2020年09月の記事一覧

心落ち着かず「よりどころはやっぱりお経かな」

令和2年9月10日

本日10時30分から新規事業である『盲養護老人ホーム 優・悠・邑 梅谷(仮称)』の入札が執行されるのですが、朝7時から家で朝食を頂いていても心落ち着かず、朝食後にスーツに着替え施設に行き、入札が行われる会場に行くと既に会場の準備は出来ていたのですが、新型コロナウイルス感染症対策の為の『ソーシャルディスタンス』と言う事と、設計監理をお願いしているデザインボックスさんの席が出来ていなかったので、会場を作り直してから入札会場の隣の部屋が仏間なので、「やっぱり心落ち着ける為にお経をあげよう」と仏間でローソクと線香を点けようとしたのですが、線香が無い事に気が付き仏壇の引き出しを探しても無いので仕方なく線香無しでお経をあげようとして経台の引き出しを何となく開けると線香の箱があるではありませんか。箱の中の半分くらいの線香が折れていたのですが、何とかお供えする事が出来た時に「苦難はあっても最後には整う」と言う事なのかと訳の分からない事を思ったのは、建通新聞で一般入札の広報を8月11日から18日で掲載させて頂いたにも関わらず1社のみのエントリーしか無くて、「もし、その1社も当法人が提案した価格では話にならない。」と断るような事があるとどの様に対応したら良いのかと考えると、正直夜の睡眠も浅い状態が続いたのは事実です。でも、お経をあげる前にこの様に考える事が出来、尚且つ腹の底からお経をあげたので、不思議と心が落ち着きました。

定刻通り10時30分から入札が開始され1社しかなくても粛々と進行を吉田部長がしてくれて書類の確認も済み、理事長である私から話をさせて貰い、入札箱に札が入り当法人の桐山監事にハサミを入れて頂き確認すると、金額が書かれておらず『辞退』の2文字が書いてある。10パーセント位はそうなるのではないかとは予想していましたが、現実にその文字を突きつけられて本来ならば頭が真っ白になって思考回路がストップしてしまうところですが、お仏壇での線香の件を思い出した私は意外と冷静に現実を受け止める事が出来ました。それは、本部本館施設の入札の時(平成9年8月8日)は、建通新聞に予定価格が示されていなくて、2回に渡る入札の結果でも落札者がなく、その場で緊急理事会を開催し、一番低い価格を書いてくれた業者との話し合いで何とか契約したと言う経験があったのですが、今回の場合は、数字が明記してあったので『辞退』としか書きようがなかったのです。

今回も緊急理事会を開催する事の了解を理事・監事の方に取り、その旨を業者さんに伝え、業者さんには別室に移って頂き、理事・監事の皆さんに「これ以上の金額は出す事が出来ないので、設計をお願いしているデザインボックスさんに設備等の価格の安いもので金額を落とす形で随意契約をしたい。」と理事長として話をして理事・監事の皆さんのご了解を得て、再び業者さんに部屋に入って頂きその旨をお話すると、業者さんの方から「精一杯頑張ります。」と言って頂けたので私は厚かましくも「16日が大安なのでこの日に契約が結べると嬉しいのですが。」と話をさせて貰いました。リピーターの皆さん。沢山の修羅場を踏んできたお陰でこのような対応が出来たと思っていますし、お経さんのお陰だとも思っています。こんな私ですが、これからもよろしくお願いします。

 

伊勢谷友介容疑者逮捕に思う

令和2年9月9日

俳優の伊勢谷友介さんが自宅で大麻所持の疑いで逮捕されたニュースをテレビでガンガン報道しているのを見て、色々な意味で違和感を持った事について述べさせて貰います。その最たるものは、朝の報道番組のコメンテーターの一人が「アメリカでは大麻について合法になっている州もあり、伊勢谷友介氏は留学の経験もあり、その時に合法だったのでその後、日本に帰ってからもその流れの中で大麻を常習されていたのではないでしょうか。」と如何にも日本の法律が遅れていて、おかしいと言わんばかりのコメントに私は思わず耳を疑ってしまいました。だって、大麻について多くの国で違法としている代物ですよ。日本の歴史をみても、古くは奈良時代に『律令制』が出来た事により『墾田永年私財法』が出来、平安時代には『荘園』が生まれて公家に都合の良い制度が出来、鎌倉時代は荘園を守る為に武士が力を持ち守護・地頭が生まれ、その武士の家計を助ける為に『徳政令』が出されたり、徳川5代将軍徳川綱吉に至っては『生類憐みの令』が発せられて民衆を苦しめた事はあまりにも有名な話です。

まだまだあげればその様な事例は一杯ありますが、何が言いたいかと言えば、その時代(とき)の権力者にとって都合のいいもので作られ法律になっていると言う事は、その時代の状況によって制度や法律が出来ていると言う事です。昔から『郷にいては郷に従え』と言う諺がありますが、今の日本の法律は法事国家としての成り立ちを今は維持しているわけで、「アメリカで許されているから日本も同じでない方がおかしい。」との論法は成り立たないと思います。端的な事を言うと、アメリカでは多くの州で銃の所持が認められていて、銃に関わる事件が起きた時には銃の規制が話題になっても銃の規制がなかなか出来ないのは、治安の問題や自分の身は自分で守らなければいけなかった歴史があるからだと思っています。「アメリカではこうなのに」と一概には言えないのはその為だと思います。

もう一つ違和感を持ったのは、現行犯逮捕された時に認否については「弁護士さんが来てからお話しします」との真意が私には理解出来ない。確かに下手に自分に不利になる事は言わない方が良いからと言う事もあるのでしょうが、そのスマートな考え方は確かにアメリカンナイズされていると言う事なのでしょうか。もう一つの違和感は、伊勢谷友介氏が何本かの映画に出演されていて、「違約金はどうなるのか」との話をまことしやかにされていました。確かに有名な俳優さんだから社会的責任は大きいとは思いますが、逮捕されて直ぐにその様な事が話題になるのも違和感を覚えました。

リピーターの皆さん。今回は1つの現象でこてこてとした事を述べたのは私が『巳年』の性だからでしょうか。それとも明日が新規事業である盲養護老人ホームの入札で心躍るのでは無しに心沈んでいる為なのか。どちらにしても、岐阜県内の社会福祉法人のどこもエントリーしなかったのは厳しい経営を強いられる事が目に見えての事。覚悟はしていたものの社会福祉法人杉和会理事長としては大変な試練だとの思いが強いです。でも、大きな試練を乗り越えてきた私ですから必ず乗り越えてまた景気の良い報告をしたいと思っています。

 

ご縁を大切に

令和2年9月8日

昨日18時30分から、大垣共立銀行関ケ原支店の100周年記念式典が関ケ原カントリー内のレストランで行われ、私もご招待を頂きましたので参加させて頂いた事は既にこの理事長コラムで書かせて頂いているのですが、その折り、開会前に大垣共立銀行土屋会長(前頭取)に改めて名刺交換をさせて頂いてからご挨拶はさせて頂いていたのですが、その後同じく招待を受けられていた関ケ原駅前の料亭『末廣』の女将が、8月20日に静慈圓先生を囲んでの懇親会の折りに飾ってあった静慈圓先生の書の事を聞きに見えたので、あの字は梵字で『あ』と書いてあった事を話しすると共に、「いきなりどうしたのか」と聞くと「土屋会長が先日末廣に来て興味を持たれたので」と言われたので、それを聞いた私は直ぐに土屋会長のお傍に行き「来年の8月20日には是非とも同席して頂けたら」とお話させて頂くと「8月20日ですか。迷惑でなかったら参加したい。」との事だったので、本日は早速土屋会長さんに向けアクションを起こしました。具体的には土屋会長充てに手紙を書き改めて、来年8月20日の件を書かせて貰うと共に静慈圓先生の著書2冊と当法人のパンフレット等大きな封筒に入れて関ケ原支店長にアポイントメントを取り支店長に届けたいと考えています。

このようなアクションは私の真骨頂だと自画自賛です。今でこそこの様な対応が出来て、私の事業展開においてどれだけプラスに生かされたか計り知れないものがあります。但し、中学時代までの私は真逆な対応しか出来ず「行動に移したいのに移せなくて」実行出来なくて後からうじうじと考えていて益々臆病になっていたのを覚えています。どうして今の様な対応が出来る様になったのかとつらつら考えるに、一つの分枝点は高校入学だったと思います。私の通っていた小学校、中学校は1クラスしかなくクラス替えも無くて、小さい時の印象をずっと引きずり『消極的な子』との印象を払拭出来なかったのですが、高校に入学すると1学年で11クラスもあり、私の消極的な子のイメージを知るものがいなかったのと、大垣日大高校が自由な校風であった事も幸いしたように思います。もう一つ大きな出来事は高校2年4月7日に母親代りだった姉光子が急逝して、やけくそな日々を1学期間過ごした(父進さんには大変ご迷惑とご心配をおかけしました。)事と、その夏休みに四国歩き団参に参加して『私でも役に立つ』と言う事が理解出来た事が大きかったと思います。何が転機になるかは分からないですが、『人生に無駄なし』でもリピーターの皆さん。私は沢山の素晴らしい方に恵まれたから今があると思うと本当に幸せな人生だと改めて思っています。と言う事で本日も家に帰ったらお仏壇でお経をあげます。

 

新型コロナ対策の一貫として

本日『岐阜県高齢者・障がい者入居施設新型コロナウイルス感染症対策研修会』が長良川国際会議場メインホールで岐阜県主催で高齢者・障がい者施設5団体が協賛で行われました。

講演講師にはコロナ対策感染症の専門家であり、検討会でもしっかりとアドバイスを頂いていた『ぎふ綜合検診センター所長で岐阜大学名誉教授の村上啓雄先生に演題は「『新型コロナウイルス感染症』~今までわかった事の課題~高齢者・障がい者入所施設などを安全に利用するために」と銘打ってのものでしたが如何にマスクの装着と手洗いの充実が大切かと言う事と岐阜県の体制の充実について熱く語って頂き改めて当施設の体制について確認する思いでした。そしてまた、村上先生のお話は難しい話を分かりやすく解説して頂け、とても参考になりました。

研修会自体は14時からだったのですが、準備と県老施協の会員施設の受付をしなければいけないので会場には12時15分には着いたのですが、既に副会長二人とその施設の職員が来てくれていたので会場の手配の様子を確認すると共に『感染症対策』を見て回ると席については3席に一人座るようになっていて、5団体の割り振りも出来ていたので安心しました。そして、『密』にならない工夫はトイレについても1つおき使用するようになっていて手洗い場や長椅子も一つおきに座るように配慮されていました。勿論、『コロナウイルス感染症対策の研修』でクラスターを出したのでは、洒落にならないので当然かも知れませんが。

研修会は最初に岐阜県健康福祉部長沼次長の挨拶に弾き続き、村上先生の90分の講演の後、高齢福祉課の熊谷さんの今後の対策について説明があり、最後の閉会の挨拶と共に共助の精神での万が一クラスターが出た時の協定書への積極的な協力について話をさせて頂きました。挨拶も済ませて全てが終了したのが16時30分。

本来なら池田トンネル経由で施設に帰るのですが、18時30分から大垣共立銀行関ヶ原支店の100周年記念のお祝いに招待されていたので、少しでも時間を稼ごうと西濃環状線西回りの有料道路で帰りました。約20分程時間を稼げたので、300文字位はコラムが打てたのですが、パーティでは祝宴もあったので私の好きな冷酒を頂いて、関ヶ原町長さんや議長さんを始め関ヶ原の主たる方がお見えになっていたので挨拶に回り、結構緊張しつつ対応していたのできつかったのですが、二時間で最後に夜空に花火が上がり無事終了して、お風呂は厳しいのでシャワーだけ浴びて今(21時36分)何とかコラムが打てました。

リピーターの皆さん。お酒が入ってのコラムで誤字脱字及び意味不明の文章であったとしても継続出来たと言う事でご容赦下さい。(そんな事なら短い文にすれば良いのにそれが出来ない宏君です。)

新型コロナウイルス感染症の猛威から半年

令和2年9月6日

日本で新型コロナウイルス感染症の話題をぼちぼちでだしたのが2月。しかしながら、不要不急という事を言いだしたのが4月になってから。私自身の事を言えば3月18日に東京への日帰り出張をしてから、新幹線に乗ることもなく、専ら自家用車での移動のみ。遠出と言っても片道65キロの中部学院大学か約30キロの岐阜県庁か岐阜県福祉会館くらいまで。飲み会はと言うと、3月26日に和合の職員が1年間本部施設での役割を終えてのご苦労さん会で飲食をして以降は無し。(この日は岐阜柳ケ瀬のナイトクラブでクラスターが出た日なので本当はヤバかったのかも・・・。)

※例外として8月20日に静慈圓先生を囲む会で関ケ原駅前の料亭に行きましたが、人数を絞って広い部屋でさせて貰いましたし、施設から噴霧器も持参しました。

施設においては、2月17日から入居者さん利用者さんと家族に協力を得て、面会の制限を制限して、6月に一部解除として面会時間は10分程度二人までとしました。その後も岐阜県知事からの緊急宣言もあり、面会については8月以降パソコンやスマートフォンを活用したウェブ面会にさせて頂きました。また、施設のイベントも『密』を防ぐ為に縮小し工夫をしたものになっています。例えば、6月に実施した『供養祭』では、例年のように当法人の監事をして頂いている法忍寺住職の皆田さんにきて頂き、仏間には家族会会長の吉田さんと理事長である私のみが席に着き、入居者さん利用者さんは各フロアでのテレビ中継で行いそれぞれのフロアでお焼香をして頂きました。また、月一回の私が導師を勤めてのお参りは、二日間で5か所に分けて実施してます。例年8月に総勢800人位が参加される当施設最大のイベントである『夏祭り』も各フロアでそれぞれのアイデアを出してのもので、家族や来賓の方の招待は無しでのもので実施しましたが、各フロアの個性が出たものになり、『コロナ禍との共存共栄』のイベントになっていると思います。

9月と言えば敬老週間ですが、「コロナ禍では出来ない。」とはしないで、(本当に当施設の職員はありがたいです。)この大切なイベントも各フロアで企画を練ってのものになっています。例年だと関西落語の笑福亭伯枝師匠の来演や、大垣の老舗寿司屋『寿司吉』さんの板前さんの来演がありわいわいがやがやと大勢でのイベントは出来ませんが、各フロアでのイベントは1週間にわたって繰り広げられます。なお、敬老週間の封切の19日には、私も一役買って冷奴を準備しての大吟醸酒『十四代』の振る舞いコーナーを企画しました。また、20日には『千巻経』も企画されていますが、お仏壇前で『般若心経』をあげさせてもらうのは、滋賀信行会の内藤会長と滋賀信行会青年部の役員2人と私のみですが、供養祭の時と同じく各フロアへのテレビ中継をさせて頂き、それぞれので思いっ切り般若心経を唱えて貰いますし、滋賀信行会青年会の皆さんはスマートフォンでの参加をして頂く手はずが整っています。

確かに新型コロナウイルス感染症対策は万全でなければいけませんが、抵抗力を付ける為にも「今日一日楽しかったよ」の毎日は大切です。当施設の職員は総力上げてコロナ禍に負けないように奮闘してます。リピーターの皆さん。優・悠・邑に声援をお願い致します。

 

寄り添いの毎日の中で

お陰さまで本部本館施設が事業開始して23年目を迎えていますが、私の生き方は『未知の世界に飛び込んでから感性で動いてきた結果』のように思っています。

最初の『未知の世界』は児童養護施設に飛び込んだ時です。『福祉』の『ふ』の字も知らないでの船出。仕事に就いた当初は「紹介して下さった方に申し訳ないので来年3月までは勤めよう」くらいの、その当時の若者の軽さだったと思いますが、世間知らずの私には注意をされる毎日が新鮮だった事と自分があまりに幸せな日々を送ってきた事に対しての反省にたった時、『自分が出来る事を精一杯やらなければ』との思いでした。

そんな日々の中で、子ども達の学習プリントを一人ひとりの学習習熟度に合わせて作っていったのが私の今を築いてくれたと言っても過言ではありません。指導しなけれはいけないのに自分が解けない問題の時にはその都度頭を下げて手土産を持って教えを乞いに行ったのも今となっては私の財産になっています。38歳で児童養護施設の指導員時代の13年間の間に得意になった事の一つに夏休みの宿題の読書感想文が書けない子に代わって沢山書きました。その時には小1であれば小1の子になりきり、中1の子であれば中1の子になりきって書きました。そんな事をしている内にそれぞれの子の気持ちがわかってきて指導にも一層磨きがかかってきたように思います。

つまり、相手の身になって何をすべきかを考えて実践してきた事により自分を成長させて貰ってきたように思っています。38歳で児童養護施設を辞し非常勤講師で週に13コマも担当していた時には、講義をしながら学生達の反応を見ながら話題を考えながらの講義で『学生達が望んでいる講義』の流れが出来てきて、今ではどんな状況であっても話が出来るように学生達に鍛えて貰ったと思っています。

未知の世界と言えば『特別養護老人ホーム』の展開も未知のものでしたが、相手の方が何を望まれているかを考えながらの対応で段々と高齢者の対応が理解出来るようになってきたと思います。入居者さん利用者さんが何を求めているかを考えての実践です。勿論すべてを受け入れる事は出来ませんが出来る事は形にしていくスタンスです。それは家族の願いも含めて言える事だと考えています。私の拙い生きざまであっても精一杯形にしていく事で結果的には私自身を成長させて頂いている。何と幸せな人生なのかと感じています。

本日はバテバテで17時に施設から帰りコラムを打っていて知らぬ間に眠りについてしまい、眠る前に書いた文章を読み返すと支離滅裂のように感じましたがリピーターの皆さん書き替える気力もないのでハチャメチャなコラムになってしまいましたが勘弁して下さい。今(午後7時24分)はお風呂に浸かりながらのものですが、お風呂からあがったら菊姫をコップ一杯だけ頂いて明日に備えて明日は理路整然とした文を書く事をお約束して、限界ですお風呂から出ま~す。

9月2日に続いて「成年後見人」について述べます

令和2年9月4日

成年後見人制度の本質は理解しているつもりですが、社会福祉士会所属の方が成年後見人をされているとなると、『建前と本音』の部分で随分考え方が違うとの話をします。

私の場合は26歳までのいい加減な生き方の中で紆余曲折があり、たいした考えも無しに飛び込んだ『福祉の世界』だったのですが、どっぷり40年以上この世界でうごめいていると、究極的には『福祉は相手の身になって行うもの』と言う考え方に至ったのです。決して『自己犠牲の中で行うものでは無く』て『自ら行う奉仕の心』が大切だと考えています。介護の中で『寄り添いケア』と言うものがありますが、これは単に『傍にいれば良い』と言うものでは無くて『相手の気持ちに寄り添う事』が肝要だと思っています。そう言う意味で社会福祉士は福祉の専門家としての国家資格を持った方ですから単に知識を持った専門職では無く、福祉の心を持った対応こそ求められるべきではないかと考えています。つまり、知識をひけらかすのでは無く、相手に安心感を持って貰える存在であって欲しいと思っているからです。

つまり、対応に苦慮されている方がお見えになれば適切なアドバイスやフォローをする事が求められていると思います。当法人本部施設において色々な行事を実施するのも、月1回のバイキングを実施するのも「入居者さん、利用者さんとその家族も含んで喜んで貰える」との思いからです。また、残念ながら看取りの方が亡くなられた時にお風呂に入って頂くのは「綺麗な体でお見送りたいし、本人もその家族も喜んで貰える。」との思いからです。葬儀の相談も私の知り得た情報を提供するようにしています。

敢えて手前味噌の話をします。当施設にご夫婦で入居されていて、お身内の方でお世話をして頂ける方がない方のご主人が先に亡くなられた時に喪主は奥さんになって頂いたものの、葬儀一切を施設側で行わなくてはいけない時の手続きから、通夜、葬儀も奥さんに代わってさせて貰い、施設での葬儀だったので奥さんだけでなくて、入居者さんも参列してのものだったのですが、ここで思わず笑ってしまったのは、通夜が無事に終了したら奥さんも「ありがとうございました。無事に通夜も終わりましたので部屋に帰ります。」とさっさかさっと帰られたのです。要介護状態の方ですし、当然と言えば当然の事なのですが・・・。結局私は亡くなられたご主人を一人にしておくわけにもいかず、ご主人の傍で文字通り添い寝をして一晩を過ごしました。

何が言いたくてこの様な事を敢えて書かせて頂いたかと言うと、介護保険制度の中で、『亡くなられてお風呂に入れろ』とか、『葬儀を施設で実施しろ』等と言う事は決して書いてありません。しかしながら、「亡くなられたら関係ありません。業務でありませんから」とは決して言えないと思います。困ってみえる方があったら何とかする事は福祉の中の根本だと思っているからです。だって『福祉』の『福』にも『祉』にも『しめすへん』があるでしょ。『示』の原型は『神様にお供えする三方の事』つまり『幸せな生活』こそ福祉そのもの。リピーターの皆さん私の言いたいことをご理解頂けたでしょうか。

 

9月19日からの敬老週間に向けて

施設開設当初(平成10年5月)は岐阜県高齢福祉課から敬老週間イベントの企画についての情報収集があった時の回答は「当施設においては『きょう一日、楽しかったよ』であり、年中入所者、利用者の方々と楽しく過ごしていますので、敬老週間だからといって特別な企画はしておりません」と答えていました。(今から考えると凄く生意気な言い方だったと反省してます。)そんなある年、恒例の夏祭りも盛大に終了して片付けも一段落したある日、幹部職員2人が私の所に来て「敬老週間は特に素敵な1週間になれば、いつも以上の『楽しかったよ』になると思うので、1週間を通したイベントに企画したい。」と言ってきました。私はその時の2人の職員の『わくわく感』が伝わってきたので「入浴は週に2回は確保しなければいけないが」と投げかけると「いつもとは違うお風呂にします。」と言うので「腹案はあるのか」と再び聞くと「バラの花をお風呂に浮かべたり、お酒を入れたり」と即座に答えていて、今考えるに、理事長である私の心理を絶妙に理解したものだったと思います。だって。自分で言うのも何ですが、『私はロマンチストの酒飲みですから。』具体的な企画の中ではバラ風呂はありましたが、流石に酒風呂は無かったですが・・・。それ以降の敬老週間の1週間を通した企画には関西落語の真打の笑福亭伯枝師匠を大阪から来て貰ったり、香川県からクラウンあきおさんと言う大道芸の方に来て貰ったり、滋賀県長浜市に本部がある滋賀信行会の皆さんに来て貰っての般若心経千巻をみんなで唱える『千巻経』をしたり、大垣の老舗寿司屋の『寿司吉』さんの板前さんに目の前で寿司を握って貰うパフォーマンスをして貰ったり松茸つくしのバイキングをしたり、お風呂にしてもバラ風呂、薬草風呂、よもぎ風呂、菊風呂と毎年のように色々な工夫をしてわくわく感を職員と入所者、利用者と共有してきました。しかしながら、今年の敬老週間は新型コロナウイルスの関係で『三密』を避けたイベントにしなければいけないので、各フロアでそれぞれが創意工夫をした提案をしなければいけないのですが、今一盛り上がるに欠ける企画が殆どなので、今朝ほど職員に対する連絡ツールであるパソコン上での事務連絡コーナーで施設長として激を伝えると共に私からも企画を提案しました。勿論、飲んべーの私ならではの企画です。具体的には「先般8月24日で当法人のホームページの理事長コラム連続更新2年を達成した(2008年から書いているのですが、最初の内は月に2回程のペースでした。)お祝いに埼玉県の特別養護老人ホーム『ブロン』の常務理事さんから送って頂いた大吟醸酒『十四代』は、インターネットで検索したオークション情報によると1升30,000円の値段が付く代物だそうですが、敬老週間で酒のつまみに冷奴を準備して飲んで頂こうと思っています。お酒は『百薬の長』とも申しますので、頑張って振る舞いたいと考えています。この企画については各フロアの職員のご協力無しには出来ませんので、日時や参加メンバーについては各フロアで計画を立てて頂きたい。」と言うものです。折角の素晴らしいお酒を一人で頂くのは勿体なすぎますので、この企画を思い付きました。私が今の事業をさせて頂けるのは「酒が飲めて、歌が歌えて、話が出来て、ネットワークを大切にしてきたから」と豪語している私ですので、リピーターの皆さんこんな生き方しか出来ない私ですがこれからも末永く宜しくお願いいます。なお、ブロンの常務理事さんは粋なお方なので来年の更新記録のお祝いは『十四代』が2本でその次の年には3本で・・・。いやいや、この独り言は書くべきでないのですが堂々と書くのが私の真骨頂と言う事で・・・。

成年後見人のお話し

令和2年9月2日

成年後見人制度が出来て、身内に代わって財産管理や書類の申請を行う事をスムーズに実施出来るようになったのは要介護状態になり今までは当たり前のように自分で出来ていた事が出来なくなった方等にとっては大変良い制度だと思います。成年後見人制度が出来るまでは、行政が介入せざるを得なかった生活困窮者に対する手立てしかなかったので家族関係の希薄化や独居の高齢者や高齢者のみ世帯の方にとっては大変ありがたい制度だと思います。近年当施設においても複数の方が活用されています。そして、最近とても不思議な出来事がありましたので、そのお話を私なりの見解も交えてお話します。但し、私の話は制度上云々の話では無くて、あくまで現象的な話ですので誤解の無いようにお願いします。今回私が紹介するケースは知的障害がある妹さんの面倒をずっとみてみえたお姉さんが要介護状態になって当施設に入居されてからは、愛知県に在住のもう一人の妹さんが通帳管理等をされていたのですが、その妹さんも要介護状態になり、管理が出来ないことから知的障害がある妹さんの成年後見人が先に決まり、その後お姉さんが施設において看取り対応になり、地元にみえるお身内の方の働き掛けでお姉さんも成年後見人が決まり、デイサービスを利用されている妹さんと看取りになってから決まった成年後見人の方が別々で二人の成年後見人の対応の違いに戸惑う事が多くて、尚且つ先般看取りだったお姉さんが亡くなった事により、より一層の違和感を覚えたものですから。と言うのは、確かに成年後見人の方の役割は『生前中の対応』と言う事は理解してますが「亡くなられてからの事は出来ませんので」とばっさり切る言い方をされると、私的には「後の対応は誰がされるのですか」と言う事になるのですが、全く『聞く耳持たず』の対応での上から目線には戸惑うばからでした。(正直、成年後見人はどんだけ偉いと思っとるんじゃ)結局、入居されていたお姉さんの後始末は施設側で出来ることはさせて頂きましたが、施設側には出来る限界があり、地元の身内の方と妹さんの成年後見人の方でされました。お姉さんの葬儀の折りに後見人の方にご挨拶をしてから「最後の支払いや手続きについてはどのようにさせて頂いたら良いですか。」とお聞きすると「後見人は生前中の対応しかやらないことになっていますし、支払いは今までの通帳で引き落として頂ければ大丈夫ですから」と言われたので「亡くなられた事がわかった段階で通帳は止められるのではありませんか」と粘った言い方をすると(これは決して入金がされない事に対する思いだけではなくて)「今までにそのような事はありませんでしたから」と、これまた聞く耳持たず。確かにこの後見人が言われる事が正論だと思います。しかしながら、亡くなった後に残された方が困られる事を想定されないのであれば、国家資格である『社会福祉士』のライセンスを持っての後見人としての役割が本来的に理解されているのか、本質的に成年後見人制度が出来た意味が理解されているのかと大いなる疑問を持ち、単に「担当者により対応が違う」では済まないのではないかと思うのですがリピーターの皆さんはどのように思われますか。私の言った事で「死ぬのもままならない」と思われるならばご意見をいただきたいです。

『蚊』

令和2年9月1日

以前に、ある職員から「理事長コラムのタイトルが長すぎてタイトルのスペースからはみ出てしまいますよ」と注意を受けた事があったので、今回のタイトルは『これ以上ない短さのタイトルにしました。どうだ、素晴らしいだろ。』といきなり訳の分からない内容から入ったのは暑さの性ですかね。でも、本日の東京の最高気温は30℃に届かなかったと騒いでいるようですが(一部で)心配することはありません。明日からの予想気温は2日(31℃)3日(33℃)4日(32℃)ですから。しかしながら、連日のように35℃を超える日は無いようなので、厳しい酷暑の状況は脱したようです。(なかなか本題に入らないのが私のコラムですのでご容赦ください。)気温は本日のタイトル『蚊』と密接に関係しますので・・・。

と言うのは、今朝のテレビ番組の中で「蚊は夏の風物詩のように思っていたのですが、実は9月になってからなんですね。」と言われて、私的な想いを言えば、夏の風物詩の一番は『蚊』ではなくて『盆踊り』だと思うのです。かつては、盆踊りから帰ってあちらこちらが「痒い」。これは正に蚊の襲撃にあった証し。と言う事は蚊の襲来時期が遅くなっていると言う事。つまり、蚊にとって8月は「まだまだ暑くて元気に飛べませ~ん。」と言う事なんだと言う証明かな。テレビの解説では蚊の出現は35℃以下になってぼちぼち飛び出して、30℃くらいで元気に飛び回るとの事。私の中学時代の思い出に「お盆過ぎに海水浴に行くとクラゲに刺される確率が多くなる。」と言われて、事実クラゲに刺された記憶があります。つまり、自然界の生き物は微妙な温度差を感知する能力があると言う事。だから、かつてはお盆を過ぎると蚊の襲来があったのに、今は9月になってから蚊が元気に飛び回り手や足に食いついて血を吸うのだと思います。これも地球温暖化の影響なんでしょうか。

米の収穫など考えられなかった北海道でも収穫が出来るようになっているのも温暖化の賜物何でしょうか。また、最近よく耳にする言葉に『ゲリラ豪雨』と言うのもありますが、これも温暖化の影響なんでしょうか。そう言えば、私も10年程前に、EPA(経済連携)による外国人介護福祉士候補生の面接にインドネシアを訪れた時に急な凄い雨に見舞われたのですが、凄い雨は30分程度で止んで青空が出て来た時に「これが噂のスコールと言うもんなんだ」と感心したのを覚えていますが、「今の日本がその状態と同じなのか」と思うと身震いしなければいけない感じがします。「暑くて蚊がいない盆踊りも良いけど、10月になっても暑い状態が続くのは勘弁して欲しいな。」と思っています。リピーターの皆さん自然界の生き物のようにお互いに逞しく頑張りましょう。私も熱さにも寒さにも忙しさにも負けず頑張りますので・・・。

 

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