2019年11月の記事一覧

整体でしっかり体をほぐして貰いました。

令和元年11月30日

一昨日は吉澤統括部長の認知症指導者養成研修終了とデイサービスの責任者の北島部長に来月第二子誕生の前祝いと言う名目でしたたかに飲みました。(北島部長には弁当箱を洗濯機で洗ってしまったと言う武勇伝をまたまた聞きました)

昨日は共済会の50周年記念祝典でほんの少し飲みましたが岐阜駅からの電車待ちの時間に疲れを感じて思わず本日の整体を駅のホームで予約して、本日14時から一時間半しっかり体をほぐして貰いました。とは言っても殆どの時間、爆睡してましたのであっと言う間に一時間半は過ぎてしまったのですが。

最後の施術でフットケアをしてもらった時に足の親指と人差し指はメチャクチャ痛かったので「親指はどこが駄目で痛いのですか」とお聞きすると「頭です。」と言われたので「人差し指は」と聞くと「目ですね」と言われて、確かに頭と目は疲れているなと変に納得してしまいました。だって、同じように他の指もして貰ったのに大して痛くなかったので。

しかしながら整体をして貰って本当に体が軽くなり頭もスッキリしたので来週の12月4日の日に朝7時に家を出て東京で泊まり、翌日大阪に移動して会議に出席をして、その日の夜に飛行機で秋田に飛び秋田て泊まり翌日会議を終えて、その日の夜の便で伊丹まで飛行機で移動して夜遅くに(6日夜)家に帰る超過密で過激なスケジュールも何とかクリアできそうです。

但し、しっかりと頑張る為には12月2日の日に長男誠(まこと)と孫翔(かける)の誕生日(正確には誕生日は長男も孫も12月3日なんですが)に合わせた『しゃぶしゃぶ木曽路』での食事会では、あまり飲まないようにしなければと今は思っているのですが、弾けてしまうのかな・・・。(始めは慎重にしながらも弁当箱を洗濯機で洗う北島部長のように。でも私は酔って川に落ちた経験はございません。)

しかしながら、家族に囲まれての食事会なんだから、楽しく飲んだら決して疲れないと思います。だとするといつもの飲み会は『お付き合いだ』だから『酒を飲むのは仕方なく飲んでいるのだ。血液の数値が悪くても仕方なく飲んでいるんだ』などと勝手な事を言っている私はおかしな人間なのかもしれません。自虐的な事を書いてしまいましたが、自分が出来る事をしっかりと頑張っていきたいと考えていますし、昨年の8月22日からのコラムが連続で更新出来ているのも充実した日々を過ごさせて貰っているからだと思うと感謝の文字しかありません。

但し、父進、母秋江、姉光子はきっと天国で『生きた心地がしてない』と思うと、生きているときも死んでからも心配ばかりかけているけどこれからも宜しくと思っています。リピーターの皆さん私はこんな奴ですがこれからも宜しくお願い致します。

昨日のコラムの送信は午前1時40分でした

令和元年11月29日

昨夜は私にしては珍しく飲み会で三軒もはしごをしてしまい、酔っぱらいながらガラケーの携帯でコラムの原稿を書いていて、適当なところで打ち切って送信すべきところを頑固に打ち続けたので日をまたいでしまいました。救いは宿直者が夜中にも関わらず早くに対応してくれた為に私が確認した6時にはアップされていました。

本日も10時に設計業者が打ち合わせに来てくれるので、頭をスッキリさせなければとお風呂にゆっくり入り設計にかける思いをしっかり述べさせて貰いました。11時には棚橋衆議院の秘書さんがみえるはずが10分遅れでしたので対応をバタバタでして、昨日早朝に亡くなられた入居者さんの葬儀に出掛けました。自宅での葬儀だったので参列者は外に準備してあった椅子に座ってのお参りでしたが本日は快晴の天気だったので風がなく陽が当たっているときは暖かさを感じる事が出来るのですが、風が吹くと涙がちょちょぎれる程に寒く感じました。禅宗の葬儀なのでしっかり一時間のお参りで施設に帰り昼食を頂き13時20分発の電車に乗り大垣で乗り換えて岐阜に行きグランベール岐山での共済会の50周年の記念式典に行きました。

3階に設置してあった受け付けをしようとして、私は共済会の理事なので『役員受け付け』で確認して貰って三度見直して貰っても私の名前がないので「申し込みをしたはずですが」と言うと「若山先生の席はありましたが・・・」との事で明らかに後ろに並ばれている方に迷惑がかかっている・・・。隣の受け付けをしている私をご存じの方が「若山先生は来賓受け付けだと思いますよ」と言われたので改めて来賓受け付けに行くと「若山会長は『D』の席です」と資料を渡して貰ったので私は『来賓なんて聞いてないし。理事が来賓なんて有り得ないし』と思っていて、席に着くと名札に『岐阜県老施協会長 若山宏 様』と書いてあるので、私の疑問は解けました。「今日は老施協会長としての案内なんだ。そう言えぱ50周年のお祝い文を大分前に書いたっけ」と。記念式典の前に20年、30年、40年の永年表彰があり、その後記念式典が挙行されたのです。しかしながら、200人弱の参加でしかも来賓は8人だけで、わざわざ受け付けを分ける必要があるのかとも思いました。でも、主催者側は一生懸命に準備されたのだから文句は言うまい。批判をしようと思ったらどんなに完璧にしようとしても出来るから・・・。

但し、今回は『びっくりしたなーも』と言う感じはしましたけど。式典も終わり祝宴になり、メインテーブルである私の席には多くの方がお酒を注ぎに来て頂きお酒を飲むには飲んだのですが昨夜の酒のせいでお酒が美味しくない。昔の方が『迎え酒』と言われていましたが少なくても私には無縁だと理解しました。やはりお酒は楽しく飲んでこそ美味しく飲めるとつくづく思いました、色んな方に二次会へのお誘いを受けましたが一切お断りをして、タクシーを探さなければとホテルの玄関を出るとタクシーが停まっていて支払いをされているのでお客さんが降りられたタイミングでタクシーの運転手に「大丈夫か」と確認すると「喜んで」と元気な声が返ってきて『少し良かったね』と思い岐阜駅構内の掲示板で米原行きが10分後に出る事がわかり、『疲れている私に対する見えない支援がされている。有り難いな』と思い、明日は基本的に何もお約束がないので整体で身心共にリフレッシュする日にしようと整体の先生に連絡すると14時からの予約がとれて、これまたラッキー。来週は東京、大阪、秋田とウルトラスケジュールが待っているので体を少し労る事にします。もちろん今(午後8時13分)は家でお風呂にゆっくり入ってます。リピーターの皆さん整体でのリフレッシュ位は認めて下さい。

本日の展開は午前零時48分の連絡から始まりました

令和元年11月28日

入居者さんのなかで体調的に厳しく看取りになっていた方が息を引き取られたとの連絡を宿直者から受け、ドクターの多賀先生に連絡して、施設に来て頂く時間を確認すると共に家族に連絡して施設に向かいました、多賀先生に死亡診断書を書いて貰い、家族の方に今後のお話をさせて貰うと共に、湯灌を職員にして貰い、その後ご自宅へ送らせて頂きました。

その後家に帰り朝食を済ませ再び施設に行くとEPAの介護福祉士候補生のマッチングをしていただいているジクウェルズの方が訪問指導の為に3名来て頂いていたのでご挨拶をさせていただいたり、橋の防護柵をしていただく業者の社長さんがおみえになったり大垣和合の施設の職員の1ヶ月研修の最終日と言う事で最後の指導をしたりして、昼食を頂くと午後からの岐阜県庁からエクセレント企業としての実態調査に社労士の方とおみえになったので色々な質問に答えながら進めて頂きました、このような調査をして貰うと当法人の不十分性が浮き彫りになりありがたかっ たです。

質問が全て終わってから、女子職員で二人の子供の育休をそれぞれ一年実施した体験を聞くために来て貰い私も改めて話を聞くと「仕事に復帰するときの不安がありましたが子どもは事業所内保育所に預けて安心して働く事が出来ました。」と言われた時には理事長としての考え方は間違ってなかったと嬉しく思いました。但し、今は職員が辞めないのは嬉しいのですが結婚しないのは困りものだと思ってます。女子職員との聞き取りが終わってフリートークになってから、私の持論を話しました。それは、『介護人材が枯渇している』と嘆くよりも裾のを拡げるべきだと熱く語りました、岐阜県の幹部職員の胸き熱く語ったことは理解して頂けたと思っています。

午前零時48分からバタバタしていけたので16時に終わってからさすが疲れたのか家に帰って30分だけ眠って(ドラゴンボールZのミスターブーのように一瞬眠る芸当をして、幹部職員との飲み会に出掛けました。こんな過激な生活がいつまで続くかわかりませんが取り合えず頑張ります。

本日『も』出張です

令和元年11月27日

『も』と書いたのは先週が月曜日から金曜日まで、埼玉、茨城、東京と移動しながらの出張で、帰ってきてからもバタバタの日々で、昨日も本部施設で全体会があり帰宅したのは20時30分でした。そして、お風呂に入り遅い夕食を済ませ、22時には布団の中に入りうとっとした22時20分に水野相談員から施設のアパートに帰る時に間違って川に落ちた職員がいて梯子を使って救出しましたが腰と足が痛いと言ってます。との報告を受け、直ぐに本人に連絡すると「迷惑をお掛けしました」とばかり言うので「悪いときは甘えれば良い。それよりも明日は病院に連れていって貰いなさい。」と言って、本日朝食を食べに来たかの確認をしたところ、傘を杖替わりにして来たとの事。出張前に同じような事が無いようにする為に現場を確認すると共にフェンスの手配と電灯の手配をして急ぎ岐阜羽島に車で来た次第です。

敢えて『も』等と生意気そうな書き振りになってしまいましたが、ちなみに来週も、東京泊(当日は11時までに会場入り)で大阪に移動し会議を終えたその夜の内に秋田に飛び秋田で泊まらせて貰い翌日会議を済ませその日の夜の便で帰ってくる強行軍が待っています。(移動距離の長いのには自分でも驚きです。)このような事態になっているのは私が公益社団全国老施協総務・組織委員会委員長を拝命し会員加入促進と会員の要望をお聞きして対応すべき課題を各委員会に伝え形にする為の調整役をする立場にあるからです。全国には8ブロックがあり、それぞれのブロックに行かせて頂き役員の方々と親しい関係を作らなければと考えています。本日は全国老施協正副会長委員長会議が午後13時30分から平河町にある塩崎ビルで行われるので今(午前10時40分)は新幹線の中ですが、会議前に事前の打ち合わせをしなければいけないので遅くとも12時30分までには行きたいので昼食はまたまた、おにぎりとパンの主食のみになるのかなと考えています。(こんな生活だから体重は減りませ~ん)ただ、明日は本部施設に9時にEPA介護福祉士候補生のインドネシアの職員の様子等を確認の為にジクウェルズの方が訪問されるし、午後は岐阜県女性推進課の方がおみえになるのでどうしても今日中に帰らなければいけないので本日もタイトな一日になりますが叱咤激励で頑張ります。(続きは帰りの列車の中で書きたいと思いますので一旦ここまで)

12時30分に塩崎ビルの会議室に着き、セブンイレブンで購入したパンとおにぎりを食べ終わるのを待って貰ってから会議前に総務・組織委員会の来週以降の打ち合わせをしてから、久しぶりに前会長の石川顧問がおみえになったので固く握手を交わし、今後総務・組織委員会でお世話にならなければいけない役員を中心にご挨拶をさせて貰ったりしていると(根回しするのが委員長の役割と心得てます。)定刻の13時30分になり、16時までの予定が15分延長で終了して(休憩は無しです)今は(17時20分)新幹線の中です。会議では私なりにしっかり意見が言えたし、事務局長が言い切れなかったフォローも出来たし、会議中に施設からメールで昨夜川に落ちた職員の報告で『骨に異常はなく打ち身だったので1週間もしたら痛みもなくなるとの事』と書いてあり、報告が早くきたのも嬉しかったしホッともしました。正直疲れて新幹線のシートにもたれてゆっくりすれば良いものをコラムの更新記録を伸ばす事が職員の意識高揚に繋がると信じて頑張りました。私はこのような考え方で間違っていないと思っていたのですが、実は私自身の成長につながっていることに最近気が付きました。と言うのは先般のコラムで書きましたが私の唯一の姉春子さんが生まれて初めて弟である私を誉めてくれたのです。私にとっては劇的な事なのです。リピーターの皆さんこれからも私の進化を見守っていて下さい。

盲養護・養護老人ホームの設計業者のプレゼンが行われました

令和元年11月26日

10時からの予定でしたが、業者の方は早々にお見えになり、審査する側の理事・監事の方々も9時50分には全員そろって頂けたので定刻前に始めさせて頂きました。

IMG_4175 IMG_4177

開会に際して杉和会理事長である私から業者の方を一斉に会議室であるプレゼンテーション会場に集まって貰い挨拶をさせて頂きました。挨拶の中で「盲養護については全国47都道府県の中で岐阜県を含めて4県のみが無い状態の中での建設計画であることから、おのずと興味を持って見て頂く事が多いと思うので業者が決定したらその業者の方と思いを語りながら立派な施設を作っていきたい。」と話をさせて頂き、プレゼンテーションの順番をくじ引きで決めて、業者の説明を10分と質問の時間10分で進めていきました。

IMG_4178 IMG_4192

それぞれに実績のある会社の中、審査する7人のメンバーが8つの項目について5点ずつの合計40点の持ち点で、1次審査は7人の合計点で決め、その後それぞれの立場で審査した理事・監事の方に意見を聞き最終的に最高点を取られた業者にすることを理事長として判断して決定しました。今後は決定した業者さんと共に先進的な施設の見学をしたり、意見を聞いたりして色々な思いを語りながら完成に向けて頑張っていきたいと思います。

IMG_4197 IMG_4206

 

 かつての入居者さんの法要をさせて頂きました。

 新館にご夫婦で入居されていて、ご主人が平成22年に、奥さんが平成28年にご逝去されたのですが、夫婦仲が良かった為か同じ11月に亡くなられているので、お2人の法要を本日14時から杉和会監事であり法忍寺住職である皆田さんに来て頂き行いました。

生前ご主人は奥さんを頼られていていつも、「お母ちゃん、お母ちゃん」と言われていたし、本当に微笑ましい場面がたくさんありました。ご主人が亡くなられた時には精一杯に尽くされた為か亡くなられた時には「お父ちゃんいってまった」と言ってご主人の部屋に付き添って見えましたが、会議室で行ったお通夜の時はお参りが終わるとさっさかさっと自分の部屋に行かれてしまったので私がお酒を飲みつつ一晩見守りをしたことを思い出しています。

今日法要をしたご夫婦は文字通りお互いがもたれ合っての生活をされていて、頼るべきお身内もなかったので、奥さんが亡くなり法人に残してくださった預金で共同墓を作らせて貰い今はご夫婦共に入って頂き、その後も無縁仏にしないように多くの方に共同墓に入って頂いてます。3年が経過した今も法要が当たり前のように行えるのは『思い』の継承が出来ているからだとおもいます。「どうしてしなければいけないのか」を語り続ける事こそ大切だと思ったしだいです。

 

今(17時16分)から名古屋に出掛けます

10時30分から岐阜県老施協正副会長委員長会議が岐阜県福祉会館であり、昼食のお弁当を頂いてから引き続き一般社団法人の検討会を14時30分まで行い、岐阜県庁に場所を移し高齢福祉課で課長さんを囲んでいくつかの課題についてそれぞれ課題によって担当者を代えて話し合いをしました。朝一で高齢福祉課長にアポの連絡をするとこちらの都合に合わせてお会いして頂けるとの事で全く持ってありがたい事です。

一時間近く話し合いをさせて頂き、急ぎ家に車を置いて関ヶ原駅17時21分の電車で名古屋に向かってます。どうして、こんな時間から名古屋に行くのかと言うと岐阜県老施協会員施設で大垣日大高校卒の同窓でオーナー会を3ヶ月に一回程度開き交遊を温めると共に情報交換会を行っていて、今日が正にその日なのです。「何で名古屋まで」との謗りを受けそうですが幹事役の一人が絶対に旨い中華料理を食べて貰いたいからとの事で遥か名古屋に出掛けるのです。

最初は『オーナー4人会』で実施していたのですが前回の岐阜での会から一人増えて今は『オーナー5人会』になりました。この仲間になるのには厳選な審査があるわけではありませんが意欲的な同窓は仲間にしていきたいとの思いで一人増えた次第です。『オーナー5人会』の長老は恥ずかしながら私です。同じ高校の同窓でオーナーが5人も揃い3ヶ月に一回程度とは云え、10年以上続いているのは大変ありがたい事です。

私はどちらかと言うと中華料理は好きではなく「和食ばかりが良い」と言うのが本音ですが一生懸命に幹事の仕事をこなしてくれるからこそ存続しているのだから後輩のセッティングには文句を言いません。このメンバーは何かと岐阜県老施協会長である私をサポートしてくれるありがたい存在ですし、先輩後輩の関係はいつまでたっても変わらない関係なのでありがたいです。]

でも、正直名古屋は遠いな。だって、18時30分開始で2時間楽しんで20時30分で家に帰れるのは早くて22時・・・。明日は10時から新規事業の設計業者のプレゼンがあるんだよ・・・。文句は言うまい。と言いながら文句を言っている私はやっぱり年寄りですがね。だって昔から『愚痴』を言うのは年寄りの特権だから。

またまた、今(午後9時58分)は名古屋駅で列車を待ってます。あと1分で列車が来ます。予定では21時な名古屋を出て22時には家に着いてる予定でしたが一時間の遅れで、いつもの口癖『予定は未定で決定ではない』です。確かに中華料理は美味しかったですが、流石に遠いです。

リピーターの皆さん紹興酒を一杯飲んだ私がちゃんと家に帰れるかハラハラドキドキしながら見守っていて下さい。

『昭和も遠くなりにけり』かな

本日は本部施設の月一回の家族会主催の誕生会が開かれました。本日一番の長寿の方が紹介されたとき「昭和3年生まれ」と紹介された時私は「本日の参加者は比較的お若い方ばかりなんだ。」と思ったのですが、その後の司会者から「91歳です。」に私は思わず「えっ、91歳なの。と言う事は、昭和4年生まれだった養母の英子さんも生きていれば90歳か」と思うとつくづく「昭和も遠くなったな」と思いました。考えてみたら私も昭和28年生まれだから『昭和』『平成』『令和』の3代を生きているんだ。ところで本日の最高齢者の91歳の女性の方が正直一番元気に見えました。そして、つくづく思いました。見掛けは生年月日だけでは決して決まらないと。かつて、施設に入居された時が103歳で6年間入居していただいた方、つまり109歳まで元気だった方がおみえになった方から長寿の秘訣について学びました。その秘訣とは、①大食いをしない。②性格がおおらかで、③社交的で、④余分な肉がついてなくて、⑤カラフルな服を着ていて、⑥耳が遠い方で、⑦シルバーカーを押してはみえましたが自分の足で歩いていた。と言うことです。そして、今回の最高齢の方は⑤のカラフルな服を着ている以外は当てはまるのです。このカラフルな服と言うのは家族の趣味のようなものですから殆ど影響がないと考えると正に長寿の方。だから私は思わず私の挨拶の中で「120歳まで頑張れますよ。」と言うと「耳がよく聞こえん」と言いながらもにこにこしてみえました。本日は昨日が垂井町での地区の説明会に出席させて頂き、かなり誤解を招いている点が浮き彫りになってきたので、午前3時には目覚めて色々な展開の仕方を考えていたら朝になってしまい、朝食時に血圧を計ったら滅茶苦茶高くて、改めて人間の体は正直に造られていると痛感すると共に体が重いのを無知打ち、県議会議員に相談に行ったり、支援者な電話をしたりとうごめき今(17時53分)は18時から和合での全体会に参加するためまでのギリギリまでコラムを打っている次第です。これ程までに時間が有効に使える人間になるとは、天国の父進も母秋江も想像だにしていなかったと思うと頑張っている自分を誉めたい気分ですがいみじくも私が小さい頃苦手だった姉春子さんと話する機会があり、私が「出来の悪い私も今は頑張ってます。」と言うと「最近の宏は凄く頭が良いと思うよ」と言われて悪い気はしなかったです。リピーターの皆さん。私はますます頭の回転も良くしていきますので、今後とも宜しくお願いします。

本日は話題を二つ

令和元年11月23日

① 『カメ虫のお話』

4泊5日の出張を終えて帰宅したのが20時過ぎで、家に着いてぐったりとしながらもお風呂にゆっくりと浸かろうと湯船に入り、何かしら浴室内が騒がしい。何かと思いふと上を見ると『カメ虫』が元気に飛んでいる。「静かに湯船に浸かろうと考えていたのに」と考えながらも、眠くて仕方がなくてウトウトしながらも一時間近く入っていて、2階の寝室に夢遊病者のようにしてベットに横になった瞬間、浴室とは比べ物にならない騒々しさでまたまた『カメ虫』が寝室では3匹も元気良く飛んでいて「これでは眠れないな」と考えカメ虫退治をする事にしました。

カメ虫退治の秘密兵器はペットボトルに半分程水を入れて天井に止まった所にペットボトルの呑み口を当てると簡単に水の中に落ちるのです。(良かったらやってみて下さい。)しかしながら部屋を見渡してもペットボトルが無いので一階の台所まで行き水を入れて寝室に戻るとタイミング良くカメ虫がベットの真上に2匹止まっていたので連続で2匹ともペットボトルにゲット。しかしながら、確かに3匹いたはずなのに天井にも何処にもいない。しばらくは飛び立つのを待っていたのですが一向に飛ぶ事もなく静かなので眠くもなったので寝たのですが、やっぱり3匹目はいたのです。

それは、朝目覚めたら私の顔のすぐ横でじっとしているのです。と言う事は・・・。私のベットで私の顔の側でカメ虫と私は一夜を共にしたと言う事か。しかしながら一夜を共に過ごしたからと言っても決して、間違ってもいとおしくなるわけがないので昨夜からあるペットボトルを持ってきてカメ虫を紙に移動させペットボトルに入れました。けしからんカメ虫ですが一晩おとなしくしていたのには感謝しつつも情け容赦なくペットボトルの中に水没して頂きました。

この時私は石川五右衛門の釜茹での刑になる時に我が子を釜茹での下に沈めたと言う話もあることを思い出しました。(私はそんな事は絶対になかったと思っています。何故なら秀吉の時代のかぶき者と言われた男が死ぬ間際にそんな事をするとは思えないから)昨夜2匹捕まえた内の一匹は既に死んでいて、死んでるカメ虫の上に乗っていたからです。あまりに情けない行為だと考えた私は思わずペットボトルを振り回し乗っているカメ虫を離しました。今(22時06分)コラムを頑張って打っていると天井に今夜も一匹見つけました。勿論ペットボトルにゲットしたのは言うまでもありません。

② リットのお話

本日11月23日はリットの誕生日です。大事に大事に飼われているのでめでたく滿18歳になりました。人間の年齢なら推定88歳だてか。でも、人間100歳時代だから当然の事なのか。しかしながら今朝4時に私の布団の上に乗ってきたのには驚きました。だって初めての事なので。しかし、誕生日だから許してやるか。リットは88歳でもしっかり食べるし2階までの階段(15段)を一日に何回も上り下りしているのでリピーターの皆さん私も負けじと頑張りますのでこれからも宜しくお願いします。

2019112321083101

本日はメルパルクホールで厚生労働大臣表彰の授賞式です

令和元年11月22日

昨日の内に水戸から東京へ移動して本日の授賞会場になっているメルパルクホールの向かいにあるホテルメルパルクに泊まらせて貰い、12時からの受け付けだからホテルでゆっくりしていれば良いのに何となく心穏やかでおれなくて、朝早くから荷物の整理をして、大方の荷物を(昨日までの資料、お土産、着替え)ホテルで購入した大きな箱に詰め、フロントで宅配の手続きをして、荷物は軽くなり(その荷物もホテルに預けました)ホテルから直ぐだとお聞きしたので、増上寺にお参りして、本堂において受賞できた事のお礼とこれからの間違いのない歩みを祈願してゆっくりとお経をあげさせて貰いました。

早くの昼食を頂きメルパルクホールに行くと受付のところがごった返していましたが、厚労省や全社協の腕章をした方が沢山みえて、指定された席まで親切に案内して頂けました。会場の席に座り受賞者の多さにびっくりしてしまいました。と言うのも、厚生労働大臣表彰以外にも全社協会長表彰、中央共同募金会会長表彰が一同に行われたからです。とは言っても全国となると流石に沢山の方になるものですね。

IMG_4156

ちなみに私が頂いた賞は岐阜県で四人だったので名誉な事だとは思いましたが、県知事表彰での知事から一人ひとりに渡して貰えるものと思っていたので代表者だけと言うのは正直拍子抜けしました。表彰状授与式に引き続きの記念講演では『近代福祉の礎を築いた渋沢栄一について』で改めてスケールの大きさを理解しました。(もうすぐ壱万円札になる人物)すべてが終わりホテルに預けてあった荷物を受け取りタクシーの依頼をすると『なかなか、タクシー会社につながりません。』との事なのでJR山手線の一番近い駅が『浜松町』なので雨の中を歩いていると凄い雨と共に傘が飛ばされそうな位の風が吹き泣きそうな感じで何とか浜松町北口に着き新幹線の乗車券を買おうとみどりの窓口を探しても見当たらないので駅員さんにまたまた聞くと「南口にあります」と素っ気なく言われたので、負けじと「南口はどうやっていくのですか」と聞くと面倒くさそうに「外に出て向かいのビルの2階から」と言われて再び雨に打たれて何とか切符の手配をしました。

しかしながら、私がお尋ねする駅員さんはどうしてこんなに不親切な方ばかりなのか。確かに東京には私も含めて田舎から出てきて東京の駅員さんなら当たり前の事を聞く方がたくさんおみえになるかも知れません。わからない事がわからないと上から目線になるものです。(私にも覚えがあります。私が30歳の頃、『私ほど一生懸命に子ども達と向き合い学習効果を出している人間はいない。

みんなも頑張って努力すべきだ。どうして頑張れないのかが理解できない。』等と生意気な事を言ってた時代が。とにかく、5日間の移動を伴う出張も今は新幹線の豊橋まで来ました。出張中は施設も無事だった事に感謝して、施設での展開を新規事業も含めて頑張りますので、リピーターのみなさんも上から目線撲滅に向かって理解して頂き不快にならない世の中を作りませんか。

第76回全国老人福祉施設大会茨城大会2日目です

昨夜は19時から2会場に別れての交流会があり、メインのテーブルに座らせて頂き、お隣の席が内田議長さんで議長さんも冷酒がお好きと言う事で茨城自慢のお酒を二人でがんがん飲みました。20時前に別会場におみえになった平石会長と園田参議院議員が会場入りされたのでお二人のご挨拶を聞いてから、主だった方にお断りを入れてから、当施設の職員と埼玉県の2法人の職員が飲み会をしている会場へ移り、『光國』と言う冷酒をこれまた強か飲んでいると、私が大きな声で話をしているのを聞き付けて愛知県の役員が顔を見せてくれたり、21世紀委員会の渡辺委員長と服部副委員長が挨拶に来たりと、めっちゃ楽しいひとときで、22時前になってカラオケに行くとの事で『一時間だけ』と言う事で参加して私が一曲歌うと誰かが一曲を歌うようなどうしようもないわがままを通して一時間楽しみました。但し陽気になりながらも新しい事を知りました。

それは、ブロンの西川理事長は英語の曲はめっちゃ上手だと言う事を。『能ある鷹は・・・』なのか、あまり歌った事がない曲を私に合わせて歌われていたから・・・なのか。でもね。チコちゃんではなくヒロ君は言いたい。

「カラオケタイムはそれぞれが楽しむ時間。先日三流から二流に昇格したのに、遠慮は三流に戻ってしまう。いやいや、昨夜は上手な歌を披露されたのだから一流の仲間入りも間近と言う事か。いやいや、一流になるのはそんなに簡単ではないですよ。」

研修2日目は第一分科会『地域共生社会を支えるトータルケアの実践~ケアと地域をつなぐ~』に参加しました。その中で一番印象に残ったのは『ヤングケアラー』と言う方のお話でした。ヤングケアラーとは、色々な事情により小学生あるいは中学生でケアをしている子の事を言うんだと初めて知りました。演壇で話をしたのは中学生の頃から8年間祖母の世話をした体験を聞きました。

その時に私は38歳の時に養護施設の指導員を辞し、フリーの立場で不登校の子に学習指導をしていたことを思い出しました。両親は建設現場の下働きを日雇いの形でしていて、貰ったお金を持って夫婦でパチンコに行き夜遅くに帰ってくる生活でした。中1の男子が糖尿により目が見えなくなった祖母の面倒をみていて、時に両親がパチンコで早くにお金をすってしまい早くに家に帰ってきて、その子が両親の食事を作ってないと暴力を受ける事があったとの話を聞いたり、その頃外国の米が日本に安く入ってきた時代で「タイ米は安くて食べる事が出来る。」との話を聞いた事を思い出しました。

その頃にヤングケアラーと言う言葉があったかは定かでありませんが発表した若者も見るからに優しそうな雰囲気を醸していたので、優しさを逆手にとる大人はどの時代にもいるんだと思いました。ただ発表者の若者は時代の寵児になれるかも知れないと思いました。しかし、今の世知辛い時代でもヤングケアラーとして生き生きしているのには『驚き』でしかないな。

16時前に全ての研修が終了して水戸から常磐線に乗り品川に着き今は芝公園のメルパルクホテルにチェックインをして明日のメルパルクホールでの大臣表彰に備えて今夜はゆっくり寝ます。リピーターの皆さんや色々と関わりを持って頂いた方々のお陰ですので、表彰の報告は明日させて頂きます。

1 2 3