2020年05月の記事一覧

ウェブ会議を55人で実施しました

朝一で看取りの家族の相談を受け、和合での全体会が10時からあるので話し合いの後、急ぎ車を走らせ和合に到着したのが9時40分で窪田室長と新規事業の打ち合わせをしていると10時になり1組目の全体会が始まり(新型コロナの関係で2組に分かれての会議です。)事前に佐藤施設長から「理事長の考え方を熱く語って下さい。」と言われていたので、しっかり15分掛けて話をさせて頂きました。

1組目の全体会は11時5分に終了して、2組目との入れ換えを5分でして貰い、11時10分から2組目が開始されたのですが、11時30分から猫田県議とお会いする事になっていたので10分で私の話を終えてぴったり11時30分から猫田先生にお会いして色々な事をお願いしたり、私の思いを聞いて貰いました。

ちょうど12時まで話をさせて貰い、これまた急ぎ本部施設に帰り13時30分から全国老人福祉協議会正副会長委員長会議がウェブ会議で行われるのでこれまた昼食も急ぎ食べてから、ウェブ会議の為のパソコンの準備をして、画面を開くと平石会長は既にスタンバイされていたので二人でしばらく話をしていると会議に参加される方が続々増えていくのがわかり、改めて参加人数を確認すると会長、副会長、理事、委員長に幹事が52人で北條専務(昨年9月末まで厚労省審議官)、北村事務局長に事務局のメンバーを入れると総勢55人。会議が始まる前には正直、こんなに多い参加者で果たしてウェブ会議が成り立つのかと心配になりましたが、流石に役員の方々は色んな経験を積まれた方ばかりなので平石会長の進行で会議は順調に進んでいきました。

進行をされる平石会長から「委員会報告は2分以内でコンパクトに頼みます。」と言われて私の出番は経営戦略の今室長の次に総務・組織委員長として話をさせて頂くのに長々と話しないように留意しながら端的に話をさせて頂きました。委員長の中には2分ルールをはるかに越えてしまう方もおみえになりましたが、あまり長いときは平石会長がやんわりと注意されて、円滑に進んで行き報告の後の検討にしても、意見を述べる方が重なる事無く出来て非常にスムーズでした。

委員会報告の後、事務局から情勢説明があり、新型コロナの関係で国の動きが遅れ気味だとの感は歪めませんが情報を聞きながら戦略が見えてきました。全ての議案検討が終了して16時までにあまり時間がないなかでしたが、敢えて「岐阜の若山ですが三点提案させて頂きます。」と声を張り上げ手短に意見を述べさせて頂きました。そして、平石会長から「今の提案に対しては今後の会議で生かしていく。」とのコメントを頂き会議終了時に鴻江副会長、久藤政治連盟会長からご挨拶をして頂き、終了間際に園田参議院議員が「今委員会が終了した。」と言われてご挨拶を頂いて全日程が終了して、パソコン画面を閉じてから、改めてウェブ会議がこのように開けるのは平石会長が新型コロナを予測されていたわけではないでしょうが、ウェブ会議の良さを見抜かれていたと思うと、改めて平石会長に精一杯仕えていきたいと思いました。

リピーターの皆さん。私はこんな人間ですが、これからも宜しくお願いいたします。

一昨日に引き続き週刊現代からのネタです

「ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』の30年」と銘打った特集だったのですが、私にはいわゆるホームドラマをみる趣味がなかったのか全くと言って良い程にこのドラマの記憶がないのです。もっとも30年前から10年前と言うと児童養護施設での生き方に疑問を持った時期で正直テレビを見て楽しむような状況でなかったし、児童施設を退職してからは大学等の非常勤講師を週13コマと家庭教師と個別ケアを頑張りながらも自分がやるべき事を模索していた時期から法人設立と特養建設に奔走し、事業開始後の10年は遮二無二に施設経営に取り組んできた時期。(もっとも今もその生き方は変わりませんが)

さて、本題に入ります。私は先週号のプロデューサー石井ふくこさんの記事で興味を持ったばかりだったので読んで行く内に「こんな人間ドラマやったんや」とますます興味を持ったのでコラムで書く事にしました。

先ず驚いたのは丸々20年間10回シリーズで行われた出来事が、それぞれの出演者の成長に会わせて物語が進んで行く手法には驚かされます。その典型のような俳優が前回にも書いたえなりかずきさんです。えなりさんが5歳の時には家業の中華料理店を手伝う健気な小学1年生を演じて、11歳の時に小学6年生を演じられた時は子どもながら口が達者なキャラで、13歳の時には中学2年で反抗期真っ盛りを演じ、17歳の時は勉強が嫌いな高校3年を。25歳の時には困難を乗り越えての結婚をすると言う設定にはえなりさん自身の生き方とは違うけれども一人の人生が10シリーズで描かれていて、その役を見事になりきって演じられたのは素晴らしいし役者人生としては非常にラッキーな方だと思うと同時に、その後の役者人生でそのキャラを破るのは大変だろうなとも思いました。

と言うのも私自身の人生そのものの中で小さいときは対人恐怖症の赤面症を演じてきたので、そこからの脱却に苦労したし、今でも中学時代の方と出会うとどのように接したら良いのか悩む事さえあります。これはドラマだからのなせる術ですが、えなりさん演じる眞は高校では覇気のない生活で高校卒業後は家業を継ぐのが順当な生き方だと思いますがネット上で知り合った年上の女性に感化され猛勉強をして一浪の末に東大に入学。と有り得ないような設定ではありますが、その頃を風刺した設定が長寿番組として視聴者に受け入れられたのだと思います。

この記事を読んで私自身も福祉事業の中でも、地域のニーズや職員の思いを良く理解した展開をしていかなければと気が引き締まる思いにもなりました。

さて、本日は午後1時30分からデイサービスで利用者さんとのお参りをして、新型コロナの関係で分散お参りで依頼を受けていたのが、新館2階と1階だったので、3会場を回った関係上(新館ではカラオケもさせて貰いました。)全部終了したのは午後3時をはるかに回っていました。正直喉がからからになりましたが、不思議な事に奈良薬師寺の大谷撤奘師からメール法話に対する感想等を書いた手紙のお返しに色紙と絵はがきを頂いた事も紹介しました。

リピーターの皆さん私の考えが地域のニーズに合ってないと思われた時、逆にそのまま突っ走れと思われた時にもご意見を下されば有り難いです。

『ちゃん』『君』『理事長さん』と呼ばれて

令和2年5月19日

私が小さい頃は虚弱だった故に『骨皮筋衛門』等と揶揄されていて(今の姿からは全く想像も出来ない体型でした。)当然の事ながら外で遊ぶのは御法度だったからでしょう。(田舎の大事な大事な『お坊っちゃん』・・・)色白で極端な言い方をするならば「少し風が吹いても倒れてしまう」ような、そんな私だったのでその当時私の母秋江さんは私の小学校入学を一年遅らせようかと真剣に考えて、その当時今須にあった診療所の本多先生に相談したと何度か聞かされました。

そんな私が一年遅れての入学でなく無事に小学一年になった時の担任の先生が塚原外尾と言う女の先生で私が受け持って下さった時(一年から三年まで)は今から考えると若い先生だったのに随分威厳のある結構わがままな先生だったようですが(この感想は姉春子さんの感想です。)私は随分可愛がって貰った記憶しかありません。その頃の学校は随分とフレンドリーだったんだと思います。

塚原先生は私の事を教室では「宏君」と呼んで貰っていたと思うのですが、塚原先生が日直をされている時に母秋江さんの手作り料理を持って遊びに行った時には「ひろっちゃん」と呼ばれていたように記憶してます。これは塚原先生なりの使い分けだったんだと今になって思います。今から考えるにその当時の私は非常に甘え上手だったんだと自分の事ながら感心してます。

それから大きく時間が流れて私が社会福祉法人杉和会を設立し特別養護老人ホームの事業展開をして3年位経過した頃米原市の敬老会の記念講演に招かれた時に塚原先生も足が悪くて杖をつきながら講師控え室まで来て下さり「宏君が講演に来ると聞いていたので楽しみにしていて来たんやわ」と言われ「宏君やないね。講師様なんだから若山先生かな。それとも理事長さんと呼ばなあかんのかな」と言われたので私は「昔のままでひろっちゃんか宏君で大丈夫です。」と言うと「宏君も立派になったね。あの頃はお母さんの後ろに隠れるようにしていた子だったのに」と言われて、正直「塚原先生に誉められた。先生に誉められたのは、その当時の脱脂粉乳のミルクを先生が嫌いで誉められたい一心で飲んだ事位だから本当に頑張って来て良かった」と思いました。

その当時、50歳前だったと思うし、講演の講師に来ていた私でしたが、塚原先生の二人の関係の中では『ひろっちゃん』であり『宏君』で良いわけです。

さて、施設の入居者さんや利用者さんは、いわゆる『顧客』であり『高齢者』として敬う存在である以上『ちゃん』や名前を呼ぶのではなく名字で『⚪⚪さん』と呼ばせて頂き、『お世話させて頂く』『相手を敬う』事が大切だと考えていますし、相手の尊厳を大切にした日々の対応こそ大切だとも思います。少し話はずれてしまいますが、平成12年(西暦2000年)4月1日に介護保険が施行され『特別養護老人ホームが措置から保険に変わり福祉的意味合いをあまり意識しない法人も実際にはある事を否定できません。その意味で令和2年度事業で盲養護・養護老人ホームを開設出来るのは意味深いものがあると考えています。

リピーターの皆さん私の考え方に対して是非にも論評下さい。

いつものネタもと『週刊現代』

令和2年5月18日

プロデゥーサーの石井ふく子さんの『身の丈のしあわせ』のサブタイトル『若い人との付き合い方』でえなりかずきさんの事が最初に書いてありました。【『渡る世間は鬼ばかり』の第1シリーズ(1990年)ではまだ5歳だった彼が今では35歳。驚かされたのは、えなり君が思春期を迎えた時でした。彼の声が突然、それまでと違っていることに私は驚いてしまったのです。「これは大変」と、とても慌ててしまい、えなり君のお母さんに「すぐにお医者さんに診てもらいましょう」と伝えました。するとお母さんが「これは声変わりなんです・・・」となんだか照れ臭そうに答えていらっしゃいました。そうかと安心する一方で、大仰にした自分が恥ずかしくなりました。

しばらくした後、こんな事もありました。収録前、化粧室で誰かがヒゲを剃っていました。えなり君でした。「えーっ!」声変わりと同じく当たり前のことなのに、「あのえなり君がヒゲを剃るようになるとはねえ・・・」びっくりしました。】このエピソードでは、子どもの成長に驚いて『新たな成長』を楽しんでみえるようで役者さんの成長が自分の喜びのような感性の持ち主なのだと思いました。

次は今をときめく坂上忍さんのエピソードです。【今は歯に衣着せぬトークが評判ですが、なぜか私の顔を見ると、ちょっと怖がります。たぶん、忍君が子役のころ、彼の利き手について、私がうるさいぐらいに指導したからでしょうね。忍君は左利き。私生活はそれでいいんですけど、古い時代設定のドラマだと困りました。昔はみんな右手でご飯を食べていましたから。だから「収録中は右手で食べるのよ」と繰り返し言いましたが、それでも左手で食べるので、厳しく叱ったことがありました。

当時の役者さんにとって。左利きは大きなハンデになったからです。今でも忍君は左利きですが、私と一緒に食事をする時には気を遣っていたらしく、一生懸命右手で食べていました。私に言われたことを守っていると訴えているつもりでしょうか。もっとも、私がちょっと横を向くと、左手で食べている。何だか微笑ましいです。】のエピソードには小さい頃の恩師にはどんなに偉くなっても敬意を持って接し、恩師の側はそれを温かく見守ると言うのは学ぶべき事だと思いました。次は『【ここ数年で知り合い、心通じ合った若い役者さんもいます。その一人が宮崎あおいさん。

2年前に『あにいもうと』にでていただいてからのお付き合いです。以前から「心のこもったお芝居をする魅力的な女優さんだなぁ」と思っていました。驚いたのは出演してくれることが決まった後のこと、宮崎さんは大型トラックの運転手という設定の役だったのですが、「収録前に大型免許を取ります。代役は要りません」と言うのです。私が「万が一のことがあったら大変ですから、運転シーンは代役を立てましょう」と提案したのですが、それを固辞されました。こんな女優さん、まずいませんよ。一途に役に取り組む凄い方だと思いました。(中略)コロナ禍で、若者と年配の人々の間に溝が生まれているという報道がありました。なんて悲しいことでしょう。私は93歳になりながら、若い方と仕事ができるのは、プロデューサーという仕事の特権の一つだと思っています。

若い方とうまく付き合うコツは、いくら年が離れていようが、子供扱いしないことでしょうね。私は宮崎さんの仕事に取り組む姿勢に胸を打たれ、たくさんのことを教えてもらいました。自分より若い方からも、学ぶことはたくさんある。そう思って接すれば、自然なお付き合いができるようになりますよ。】石井ふく子さんは93歳にして若い方からも学ぶべきものは学ぶべきとの考え方は素晴らしいし私も「今時の若い奴は困ったものだ。」ではなくて、「常に学ぶ姿勢を大切にする」でのスタンスこそ心掛けなければと改めて教えて頂いた気分です。そうするとどこからともなく、「いつまでお山の大将をしとるの」との言葉がなり響きそうですが私は人間が出来てないので「まだまだ若い者には負けん」と頑張っているのが良いのか悪いのか。リピーターの皆さん私は『不惑』など遥か昔に過ぎたのに・・・。困ったものです。

 

新規事業の地元の方との話し合いが行われました

午後1時に現地集合で行われる事になっていたのですが施設にいても落ち着かないし地元の方や垂井町の職員の方より遅く行くのは失礼に当たると早くに出掛けました。それだけでは安心出来ず昼食はゲンキーでパンとおにぎりとお茶を購入して、車で現地に行く前に車の待機所で食べてから現地の手前の空き地に駐車して歩いて行きました。現地にも駐車スペースはあるのですが多くの方が車で来て下さり地元の方や垂井町の職員さんの車が停まらない状況は避けたいと考えたからです。

現地に行くと地元の方や役場の職員の方はみえてなくて(当然ですよ。12時15分に着いたのですから)予定された敷地の中の確認をしながら行ったり来たりしていると、副町長さんを始め多くの職員の方が歩いて来られるのがわかったのでご挨拶をしていると順次地元の方が来て下さりました。

地元の方から一つひとつ要望を聞きケースバイケースで垂井町さんが答えられるところは垂井町の担当者の方に答えて頂き、法人側が答えるべき事は理事長として私が答えさせて貰いました。

その中で敷地に入る道路は一本でなくて二本あると良いとのお話があったので私は「私も二本あった方が施設にとっても、地域の方が色々な形で通って頂くにも便利ですがその為には土地の提供を地主さんにしていただかなければいけない」と話すると本日参加して下さった方の中に土地の所有者の方がみえて、「提供しても良い。」との言質を頂いたので明日以降速やかに話を進めていきたいと考えています。

実際に地元の方と現地で話をしていると前向きな話を沢山頂き、尚且つ、施設が出来てからの展開に色々な期待を持たれている事を理解できたのは大変有意義でした。昔の『案ずるより産むが易し』の格言通りの結果でした。勿論大きなプロジェクトはスタートしたばかりですが幸先の良いものになりました。

全てが終了して副町長さんや自治会長さんに挨拶をして再び車に乗って、ホッとしたのか昼食の為に購入したおにぎりが残っていたのを運転をしながらムシャムシャと食べてしまいました。その後施設に戻りまたまたホッとしたのかどっと疲れを覚えたので早い時間に帰らせて貰い、昨日誕生プレゼントに幹部職員から貰ったカラオケセットでリラックスしようと開けてみました。

我が家のテレビに差し込んで歌おうとしたのですが、我が家のテレビは2006年の購入で15年も前のだからか差し込みが合わなくてカラオケを挫折し、今はコラムを打っているのですが、我が家のテレビはまだまだ新しいと思っていたのに既に古いものとは・・・。

せっかく贈ってくれたカラオケセットだからこれはテレビを買って楽しまなければ。リピーターの皆さん我が家でのカラオケが上手く行ったらカラオケのコラムも乞うご期待と言うことで。

本日は67歳の誕生日です

令和2年5月16日

67歳の誕生日の朝の目覚めは早く、ふと「昨年の66歳の誕生日はどんな一日だったかな」とガラケーの携帯での記録を見たら載っていました。(と言う事は私のコラムは日記のようなものかも。小さい頃は全く日記など書けなかった私なのに・・・。)その内容では、昨年は全国老施協東海北陸ブロック正副会長会議の為に福井県に出掛けているのですが、出掛ける前に本部施設に行くと事務所の私の机の後ろに大きく『若山理事長66歳誕生日おめでとうございます』のような掲示があり、デイサービスの北島部長が代表で高級革の鞄を手渡された事を克明に思い出しました。そして改めて人間には、ちょっとしたきっかけで過去の思い出を思い出す能力を持っていることを改めて理解しました。だから、昨年の今日書いたコラム以上の事を思い出す事が出来ました。それは、東海北陸ブロック正副会長会議の懇親会の時にサプライズとして、誕生日ケーキが準備してあった事を。今年の誕生日は長男家族と共に我が家でホームパーティ型式で開催して貰うので、これはこれで嬉しく思ってます。

本日午前10時から垂井町の新規事業である盲養護老人ホーム並びに養護老人ホーム建設の為旧町営住宅地の解体及び造成の為に指名業者への仕様書渡しと説明を行ったのですがそれぞれの業者の一生懸命な質問に「どの業者になっても安心だ。」と正直に思いました。

説明会が全て終了して、昼食を摂っていると五次部長が「少し時間を下さい」と言うので「不思議なことを言うな」と思いつつ事務所に行くと幹部職員が揃っていて、大きな花束とプレゼントを渡してくれました。「本部施設の幹部職員は毎年気を使ってくれて感謝だな」と思いつつ、プレゼントの中味を確かめるとテレビを活用してのカラオケセット。「めっちゃ嬉しいけど、家でも歌えと言うことか。しかしながら、毎年毎年私が喜ぶものを考えて贈ってくれて本当にありがたい。」と思いました。

IMG_0908 IMG_0910

その後、垂井町地域包括からの依頼でご縁を頂いた方の手続きに同席をして、14時を回ったので慌てて新館2階でオファーがあったカラオケに行くと、いきなり入居者さんが『ハッピバースデー』の歌を一斉に歌って下さり先ずは感謝です。本日のカラオケは事前に選曲をして携帯に入れておいたのでスムーズに歌える状況で、選曲は本邦初公開で『銭方平次』『花の首飾り』等も織り混ぜて10曲を歌いました。

CIMG3878 CIMG3872 IMG_0842 CIMG3880

夕食は我が家で私の誕生会ですが久々に冷酒をしたたかに孫翔(かける)のお酌で飲んで楽しんで明日からもガンガン頑張りますのでリピーターの皆さん、私の67歳での動きも宜しくお願いします。(これでコラムを終了しようとしたら宅急便で埼玉県の法人理事長さんと常務理事さんから立派な花を送って貰ったので写真でおすそわけをします。)

IMG_0918 IMG_0921

 

新型コロナウイルスの影響での生活の変化

令和2年5月15日

岐阜県に於いても『緊急事態』が解除されましたが、全面的に元通りの生活に戻ったわけではないのですが、緊急事態解除のタイミングで、新型コロナウイルスの影響で生活スタイルがどのように変わったかについて述べる事にします。

先ずは施設での対応についてですが、新型コロナウイルスが話題に上り危機感を持ってからは、『コミュニケーションはしっかりと目を見て相手の表情の変化も見逃さない対応を』『家族の方の協力をしっかりして貰えるような企画と情報提供を』『ボランティア活動の積極的な導入をしてボランティアの方々にも来て良かったと思って貰える対応を』『地域の方々が施設に来て頂ける企画の実践と広報活動を』『施設側が地域に出て行き施設側のノウハウを活用して貰える実践を』等と言っている事については、殆ど真逆な対応になっている現状の中、入居者さん、利用者さんが施設内での活動で元気になって貰える展開に心掛けています。

明日からは天気が悪いとの予報もありますが、基本的には天候に恵まれた事により積極的な散歩や(本部施設がある関ケ原町今須上の谷(カミノタニ)地区は緑が一杯で5000坪のゆったりとした環境です。)寸胴に大きな釜や鍋を活用して(地元の方から今は使わなくなったのでと提供して頂いたもの)タケノコの味噌汁(200食分)やタケノコご飯(3升)や山菜ごはん(5升)を作り、薪をくべていて(この言葉は方言かも)周りに来て貰った入居者さんや利用者さんに「火はぬくたいよ」(これも方言かも)「ほんとや」(これも方言かも)などとわいわいとしています。

私が頂いている公職は(沢山ありますが)殆どが書面議決になっていますが、全国老人福祉施設協議会の会議についてはウェブ会議を導入し、岐阜県老人福祉施設協議会の正副委員長会議は広い場所での会議とウェブ会議の導入と、会員総会については書面議決でのものにしてます。今まではウェブ会議など全く考えていませんでしたが、回数を増やしても経費の節約になる手法も導入すべきだと言う事は実際に実施して分かりました。そして、私自身の生活もかなり変わってきました。先程も書いたように出張がなくなった分施設に殆どいる生活の中、先般のコラムで書かして頂いたように施設の奥の今は砂防工事をして頂いているところから馬頭観音さんまで歩いて行き清々しい思いも味わっています。また、私の生活範囲も施設と家の往復(片道4キロ)と必要に応じて西は滋賀県に入って直ぐの『ローソン』までと、東は関ケ原町の東の方にある『ゲンキー』まで行く生活でしたが、最近は新規事業の関係で垂井町役場や岐阜県庁までは行くようになってます。

家での生活にも異変があります。それは、常日頃「外でのお付き合いが多くあり、家での晩酌は一切してません。」と言っていたのですが2か月近く飲まない生活が続き、新型コロナウイルスに対する苛立ちもあり、無性に熱燗の日本酒が飲みたくなり、施設の帰りにローソンで300ミリリットルのお酒を買い「晩酌はしない」の不文律を破ってしまいました。また、明日16日は私の誕生日で(リピーターの皆さんはお祝い等心配して頂かなくて大丈夫ですよ・・・。)本来ならば長男家族と共に外食をするのですが(ちなみに私の誕生日でも私が支払いをするシステムです。)テイクアウトで料亭『助六』のお弁当を頼みましたので家で誕生会をします。

まだまだ多くの変化があるのでしょうが、最も大きな事は目に見えない新型コロナウイルスに対して入居者さん、利用者さんの健康な生活を守る事にピリピリしながらの体制は厳しいものがあります。しかしながら人類の戦いはウイルスとの戦いです。必ずや知力を結集して解決して今までの生活を取り戻したいと願っています。

 

頭がグルグルの中で

令和2年5月14日

昨日朝一で大垣共立銀行での入金が終了して垂井町からの土地売買に伴う契約が正式に締結したのを受け、町営住宅の解体撤去と造成工事の打ち合わせを受けて、本日は杉和会の理事・監事の方に指名業者の書面議決の署名捺印を頂く為に各家を訪問して内容の説明をして今後の流れについても話をさせて頂き、途中で関ケ原と垂井の郵便局で土地取得に伴う収入印紙を2つの郵便局で861200円分購入しました。(2つの郵便局になったのは1つの郵便局では対応仕切れない額だったからです。もし、2つの郵便局で駄目であれば大垣にある法務局まで行く事になったのですが)

最終的には垂井町総務課に収入印紙を届けて急ぎ施設に戻ると新規事業の室長が来ていたので、改めて入札指名業者への資料の打ち合わせを済ませると12時30分を回っていて、13時からは地元企業で生ごみ処理機の販売をしている営業の方との打ち合わせがあり、昼食を急ぎ頂いていると、10分前に来て頂いたので息つく間も無く会議室に行き打ち合わせをして、13時30分には岐阜県庁に向けて車を走らせました。

新型コロナウイルスの影響でしょうか。いつもは満車状態で駐車スペースを探すのに苦労するのですが、本日は入り口付近にも沢山の空スペースがあり、『不要不急』の影響はこんなところにも出ているんだと感心しながら10階にある高齢福祉課に向かいました。順調に走れたので15分早く着いたのですが高齢福祉課長さんは気安く会って下さり、改めて新規事業に対する土地取得が出来たので、視覚障害者協会の方々の期待も大きいので頑張って進めて行く事を話すると共に、週明けには垂井町長さんと共に健康福祉部長さんにお会い出来る日時の調整をお願いしました。その他にも、新型コロナウイルスの影響で技能実習生や留学生等が日本に来る事が出来ない現状や外国人材に対する岐阜県の補助金による対応に遅れが出ている事についても話をさせて貰いました。

明日の午前中には解体工事と造成工事の指名通知を送信するので、先ずは出来るだけ安価にしっかりとした請負をして貰えるようにとわくわくしながらも身が引き締まる思いでいます。ここまでの内容を見てリピーターの皆さんは「てきぱきとこなして素晴らしい。」と思われたかも知れません。でも、実態は急ぐがあまりロスをしている事が沢山あるのです。例えば、書類作成の確認がしっかり出来ていなくて、何度も書き直したり、最たるものが関ケ原郵便局で収入印紙を買う為に車を停めてから「大垣共立銀行でお金を下ろすのを忘れていた。」とUターンをして大垣共立銀行でお金を下ろすと言う体たらく。自分に腹が立つ所ですが、いまは腹を立ててる暇も無いのです。でも、前向きに進んでいるので『ゼッコウチョウ』と言う事で・・・。

 

朝の冷気は気持ちがいい

令和2年5月13日

本日は午後1時30分から全国老人福祉施設協議会総務・組織委員会のウェブ会議が開催されるのですが、事前資料が昨日の15時17分に送信されてきたのですが、その時間からはバタバタしていて結局昨日の内に目を通す事が出来なかったので、朝6時に施設に行き書類の確認をする事にしました。家を出る時に天気が良くて、朝日にまぶしく照らされた空を見上げると朝の冷気が本当に気持ちよく、朝早くから仕事が出来る幸せを感じました。施設の事務所でも窓を一杯に開けて仕事をしていても全く気持ちがいいので資料の確認も効率良く出来ました。(学生時代は予習復習などした事がない私ですが今は違うのです。与えられた使命は120パーセントでするのです。)

8時過ぎに一旦家に帰り朝食を頂き、スーツに着替えて8時55分に銀行前の駐車場に着き、垂井町からの土地売買に伴う振り込み手続きをいの一番に行いました。と言うのも、昨日の土地売買契約書に入金確認により売買契約が成立するとの一項があったので、1分でも早く成立させたいとの思いからの行動でした。振り込みを終えて垂井町健康福祉課長さんにその旨を携帯にて伝え「ほっと」肩の荷が下りた気分になりました。直ぐに施設に戻ると9時30分に打ち合わせの為に呼んでおいた新規事業の室長が来ていたので、早速、解体撤去及び造成工事の入札に伴う打ち合わせをしました。

このような打ち合わせが出来る幸せを感じながらのものになりました。10時30分からは垂井町包括事案の事で高齢福祉課の係長さんと担当者の方がおみえになる事は知っていたのですが、課長さん自ら来て頂けた事に恐縮しながらも地域貢献が出来た事にも喜びを感じています。何故ならば、私の持論なのですが西暦2000年4月から介護保険法が導入されて『福祉的見地』がなくなったように考えられている方が多くみえるのですが、けっしてそうではなくて老人福祉法は脈々と生きていて最後のセーフティーネットの機能はあるのです。もしその機能が無くなってしまったのであれば、社会福祉法人の存在意義が無くなってしまうと考えています。

最も今回の新規事業である盲養護老人ホーム・養護老人ホームの建設は福祉の根幹として関わっていかなければいけないとの強い思いもあっての事です。午後1時30分からの全国老人福祉施設協議会総務・組織委員会のウェブ会議を終えてから16時30分に垂井町長との打ち合わせをさせて頂く事になっているので、ほっとする時間はありませんが、新型コロナウイルスの影響で職を失ったり、営業が出来ない方が沢山お見えになる状況の中では「何を贅沢言ってるの。もうすぐ67歳になるのに忙しく役割があり、しかも自分が選んだ仕事で動き回れる事を幸せに思いなさい。」との天の声が聞こえてきそうです。リピーターの皆さん、こんな幸せ者の私をこれからも宜しくお願い致します。

 

新規事業が本格的に動き出しました

令和2年5月12日

昨日18時から垂井町舎の大会議室(新型コロナウイルスへの配慮)で、新規事業予定地の自治会役員の皆さんと垂井町長さん、副町長さんを初め、総務課長さん、建設課長さん、健康福祉課長さんを初めとした町職員さんと当法人から理事長である私を含めた理事5人と測量会社と設計会社の方にも同席して貰い説明会を開いて頂きました。

説明会が始まる前に新しく自治会の役員になられた方に名刺交換をさせて貰い、健康福祉課長さんに進行をして頂き、その中で「自治会長さんから、ざっくばらんな話し合いの中で忌憚のない話し合いにしていきたいと言われていますので」とのお話の後、先ずは早野町長さんからのご挨拶を頂き、引き続いて杉和会理事長としての『熱い思いを語って下さい。』と健康福祉課長さんに事前に言われていたので、法人立ち上げ時の話から地域に密着した展開をしてきた事、盲養護老人ホーム建設の必要性について熱く語らせて頂きました。

その後は、自治会長さんを初めとした役員さんからの質問や要望をお聞きして、時には垂井町さんの立場で解答して頂いたり、私が施設設置者の責任者としてお答えして、和気あいあいの時間の中で、最後に自治会長さんから「土地売買の契約は結んで頂いて構いませんが、垂井町が仲立ちをして地元の話を聞いて貰いたい。」との話の後、閉会の挨拶を副町長さんにして頂きました。会の終了後に地元の役員さんの所へお礼のご挨拶に行くと「自治会長さんから施設が出来て良かったとみんなが納得出来るものにして下さい。」と言われて、改めて身が引き締まる思いになりました。

そして翌日である本日は、垂井町との売買契約書にも印鑑を押し、明日朝一で売買に伴う入金を銀行で済ませて、改めて垂井町長さんにご挨拶に行こうと考えています。この売買契約が済むまでは、次への展開が見えてこなかったのですが、本日は解体と造成の指名業者の段取りと今後の展開について検討しました。今は『ゼロから大きな建物を造る』心躍る時期だとは思いますが、これからも確実な展開をしなければと身を引き締めています。特に盲養護老人ホーム建設は、岐阜県にはまだないもの(全国に岐阜県を入れて4県のみが無い施設)を造るわくわく感は時に凄いプレッシャーになります。

私がこの計画を強く望んだ出来事として、岐阜県内の方が盲養護老人ホームに入所を希望されたのですが岐阜県には施設がないと言う事で他県の施設を探されたところ、直ぐに入所出来る施設が千葉県にしかなく、結局千葉県での入所になったそうですが、家族等の方が面会に行くにはお金も時間もかかると言う事で、岐阜県内の法人としての地域貢献の上でも意義深いものと考えての決断でした。現状では、措置施設の経営は厳しいものがある事は充分認識していますが、二つの特養を母体としている法人としてしっかりとした舵取りをして頑張って行きたいと考えています。リピーターの皆さん、私はこんな生き方しか出来ないのですが、今後ともよろしくお願いいたします。

1 2 3 4