2020年04月の記事一覧

新型コロナで面白い記事を見つけました

令和2年4月30日

それは、『週刊現代5月2・9日号』の『1918年、世界が震撼したパンデミック、スペイン風邪』の1コーナーに『歴史の逆襲と新型コロナへの教訓』の記事です。【スペイン風邪からちょうど約1世紀を経て、世界中に新型コロナウイルスが到来した。いまの日本の状況は、100年前の世相に通じるところが多々ある。例えば、1919年に愛媛県が作成した「予防心得」5点セットは、病人の隔離、人混み回避、マスクの着用、うがいの励行、子どもと老人の注意だった。これに手荒い励行を加えれば、現在の新型コロナウイルス対策と、ほとんど変わらない。アメリカでは、電車に乗車する際、マスクの着用を義務付けた。マスクの価格高騰と不足も、100年前に問題になっていた。『神戸新聞』(1920年1月23日付)は「団体的に安いマスクを造れ」と呼び掛けている。当時の政府は、全国の警察官に腐心していた。だが、「アベノマスク」のような各家庭への配布は行わなかった。そのため民間のオフィスや工場では、各人が用意して「マスク出勤」する姿が見られた。当時も医療崩壊や院内感染が、全国各地で起こった。同時に、患者が急増したことで、病院の増築も急ピッチで行われた。(中略)温泉地などの観光産業は、現在と同様、軒並み閑古鳥が鳴いた。街の銭湯からも人が消えた。ウイルスの進化ほどに、人間は進化していないということかもしれない。】この記事から私なりのコメントをします。先ずは「予防心得」は100年前に言われた事が、現代にも通じると言う事は私の口癖「基本に忠実」に通じていると思いますし、新型コロナの恐怖によって基本に忠実が徹底した為か、風邪をひいたりインフルエンザになる人が減ったようにも思いました。マスクの高騰も同じような現象ですが、時代を感じるのはマスク不足に便乗したのが色々出てきているのには世相を感じています。それから一番懸念をしたのはスペイン風邪が流行った年が1919年と言う事です。私は取り合えず中学と高校の社会科の教員資格を持っていますので、100年前がどんなだったかわかりますよ。路面電車と馬車が通りを走り、自動車やバイクはどこにも走っていなかったでしょうし、服装は洋服の方も和服だったりの時代ですよ。でも、100年前も今も新型のウイルスに対する恐怖は変わらない。もっともっと医療、科学が進化して新型ウイルスが発症した時には額に『新型ウイルス』と出てくる時代が・・・。そんな事はありえへーん。「おそまつ」

馬頭観音まで健康的に歩きました。

令和2年4月29日

昼食を済ませてから、施設の奥に大きな砂防ダムが出来る為の工事の進捗状況を見に行くと共に、久しぶりに(多分15年ぶり)県境に設置されている馬頭観音まで爽やかな気候に誘われて歩いてみました。途中までは砂防工事の為の道路が綺麗に出来ていて、「随分様変わりしたな。」と思いながら歩いて行き、工事をしている所の奥に進んで行くと途端に険しい道になり、15年前には軽トラックだったら上って行けた道がとても通れる状況になく、私は金剛杖をつきながら何とか目的地である『馬頭観音』(写真①)に辿り着き般若心経を1巻唱えもう少し行くと滋賀県との境だと思われる所を見つけました。(写真②、③)(※③には『これより東不破郡今須』と書いてありました。)

① ②

③

帰りは、別ルートで帰る事にすると比較的整備された道を歩く事が出来たので写真を撮りながら歩いて行きました。大きな立派な木には持ち主が分る様に印が書いてありました。(写真④)

④

どんどん進みながら思ったのは、枝打ちがしてあるので木々の間に光も入るので木の成長も早いし真っすぐに育っていることがわかりました。(写真⑤、⑥、⑦)

⑤ ⑥ ⑦

あまりに大きくて立派な木があったので思わず抱きかかえようとしたのですが太刀打ち出来ませんでした。(写真⑧)

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川のほとりで久しぶりに見つけました。(写真⑨)

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これが何なのかリピーターの皆さんはお分かりですか。『ふき』と違いますよ。『わさび』ですよ。15年前はこの谷に一杯自生していて、施設の敷地の中にも『わさび田』を作っていたのですが、水の管理が難しくて挫折したのですが「ここにはまだあった」と感動しました。次に見つけたのは『タケノコ』(写真⑩)です。

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竹藪の中には一杯にょきにょきと土から出ていましたが、民家から直ぐの所でしたが、「珍しくも無いので採る事をされないのかな」と変に感動してしまいました。山道を下り終えて民家がある町道に出ると天気も良くてスカッと伊吹山が見えました。(写真⑪)

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田圃には水が引かれ田植えのスタンバイが出来ているのがわかりました。(写真⑫)

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そして1時間以上かけての散歩なのかハイキングなのかはともかく施設に戻り施設の玄関先が賑やかなので上を見上げると『ツバメ』が巣を作っていて「忘れずに帰ってきたね」と声を掛けました。(写真⑬)

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新型コロナウイルスの影響で外出する機会は全くと言って良い位に減りましたが、天気に恵まれ入居者さんも落ち着いている状況での有意義な時間が持てて心豊かになったように思いました。そして改めて本体施設がある環境の良さに幸福感を味わう事が出来ました。リピーターの皆さん。健康の為とリフレッシュ感を味わう為に出来るだけこのような時間を持ちたいと今は考えているのですが、果たして・・・・・。

            

 

 

いわゆるゴールデンウィークは好天の行楽日和なのに

令和2年4月28日

朝、6時代の天気予報の週間予報では、ほとんどが晴れマーク。にも係わらず新型コロナウイルスの影響で『自粛』で基本的に外出できない。稼ぎどころの観光地では悔しい思いをされている事と思うし、子どもたちと家族で出掛けたいと考えられていた方にとっては残念な話だし、それどころか家にいなければいけない状況に『うんざり』なのではないでしょうか。

天気予報の後のニュースで旦那さんのお小遣いが大幅にダウンしているとの話題に改めて家族の中で父親は『一番の弱者なのか』と思ってしまいました。私自身は公的な会議は基本的に文書による決済もしくはウェブ上の会議のみ。(3月18日に東京出張してからは行ってません。)

昨夜は本部施設で19時から全体会があったのですが、いつものように会議室ではなくて、地域交流スペース内のホールに間隔を開けて椅子のみを置き、30分のみの会議としました。敢えて会議を開催したのは改めて緊張感を持っての対応に理解して貰う為のものと考えたからです。文書をメールボックスに入れたり、パソコン上だけでは真意が伝わらないし徹底しないとの思いからです。

予定通り19時30分に終了し、本日サプライズで、職員全員の理解を得て法人顧問の烏野先生の学部長就任のお祝いの万年筆(新元号令和記念の品)の贈呈をして、烏野先生には益々頑張って頂くように話をして、大変喜んで頂けました。

ところで、新型コロナウイルスの影響で『予定は未定で決定ではない』が色々な形で現れているのですが、例えば、3月末にはベトナムから3人の留学生とインドネシアから2人のインターンシップが本部施設への仲間入りが決まっていたのですが、叶わすで未だ日本に来る予定が立たず、逆に3年が経過したインドネシアからの介護福祉士候補生は6月に1ヶ月間里帰りする予定が叶わず一旦帰国をキャンセルする事になっているし。

本日、特定技能の食品関係で三重県に来ていたインドネシアの女性が新型コロナウイルスで職を失い困っているとの事で、彼女は日本語検定3級を取得し、職をなくして改めて介護の試験を受けて合格したと言う事で、本部施設には敷地内にアパートもある事が有利に働き、本日面接の予定をしていたのですが、健康診断の予約を優先させて本日の面接は出来なかったのですか、近い内には来てくれるものと思っています。

新型コロナウイルスが終息を迎えるまでは本当に予定が立たないし、準備に時間を要するものは早々に中止や延期を決めなければいけないので、事実、全国老施協の全国大会山形大会の中止の通知が来た次第です。一番の懸念は延期されたものがタイトな日程で組まれる事です。

しかしながら、そんな心配をするより早く新型コロナウイルスが終息して、通常の生活を送れるようにリピーターの皆さんと一緒に祈りたいですので宜しくお願い致します。

『半沢直樹」を久しぶりに見ました

令和2年4月27日

昨日は、午前零時10分からの対応だったので、新館の1階、2階のお参りの後のカラオケでの熱唱?で力尽き15時30分に帰らせて貰い、その時間から寝てしまうと、本格的に寝ようとした時に眠れなくなったり、昼夜逆転の様になってしまってはいけないので「頑張って起きてる為にどうしたらいいのかな」と考えている時に「そう言えば、半沢直樹の続編が近日公開って言ってたな。」と言うことで、何年か前の誕生プレゼントで貰ったDVDを見る事にしました。

流石に半沢直樹です。眠いはずの私の目がパッチリと開いて躍動感を持って見る事が出来ました。そして改めて思ったのは、半沢直樹自身が窮地に陥った時に奥さんである『花』(上戸彩)が支えになったり、部下が助けてくれたり、一生懸命の中で協力者が現れたり、同期入社の友達や大学時代の同窓生が助けてくれたりと綱渡りのような形で進んでも、最終的には目的を達成するストーリーを見ながらつくづく実感したのは、「私の生き様も同じような気がする。」と言う事は私の生き様は、テレビやコミックの様にあり得ない生き方なのかと思っています。そう言う意味では私の生き様は稀有なものだと言えるので、「今ある事に感謝しなければいけない。」と思っています。

ところで、金融庁検査で天敵愛之助との戦いも勝利した半沢直樹が出世街道まっしぐらかと思ったら頭取(北大路欣也)からの出向の辞令がなされたところで終了しているので、『100倍返し』の次の展開を早くみたいと思うと同時に「大変な思いをして手に入れた展開こそ充実感がある。」とも思いました。と言う事は、今、新規事業で足ふみしている状況は『試練』だと思えば勇気が湧いてくると言うものです。そんな事を考えていると砂田おさむさんの『人生夢の途中駅』の歌が浮かんできました。『夢中でかけた時代もあった、振り向けば、雨や嵐の試練の道も・・・』いやいや、私の生き方は、演歌でありドラマですか。いやいや。まだまだ山あり谷ありのしんどい人生が待っていると思うのですが、『一生懸命に無駄なし』でこれからも頑張りますのでリピーターの皆さん、これからも応援よろしくお願いします。

 【追記】

いつまで経っても私の火の番役は続きますが、イノシシのサルも採ろうとすることもないようなタケノコの子ども?を職員が採ってきました。あまりに素晴らしく小さくてそれでいて一人前の形をしていたので思わず写真に撮りました。

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昨日はビックリしたし、改めて凄いと思った事と本日テンションが上がった事

令和2年4月26日

ビックリしたし、改めて凄いと思った人物は私をそして、施設を20有余年支えて下さっている今は優・悠・邑家族会会長の吉田儀一さんの事です。今はタケノコの話題で持ちきりの時期なのですが、一昨日3回目のタケノコを湯がいている時に薪が少なくなってきたので、火の番をしている時に携帯で(ちなみに私の携帯はガラケーですが)吉田儀一さんに「材木の端木で言いのであれば頂きに行きたいのですが」と言うと「一杯あるのでその内に持って行くは」と言われ、正に翌日である昨日16時前にユニックに木材を積んだ車が施設の玄関先に停まったのです。

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私は木の端とイメージしていたので、まさかその材木がいわゆる『木端』だとは考えられず、玄関先に行くとユニック付ダンプに載っている材木が依頼をした『木端』だとの事で思わす絶句。吉田儀一さんのような建築にかかわる業界での『木端』のレベルの差に改めて絶句です。材木(私的にはこの呼び方の方がしっくりいきます)をユニックを操作してみえる吉田儀一さんを見ていて、改めて『口八丁手八丁』の方だと思いました。作業を見ていて、材木を完全に下まで降ろさず浮いた状態でいわゆる宙ぶらりんの状態で操作を一旦止められたので不思議に思っていると、荷台からチェンソを持ち出し、「適当な長さに切ってないと大変やろ」と行って大きな束を手際よく切って下さるのを、私は感心しながら見ているばかりでした。

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本日は月一の家族会主催の誕生会なのですが、昨日お世話になった家族会会長の吉田儀一さんが都合が悪いとの事で、代理で私がプレゼントを今月誕生日の方に渡す事になったのですが、本館2階で一人の男性にお渡しするととても喜んで頂き、その勢いで新館1階に行くと3人の女性の方が対象者で99歳、97歳、95歳と、90歳代トリオで「皆さん長寿で長生きだな」と思いながら、新館2階に行くと本日のおおとりの100歳の方がみえて、「100才の誕生日おめでとうございます。」と言ってプレゼントをお渡しするとベット上ではありましたが「ぎょうさん生きた。」と嬉しそうにされたので、わたしも嬉しくなりました。

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その後、新館2階のお参りで皆さんが待ってみえるところでもい一人誕生日の方がみえたのでプレゼントをお渡ししようとして、つくづく思いました。それは、誕生日の方が81歳になる女性の方だったのですが、100歳の方の後だった事もあり、めっちゃ若く感じました。と言う事は80歳そこそこはまだまだ若いと言う事か。つまり、『50、60はな垂れ小僧』いやいや『70、80はな垂れ小僧』かと思いました。

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誕生会の後新館1階2階それぞれでお経を腹のそこから唱え、お経の後1曲づつカラオケで歌も披露しました。ちなみに曲目はジェリー藤尾さんの『遠くへ行きたい』と杉良太郎さんの『すきま風』です。リピーターの皆さんも一度熱唱している私を見にいやいや聞きに来て下さい。但し、新型コロナウイルスが終息してから。

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本日は午前零時10分に宿直者の吉田部長から看取りの連絡を貰ってからの対応にくたくたになりながらも入居者さんに元気を貰いました。だから頑張れる。ありがたい事です。

 

同志の匂いがする文章を見つけました

令和2年4月25日

新型コロナウイルスの影響でことごとく会議や研修が中止もしくは延期になって『不要不急』の中で、逆転の発想(そんな大袈裟な事ではないのですが)精力的に資料の整理をしている時に福岡県久留米市にある『オスカー社会保険労務士法人』から親展できている封筒を見つけ開封すると事務所便りが入っていて、その鏡文の中に『当たり前』と言うタイトルの文章があり、読んでいくに連れ興味が沸いて来たのでこのコーナーで紹介します。(勝手に添削しましたので、お詫びの手紙と共にパンフレット等を同封して送り、出来ればこれからも交流が出来ればと思っています。)

【社労士になったばかりの頃、トヨタの工場見学に行く機会があった。その時、動線やら、きびきびした作業態度やら、細かい管理方法やら、別の業界の私が見ても得るものが多いと感激していた時、一緒に回っていた、多分業界関連の下請けの社長様も、兎に角素晴らしい。●●はどうしていますか?△は?と、矢継ぎ早に質問されていました。そして、質問に答える社員さんが何度も「当たり前の事ですので」と言われていた。その時私は、心をわしづかみされた。かっこいい!決してその方がイケメンだったというわけではない。()この「当たり前」と言うフレーズに一瞬で恋に落ちた。「当たり前」と言う意識してすることではなく、無意識にすることの凄さよー。人生観が変わった言葉であった。

それから、何十年たっただろうか。私は密かに、自分の当たり前の水準を上げていく事を目標としてきた。人一倍、自分に甘い私の性格が災いして、なかなか、成果が表れないのが玉に瑕なのですが()。ただ、気が付いたことは、そこまでしなくていいのでは?と思っても、そこまでやってみよう。と言う位の話しなのですが。これが結構、力も時間も使うことになるので、自分で気が付かないふりをしたい時もあります。しかし、自分の当たり前を向上させていきたい。自分の当たり前の角度を変えていきたい。そして、常に自分の当たり前に疑問を持っていきたいと言う欲求の方が、少しだけ上回る自分でいたいと思っております。・・・(以下略)】

私は添削しながら、「うんうん」と頷きながらも、私が常に言っている『有言実行』の言葉と相通じるものがあるのではないかと思っています。私の場合はそんな時に「何もそんなにしんどい思いをしてまで、火中の栗を拾うような事をしなくても」とか「人が良すぎます」とか「理事長さんなのにまめですね。」とか言われるのですが、そんな時は「私がやらずに誰がやるの」と答えてがむしゃらに形にしていく。多分この文章を書かれた方も同じような生き方なんだろうなと思ったのでコラムにして紹介したのです。

私の青春時代には『シラケ時代』等と揶揄された時代に『無駄』と言われる事も一杯してきて今がある。でも、今考えてみると決して無駄な事はなかったなと思えるようになってきました。これからも姉光子の干支の猪ではありません(ちなみに私は巳年です。)『猪突猛進』で頑張りますのでリピーターの皆さんこれからも宜しくお願い致します。

 

発想の転換

令和2年4月24日

『発想の転換』の一つ目は、当法人のホームページの理事長コラムのコーナーで最近『禍を転じて福と為す』について書きましたが、最近の本部施設では、毎日の様に『タケノコ祭り』が行われています。いつもいつも『タケノコの味噌汁では芸が無い』と私は考えながら施設に行くと、水野相談員が「竹串に刺したタケノコを焼いて味噌をつけて食べて頂いたら喜んで貰えるのではないですか」との提案に思わず「その提案に乗った」と早速、味噌と砂糖とお酒を買って来て施設に戻ると既にコンロの準備が出来ていて炭火も真っ赤になっていると共に山椒とわらびを採りに行っているチームまで編成されていて、改めて当施設の職員の祭りが好きなのが多くいる事に感謝と呆れを覚えました。

喫茶の厨房では、昨日採ったふきとタケノコの煮炊きがされていて、玄関先ではタケノコを焼いて味噌の香ばしい匂いに釣られて入居者さんや利用者さんが見学に順次みえて(3密にならない配慮をしてます。)焼き立ての味噌が付いたのを「こんな食べ方は初めてだけど美味しい」と言われて大はしゃぎ。昼食にはふきとタケノコを炊いたのを提供して、明日は、本日採ってきたわらびとタケノコを提供する予定でいます。

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確かに新型コロナウイルスは目に見えない恐怖ですが、それに打ち勝つ『笑顔』も大切だと考えての展開です。2つ目の『発想の転換』は今朝の朝刊でタクシー業界が食べ物業界と組んで宅食を始めた。と言うものです。確かに「お客が来ない」と嘆くだけでは何も解決しないので、行政側が規制緩和をしていく中で色々な事を考えて急場を凌ぐ事は大切だと思います。

喫茶店の経営者が喫茶店でお客を待っていても来て貰えないのであれば、移動しながらパフェを売るとの発想も素晴らしいと思いました。ある意味今の新型コロナウイルスは戦争状態と言っても良いかも知れません。だったら、今の現状を打破するまで逞しく生きていく術を考えて実践していく事だと思います。間違っても「毎日パチンコに行っていたのだから自己責任でパチンコにいくのがどうしていけないのだ。」とか、海岸にどっと押し寄せることのないようにしたいものだと思うのですが。だって、よーく考えてみてください。

空から爆弾が投下されているような状況の中でパチンコに行ったり海岸で遊んでいますか。絶対にそんなことはあり得ませんよね。日本は良くも悪くも『平和』を謳歌している内に「何でも自分の思い通りになる。」と勘違いされてみえる方が存在しているのかと思います。但し、本当に極一部の方だとは思うのですが。リピーターの皆さんはどう考えられますか。

そう言えば今朝のテレビのニュースでも子育て中の母親がストレスから自分の幼い子どもを虐待死させてしまったとの報道をしてました。私は思うのです。何もかも自分の思う通りになるわけがない。人生山あり谷ありで、演歌の中にも『登坂、下り坂、まさかの坂…』う~ん。いつもの事ながらわけの分からないコラムになってしまい御免なさい。

 

 

猿よりも猪よりもタケノコ採りで勝つ伝説の職員がいたのです

ボランティア室で書類の整理をしていて、事務所に戻った時に事務所にいた職員の数が少なくなっていたので「どこに行ったの」と聞くと「北島部長と水野相談員がタケノコを掘りに行かれてます。」との答えが返ってきたので、私は「3日前に掘ったばかりだけどあれから雨が降ったのでそれなりに出ているのかも知れんな」と思いながら、事務所で収入支出調書の決済印を押していて、結構な時間が経過してから、二人が嬉々として帰って来て、たった今収穫してきたタケノコを見て思わず思いました。「この二人なら猿にも猪にも負ける事はないな」と。

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その後昼食を頂いている間に水野相談員が寸胴の準備をしてくれたので、今須農協にぬかを貰いに行き、帰って来てから先ずは一番大きなタケノコを持って記念写真を北島部長に撮って貰っていると、水野相談員がお塩とビール(お酒の代わりに)を持って来てくれたのでまたまた記念写真を撮って貰い、いよいよ寸胴に点灯式をしようと思ったら本館2階の入居者さんがギャラリーとしてみえたのですがまだ火が燃えてなくて寒い状態だったので少し慌てたのですが、水野相談員が釜戸の中の薪を上手くセットしておいてくれたので、着火剤を薪に擦り付けて火を点けると一発できれいに燃え上がり入居者さんに寒い思いをして貰う事なくわいわいがやがやと楽しんで貰え、デイサービスの利用者さんも含めたくさんの方に見に来て貰えました。

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当施設の職員は洒落とわくわく感がわかる職員がいてくれる事に改めて嬉しくなりました。記念写真は一番大きいタケノコでしたのですが、一番小さいのは猿も猪も含めて見向きもしないのではないかと言うくらい小さなタケノコでしたが、そんなものまで採ってくれて入居者さん利用者さんに喜んで貰いたいとの心意気に私は感謝と共に心暖まりました。話はがらりと変わり、当施設には、職員用のアパートが1Kで20部屋所有しているのですが、買い物に行くのも大変だと言う事でインドネシアの職員は名古屋から来る業者が大垣に来たついでに来てもらえるように手配してあったのですが、それ以外の配慮をしていなかったのですが、最近仲間になってくれた職員が「移動販売が来てくれると助かります。」との話を聞いたので、早速関ヶ原町役場に行き相談すると移動販売の一覧を提供して貰えたので、その中で一番小回りが聞く業者を関ヶ原町社協に電話で聞くと神戸町から来ている『だるま』が良いのではないかと聞いたので早速携帯に連絡してみると「今、滋賀県に来ているので17時前後におじゃまします。」と言われ、ボランティア室で片付けしていると、大きく『だるま』と書いた車が入って来たので、会議室でご挨拶をして、毎週17時5分(デイサービスの見送りが終了した時間)に来て貰える事になり、実際にどのような物があるのかを確認させて貰おうと外に出ると興味のある職員が集まって来てわいわいがやがや。車の中には三方が開くようになっていて、所狭しとしかしながら整然と並んでいました。そして感心したのは結構新鮮でこだわった品物があり、私は先ず最初に久しぶりに家で一杯飲む事にして、大きなホッケを選び、『こだわりの卵』と進められた卵(明日の朝卵ご飯で食べます)を選び、その他に豆腐、漬け物、お菓子、パン、カップ麺等を買いました。本日は突然の連絡にも関わらず来てくれた事への感謝も込めて沢山買いました。しかしながらリピーターの皆さん思いませんか。『だるま』さんは20キロ以上かけて来てみえるのですよ。関ヶ原町の業者は一体何をしとるんやと・・・。

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災いを転じると言うこと

令和2年4月22日

朝イチで自分のスケジュール表を見て呆れてしまいます。と言うのは新型コロナウイルスへの配慮の為に、殆どの会議や研修が中止又は延期になり『施設内勤務』の毎日に戸惑いを感じながらも、この現実の中で何か良くなった事はないか、つまり『災い転じて福と』なった事は無いかと考えてみました。そして2つの事に思い当たりました。

1つは、会議がみんな集まって出来ないわけですが、テレビ会議であればいわゆる『三密』状態ではなくて、意見を交える事は出来ると言う事。そしてテレビ会議のメリットは経費がそれほどかからないので、実施しようと思えば何度でも開催できると言うのは素晴らしい。但し、テレビ会議で、仮に10人で実施するとして勝手バラバラに話をしだしたら会議にならない。と言う事は優秀な進行係りが必要だし、話をするときのルールもきちんと決めておく必要があると思います。

そして、何と言っても二つ目の理由が最高です。それは、昨日、一昨日とこのコラムで書いたように、施設にいる時間が増えた分入居者さん利用者さんとの時間が増えて今風な言い方をするのなら『濃密』な関わりが持てているとも思います。児童養護施設の指導員時代は子ども達との関わりが全てだったので、その頃の事も思い出す事が出来ました。勿論、施設にいる時間が多くなった分職員への指導や関わりも密になっています。やっぱり私はどこまで言っても『現場主義』だと感じています。ただ、2日間『たけのこ』との関わりが多く、採り立てのタケノコをふんだんに食べた為か、朝からお腹が痛くて、こんな時母秋江さんが生きていたら「タケノコは繊維質が多いので、しっかりかみかみして食べなあかんよ。」と言われるだろうな。

タケノコは今須の地では今が旬の食材。瓶やビニールの中に入った水煮とは違って味も臭いも最高なんだから「慌てて一杯食べなあかんのや」と懲りない事を口づさんでいる宏君なのであります。またまた、本題とは違ってしまっていることに気がついても修正すること等全く考えていない宏君です。但し、午前中に新規事業の話し合いがありイライラしていて「このままでは仕事にならないと、午後から3件の打ち合わせと全国老施協からきているアンケートにパソコン上で答えて17時前だったのですが早く帰らせて貰い30分だけ横になり寝たら頭もすっきりしたので、明日から仕切り直しで頑張りたいと考えています。リピーターの皆さん。新規事業は大きなプロジェクト事業なのでこれからも山あり谷ありだと思うのですが頑張って地域ニーズに応えれるものにしていきますので、これからも応援宜しくお願いします。

 

朝から大車輪です

令和2年4月21日

昨日湯がいたタケノコの後処理を本日公休の水野相談員が朝早くに来てやってくれていて、私が寸胴に薪を入れて火を点けるばかりになっており、喫茶コーナーでは吉田部長と若園管理栄養士がタケノコを切る作業をしてくれていて、私だけでなく多くの職員がわくわく感を持っていることに朝から元気を貰いました。

そして、昨日同様に9時過ぎに寸胴に火を点けました。10時過ぎになると、本館、新館の入居者さん、デイサービスの利用者さんを職員が付き添って二人、三人とやってきて、「外は寒いな」と異口同音に言われながらも「火のそばは暖かいな」とこれまた異口同音に言われる度に私は大きな鍋の蓋を開けて中をお見せするとこれまた皆さんが「いっぱいの味噌汁だね」と言われるので、私は「昼ご飯で食べて貰えるように頑張って作りますので」と言うと、これまた異口同音に皆さんから「理事長さんが作って下さるのか。それは楽しみだ。」と言われ、わいわいがやがや。

11時30分に本館1階、2階、新館1階、2階、デイサービスのそれぞれの鍋にたっぷりと味噌汁を入れている時に私は「喜んで食べて頂けたら嬉しいな」と思いました。喫茶コーナーで昼食をとる職員に味噌汁を振る舞いつつ、私も自分が作った味噌汁を頂き大きな鍋を綺麗にしたりして片付けを済ませると14時になり、デイサービスの職員がお参りの準備が出来たと言って来たのでデイサービスの静養室にある仏壇でデイサービスの利用者さんとお経をあげてから、ゆっくりデイサービスの利用者さんとお話し等をしていると、新館の職員が「14時30分から新館のお参りなのに理事長がみえてません。」との連絡。

私的には新館の西川課長から毎週日曜日にお参りの余暇をしたいと聞いていたので、「今日は新館はしなくて良い」と勝手な判断をしていた私が悪いと慌てて新館に行くと、既に新館の入居者さんはお揃いなので、「お昼に味噌汁は食べて貰えましたか」と皆さんに聞くと、皆「美味しかった」と言われたので私は気を良くして「タケノコはこれからまだまだ出てくるのでまた頑張って作ります。」といつもの事ながら『有言実行』のお約束をしてからお参りをさせて貰い、お経の終了後はカラオケで砂田おさむさん(岐阜の歌手)の『人生夢の途中駅』を歌わせて貰い新館のお参りも無事に終わり、17時15分からの幹部会に味噌汁を振る舞うためにご飯を炊いて貰うと共におかずを買いに行き、17時過ぎにびわこ学院大学教授で杉和会顧問の烏野先生が幹部会の為に来て頂いたので、会議室をいつもの倍のスペースにして窓を開けて(寒かった)ご飯と漬物と味噌汁と赤ウインナー(私の大好物)を幹部11人で食べてから、会議を行いました。

今は20時25分で実にハードな一日だったなと思っていますが、リピーターの皆さん来月67歳になる私がこんなに生き生きうごめける事に感謝です。

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