2021年01月の記事一覧

段々と新規事業について具体的になってきました

令和3年1月31日

1月末で建て方が終了して屋根もかぶさり2月からは内装と設備が中心の工事行程になります。私は木造平屋建てなのだから『生コン』とは無縁の建物と思っていたのですが、実際の工程の中で基礎工事ではバンバンに生コン打ちがあるので生コンが上手く乾くには最低5度の気温がないと出来ないとの事で生コン打ちが出来ない日が何度かあり、おおよそ1ヶ月は工期が遅れるとの事です。

しかしそうであっても開設時の職員確保は欠かせないと言う事で1月18日に新聞折り込みを約10万部入れて頂き、その反響は大きくて折り込みを入れた日から多くの面接打診があり、1月29日は3人、30日も3人、本日31日は4人の面接を行いました。面接は面接を受ける方の人生を決める大切なものだとわかっているので、私を含めて3人の面接官が色々な角度から質問を投げ掛けました。どの方も誠意を持って答えて下さいました。介護従事者や福祉従事者の就職希望者が少ない現状に困っている中で職員採用面接をこのように出来るのは本当に有り難い事ではありますが、責任の重さも感じています。

新規事業を始めるにあたって、職員採用に止まらず規約の作成をして、措置依頼が多く来る為の体制作りもしていかなければいけません。そして、建物が完成した段階で効率良く備品の搬入もしなければいけないし、厨房業者が円滑に稼働出来る配慮もしなければいけないし、視覚障害者に対する理解を採用した職員に徹底するための研修もしていかなければいけない。設置責任者である私にしてもしっかりしたことはわからない。そしてそんな時に平成10年5月に本館の事業開始時の事を思い出しました。あの時はハード面の理解はそれなりに出来ていたけどソフト面はさっぱりでその当時は多くの方にご迷惑をお掛けしながらも入居者さんから教えて貰うばかりの毎日だったなと思っていますが、今回も視覚障害者の方に教えて貰うなかの展開になるなと考えています。

とにかく時間を上手く使って効率良く頑張っていきますのでリピーターの皆さん見守りの体制を宜しくお願いします。しかし今の私は23年間に頂いた多くのネットワークを活用出来るので多少はうろたえる事なく出来るのではないかと考えています。一つには視覚障害者福祉協会の方々に研修のお手伝いをして頂ける事になっていますし、祈りの為の仏間については高野山の静先生に本日かなりの厚かましさのなかですが熱い思いで手紙を書かせて頂いたので、祈りに対する思いをきっと形にして頂けるとも考えています。なんだかんだと色々な事はありますが、これからも頑張りますのでリピーターの皆さん今後も宜しくお願いいたします。

雪は侮れない

令和3年1月30日

昨日、岐阜県大垣土木事務所砂防課の係長さんと担当者の方が16時のお約束より早くに来て頂いて砂防ダムの建設の為に仮設道路を本部施設敷地内に作られているのですが、雪の重みと土嚢の袋の劣化により石が落ちてきており車庫の外の配管に迫っていてこのままだと色んな意味でまずいことが起きる可能性があると言う事で電話連絡をさせて貰ったところ、現地を確認に業者の方も連れて来て下さいました。砂防ダムは規模が大きくて、今後ダムの周りにダンプが出入り出来る道路まで設置して頂けると聞いてます。(ダムが土砂で一杯になった時に土砂を除去する時の為の道路だと言う事ですが、土砂で一杯になるのに何年かかるのかは分かりませんがそこまで考えた計画をして頂けるのは有難い事です。)現地を見て頂き会議室で話をさせて頂いてお見送りをしたら17時30分で、本来は19時からのお通夜のところを、「前日の疲れが取れていないので、早い時間にお参りをさせて貰う」事にして関ケ原町斎場に向かおうと国道21号線に入ろうとしたら多分、雪の性なんだと思うのですが、車が渋滞していて何とか国道には入れて頂いたのですが、(ここは顔の大きさがものを言ったのかも)50メートル位走った段階で全く動かなくなり、申し訳なかったのですがお参りに行くのを止めて車をUターンして貰い旧中山道の町道で我が家まで送って貰いました。

結果としては雪が凄まじく降っている時に送って貰った形になりましたが、あのまま降り続けていたら、身動き出来ない状態になっていたと思います。家に帰ってからは、お風呂に入り夕食を頂き雪の状況によっては早朝4時には除雪の依頼の連絡をしなければいけないのでなるべく早くに寝ようと21時過ぎには寝る体制になったのですがそんな時ほど目が冴えてしまい、仕方なくテレビのスイッチを入れるとBS放送で(何チャンネルかは定かでありませんが)『作曲家遠藤実さん特集』をしていたので、見るとはなく見ていると遠藤実さんは流しをしながら作曲家として大成されたのだそうですが、その中で今をときめく弦哲也さん(私が仲良くさせて頂いている山崎ていじのヒット曲『昭和男唄』でもお世話になっている先生です。)も同じ道を歩まれた事を知りました。その番組の中でつくづく実感したのは、ヒット曲に恵まれるには引き立てる方があって尚且つ実力がある事が肝要だと言う事です。その最たる方が今をときめく演歌のドンのような存在である『五木ひろし』さんです。五木さんは芸名を何度も変えてヒットに恵まれなかったのに、遠藤実さんに出会い今がある話には話の深さを感じました。

話題が飛んでしまいましたがもう一度雪の話題にもどります。早くに寝る体制になったものの目無理が浅くてぐっと深い眠りについた3時50分に宿直者の谷田主任から「15㎝位の積雪です。」との連絡を受けたので布団から抜け出し国道と町道の状態を把握してから除雪の契約をしている地元の業者に連絡すると「直ぐに対応します。」との事だったんでその旨を宿直者に連絡して、その次には「6時過ぎに超早の職員が5時50分に出勤しました。」7時10分には「早出の職員は遅滞なく出勤されました。」との連絡に当施設の職員は「雪を侮る事無く対応してくれて有難い」と思ったしだいです。平成10年の開設当初には「雪で遅れたのだから仕方がない。」的な発想がありましたが、今はそんな職員が皆無である事に対して「本当にありがたい」と思っている次第なのですがリピーターの皆さんもそう思われませんか。

昨日の午後からの展開ですが・・・。

令和3年1月29日

午後1時30分から『福祉施設職員交流会』は参加者は基本的にはズームで行われるのですが、岐阜県の補助金を頂いての胆入りの企画だったので、健康福祉部次長さんと一緒にシンクタンク3階でご一緒に画面を見る事になっていたので、12時過ぎに岐阜県議会棟から厚生委員会の議員さんとの懇談会を終え、歩いて移動し、(車の運転をしないと健康的な運動が出来るのです・・・。)途中にあるお寿司屋さんに入り寿司ランチを食べて会場入りすると、既に地域福祉課の担当者の方が見えたので会場に案内して貰うと地域福祉課長さんが既にお見えになっていたので、お礼を言うとともに、新規施設のパンフレット等を見て頂きながらお話をしていると健康福祉部次長さんもお見えになったので、先ずは本日の企画についてお礼を言ってから、新規施設の開始が工事の関係でずれ込むことによりご迷惑をかけることのお詫びも言ったりしていると定刻の13時30分になり、15時40分の予定の時間目一杯の討論会の画面を見させて頂きました。

終了後迎えの車が来ていて、17時に新規事業で土地を提供して頂く事になっている方の契約書が出来たと言う事で司法書士の先生と待ち合わせの時間が17時と言う事で若干時間に余裕があったので、10時からの定例会に参加出来なかった事もあり、監督さんと打ち合わせをしてから(その間に運転手の職員は工事中の現場を案内して頂きました。)司法書士の先生と合流して2軒の地主さんの所に行きサインと共に印鑑を貰いました。(契約が出来たので早速本日振り込み入金をさせて頂きました。)

流石にしんどかったので施設に行かずに直接家に送って貰いお風呂に浸かりリラックスしていたら、101歳の利用者さんが息を引き取られたとの連絡を貰ったので迎えに来て貰う様に頼み、夕食を急いで食べて迎えの車で施設に行くと間もなく家族の方がおみえになり、 お医者さんも来て頂き死亡確認後に、この後施設でお手伝い出来る事(お風呂に入れさせて貰う事とご自宅までお送りする事とお葬式までの手順などの説明)をお話させて貰い、一旦ご家族の方には家に帰って頂き、私は入浴等を終業後も手伝っている職員の為にパン等の差し入れを買いに行き帰って来るとお送りする準備が出来たとの事でご自宅までお送りさせて貰い21時30分に家まで送って貰いました。

リピーターの皆さん。私の生き方は『年中無休で24時間体制であり尚且つ、予定は未定であり決定ではない。』のようですが、健康で元気である限りこの生き方しか出来そうにありませんが、なが~くこの生き方で行きたいと考えていますのでこれからもなが~いお付き合いとご支援を宜しくお願いいたします。

 

退院後、疲れ易くて疲れがとれない

 

令和3年1月28日

昨夜は18歳の誕生日のサプライズの為のプレゼントを買いに行き、全体会の19時までにコラムを打ち込まないと気力をなくし挫折してしまいそうな気がしたので、夕食代わりのサンドイッチと牛乳(朝食の為に購入した残り)と前日に移動販売で購入した大きなあられを2枚食べながらパソコンで打ち込みが出来たのは全体会の5分前。かっかとしながらパソコンのキーを叩いていて体が熱く感じたので体温を計っても異常がないので血圧計で血圧を計ってみてビックリ。数字が225*122もあったので違う血圧計で計っても195*116だったので数字を確認してまたまたビックリのショックです。とにかく、全体会ではあまりイライラせずにと思いながらも最後の理事長としての話ではついつい力が入ってしまいつくづく「私は命懸けで事業をしているんやな」と思いました。私の話で全体会が終了して、18歳の男子職員へのサブライズには涙がでる程嬉しかった。全てが終わり家に送って貰い夕食は簡単にすましていたので直ぐにお風呂に入ったのですが、流石に血圧が高いのでいつもよりも短めであがり、早朝5時前からのバタバタだったので速効で休みました。

朝は8時20分に迎えに来て貰い私の車を運転して貰いまずは施設に行き(施設の車は私の車庫に入れ)、県議会棟での資料を揃え9時過ぎに送って貰い議会棟の2階の自動ドアを入ると担当者の方が案内の為に待っていて下さり3階の会議控え室に案内され、県の担当者の方が多く控えられたので、取り敢えず名刺交換をして椅子に座ろうとすると、私より早く老健協の会長さんがみえていたのでご挨拶をさせて頂きました。しばらくすると他の福祉団体の代表の方がおみえになり、それぞれに挨拶をして、福祉団体の前に厚生委員会のメンバーとの懇談会がかなりずれ込みましたので予定の時間より遅れましたが会議室に案内して貰い、5団体の一番最初にコロナ対策の現状を中心に5分程度と言う事だったので、事前に話をする事にしていた5項目について話をさせて頂きました。引き続き残りの4団体が話をされたのですが、それぞれに時間をはるかにオーバーされた為に委員会の議員さん達の質問を受けての意見交換会の時間が少なくなり若干の不満がありますが、議員の方の質問に対してこちらがお願いしたい内容に対するものだったのは収穫でしたし議員との懇談会の企画は私の知る限り始めての事で意義深いものでした。

12時過ぎに終わり健康福祉部長を始め色々な方に挨拶をして部屋を出ると声をかけて下さる方があるので声の方を見てびっくり。二代前の高齢福祉課長で新規事業の依頼を受けた方。最初に「若山会長。盲養護老人ホームの実現ありがとうございました。」と言われたので、その時私は「今は何をされているのですか」と言うと「昨年の4月からコロナ対策担当の健康福祉次長」と言われたのでまたまた、思わず「そんな近い部署におみえになっていたのに全然知らなかったです。」と答えながら心の中で「また一人素晴らしいご縁が頂けそうだ、」と思った次第です。

リピーターの皆さん。本日の報告は12時過ぎまでしか体力の限界で出来ません。明日本日のパート2を書きますので・・・。

 

本部施設に中学新卒の第一号で入職した男子職員が18歳になりました。

何度かこのコラムでも登場している中学新卒の男子が今月24日にめでたく満18歳の誕生日を迎え、今日の19時からの全体会で職員全員の前での誕生日のサプライズを男子職員が所属しているフロアの責任者が中心になって計画しているようです。

2018年4月に入職した8月にたまたま厚生労働省老健局長に就任されたばかりの大島さんに中学新卒が頑張っている話をする機会があった時、その当時の大島局長から、「立派な介護職員に育てなさい」と言われていて、改めて大島さんに報告出来たらと思っています。

このコラムは全体会終了後のアップになるので、サプライズの中身をわくわくしながら暴露すると、既に久寿玉の準備が出来ていて、それぞれの職員からのメッセージも書かれていて、プレゼントは介護福祉士受験のための参考書や問題集だとの事です。それを聞いた瞬間に私が理事長としてのプレゼントが決まりました。それは「参考書や問題集があるのであれば、書く物が必要だ。」と。(職員の咤激励に感動)

私は常に閃いた瞬間に行動に移すのですが、本日は早朝4時過ぎに看取りの入居者の心停止の報告を宿直の北島部長から受けたので、家族の方がみえる事になっている5時30分に合わせて施設に行き、その後家族の方との今後についての話し合いをして、最後のお風呂に入って貰ってからご自宅まで送らせて頂き、10時と11時には新規事業の面接があり、13時30分からは関ケ原町舎内での会議に参加して、迎えに来て貰ったついでに地元の本屋さんに行きそれなりのボールペンを買いに行ったのですがお店の方に「最近は売れないので置いてません。」の言葉に計画が挫折。しかしそれで諦める私ではありません。

「垂井には『三洋堂』と言う大きな書店があるのでチャレンジ。」と言う事で、お通夜が17時と言う事で「何とかなる。」と言う事で車を出して貰ってゲットしました。

どうして18歳の誕生日にこだわるかと言うと『夜勤が出来て一人前』と言う事で「よくぞ頑張った」との思いです。あと5分で全体会が始まり、全部の話が終了したタイミングでのサプライズにわくわくしているのです。リピーターの皆さんにこんな私をどう思われますか。

新規事業の打ち合わせ

本日13時30分から岐阜県高齢福祉課で新規事業の開設を4月1日で予定していたのが雪であったり、温度が低かったりでコンクリート打ちをしたくても生コンが固まらなかったり、無理に実施してひび割れ等のトラブルになってもいけないとの配慮から施工が遅れた事による開設の遅れについてのご理解とご指導を仰ぎに設計士の方を入れて5人で行ってきました。(正直昨夜は色々な展開について考えていて眠りが浅かったです。)打ち合わせは高齢福祉課長さんも同席して頂き、係長さんと担当者の方の3人で対応して頂きました。正直に現状をお話させて頂く中で自然の影響にはやむ無しとの見解を頂き、今後は必要書類のご指示を頂くように重ねてお願いさせて頂き、新規事業についての話し合いは終わりました。私はその後、28日に開催される県議会厚生委員会での話し合いについての打ち合わせをついでのようにさせて貰いました。その話し合いの中で、コロナ対策についても岐阜県老施協の会長の立場で話をさせて頂く内容についての打ち合わせさせて頂いたのです。会員施設でも残念ながら一件クラスターが発生したのですが、全員病院への入院対応をして頂けた事はありがたかったと改めて思った次第です。高齢福祉課で話をさせて貰っていると、私が高齢福祉課にいることを知った福祉政策課の防災担当の職員の方が私と打ち合わせがしたいと部屋の外で待って頂いていたので(恐縮な話です。)引き続き話し合いをさせて頂きました。福祉政策課防災担当との打ち合わせは岐阜県老施協会長としての意見を述べるものだったので、私の持論をしっかり述べさせて頂きました。全ての話を終え2階のフロアで一緒に来たメンバーが待っていてくれたので、駐車場に戻り、施設に帰る前に新規事業の現場に寄り、県庁での話を監督さんにさせて貰い施設に戻り、28日の県議会厚生委員会での提案内容を一気にまとめあげると、毎週火曜日17時に来てくれる移動販売の『だるま』が玄関先にきたので、今夜の酒の肴を買い、今(18時47分)はお風呂でコラムを打っている次第です。出勤をして色々な打ち合わせをしてからバタバタの一日(退院後は毎日の事ですが・・・。)だったのですが、福井県老施協の前会長の荒木先生から頂いた大吟醸のお酒を一日頑張ったので自分へのご褒美で5酌いやいや7酌は呑みたいと考えています。リピーターの皆さんも私が19時ジャストに一人乾杯に合わせて乾杯して貰えると嬉しいです。

冬場の建築工事は難しい

令和3年1月25日

私の口癖『予定は未定であって決定ではない』の話はもろ冬場の建築には完全にあてはまるなと自重気味に感じています。と言うのは新規事業の盲養護老人ホームの建築の建て方は昨年の12月1日からで、岐建の監督さんの緻密な計画で順調に進んでいたのですが、12月に一度『ドーンと』雪を頂き、監督さんの機転により、屋根のところからお湯をかけてシャーベット状になった雪をバキュームで吸い上げ、雪解け部隊を沢山投入してクリアして貰ったものの一回の雪でおおよそ1週間の遅れ。その後も北陸寒気団により新潟県や北陸地方に大雪をもたらしましたが奇跡的に現場にはそれほどの雪も降らなかったのですが、雪が降らなかった代わりに冷温が続いて「コンクリートが固まらない。」(5度を下回ると上手く固まらないとの事です。)との事で、コンクリート打ちが何度か延期になり、建築工程が遅れる結果になっています。

元々監督さんのスケジュールは目一杯のものだったので遅れた分を取り戻す事が無理だと言う結論を頂いたので断腸の思いで現在清風園の運営主体である垂井町さんに午前中にその旨のお話をさせて頂き、善後策についても話をさせて頂き、結論として認可権のある岐阜県に相談する事になりました。このような話は速やかにやらなければ上手くないと思い、垂井町での話し合いを終えて車に乗って直ぐにアポの連絡をすると明日の13時30分に来るようにとの有り難い返事を頂きましたのでその旨を新規事業の担当者と設計管理をお願いしている設計士に連絡しました。

4月開設の思いを強く持っていることを監督さんも設計士さんも良く理解して頂いていたのでその思いに応えようと頑張って頂いていたのですが、天気事情ではやむ無しです。事業開始が少し遅れるにしても、職員採用、備品の打ち合わせ、厨房業者との打ち合わせとやらなければいけない事は一杯あるので、効率良くできるように頑張っていきたいと考えています。

昨年始めからのコロナの影響もあり、対応が遅れた分を職人さん達の頑張りで取り戻しつつありましたが自然の対応までは予測出来ないので、明日の県庁での話し合いでは一生懸命に話をして理解していただける方向でやらせて貰えるようにしていきたいと考えています。大きな事業計画なのだから色んな難局は覚悟しているとはいえリピーターの皆さん視覚障害者さん達の安心と希望の為に頑張っていますので今後ともご声援宜しくお願い致します。

ありがたい事です

令和3年1月24日

本日13時30分のお約束で視覚障害者福祉協会の本部がある白杖会(はくじょうかい)さんに行き山田会長さん、溝口副会長さんを始め4名の方が日曜日にも関わらず待って頂いている所に行き、新規事業の盲養護老人ホームの進捗状況の報告をすると共に、職員採用をした方に対する研修についてのお願いをさせて貰いました。その後、施設の概要で直線で長いところは廊下が100メートルあったり、なるべくシンプルな作りにしている事や、平屋の木で建坪約300坪の建物が3棟などとの話をさせて頂いといて、話の端々に山田会長さんからは色んな意味で視覚障害者の方から新規事業に対しての期待が大きい事が伝わってくる話を頂き、私自身身の身が引き締まる思いに改めてなった次第です。

打ち合わせの最後に私の方で準備した2種類のチラシ(一つは18日に新聞折り込みをしたもので、もう一つは手作りの新規施設のパンフレットです。)それぞれ50部を手渡し配って頂ける事になり打ち合わせを終えての帰り際に、溝口副会長から「理事長さんのコラムの中に『なごやん』が好きだと書いてあったので、なごやんと生なごやんをお土産に持って帰ってください。」と渡され頂く時に私は思わず「コラムを続けて書くには何でも書かないとネタがもたないので、なごやんが好きだと言う事も書いたのですが、その事を覚えて頂いていて、実際に準備してくださるとは思いませんでした。でも、本当に嬉しいです。」と正直に話させて頂きました。本日は視覚障害者福祉協会に行き、改めて新規事業に対する意義の大きい事を再認識させて頂いたので、開設してからより充実したものにしていき、視覚障害者の方にとっての安心と快適を確立出来るように今まで以上に頑張らなければと帰りの車の中で思った次第です。

その為には、明日から順次面接を希望して頂いている方が沢山おみえになるので(今の時代では本当にありがたい事です。)しっかり面接ではお話を聞かせて頂きたいと考えています。ちなみに私の採用基準は『優しさ』と『一生懸命さ』を大切にしてます。そんな事を書いていて、本部施設での有望株は本日めでたく18歳になった男性職員だとしみじみ思っています。その職員は中学を卒業して直ぐに本部施設内にあるアパートに住み、もうすぐ3年になり、入居者さんへの寄り添いも含めてピカ一で十分夜勤も出来るだけの知識も技量もあるのですが、18歳未満の夜勤は法律で禁じられているのでしてなかったのですが、本日めでたく18歳になり、本日は母親の迎えで外出したのですが来月の勤務からは夜勤も担って貰おうと考えています。ちなみに彼は最近まで親へ仕送りもしていたのです。(あまあまの私とは雲泥の差です。)今は、仕送りをやめにして、車の免許と介護福祉士の資格を取得するために貯金をしているとの事です。こんな子も法人の職員でいる事に杉和会理事長としても誇りに思っています。

介護人材、福祉人材の確保は難しい時代だと言われていますが、色んな受け入れ体制をとる事によって人材は集まってくるのだと信じて頑張っています。いみじくも、岐阜から帰ってきて事務所で仕事をしていると一本の電話。それは、准看護師の試験を一月末に受ける子がアパート入居希望での面接をしたいとの連絡でした。リピーターの皆さん。頑張っている杉和会に対して今まで以上に宜しくお願いします。

 

『チコちゃん』の番組は役にたつ

通常の常識として、わかっていると思っている事が意外に理解されていない事の疑問を『チコちゃん5歳が解き明かし専門家の方が説明すると言う番組で、ゲストである回答者が的外れな回答をするとチコちゃんが「ぼーっと生きてんじゃねー」と言いながら頭が大きくなり真っ赤になって怒るのです。私はこの番組を楽しみにしながら、尚且つ「よくもよくも毎週のネタがあるもんだ。」と感心しています。昨日見ることが出来なかったので今朝の朝ドラ『ちよちゃん』のあとの番組で見ました。一問目の問題は『鮭』と『サーモン』の違いについての問題だったのですが、私は「確かにサーモンも鮭も知ってるけど、改めてどんな風に使い分けしているかと言われたら正直わからん。」と思いました。その説明を聞いて色んな事を知る事が出来ました。最初の説明では『養殖がサーモンで海に出て獲ったのが鮭』との説明に「確かに塩鮭はあるけど塩サーモンはないな」と思うと同時に「私もぼーっと生きてる」と思った次第です。そしてその後の説明で生で食べる為には養殖のものしかダメでノルウェーで養殖していた余剰な鮭の売り込みをする為に生の魚を食べる習慣のある日本で売り込もうとしたノルウェーの営業マンの苦労も知ると共に『寿司食いねー』が流行った時には寿司ネタとして登場してない『サーモン』が今では寿司ネタナンバーワンだと言うのも凄い事だと思った次第です。2つ目の問題は『厄年』は『役年』だった。と言う話です。と言うのも元々は『役年』として『役を担う年になった。』と言うのがいつの間にか『厄年』と言う意味に変わった。と言う事でした。確かに男42歳は『働き盛り』であり『働き盛り故に余り無理をするなよ』との戒め的な言葉となったのかと思いました。今回岐阜県知事選挙に立候補をされた江崎候補の話で「サザエさんの父親波平さんは私より2歳若い54歳ですが、その当時はそんな感じだったのですが、現代ではこんなに元気です。つまり、人生百年時代を如何に楽しく生きるかを考えた未来を築きあげなければいけない。」と力説されました。その時私は思いました。「私は現在67歳で江崎候補より11歳も年上だけれども、元気に走り回っていられるんだから江崎候補に10年先までのビジョンを現実のものにして貰うのも悪くないな」と思いました。人生百年時代であるなら『男の本厄年』は42歳は少し、いやいやめちゃくちゃ早すぎる。少なくとも67歳の私位が丁度かな。しかし、67歳が本厄だとすると、気をつけなければ。リピーターの皆さん何事も心配性な私なのであります。

午前中は和合で幹部会とお参りで午後は・・・

9時30分から和合で幹部会あるので退院後に車の運転を控えている私を和合の事務長が8時30分に迎えにきてくれて(自分で運転出来ないのは不便です)和合の幹部会に参加して、理事長としとそれぞれの提案にコメントをして、11時前に幹部会が終了して引き続きショートステイ利用者さんとのお参りをさせて貰い(入居者さんはテレビに映して)お参り後は施設の昼食を準備して頂いたのを食べさせて貰い、食べ終わって直ぐに本部施設へ和合の車を事務長が運転して佐藤施設長の3人で向かいました。と言うのは13時から新規事業の厨房委託業者を決めるプロポーザルがあり、法人側として有利になるようにするために色々な意見を理事長として投げ掛けました。プロポーザルが終了後は岐阜県老施協の研修の講演依頼をする講師の先生への根回しを全国老施協事務局とやり取りをしたり、書類の整理を終えてから岐阜市まで書類を届けたいものがあり運転をして貰っている車の中で今はコラムを打ってます。明日は新規事業の今後の展開についての打ち合わせを岩田理事(税理士として会計をお願いしてる先生です。)とさせて頂くので今夜は早く家に帰らせて貰って理事長としてやるべき事をまとめて、効率良くうちあわせが出来るようにしたいと考えています。

 

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余談話『父進さんと宏君が丸坊主の訳』

先ずは父進さんが丸坊主の訳は・・・。父進さんは極度に近眼だったようでなかなか兵隊さんになれなかったようなのですが、戦況が厳しくなってから兵隊さんとして駆り出され終戦と共にシベリアに捕虜として抑留されて(1年近くと聞いてます。苦労しているのに明るく語ってくれてました。)35歳の時に石垣の所からそっと見た母秋江さんに一目惚れをして、養子に入りその当時は髪の毛を伸ばしていて、その当時は気の効いた整髪料がなく、べたべたの髪の毛をしていた父進に対して母秋江さんが「汚く見えるので短くしなさい。」と言われた父進さんは母秋江さんに嫌われたくなかったのかどうだかは定かでありませんが、床屋に行ってバッサリと丸坊主にして、それ以降生涯丸坊主を通したと聞いています。もう一人の宏君の話をします。私は平成18年8月8日の日から全国老施協の本部役員(初代総務委員会幹事)としての役割を頂き、その当時の中村博彦会長に仕えるようになり神戸で全国大会があり、ホテルで寝ていると早朝5時(5時ですよ)に携帯のコールがなり、中村会長の部屋に来いとの事で慌てて着替えて走った走ったで部屋に入ると中村会長が「なんじゃそのボサボサの頭は」と言われ次に「バッサリ切ったらどうや」と言われたので、大会が終わって直ぐに本当に短くして東京の本部(当時はTBRビル)に行き中村会長に「会長バッサリ切ってきました。」と言うと「うん」と言う感じだったのですが次に返ってきた言葉が「まだまだ。やっぱりお前は中途半端な奴やな」と言われたので、またまた次に本部に行った時には今の丸坊主になって行ったのです。このやり取りは考え方によっては中村会長とのじゃれあいのようなものだったと思いますが今も丸坊主でいるのは中村会長が亡くなった今も中村会長の教えを大切にする証しだと思っているからからなのかも知れません。リピーターの皆さん私はこんな人間ですがこれからも宜しくお願いします。

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