本日は東京本部で会議の為に出掛けます
令和2年2月19日
昨日のどんよりした雪雲はなく快晴の中、「間もなく名古屋です」とアナウンスしてます。本日は総務・組織委員会と広報委員会合同による四者会議と業者によるプレゼンテーションが行われます。2日前に広報委員長さんから夜の情報交換会の誘いを受けましたが、翌日に三重県四日市市で東海・北陸ブロック正副会長会議があるため宿泊は無理な事をお伝えしたので、本日は会議終了後直ぐに帰る予定です。
書き初めに『快晴』と書いたのは昨日雪が降って富士山の雪景色を見ることが出来るのは、私が頑張っている事に対するご褒美だと勝手に思っています。先程、すかっとした富士山が見えたので慌てて携帯機能のカメラで富士山をとらえる事が出来ました。上手く写っているかはわかりませんが写メ送信をしますのでリピーターの皆さんも見て下さい。
最近はテレビを点けても、新聞を見ても『コロナウィルス』の話題ばかりで、ワイドショーもその関連が多いので、私は今新幹線に乗車しているのですが、当然のようにマスクをして、適時お茶で喉を潤しています。目に見えないし、何処にウィルスが付着したり浮遊したりしているかわからないものとの戦い❔なのでリスクを減らす手立てをするしかないので、持ち物の中に目の所を拭いても良いクリーンコットン(これはひょっとすると商品名かも)、アルコール付きティッシュに喉スプレーを準備しました。
マスコミ情報では、クルーズ船への日本の対応に批判があるとの事に私は『初めての経験で、情報が殆どないなかでの手探りでの対応に準備が追い付かないとの批判は、一生懸命に対応されている方々に失礼だと思うし、現に治療に当たった医療スタッフまで感染している事を考えると、如何に情報が無いかと言えるのではないでしょうか。私はいつも職員らに言っているのは「批判はどんな時でもどんな状況でも出来る。自分なりにベストを尽くし精一杯自分なりに行動する事。そして自分がした事に結果的に不十分が理解できた時には次に生かせば良いのではないか。」と言ってます。今回のコロナウィルスにはまだまだこれからも関係される方々に汗をかいて頂き終息に向かって努力していただき、同じような混乱が起きないような提案を示して頂ければと切に願っています。
今までにも不治の病と言われたのを克服してきた歴史があります。私を産んでくれた母秋江さんは53年前に癌で他界していますが、ひょっとしたら今の時代だったら完治していたかも知れません。しかしながら、あの頃では難しかったと言う事で、その事を語りだすとわけのわからない話になりますよね。(ここで品川駅に着いたので中断して今は帰りの列車の中です)私は66年前に、つまり、生後半年の時に心臓が5分近く止まっていて、何故か復活した事はこのコラムでも書きましたが、運が良くて、あるいは生きてしなければいけないことがあって神様仏様が生かして頂いたのかはわかりませんが。
本日の会議は全国老施協の新しいパンフレットの構想を検討して組織強化と新規加入につながるものを作る為に行われました。『数は力』をより強固にする為に『労を惜しまず』で頑張りますのでリピーターの皆さんもご理解とご協力を得られれば嬉しいです。