋がりが強く色んな場面で協力して頂いています。本部本館施設を計画する時にもお金が無い、土地が無いの文字通り「ないない尽くし」の中であったにも関わらず、建設候補地の土地取得の交渉を忙しさと身内の協力に甘えた対応をした事によって、地元の方の反対に合い暗礁に乗り上げました。その時には「人任せの怖さ」を身に染みて体験して、1軒1軒何度も地主さんの所(7軒)に足を運びました。その当時は国及び県の補助金が手厚かったとは言え、資金確保も厳しいものがあったにも関わらず安易に考えていて目の色を変えるまでにはかなり時間がかかったように思います。

私は楽天主義なのかも知れません。とことん『尻に火が点く状態になってから念じて阿修羅のような動きをしてしまうのです。「たら」「ねば」と言う出来事は数限りなくありますがその点については学習しないのです。今回の古田知事との懇談でも痛切に感じたのは、「厳しい状態になっての陳情では意味がない」と言う事です。しかしながら、古田知事にも私の一生懸命さはご理解ねがったので、今後の展開に於いては必ずや生かされると思っています。『熱い思いだけでは解決しない』事を理解した上で、敢えてリピーターの皆さん。視覚障害者の方の安らぎの場の提供に賛同して頂けるのであれば、1口5000円以上のご寄付を宜しくお願いします。

 

(追記①)

本日1時30分から本館1階、2階の⒉フロアでお経さんをあげて導師を勤めさせて頂き思いっ切り声を出してカラオケが準備してあったので1階では『影法師』を歌い「声が響かんな」と思いつつも頑張ったのですが、2階で歌わせて貰おうとして響かない理由がわかりました。その理由とはマイクが入らないのです。伊藤主任が「小話をして時間を稼いで下さい。」と言うので、座布団を持って投げながら「布団が吹っ飛んだ」のギャグを思いつくままにやったのですが、あまりにも受けないので結局4回のしてしまい、マイクの調子は直らなかったので地声で『酒と泪と男と女』と『夢芝居』を歌いました。本館のカラオケの機械はかなり長く使って修理も出来ないので新しい機械の契約をしたので、機械がいじけてしまったのかも・・・。

 

(追記②)

213(兄さん)896(やー苦労)最初の数字はあさのウォーキングマシンでの距離が213(2.13キロ)896(消費量)なのですが、私は意外にもゲン担ぎをするのです。兄さんとは厚かましいかも知れませんが『やー苦労』はいまの状況そのものですかね。

 

 

施設での出来事①②③④

令和3年4月23日

施設での出来事①

本部施設の敷地内に事業所内保育所(職員の子ども)があり、来月26日に3歳の誕生日を迎える女子園児が、玄関ホールで遊んでいる時に私がたまたま外出の為に玄関を出ようとした時に「あの絵のおじさん」と大きな声で言われて(以前に掲載した写真ですが、再掲しました)足を止めて「そりゃないでしょ」と言うと保育園の職員から「そっくりだからしょうがないですよ」と言われ「私のお腹の方が5ミリは小さいです。」と切り返すのがやっとでした。

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施設での出来事②

タケノコの味噌汁を寸胴に大きな鍋で作っている時に新館から見学に来た入居者さんが私に向かって「おじさん、頑張ってるね」と言われたので私は「おじさんではありません。お兄さんと言って下さい。」と言うと「だっておじさんやろ」と返されたので「お兄さんと言わんと泣いてまう。」と言うと「仕方が無いな、お兄さんでええわ」と・・・。入居者さんに同情されているのは、やっぱりおじさんですかね。

 

施設での出来事③

『和』(なごみ)の職員が実践研修に本部施設に来ていて、本日も16時30分から『反省会と言う名の指導』を行ったのですが(本日で6日目)異口同音に実践研修生が言われるのは「教えて頂いた通りにやらせて頂いたはずなのに上手に出来ませんでした。」と言われるのですがそんな時に私が言うのは、「1回や2回実施多だけで上手に出来るのなら苦労しません。今回の研修は出来ない自分を見つめ合う機会だと理解して下さい。」と話をしてます。

 

施設での出来事④

実践研修の最初の指導では必ず、「しっかりメモを取って下さい」と話をしてから「人間は忘れる能力もあるが、思い出す能力も持っている。メモを取る事によって入居者さんから頼まれた事を時間をおいてからでも実施する事が出来て、信頼関係の構築に役に立ちます。」と話をしました。私自身、朝早く起きて一番にするのは、その日の内にすべき事をランダムに記録して、昼食時間であったり、休憩を取るタイミングで確認すると、抜ける事は最小限に防ぐ事が出来ると思っています。

 

盲養護老人ホーム親切に対しての期待度の大きい事をひしひしと感じています

当法人のトップページに『寄付のお願い』を掲載しているのですが、毎日のように申し込みを頂いたり、施設見学の依頼を頂いていて、期待が大きい事に喜びをかんじています。5月16日が竣工式ですがここまでに至るには色々な事がありましたが、とにかくハード面の整備は整いつつあります。そうなると、ソフト面としての職員教育が大切になります。『鉄は熱いうちに打て』の格言通りスタートダッシュと継続が大切。既に『優・悠・邑』『優・悠・邑 和合』がありそれぞれに積み上げたものがあるので上手に活用と協力を得ながらソフト面の充実しに力を入れて行きたいと考えています。リピーターの皆さん。より一層のご支援を宜しくお願い致します。

 

 

紹興酒は眠りの効果があるのか、それとも・・・

昨日は中華料理を頂いたので盃に5杯程温かくした紹興酒を飲んだせいなのか、仏様の本日の目覚めをしっかりするようにとの配慮なのか、とにかく4時50分にしっかり目覚め、いつもよりは早くから仏壇の水換えから始まり4人の写真に挨拶をして、ウォーキングマシーンに乗り30分で2キロで3500歩を歩き昨夜はお風呂に入らなかったので、しっかりと髪も体も洗い心身共にさっぱりとして知事さんとの面談でお話する内容をまとめています。

イメージしたものをパソコンで吉田部長に打って貰う為に施設には8時には行き資料を完成させて、10時からは新規事業の定例会があるので、定例会終了後は完成間近の施設内を見れるのも楽しみにしてます。13時30分からはデイサービス、新館1階、新館2階のお参りの導師を勤めさせて頂き(ひょっとするとカラオケ付?)16時からは大垣共立銀行関ヶ原支店長との打ち合わせで19時からは本部施設の全体会があります。メッチャ充実した1日の報告は後程時間を見つけて書く事にします。(ここまでは午前6時49分までに書きました。)

昼食もそこそこにして、和(なごみ)の吉澤施設長が打ち合わせにきたので対応し、デイサービスの職員が呼びに来たので仏間に行き利用者さんと共に思いっきり声を出してお経を唱えました。途中で準備してあった氷水を飲んだので声が枯れる事もなく、頑張れました。  引き続き新館に移動して、2階と1階とお腹から声を出してお経を唱えさせて頂きました。残念ながら時間がなくてカラオケでの一曲はなかったのですが、清々しい気分になりました。

お参りを終えて大垣共立銀行関ヶ原支店長と借り入れの話をしに支店に行き、明日には揃えなければいけない証明書等の段取りをしたり、明日の古田知事との懇談の為の資料作りをしていると(途中でざるそばを夕食といて食べました。)19時からの全体会の時間になり、急ぎ玄関ホールに行き、黙祷(二人の方)を全員で捧げ、法人事務局の辞令を渡してから会議に入り、最後に理事長としての話をいつもの事ながら熱く語らせて頂きました。

会議終了後、和合の決済をしたりして、明日の古田知事に手渡す資料は、まだ、不完全なのですが、今(21時00分)はお風呂でコラムを書きながら、何とかコラムはふらふらながらクリアできました。明日は古田知事への陳情と懇談で必ず成果を挙げたいと思います。決して欲得でのものではないので成果は得られると思っています。

最後になりましたが本日本当に嬉しい事がありましたので報告します。それは、ホームページの寄付のコーナーを見て、4口(20000円の寄付の連絡をメールで頂きました。この方は当法人の展開を知っての行為なので、地道な対応を評価して頂いたわけです。本当に嬉しいしこの展開が大きく拡がれば嬉しいのですが。

リピーターの皆さんの多くの支援を宜しくお願いします。

今朝こそ完璧だと思ったのですが

4月4日から歩きを再開して18日目でウォーキングマシンに乗って歩き始めた瞬間に「初めて朝準備作業か出来た。」とマシーンのスイッチをオンにして、父進さんの写真を見て「あれ。何か変だぞ」と思いました。その『何か』とは、いつもだと父進さんの写真に火の灯りが2個映るのに「1個しかない」と言う事で仏壇の中を見ると、1個の灯りは蝋燭の灯りで電気による灯りのスイッチを入れてなかった事に気が付き「完璧だと思ってマシーンに乘ったのに・・・。」と言うわけで、マシーンを止めて、シューズを脱ぎ再び仏壇の所に行き椅子に腰掛け合掌をしてから仏壇内のスイッチを入れてマシーンに再び乗り痛切に思ったのは「いつになったら完璧な形でマシーンに乘れるのか」と・・・。思った次第です。本日も『和』(なごみ)の実践研修に3人がきているので、9時からレクチャーをして(3人共に2回目の参加なので1回目とはかなり内容を変えた話をしました。)事務所に戻ると9時30分からの打ち合わせを指示しておいた『和』(なごみ)の吉澤施設長が既に来ていたので会議室に戻り、先ずは寄付のお願いについての分かりやすい依頼書の作成について検討して、その他諸々の話をして、昼食を頂いている時に五次事務長が昨日業者に委託したPCRの結果は全員『陰性』だった報告を受けて14時から和合の全体会の為に移動して、若干早い時間に着いたので、佐藤施設長さんや事務長さんと打ち合わせをして、定刻になり和合の全体会に挑みました。幾つかの課題はあり、私なりに総括をした話を最後にさせて頂き、15時15分に終了して、この後フォーラムホテルでの会が17時30ふんからあるので本部施設に帰らないでしばし休憩をする選択肢もあったのですが、実践研修にきている3人の職員の指導をしたいと、例え20分でも研修に来ている職員の指導がしたいと和合から本部施設へ。本部施設からフォーラムホテルへと走り、フォーラムホテルには少し遅刻をしましたが、自分なりに充実した対応になりました。17時30分からの会では県会議員の先生もおみえになっていたので明後日の知事さんへの陳情に対する打ち合わせも出来、明日は早い時間から改めて今回の新規事業の経過報告をまとめたいと考えています。いつもぎりぎりの私の対応ですので、周りの者はヒヤヒヤドキドキなのでしょうが、これでも目一杯なのでリピーターの皆さん許したって頂戴です。

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