2020年02月の記事一覧

本日は東京本部で会議の為に出掛けます

令和2年2月19日

昨日のどんよりした雪雲はなく快晴の中、「間もなく名古屋です」とアナウンスしてます。本日は総務・組織委員会と広報委員会合同による四者会議と業者によるプレゼンテーションが行われます。2日前に広報委員長さんから夜の情報交換会の誘いを受けましたが、翌日に三重県四日市市で東海・北陸ブロック正副会長会議があるため宿泊は無理な事をお伝えしたので、本日は会議終了後直ぐに帰る予定です。

書き初めに『快晴』と書いたのは昨日雪が降って富士山の雪景色を見ることが出来るのは、私が頑張っている事に対するご褒美だと勝手に思っています。先程、すかっとした富士山が見えたので慌てて携帯機能のカメラで富士山をとらえる事が出来ました。上手く写っているかはわかりませんが写メ送信をしますのでリピーターの皆さんも見て下さい。

2020021910181401

最近はテレビを点けても、新聞を見ても『コロナウィルス』の話題ばかりで、ワイドショーもその関連が多いので、私は今新幹線に乗車しているのですが、当然のようにマスクをして、適時お茶で喉を潤しています。目に見えないし、何処にウィルスが付着したり浮遊したりしているかわからないものとの戦い❔なのでリスクを減らす手立てをするしかないので、持ち物の中に目の所を拭いても良いクリーンコットン(これはひょっとすると商品名かも)、アルコール付きティッシュに喉スプレーを準備しました。

マスコミ情報では、クルーズ船への日本の対応に批判があるとの事に私は『初めての経験で、情報が殆どないなかでの手探りでの対応に準備が追い付かないとの批判は、一生懸命に対応されている方々に失礼だと思うし、現に治療に当たった医療スタッフまで感染している事を考えると、如何に情報が無いかと言えるのではないでしょうか。私はいつも職員らに言っているのは「批判はどんな時でもどんな状況でも出来る。自分なりにベストを尽くし精一杯自分なりに行動する事。そして自分がした事に結果的に不十分が理解できた時には次に生かせば良いのではないか。」と言ってます。今回のコロナウィルスにはまだまだこれからも関係される方々に汗をかいて頂き終息に向かって努力していただき、同じような混乱が起きないような提案を示して頂ければと切に願っています。

今までにも不治の病と言われたのを克服してきた歴史があります。私を産んでくれた母秋江さんは53年前に癌で他界していますが、ひょっとしたら今の時代だったら完治していたかも知れません。しかしながら、あの頃では難しかったと言う事で、その事を語りだすとわけのわからない話になりますよね。(ここで品川駅に着いたので中断して今は帰りの列車の中です)私は66年前に、つまり、生後半年の時に心臓が5分近く止まっていて、何故か復活した事はこのコラムでも書きましたが、運が良くて、あるいは生きてしなければいけないことがあって神様仏様が生かして頂いたのかはわかりませんが。

本日の会議は全国老施協の新しいパンフレットの構想を検討して組織強化と新規加入につながるものを作る為に行われました。『数は力』をより強固にする為に『労を惜しまず』で頑張りますのでリピーターの皆さんもご理解とご協力を得られれば嬉しいです。

ようやく雪が降りました

令和2年2月18日

昨日の宿直者に、「雪の状況を午前3時の段階で報告してくれないと、業務に支障を来す事もあるので連絡を下さいね。」と言ってあったので、律義に午前3時1分に宿直者からメールが送信されてきました。その内容は『お疲れ様です。夜間度々、外の状況を確認しておりますが今のところ雪は降っておらず、積雪はありません。』メールが送信されてきた時は、「今日も特変があったのか」と泡を食いましたが、「雪がない」との報告に「ほっ」とすると共に若干苦笑気味・・・。その後再び眠りにつき6時に起きるとカッカかっかと言うか津々と言うべきかしっかりと降っていて、屋根の上には10㎝程の雪があり道路も白くなっていました。

本日は岐阜県健康福祉政策課長とDWATの打ち合わせを9時からするお約束をしていたので、十分な余裕をみて7時30分に家を出て、今須の坂を上っていてレッカー車が停まっていて恐らく雪によるスリップだと思うのですが道から大きくはみ出していて今にも山肌から落ちそうになっていた車を確認しました。そんな中でしたので私は時速40キロ程度で走っていると、後ろの車が車間距離を縮めた運転をしてきたのですが、こんなときにスピードを上げるのは愚の骨頂とスピードを維持して走行しました。十分な時間をみていたので良かったのですが、大垣を過ぎ旧穂積町に入ると大渋滞でのろのろ状態。改めて『予定は未定であり決定ではない』。しかしながら、今須の家を出た時にはしっかり降っていた雪も大垣に入ると屋根に薄っすら載っている程度で、長良川の橋を渡って岐阜市内に入ると快晴で太陽が眩しい。

県庁内の話し合いではしっかりと持論も含めて話をして、10時30分からは岐阜県老人福祉施設協議会正副委員長会議の為に岐阜県福祉会館に場所移動をして会議に臨みましたが検討すべき案件が多くあり、予定の時間を30分も超えてしまい14時からの面接に間に合わせる為に昼食は取らずに施設に向け車を走らせると揖斐川の橋の手前から殆ど動かない状態。「これは朝の渋滞とは違う」と先が見えない分イライラが募りました。結果としては、和合の施設に入る信号の手前でトラックが横を向き2車線とも塞いでいて側道を通るように警察の方に誘導して貰いながらの運転だから、ノロノロ状態も止む無しかな。

14時前に何とか施設に到着したので、昼食を掛け込んでいると面接者の方がみえたので、会議室に行き、私とひと回り年下の男性で介護の経験はないとの事でしたが、お話をしていて意欲的で笑顔が爽やかだし謙虚さも持ち備えていると判断したので、「あなたよりはるかに年下のフロア責任者に仕える事になりますが大丈夫ですか。」と聞くと「頑張って色々な事を教えて貰い頑張りたいと思います。」と言う答えが返ってきたので、「採用の方向で考えていきます。」と言ってその後施設見学をして貰いました。

新しく仲間を迎えることは嬉しいものです。いつまでも初心を忘れず頑張って貰いたいと考えています。明日は東京での会議の為に日帰り出張です。雪は小康状態になり大丈夫だとは思いますが新幹線やタクシーに乗る事になるのでコロナウイルス対策をしっかりしていかないと『不要不急以外は云々』と言われても行かなければいけないので気を付けたいと思いますがリピーターの皆さんも私の健康を祈って頂ければ嬉しいな・・・。

 

愛すべき猫、その名は『リット』

令和2年2月17日

午前3時26分に携帯が鳴り、熟睡していた私は何とか携帯に出て看取りの方が息を引き取られた旨の連絡で、多賀先生と家族への連絡を指示したところ、多賀先生も家族も6時には来て頂けるとの連絡を再び宿直者の吉田部長から貰い、今のところの対応は夜勤の職員と宿直者の吉田部長に任せて私自身は5時30分に行動開始しようと決めて、携帯のアラームを5時15分にセットして再び寝ました。直ぐに眠りにつけて5時15分にセットしたアラームが鳴ったのですが、覚醒するまでに少し時間がかかったのだと思います。

しばらくしたら枕元でガサガサと音がするので「何事か」と枕元を凝視すると、我が家の猫『リット』が枕元に座ってマスクの入った箱をなめているではありませんか。そしてその顔は「早く起きなければいけないよ。」と言っているようで、可愛さが倍増しました。だって、こんな事は初めてだし、私の車の音がしただけで玄関先にいても慌てて2階に逃げていくような状況だったのに・・・。不思議ですよね。

鬱陶しい位甘えてくればくるほど愛すべき存在になってくるのは猫の魔力にかかっているのか。それとも、10年以上我が家にいる内に我が家の猫『リット』は13歳の時に他界した母秋江さんの感情が備わったのか。いやいや、そんな大げさな事ではなくて、私の事が『危険な人物』から『安全な人物』になり、『完璧になめられた存在』になったのかも知れません。しかしながら、『なめられた存在』であっても「可愛いものは可愛い」と言う事は猫とはまっこと不思議な生き物と言わざるを得ません。

この関係は主従関係が逆転したと我が家の猫『リット』は思っているかも知れませんが我が家の猫『リット』に言いたい。「あまりいい気になるなよ。あまりに調子ずくと100倍返しだ。」とは言え、猫の人間観察力は凄いので「ヤバい」と思ったら得意の猫撫で声で甘えてきたら許してしまうんだろうな。

 

嬉しい葉書が届きました

その葉書の主は名古屋在住のかつては大学教授でこのコラムにも何度か登場して頂いている吉田宏岳先生が主宰されていた『教育と福祉を考える会』の幹部の方だった方で、私が38歳の時に既にそこそこの年齢だった方なので少なくても75歳にはなってみえると思うのですが(女性の方の年齢は難しいし、今回の話題とは関係ありませんが。)嬉しい葉書を頂いたので原文のまま掲載します。

『拝啓やっと雪が降り、と言っているこの頃でございます。先生はじめ皆様ご健勝のことと存じます。本日(12日)は中日新聞紙上で「食事前に嚥下体操」拝読させていただきました。入所者の皆様が何より元気で食事がおいしい。これが何よりうれしいことですね。私も「名古屋市認知症予防リーダー」として、時々「お口の体操」パタカラを参加者の皆さんと一緒に励んでおります。何かと「ワスレル」ことが多くなりましたが皆さんから元気をいただいております」今後ともよろしくお願い致します。敬具』

と書いてあり、懐かしさと共にいつまでもお元気な先生の姿を思い描けたことと、何より優・悠・邑の事を気に掛けて頂いていることに嬉しさと感謝です。丹羽先生とは吉田先生が主催された四国八十八箇所遍路の旅でも何度かご一緒させて頂いたし、月一回吉田先生の自坊で行われていたお写経会でもご一緒させて頂いたし、施設が出来てからは大学の『ハンドベルサークル』の学生を連れて来て下さり卒業生の就職活動にも協力して頂きました。

丹羽先生は天性の上品さを備えてみえていて、尚且つ凛とした方であれから20年近くと年月が経過しているにもかかわらず、葉書の文面からは全く変わらないように見受けられるのは素晴らしい事だと思います。私は丹羽先生のような方々に見守って頂いているから今があると言っても過言ではありません。

リピーターの皆さんこのような幸福者の私をこれからも末永くよろしくお願い致します。

昨夜は第2組目の新年会だったのですが、飲める職員が多く・・・

令和2年2月15日

新年会後、家に帰ってからコラムを書くのは難しいと思い、施設のパソコンで必死に打って何とか開始前に間に合い、進行役の開会の挨拶に続き理事長の挨拶で「後悔しないようにしっかり追加の肉を食べて下さい。」と話をして、新年会が始まりました。お酒が飲めるグループだけ集まり、先ずは『黒龍のしずく』を1升空けてから冷酒を中心に、肉は後悔しないように情け容赦なく注文して肉で口の中がどろどろ状態なので、少し贅沢ですが河豚さしを4人分を4皿頼みまたまた盛り上がりました。

一次会は21時前に終わりカラオケが歌えるお店まで木曽路のバスで送って貰い8人が二次会に行き、特別参加の烏野教授は『宇宙戦艦ヤマト』を歌って貰い、私は山崎ていじさんが出したばかりの新曲『別れのボレロ』を初めて歌いました。まだ自信のない歌い方でしたがじっくり詞を見て歌いながら、あいからわす山崎ていじは色男の歌を嫌味なく歌うんだと思いました。

二次会参加者8人がそれぞれに歌い盛り上がり、オオトリはわたしが長渕つよしの『乾杯』で二次会を閉じ、まだまだ盛り上がりたい職員と三次会に行きましたが久しぶりのおおはしゃぎに午前零時前にお開きをして家に帰りました。

新年会に出掛ける前に痛かった膝も、お酒を頂いていて忘れていたのですが、朝目覚めて痛い所を押さえると痛いので関ヶ原診療所の整形にかかりレントゲンを撮って頂き、先生に診て頂き痛い所を押さえて貰うと不思議な事に痛さが軽減しているので先生にその旨を伝えると先生が、「私の手は神の手なのか」とユニークに返して頂いたので会話が弾みました。先生の話では加齢に伴う劣化ですが、体重を減らしたり歩いたりの対処療法で今は大丈夫だと思います。との事で「はい、わかりました。」とは言ったものの二つ共に難しいけど、150歳まで生きると言っている手前豆腐のような意志であっても努力しなければいけないと今は思っています。

つくづく思うのですが、中学時代には身長が160㎝で体重は40㎏。その当時はあんこ型の相撲取り(古い話ですが若秩父)に憧れていたのに、今はスラッとした体型に憧れている。何て人間は無いものねだりをする生き物なのかと自分ながら呆れてしまいます。

昨夜が久しぶりの午前様だったからかそれとも10日、11日と埼玉県へ、引き続き12日、13日に博多へ出張した疲れなのかはわかりませんがとにかく眠くて眠くて、14時には家に帰り横になりました。今は少し疲れが取れたように思いますがリピーターの皆さんわたしが明日から復活出来る事を祈って頂ければ嬉しいです。

2020021308173701

 

『相田みつをの毎日訓』

令和2年2月14日

本日膝が痛くて歩くのも大変で出来るだけ歩かずにしていて、午後から岐阜県老人福祉施設協議会と岐阜県デイサービス協議会の話し合いがあったので岐阜県福祉会館まで車を運転していき、会議では言うべき事は言って会議終了後再び運転していても膝に違和感があるので、施設に向かう途中でゲンキー関ケ原店(ドラックストア)に寄り膝用サポーターを買い(4000円もしたのできっと楽になると思います。)再び途中下車をして我が家で本日の第2回目の新年会が再び木曽路で行われるので、春子お姉さんから頂いた白菜の漬物と頂き物で取って置きのお酒1升(黒龍の『しずく』)を積み施設に着き、早速サポートを装着して「本日のコラムが書けていないけど飲み会の後にするのは厳しすぎるので飲み会の出発前に書いておきたい。」と思ったのですが、「活動的でなかったので話題がないし調子が悪い時は浮かばない。ここは徹奘師の今日の言葉と見たら『観自在 自分との対話』でこれは難し過ぎると、私の机から左手に掛けてある『相田みつをの毎日訓』が目に入りました。それには「晴れても 曇っても がんばっても なまけても いちにちは一日 きょうを精一杯 生きてみる まずそれから」の言葉に出会い(私が買ってきたもので、前から掛かっているのですが)。「う~ん深い」でも今の私は全力疾走で色んな事をさせて貰っているので大丈夫と思うと同時にがんばれる状況に感謝の気持ちで一杯です。なまけていたわけではありませんが、平成8年度の計画で本館事業を立ち上げている時に県福祉事務所から「計画が出来ない」との1本の電話を貰った時は脱力感の中で1週間近く布団から出れなくて布団の中でおにぎりを食べて凌いだ時の事を思い出しました。つまり頑張れる喜びに今は浸っていられる幸せを感じている次第でです。リピーターの皆さんこんな私ですが今後とも宜しくお願い致します。

昨日博多駅に着いてからの報告です

令和2年2月13日

16時15分からの懇談会に15時7分に駅を降り立ったので、宿泊するホテルと懇談会会場が違うので取り敢えず宿泊するホテルに荷物を預けてからと思って外に出るとけっこうな雨が降っているので、もう一度駅構内に戻り傘を買い、再び宿泊するホテルを目指したのですが、目的のホテルがあまりに近すぎて、結果的にはホテルを通りすぎて迷った迷った。だって、3人の方に聞いたのですが皆言うことが違うんで。(その理由は同じような名前のホテルが3つあったからです。)結果的に見つけて唖然です。駅を出て直ぐのところだったから。

取り敢えずチェックインをして荷物を部屋において懇談会会場の日航ホテル(宿泊料金が高いので違うホテルなのであります。)に向かうに当たってフロントで地図を貰って歩きだしましたが、今度は意外と距離があり、不安になったので先程一番最初に聞いたおじさん(案内をする方のようでした)に聞こうとすると、後ろから総務・組織委員の筒井先生に「委員長、もう少し行ったところだと思います。」と声を掛けられてひと安心。少し時間に余裕があったので役員控え室に行くと平石会長がおみえになったので、埼玉県で早速会員になってくださると3事業所が宣言して頂いた報告をして、この流れを大切にしていく事を話しました。

場所移動して懇談会会場に行き名刺交換をして、会が始まり、建設的な意見をいっぱい頂いたので総務・組織委員長として、最後に今後の方向性について話をさせて頂きました。その後隣の部屋で懇親会がありお酒を控えながらもしっかり多くの九州ブロックの役員さんとお話させて頂きました。懇親会が終了後、森岡副委員長と共に本部役員であり地元福岡県の阿比留さんと情報交換を行い23時前にホテルに戻り、5時までしっかり寝て、昨夜入らなかったお風呂にゆっくり入り、その後盲養護の新規事業の事で何件かに連絡をして、博多駅8時36分発ののぞみに乗り今は一路施設を目指しています。(京都乗り換えで米原に行き、曰く付きの駐車場から私の車で帰ります。お昼過ぎには帰れるので、午後は施設の業務をしっかりしたいと考えています。

それにしても、山陽新幹線はトンネルが多いです。そして、もうすぐ岡山だとアナウンスがありました。外は天気が良いので傘は必要無いようです。今(午前11時06分)神戸なのですが、博多ではボチボチの乗車でしたが、けっこうそこそこ座席が埋ってきました。やはり、神戸から東京間はドル箱ですね。高速道路も名神高速と東名は混んでますものね。と言う事は私が住んでいる関ヶ原は交通の要所なのに何故に衰退していくの。と考えていたら、座席に設置してある『WEDGE』の表紙の見出しが目に飛び込んできました。それは、『幻想の地方創成   東京一極集中が止まらない』・・・。でもね。東京の2040年は高齢者が爆発的に増えるんだと思うんだけど・・・。いやいや、その前に関ヶ原町が存在してるのかもわからないですかね。5年先10年先を見通せる存在が現れないと・・・。

と一生懸命にコラムを打っていたらアナウンスが「あと3分で京都です。」おいおい神戸の次は大阪ではないのか。それは間違いないけど大阪のアナウンスを聞き流したのは私か。本当に慌てました。慌てて降りたら結構な時間停車してました。京都で乗り換え今は米原で降りるばかりですが、リピーターの皆さん施設に帰ってからの事は『予定は未定で決定ではない』ので本日のコラムは午前中に打ちました。私は本来こんな性格だったかなあ。いやいや、お腹と一緒で進化しているのだと。いゆいやお腹の進化は止めなければ・・・。

本日は博多で九州ブロック役員との懇談会です

令和2年2月12日

昨日、埼玉県から帰って21時過ぎから我が家で爆睡して5時過ぎに施設からの連絡が入り、すぐに着替えをして施設に向かい対応をして、その後の対応を職員に委ね米原を11時52分発の新幹線で博多に向かっていて今は神戸に停車してます。正直疲れが完全に取れたかと言うと取れてはいませんが、私に与えられた責務はしっかり果たさなければいけないと思っています。

また、各地区を回らせて頂き頂いたご意見やご質問には誠意を持って対応していくのも当然の事だとも考えています。勿論私一人で解決出来る事ではないので、私が持つネットワークを生かしながら、色々な方の協力を得て尚且つ会長への確認を取りつつ頑張りたいとも考えています。今、コラムを打ちながら思い出したのは、博多と言うとめっちゃ笑えるエピソードがあります。

それは、25年程前になるのですが、30年前に児童施設の代表として海外研修でアメリカに行かせて貰った時の若きプリンスだった福岡県の花田先生の結婚式に、愛知県の太田一平先生と共に招待を受けて行かせて貰った時に、花田先生から「駅を降りたらすぐの所に結婚式場がありますから」との前もっての連絡を頂いていたので、博多駅に一平先生と二人で降り立ち駅を出て結婚式場らしきものを探してもないので駅前に停まっていたタクシーの運転手さんに場所を聞くと、「博多駅から電車を乗り換えて行くと確かに駅前にありますよ」と言われたので時間も迫っていたので迷うことなくタクシーに乗って行った事を思い出すと共に、自分の思い込みは駄目だとその時の体験で理解しました。

今(14時07分)広島に着きました。車窓から外を見ると雨が降っています。と言う事は昨夜の天気予報は間違いなかった。駅から直ぐだとの事ですが傘無しで大丈夫かな。

そう言えば、本日あの駐車場トラブル(昨年12月4日の出来事)以来の利用で駐車場に変化はあったか興味津々だったのですが変化がありました。1日700円だったのが800円になっていたのと機械が新しくなっていました。が、あいからわず操作はしにくくて、100円玉が返却口に帰ってきた時には少し緊張したと言うかまたかと思ってしまいました。但し今回は2回目の投入で事なきでしたが。30分位で博多に着いて九州の役員懇談会と懇親会に望むのですが、自分の役割をしっかり果たしていきたいし、その報告は明日の列車の中で書きたいと思います。リピーターの皆さんが私のつたないコラムではありますが沢山の方が読んで頂いているから頑張れる。つまり、私一人が頑張っての継続ではありませんのでこれからも宜しくお願いします。

完全に小さい時の癖が出た

昨日山手線外回りに品川で乗り『目指せ高田馬場』で、沢山の駅を通過して「大丈夫か」と不安になりましたが、「次は高田馬場」のアナウンスに『ほっ』として出口を目指すと、ありました。『西武』の掲示が。掲示に従い歩いて行くとすぐ隣に駅があり(「吉田部長ありがとう」と言うのは一昨日「高田馬場が分かりやすいです。」と教えてくれたから)

案内板で『もと川越』として探してもないので、深呼吸をした後『ほん川越』で調べたらありました。そこで510円だったので先ずは500円を投入したあと10円を入れようとしたら、多分私がどこかのボタンを押したのか350円の切符とお釣りの150円が出てきて、私は何も文句を言わずに改めてしかも慎重に510円を投入しました。他の方に不利益が生じた時は俄然クレームを付けたりしますが自分の事になるとあいからわずの『意気地無し』。こんな生き方です。

もう一つ恥かき話をします。『小平』で急行から乗り換えるとの事でしかも『向かいのホーム』と聞いていて、向かいに行きのんびりしていたら、実は既に列車が短くて乗り換える列車は止まっていて、慌てて乗り込む体たらく。結局何とか乗れたのですが・・・。

しかしながら、小平からの普通列車が意外と時間がかかり、スマホで本川越までの時間を検索(この位の事はできますよ・・・。実は一昨日職員に教えて貰ったばかりなのですが)すると、どう考えてもランチミーティングの開始時間の11時30分に間に合うかが心配で田中幹事にメールでその旨を連絡したのですが、結果的には11時20分に本川越に着き慌てて改札を済ませて駅を出ると隣が目的地の川越プリンスホテルで尚且つホテルに入ると西川総務・組織委員が迎えに出て来てくれていたので遅刻することなく間に合いました。(西川委員の対応に感謝)

ランチミーティングは埼玉県の役員さんと食事をしながらの会議で13時30分からはタウンミーティングで会場移動して参加者の多さにびっくりすると共に感謝です。先ずは、岡芹埼玉県老施協会長、平石全国老施協会長、園田参議院議員(厚生労働委員長)の挨拶に続き全国老施協役員の紹介。引き続き桝田委員長が『処遇改善加算』の話や『業務省力化』の話をして、質疑応答の時間になり、多くは介護人材の事でした。また、園田参議院議員から介護報酬の舞台裏的な話も聞け17時30分ぎりぎりまで話し合いがなされましたが、最後に総務・組織委員長として、しっかり組織強化と会員促進について話をしてタウンミーティングは終了。

私自身はチェックインを済ませ荷物を部屋に置き、懇親会会場へ。料理が和食だったのでお酒はそこそこにして料理はしっかり食べました。会員促進については懇親会場で3事業所が入会の意思を表明して下さり、この入会が引き金になって多く入会して頂ければと考えています。

本日はホテルへ9時30分のお約束で所沢市にあるケアハウスの中先生が車で迎えに来て下さり、デイサービスも含んで見学させて頂き、私なりな気が付いた事をお話させて貰いお昼過ぎに西武線所沢に送って貰い小平乗り換えで高田馬場に行き山手線に乗り換えて品川に出て新幹線で岐阜羽島へ。その後自分の車で施設に戻り、留守中の書類の確認だけして、早々とお風呂と夕食を済ませ、疲れを癒して明日からの博多で行われる九州ブロック役員懇談会に挑みたいと思います。

私自身が『今日は何処だ』と思う位だからリピーターの皆さんはもっとわからないかとも思いますがコラムでの追っかけをこれからも宜しくお願いします。

小さい時の癖が出たのか、今の『よっしゃ、よっしゃ』が出たのか

令和2年2月10日

岐阜羽島駅で駅員さんに「のぞみに乗り換えられますか」と言われて、「大丈夫です。」と答えたのは、小さい頃の『対人恐怖症』の後遺症なのか、今の大いなる思い込みの影響なのかは定かでありませんが、座席に座り改めて時間を確認すると、20分も時間が余分にかかる事に気が付きました。

今アナウンスで『浜松で4分停車します。次の停車駅は静岡です』と言ってハル。「まっ良いか。時間に余裕を持っての行動だから。充分間に合うから・・・」と自分を慰めています。

ところで、切符を手に入れる時にこれまたいつものようにエクスプレスカードで買おうとすると駅員さんが申し訳なさそうに「只今システム障害でカードがつかえません。」と言われて気安く「それなら現金で大丈夫です。」と言えたのは昨日財布に現金を補充したので現金がいくら財布に入っているかを理解していたから。『うん、私もお腹だけでなく成長しているところがあった。』(こんな自虐ギャグを朝から言えるのは余裕がある証拠か)

もう一つ新幹線の中でのお話です。販売車が来たので、感染防止の為にお茶を160円で買い販売員の方が行かれてから気が付いた事があります。それは『朝食を食べていなかった』そこで再び販売車が来たので(ここで車内アナウンスが入り「次の静岡では7分停車します。」このアナウンスには絶句です。)『朝のおむすび弁当』(お茶付きおむすび弁当)に変えて貰おうとお願いすると「大丈夫です」と準備して下さったので、いつものようにワンコイン(500円)を渡すと販売員の方は一瞬考えられてさりげなく「先程のお茶代160円をお返しします。」と言われて私は素晴らしい対応に感動すると共にひょっとすると販売員の方は私が500円ー160円=340円が出来ないおじさん、或いはまだ眠くて頭が働いていないおじさんと思われたかな等と心地よく思っています。

さて、本日は新幹線を品川で降りて山手線に乗り換えて高田馬場まで行き西武鉄道に乗り換え本川越で降りて川越プリンスホテルで埼玉県老施協役員さんと11時30分からランチミーティングがあり、午後からは全国老施協平石会長を始め本部役員と埼玉県老施協の理事長さん、施設長さんを中心に57人もの方を集めて頂いた方とのタウンミーティンがあり、会議の後には懇親会も準備して頂いているとの事で長い一日になりますが実りのある一日にしたいと考えています。

私は今、全国老施協の役員。特に若手が登用されている幹事の方々に言いたいのは『労を惜しまず』を実践してより良い全国老施協にして日本の社会補償が安心が担保された国造りに頑張って貰いたいと考えています。勿論、私も若手に対して鞭打つような事をする以上は若手の手本になる姿を背中で見せれるようにしていきたいと考えています。リピーターの皆さん。こんな私ですが今後とも宜しくお願い致します。尚、本日の展開は明日の帰りの新幹線の中でしっかり書きますので見てくださいね。

1 2 3