2021年02月の記事一覧

養護老人ホームの入居者さんの引き継ぎが始まりました

令和3年2月8日

盲養護老人ホームの建物については今冬の低温(5℃以下)の影響で、実質1ヶ月は遅れ3月末で解散する事務組合から杉和会が引き継ぐ為、本日の垂井町さんとの入居者さんの引き継ぎを皮切りに海津市、養老町、安八町、関ヶ原町の方が措置されていると言う事で話し合いを順次させて頂くのですが、皮切りの打ち合わせが9時30分と言う事で8時40分に本部施設を職員と共に出掛け9時10分と早くに清風園に着いたのですが、垂井町役場から来て頂く課長さんや係長さんをお待たせするのは絶対にいけない事なので早く着けて良かったと思うし、ましてや明日は海津市と遠い所から来て頂くので、明日も早くに出掛けたいと考えています。本日の話し合いは、垂井町さんが措置された方の状態を教えて頂く事から始まり結果的には2名の内1名は現在病院に入院されていて退院後は特養の入居が妥当と言う事で、本部施設でお受け出来る対応をしていく事になりもう一人の方の情報をしっかり聞く事が出来ました。そんな話をしている時に何となく硝子窓越しに外を見ると入居者さんが結構な早さで歩かれている姿を見て「流石に養護老人ホームの入居者さんは特養と違ってお元気だ」と思うと同時に「何をしてさしあげたらより元気に過ごして頂けるのかの手立てを考えなければいけない。」と思いました。その後施設を約2ヶ月間お借りしなければいけない事とか措置費の利用料等の話をして、1段落した所で新規建物の見学に移動する事にしました。隣地ですので直ぐに移動出来るのですが携帯で監督に連絡するとヘルメットを準備して、監督さんと助監督(女性の方です。)が事務所前で待ってくれていました。私は監督に案内して貰う時にいつも感心する事があります。それは、先頭を歩かれて見学者が歩き易いように物をどけながら進まれるのです。但し本日は先を歩かれる監督さんが整理しようとされる前に助監督さんが活躍されていた事です。上司がされる前にするのは当たり前とリピーターの皆さん思ったら大間違いのこんこんちきですよ。何故ならば今時の若者の中には上司がしていても何も気付かない方が多いのですから。つまり、当たり前が当たり前でなくなってるんです。男性女性は関係なく『自分自分している』方が増えていると思う私はすでに古い人間何でしょうか。見学を終えて役場の課長さん係長さんをお見送りしてから施設に戻り、本日13時30分からの理事会の資料に目を通し昼食を頂き、理事会での会議は新規事業も含めての話し合いを持ち、無事に終了し、その後業者対応を2件して、本日すべき事として、本来コラムもして帰りたかったのですが家に帰りお風呂と夕食を終えて今(20時54分)ようやくコラム記事も書けました。目がつぶってしまいそうなので寝ます。

いの一番に盲養護老人ホームへの求人に来た方の話です

12月1日の建て方の新聞記事が岐阜新聞に大きく掲載されたのを見て、いの一番に職員募集にエントリーして下さった方に改めて意志確認と今後の日程確認の為に本日本部施設に来て頂きました。この方とのお話をすればするほど「盲養護老人ホームが出来たら絶対に関わりたい」との気持ちがひしひしと伝わってきて、私自身は「このような人材と巡り会えた事に感謝」と思っています。

この方のお身内に視覚障害者の方がおみえになり、3年程前に視覚障害者福祉協会前会長の(残念ながら昨年盲養護老人ホームを見る事なくご逝去されました。)清水会長から「近い将来西濃地区に盲養護老人ホームが計画されているとの話を聞き、その会場にいた方々から凄い拍手と歓声が挙がり、私は施設が出来たら関わりたい。」と考えていました。との話を面接が終わり玄関先で開所後に施設長に予定している吉澤が話を聞いたとの報告に私は3年程前に東京青梅にある盲養護老人ホームに施設見学に行かせて頂きその当時の本間事長さんにお会いしてから懇意にして頂き、盲養護老人ホームの全国大会にご招待して頂き、開会式で本間理事長から「岐阜県で盲養護老人ホームを計画されている若山さんも来て頂いています。」と来賓で秋筱宮殿下ご夫妻、加藤厚生労働大臣(当時)斎藤全社協会長さんらの前で紹介してもらった話をして、今回の計画は大変な事ではあるが注目度が凄いものなので頑張ってやり遂げなければいけない。」と話をしました。

新聞折り込みやホームページの効果があった事により、面接希望者の方が今時にしてはたくさんエントリーして頂いていることからも期待度の大きさを痛切に感じています。もちろん施設が完成するのも意義深いものがありますが、開設後の展開を円滑にするかとが肝要だと考えていますので、リピーターの皆さん『杉和会』と検索すると出てきますのでホームページを是非開いて頂きこれからの展開も興味深く見て頂けると嬉しいです。

申し訳無いことに本部施設で疥癬を出してしまいました

ショートステイで明らかに疥癬だとわかっている利用者さんを家族介護が難しく疥癬では病院に入院をさせてくれる所等ないと言う事で本館開設2年目で疥癬をだし、その時の経験を生かしてひろげる事なく治癒させるノウハウがあると思いお受けして、その利用者さんは治癒に向かっているのですが、他の入居者さんに疥癬を出してしまう結果が判明して正直、責任の重さと体制上の不備の現状に夜も眠れず血圧が高い状況が続いています。そして、本日は責任を感じて一生懸命に居室の清掃をしてくれている二人の部長を事務所に呼び「清掃をしてくれている事は承知しているが、体制上の問題や職員の考え方と意識を変えていかないと恒久的なものにはならない。抜本的な見直しと意識改革をしていかなけれは、同じことの繰り返しになり、施設の資質向上にもならない。」と話をして、清掃を委託している会社の社長さんにも来て頂き、全館の現状を見て回りその結果を基に今後の体制での短期対応と長期的対応について話し合い、職員の意識を変えていく為の計画について検討しました。今までの私であれば今回のような問題が起きた時は私が阿修羅のようになりふり構わず機関銃のように話をして即行動に移して実施してきたのですが、今回は短期的には清掃業者に委ねると共に職員が意識をして行うべきものについて私自身理事長としての不充分性もさらけ出し方向性を決めていきました。正直このやり方が良いのかどうかはわかりませんが寝ずに考えた結果なので職員の意識変革を信じて実施していきます。疥癬を出したのは誰の責任だと犯人探しをするものではなく、一人ひとりが清潔に心がけ、それぞれの立場で出来る事をしていく事が肝要だと思っています。改善策の結果が出るには短くて2週間、長くは永久的だと思いますのでしんどい話ですが、全職員が統一性を持って頑張らなければ上手くいかないので結束を高めてしっかりしていきたいと思いますので、リピーターの皆さん客観的にしっかり見ていて下さい。

手術をして丁度1カ月が経ちました

令和3年2月5日

1月4日に名古屋市立大学病院に左目の黄斑円孔の手術をする為に入院をして、翌日の5日に手術をして貰って早や1カ月経ちました。コロナ感染症対策の一貫で手術日に家族もいなくて、看護師さんに車椅子を押して貰って手術室へ。手術前の先生の説明では「約30分程度」と言う事だったのですが、実際には長~い時間がかかった様に感じたのです。『感じ』ではなくて、実際に1時間30分かかったのです。時間がかかった理由は「手術の中でなったのか、元々あったのかは分からないが剝離している所が見つかり、その治療に時間がかかった。」との事でした。「30分程度」と聞いていたので手術中は「もう終わるか」と言う事と「頭を置いている後ろの所が痛い」の2つの事ばかり考えていました。(少しでも頭を動かすと「危ないから動かないで」の厳しい声を何度も聞きました。

無謀にも入院する前日にもお酒を飲んだので私の奥様かをり様から「麻酔が効かないかもしれんよ」と脅されていたのですが、取り敢えず麻酔は効いた様で無事に終わったのですが、手術をした左目は眼帯をしているし、右目は5年前に網膜剝離の手術をして元々見にくいし、手術後はうつむきでいなければいけないので、手術前にコラムを書いていてクリアしておいたので今でもコラムの更新記録は継続しています。手術してから1カ月が経過して徐々に視力も回復して、一昨日(2月3日)から車の運転も出来るようになり、本日はこの後(今は16時です)18時に大垣で会議があるのでゆっくりと運転して行く予定ですが、昨年12月8日に怖い思いで家まで帰ってきた時よりは大丈夫だと思っていますが、考えてみたら家と施設の往復以外は運転してないのでかなり無謀な事なのかも知れませんが、高野山の静慈圓先生の「若山さんはお大師さんがついているから」と言われた事を信じて行動する事にします。

この信念は何処から来ているのかと言うと、何かをしようとしてもしてはいけない時は『障りがあるから』と言われた事を信じて行動しているからです。30歳と10日で結婚したのですが結婚する前の半年間に2回も正面衝突事故をしても、大学時代に2回も腸閉塞の手術をした時も無事に乗り越えていまがあり、67歳の今も忙しく毎日を過ごさせて頂けるのもリピーターの皆さん、奇跡の様ですが『生きる使命があるから』と思っていますのでこれからも頑張っていきますので宜しくお願いします。取り敢えず大垣から無事に帰り明日も頑張れるように祈って頂ければ有難いです。

新規事業の中間検査がありました

令和3年2月4日

気温が5℃以下の時には生コンが打てず工期がほぼ1カ月遅れた事を受け、垂井町さんに清風園をお借りしての運営からスタートする事の了解を得て、その言質を得てから岐阜県に新規施設の開設が4月1日よりもずれ込むことの了解を得た事を本日10時からの週1回の打ち合わせで報告しました。12月1日からの建て方は凄まじい勢いと緻密な計画で今を迎えているのですが、いかんせん温度が低いのは誰の責任でもないので、状況が変わっていく事に対しては粛々とこなしていかなければと思っています。

午前中の打ち合わせの後13時30分からは、岐阜県高齢福祉課の補助金担当の職員2人が来て下さるので打ち合わせを兼ねて昼食を近くのお店で食べて、再び現場事務所に戻り県の担当者を外で待つ事にしたのですが、風が強くて冷たいので部屋の窓越しに待っていて、県の担当者の方の車が入って来るのを確認して急いで階段を降り、車の誘導をしてから部屋にご案内しました。県の担当係長さんにご挨拶をして頂いて2手に分かれて書類を見て頂き、書類の確認の後は現場の状況を見て頂きました。3棟の現場はそれぞれに作業が効率よく行われていて大きな音が響き合っていました。

作業現場を回っていて痛切に感じたのはどの現場も作業効率が上がる様に整理されたなかで作業が行われていて、会う方会う方が忙しい中でも挨拶をして頂けるのは立派だと思いました。A棟南側は見晴らしが良くなっていてご案内させて貰っていた係長さんから「素晴らしい景観ですね。」とお褒めの言葉を頂きました。現場の案内が終わり、再び事務所に戻り係長さんから「書類等についての指摘事項はありませんが、清風園でのスタートになりますので、申請書類等は2度手間になりますが適宜早めに提出して下さい。」と言われ中間検査は無事に終わりました。

施設に戻ると有難い事に新規施設の職員面接依頼が複数きて、「なかなか人材が集まらない中での多くのエントリーに感謝です。」この現象は地道な広報活動と岐阜県初の盲養護老人ホームに対する期待感からだと思うと改めて身が引き締まる思いです。明日は午前中に垂井町シルバー人材センターにご挨拶に行く予定ですし、現在清風園に措置をしている市町の方に対する説明もしていかなければいけないし、実際の運営が始まってからの処遇についても考えていかなければならないし・・・。とにかく効率よくやり切っていかなければいけないのでこの点についても身が引き締まる思いです。但しリピーターの皆さん思いませんか。こんな毎日なのに痩せないのです。目の手術こそしましたが食欲も落ちないし元気何です。だから、元気に頑張れる事に感謝して益々頑張りますのでこれからもよろしくお願いします。

久しぶりに車の運転をしました

令和3年2月3日

12月8日に18時から岐阜県庁でコロナ対策の緊急会議に運転して行き あまりに見づらい状況に怖い思いをして、ゆっくりゆっくり運転して県庁への信号で右折するのに、右折の矢印が出ているのに見えなくて(矢印が消えてしまうのです)後ろの車に思いっきりクラクションをならされ慌てて曲がって怖かったので、会議が終わり帰りの運転はゆっくり運転して(軽自動車にもバカにされながらの運転でした)何とか我が家にたどり着いたのですが、翌日からの運転が怖くてハンドルを握る事なく、家への迎えは勿論の事、何処かに出掛けるときも誰かに運転してもらう日々が続いたのですが、昨日名古屋市立大学病院から地元の病院に週1回来てみえる先生の受診をして運転する事の確認が取れたので、本当に久しぶりに私の車の運転をして施設まで行きました。

但し、本日は名古屋市立大学病院へ保険の関係で書類の依頼をしに行かなければいけなくて(コロナ禍であっても直接でないといけないとの事)水野相談員に私の車を運転して貰い行きました。病院の駐車場から玄関に向かいながら大きな駐車場なので駐車場の目印『E』を覚えて玄関を入って行こうとすると、誘導している方から「入口はあちらです」と指示を受け、改めて入って行くと「手指消毒をして下さい。」と言われ素直に手指消毒をしてから進んで行くと「自動検温測定器の前に立って下さい。」と言われこれまた素直に従いようやく総合受付にたどり着き「書類のお願いに来たのですが」と言うと「あちらの1番の所で受付して下さい。」と言われ、これまた素直に従い(当たり前か)1番の所に行くと2人の方が受付をされていてその後ろに椅子が設置されていて3人座ってみえ、受付のカウンターに整理券をとるようになっていて、3番目に呼ばれて椅子に腰かけて話をしていて、書類が出来たら取りにくるシステムだとの説明に「今日は関ケ原から車を運転して貰って来ましたが郵送の便宜をして頂けませんか」と言うと

「この封筒に住所を書いて地下1階のコンビニにいって404円分の切手を購入してここに戻って来て下さい。」と言われたので「地下に行くにはどうしたらいいですか」と聞くと「現金支払機の向こう側にエスカレーターがありますので」と言われたので「現金支払機はどこにありますか」と再び聞こうと思ったら既に次の方の対応をされていたので「はいはい自分で探します」と言う事で何とかエレベーターに乗り込み地下1階へ。

何とかコンビニを探し当て中に入ると支払い町のお客さんが一杯で。ここも素直に並んでいると「次のお客様」と呼ばれて「404円分の切手をお願いします。」と言うと店員さんが切手を持ってきて404円分を用意して突然後ろ向きになり、電子レンジの中の商品を袋に入れ出されたので私は一瞬慌ててしまいました。だって私は切手を買いに来ただけなので。すると、その品物は隣のお客さんのものだったのです。つまり、レンジの品物が温まる間に次のお客の対応をするとの対応だったのです。名古屋市立大学病院に行きが色々な事を学びました。

1つには当然の事のようにコロナ感染症対策については徹底されていると言う事。2つには、改めて『自分にとっての当たり前が相手にとっての当たり前ではない』と言う事。3つには、名古屋市立大学病院の売店では少しの時間も無駄に出来ないほど忙しいと言う事。4つには切手を提供するなどとの発想は持たれなくて、客側が出来る事はして貰う発想だと言う事です。(改めて当法人のシステムは利用者本位だと言う事)リピーターの皆さん。私が色々な事を思いついたりするのはいらんお節介なのでしょうか。どう思われますか。

 

眼科の受診に来ています

眼科の手術の為に(黄班円孔)13日間入院して、1月16日に退院をし、アフターケアは地元の博愛会病院でして頂く事になっていて今日が2回目の受診でした。

受付は予約してあったので機械を通すと受付は出来たのですが、受付表を見ると『保険証を提示して下さい。』と書いてあり、その時前回の受診時に退院時に頂いた紹介状をお渡しするのを忘れていた事を思いだし総合受付に行き先ずは整理券を取ると『20』でなかなか呼ばれなくてようやく呼ばれたのが15番の方が呼ばれ、その後も受付でしっかり待つことになり、ようやく呼ばれて紹介状と保険証をわたし、紹介状のコピーを渡されて、眼科に行く途中で不思議な事に気付きました。それはエレベーターが開いたままなので一瞬は不思議に思いましたが「これもコロナ感染防止だ」と気付き納得しました。

眼科待合で座った時、思わず「熱い」と思い背中に背負っているリュックをおろし、上着を脱ぎ待っていると検査の為に呼ばれて中に入って行き検査をして頂く方に思わず「病院は熱いですね」と言ってから職員のユニフォームの上着は何と半袖。他の職員はと見回しても全員半袖。私は思わず「入浴介助をするわけでもないのに」と要らんお節介の考えを持ってしまいました。瞳孔を開く点眼を4回に渡ってして頂きようやくお医者さんの所へ行き先生から写真を見せて頂きながら「綺麗に穴の所はふさがっていますので、1カ月後の受診で大丈夫です。」と言われホッと安心し「車の運転をしても大丈夫ですか」とお聞きすると「問題ないと思います。」と言われて一安心すると共に「これからはもっと活動的に頑張れる。」と思いました。目薬の処方についても6時、11時、16時、21時の1日4回が1日2回に減ったのでアラームの「コケコッコー」のセットを解除したいと考えています。

目の調子も良くなり、本日は『恵方巻の日』と言う事で、本部施設も恵方巻の日にちなんでバイキングで鉄火巻きが半分にしたのも丸かじりして貰えるものをオーダーしました。コラムのネタ探しの一貫で『恵方巻』の由来をインターネットで検索して私なりに理解した事を書きます。恵方巻の由来は江戸時代から明治時代の大阪の花街の節分のお祝いに商人や芸子が商売繫盛等を祈って『丸かぶり寿司』とか『太巻き寿司』に7種類(7福)の具を入れて一気に丸かじりをしたのが由来で恵方巻とは言っていなかったようです。一気に食べるのは1年の幸せを全部逃がさないからだとも言われています。だったら恵方巻とはどう言うことかとなるのですが、あるコンビニエンスストアが1989年に恵方巻として売り出してからとの事で、商魂たくましいコンビニエンスストアの陰謀だったのです。今日は若山家の夕食も恵方巻のつもりで準備したのですが、私の家では鉄火巻きを南南東に向いて食べる予定ですが7種類の太巻きで無いので、正式なものでない事が分かりましたがリピーターの皆さん何となく楽しめてわいわい出来れば良しとしませんか。

中日新聞の1月30日の記事から

7面『社説・発言』の『風来語』(かぜ きたりて かたる)でテーマ『知事選と君主論』で中日新聞主筆の小出宣昭氏の記事を読んで思うところがあったので二日遅れのコメントになりますが私なりの考えを述べます。書き出しに「君主論を著したマキアベリはこんなことを言っている。『権力の座についた者は、自分にもっとも敵対していた人間を重用せよ。敵対の感情はたちまちにして消え、それまで味方だった者よりもはるかに強い忠誠心で仕事に励むものである。』とあり、今月24日(本日、月が替わりましたので誤解のないように)の知事選について絡めた記事になっていました。その中で前述したマキアベリの至言の通りで知事選の事を論理つければ「県政運営に敗者となった新人の江崎氏の力を借りる事だ」との結論になれば確かに理想的な展開だと思います。但し昔の格言に「両雄並び立たず」と言うのがあることからもなかなか現実的ではないように思えますが、古田知事が岐阜県の将来を考えて江崎さんの素晴らしい見識と行動力を生かして下さったら岐阜県の将来に明るい日差しが射してくると思います。記事の中でも「古田知事の情熱と、中央官僚としてコロナ対策の中枢にいた江崎氏がそろえば、最強の布陣になる。分裂した県民の心は、むしろ安心と結束に向かうだろう。」と結論つけてます。これまた昔の言葉に『鬼に金棒』と言うのがあります。決して古田知事は鬼でもないし江崎さんを金棒と言うつもりもありませんが、二人が手を携えて4年間の県政を推し進められたら、岐阜県はより良い県になると確信しているのですが、リピーターの皆さんはどのように思われますか。古田知事が寛容な考えを持って挑んで頂けたら本当に嬉しいのですが。2040年まで後期高齢者の数は減る事はありません。但し、江崎さんは「人生100年時代をどう生きるか」のビジョンを明確にされていました。私も決して生年月日で生き方が決まるとは思っていません。私も67歳ですが走り回る毎日に感謝です。いみじくも昨日本部施設で誕生会があり72歳の方から100歳の方の12名の誕生会だったのですが、年齢が若くても病気等で早くに入居される方もあれば、90歳でもお元気な方もおみえになる。つまり、年齢でひとくくりにするのではなく、それぞれの方にあったライフワークを全うできる社会を構築することこそ大切だと江崎さんのお話を聞いて再認識したのです。理想を現実のものにするには社会の常識の中で変えていかなければいけない事も一杯あり、一人ひとりの意識も変えていかなければいけないことも一杯あると思いますが、お互いに生きがいを持った生涯でありたいと思うのですがリピーターの皆さんはどのように思われますか。

1 2 3