2019年07月の記事一覧

一粒の米粒と四国団参でのお醤油のお話

令和元年7月11日

朝食を頂いていて、食べ終わったと思っていた自分の茶碗を見て、一粒の米粒が残っている事に気が付き、お箸で摘まんで食べました。その時に思い浮かべたのは、一粒の米も田圃を耕し、水を入れ籾を撒き、田植えをして、肥料や水の管理をして、頭が垂れるまでに育てて稲刈りをして、最終的に精米をして、米をかしお米を炊いてようやく茶碗によそってもらって、はじめて食べる事が出来る。一粒の米もみんな同じようなプロセスをたどっているのだから大切にして、感謝の気持ちを持って頂くのは当たり前。そんな事を考えている時にふと、滋賀信行会青年会に所属していた20代の時に四国八十八箇所巡礼の歩き団参で小学生から高校生を中心に60人位の団体の責任者を現滋賀信行会会長の内藤と一緒にさせて貰った時に宿坊で夕食を頂いている時に、多分小学4年位の元気な男の子が、おかずに並々とお醤油をかけた時に私はその男の子に、「自分でかけたお醤油は全部飲みなさい。」と言うと「そんなん飲めへん」と平気で言ったので、「米1粒、醤油1滴でも、あって当たり前と思うな。そのことがわからんのなら全部飲め」と言うと、「これからは気を付けます。」との事で、参拝中の食事の時のかけもののかけ方はそれ以降めちゃくちゃ慎重にお互いに声掛けをしてかけていたのを思い出しました。こんな事を思ったのは角田君の参議院選挙も一人ひとりへの誠意ある声掛けにより一票一票を積み重ねていくのだと感じているからかも知れません。本日は11時から参議院岐阜選挙区から出ている大野候補の岐阜県老施協主催の会があり、各支部長さんが一生懸命に声掛けをしていただいたお陰で大勢の方が集まってくださり、無事に終わり、今は15時30分から東京本部事務所で行われる『総務・組織委員会の四者会議に出席するために今は列車の中です。昨夜は家にバテバテで帰ってからコラムを打つことになり、大変な思いをしたので(泣きながら)本日もこれ以降の時間は会議後に役員だけでの食事会もあるので、ホテルに着いてからのたうち回るのはいやなので、新幹線の中でコラムを頑張りました。(追記)午前の会の時、大野候補のお母さんとご挨拶すると、「会長さんとは一度お会いしてますよ」と言われ「参議院会館で中村先生とお会いしましたね。」と言うと「10年位前ですね」と返されて、大野候補のお母さんは流石に元参議院議員だけに記憶力抜群と舌を巻きました。私も80歳を越してこの記憶力でいられるのでしょうか。もしそうだったら『矍鑠』と言う言葉が似合う人間でいられるのですが・・・。

バテバテで何も浮かばないので8月3日の夏祭りのイメージを書きます。

令和元年7月10日

あと24日で夏祭りだと言うのに諸般の事情で本日も7時40分に家を出て中濃支部長の案内で中濃支部の施設を回ってきました。どの施設も岐阜県老施協会長の私が来ると言うので有り難いことに歓迎して貰いました。12施設を9時から18時の9時間かけて、しかも、時間短縮の為に、昼食は施設の試食をさせて貰いながら。全ての訪問を終え中濃支部長の施設を出ようとした時に本部施設からメールが入り、利用者の請求の決済をして欲しいとの内容に、明日は午前中は参議院選挙の応援に出掛け、終了後直ぐに岐阜羽島に行き東京での初めての『全国老施協の総務・組織委員会の四者会議』がありそのまま東京で宿泊して、次の日は東京を7時発の新幹線に乗り、岐阜都ホテルで岐阜県老施協正副会長委員長会議に出席して、午後からは引き続き都ホテルで研修会が17時まであるので丸2日決済を延ばすわけにいかないので19時過ぎに施設に戻り、約300枚の決済印を押して、事務長と打ち合わせを終えて家にたどり着いてお風呂と夕食を済ませると21時30分。この段階で8月22日から連続更新しているコラムが書けて無い事に気が付きましたが、頭が空っぽで題材すら浮かんでこない。頭に浮かんでこないと余計に頭は真っ白。ここは、何も考えなくても出来る8月3日の夏祭りを題材にすれば少しは原稿らしくなって来るのではと居直った原稿にしてしまおうと考えていたら、だらだらと原稿を書いたら630文字が書けましたので、表題の夏祭りの原稿でみんなが盛り上がって貰いたいのはやまやまですが明日に譲って明日書きます。とりあえず今日のコラムはクリアと言う事で。(今日の格言「コラムは継続更新に意義があり」・何がカクゲンや)

夜にあまり眠れず肩がバンバンに張ってます

令和元年7月9日

夜中に眠りが浅いのは考える事が多くて緊張している為か肩がめちゃめちゃ凝っていて体調が最悪だと感じているのですが、一生懸命に話をしている時はえらさを忘れているのか大丈夫なのですが、運転をしていてハンドルを持っているときは肩をぐるぐる回しながらの運転です。

14時から岐阜清流プラザで行われた『ねんりんピック実行委員会』は予定通りに終了し、16時からのトーカイ本社での打ち合わせが17時過ぎまで行われ、しんどい思いをして、ようやく施設に帰り着き石垣のところを見たら、『夏祭り』の大きな看板が見えて「しっかり盛り上がってきたな。」と思い、車を定位置のスペースに入れる前に屋根のといを利用して提灯がずらっと吊るされ、玄関を入るとデイサービスから食堂にかけても提灯が吊るしてあり、夏祭りのワクワク感が涌き出て疲れが吹っ飛ぶような気持ちになりました。22年の積み重ねを感じる瞬間でした。そして、しみじみ提灯を見ると紅白の赤の部分が薄くなっているのを見て、「これも歴史を感じるな」との思いと、最初に提灯を購入する時は何件かお店を回って「早く予約してくれれば大丈夫ですよ」等と言われたな。今ならインターネットで直ぐに手配できるのに。

ポスター 看板  正門 ちょうちん

気分良く施設に帰り、北島部長から卒業した高校に夏祭りのポスターとボランティア募集のチラシを持って行ったとの報告を受け、ますます気分良くしているところへ一本の電話。その内容は北島部長が届けた高校の校長先生からで、「ボランティア募集のチラシに責任者の依頼文もないし、ボランティアの為の留意点もない。このようなものはどこの学校でも認められません。」との事だったので、責任者として取り敢えず謝ったのですが、職員がよかれと思い行った行動に「責任者が知らない間にこんな対応をさせてどうするんだ」的な内容に対して、岐阜県教育委員会は公共の建物だからいけないと言う杓子定規な解答をするのか当職員の主体性を評価してくれるのか確認したいと思います。今回の事は職員の勇み足なのか、それとも理事長の管理不足なのか・・・。悩ましい限りですが、「卒業した学校の後輩に施設を知って、介護を知って今後の良き担い手を育てていきたいと言う職員の思いをどのように形にすべきかをしっかり見極めたいと思っています。リピーターの皆さん私の考え方には無理があったり傲った考え方がありますでしょうか。

七夕

 

『巨人』の事part2と夏祭りの準備

令和元年7月8日

今朝は6時50分に家を出て、恵那文化センターで東濃支部長と8時30分の待ち合わせで合流して東濃支部長の案内で東濃支部の施設の挨拶回りをして、18時15分に施設に戻り、昨日のコラムで書いた巨人の原稿の予言が当たっているなら昨夜の巨人の勝利はないと、新聞も全く見てない状態で施設の職員に確認すると「理事長の言う通り巨人は負けました。」と聞き、私は巨人にとって疫病神か、何なのか。とつくづく思った次第です。但し、巨人が負けた事を差し引いてもお釣りが充分に出るものを私は施設に入る手前の駐車場で目撃しました。それは、8月3日の夏祭りの看板設置の作業を何人かの職員がしていてくれた事です。12時間近く施設訪問をしていての疲れがイッキに吹き飛んだ気持ちになりました。私はたまに夏祭りの打ち合わせで最終的に判断する位の事しか出来ていないのですが、職員は私が見ている見ていないは関係なく頑張っていてくれている。私は思わず目頭を熱くして「ありがたいなぁ」とつぶやいた次第です。このように出きるようになった職員の思いに対して理事長として応えていくには介護事業に対する評価を高めて、職員に対する社会的評価を高めるため汗をかくしかない。人材枯渇時代にやりがいを持って安定した生活を保証するまでには至っていない事に対して具体的に対処していかなければと思った次第です。『ローマは一日にして成らず』とか『千里の道も一歩から』とか言いますが、施設の事業を開始して22年目でつくづく思うことは間違いなしに年輪を重ねて来たと思うし、理事長である私の思いを形にしてくれる職員が増えてきた今だからこそ、じっくりと5年先、10年先を睨んだ展開をしていかなければと考えています。今の現状に甘んじる事なく頑張って邁進していきますので、リピーターの皆さんこれからもご支援ご協力宜しくお願いいたします。

『巨人』の事

令和元年7月7日

『巨人』と言っても『デカイ人』ではありません。勿論野球の話です。

若山家は『巨人ファンでなければ若山家の人間にあらず』のような雰囲気があり、(私がそのようにしたのかな・・・。)私もはずかしながら巨人ファンです。但し今は『多分』と言うくらいの程度のファンです。私が巨人ファンになったのは50年以上前でその頃はテレビで必ずと言って良い程に、巨人戦のナイターをやっていました。そして「巨人・大鵬・玉子焼き」と言われる位に圧倒的に巨人ファンが多かった時代です。そんな中、違うチームに鞍替えした多くの方がいるなかでバリバリの巨人ファンの特徴は巨人が勝った時は新聞の記事のいの一番にスポーツ欄を見てご機嫌になるのですが、逆に負けた日はスポーツ欄を見ることもしない・・・。実は私もその一人です。しかしながらかつては、名古屋ドームのバックネット裏で巨人戦があると観戦によく行っていたのに最近は足が遠退いていて、「私が好きな選手は一番が王さんで、二番が長嶋さん、その他に広岡さんに黒江さん、土井さんに赤い手袋の柴田さんに渋いバッターだった国松さんに末松さんで吉村も良かったし高橋由も良かったな。ピッチャーは堀内さんに8時半の男の宮田さん。キャッチャーは勿論森さんだよ。」とすらすら名前が出てくるのに、今は「阿部と坂本と・・・。うーん。後はだれがいるんだ。」程度しか名前が出てこない。たまに、テレビで巨人戦を放映していて私がみていてしばらくすると、相手チームがばかばか打ってしまうシーンがよくあり、私は基本的にテレビで野球観戦もしなくなり、最近は忙しさもあり、新聞でスポーツ欄を見る事がなかったのですが、本日は久しぶりにスポーツ欄を見たら『G進撃7連勝』が目に入ってきて、記事に目を通すと断トツの首位。これは全く気持ちの良い記事だこと。

しかしながら今コラムを携帯で打ちながら反省してます。「リピーターの皆さんは何の事」と思われた方も多いと思いますので告白します。(そんな大袈裟な事でないか)それは・・・。私が強い勢いに乗っている巨人の姿を確認したので、今日からは調子を落とすのではないかと・・・。つくづく感じています。私の思い込みにお付き合いして下さったリピーターの皆さん申し訳ありませんでした。いやいや、この記事が現実になったら嬉しいやらイライラするやら。私自身、絶不調の中身があるのかないのかわからないコラムに終始したことをお詫びします。但し、明日からはバタバタの日々になり尚且つ8月3日の夏祭りまでは息つく隙もないので、今日のところはご容赦下さい。

 

 

 

福祉施設士会の全国大会での裏話し

令和元年7月6日

博多に向かう日は10時から岐阜県庁で会議を済ませてからの博多入り。会議は代理出席も考えましたが、7月から健康福祉部長さんが代わられての重要な会議だったので埼玉県志木市のホテルを6時に出て、7時33分のひかりに乗り、9時27分に岐阜羽島に着き駐車場に急ぎ車を走らせて行きナビの到着時間が10時2分との事でしたが、予想より車がスムーズに走れましたが、10時に間に合わないとまずいと考え、岐阜県庁の担当課に連絡すると若い(多分)女性が出られて会議名もしっかり言ったのですがわからない様子でしつこく聞かれた後に「少しお待ち下さい」で『かなり待たされた挙げ句「既に始まっているようですが」と言われたので『ムカッ』としつつも「間違いなしに、10時からですから始まってないと思いますが、交通事情により若干遅れるかも知れませんので連絡しましたので宜しくお伝え下さい。」と言うと「もう一度お名前を教えて下さい。」に『最初に名乗った時にいつもお世話になります。と言ったやないか。』と思いつつ、改めて名乗ると「はい」の返事のみ。県庁のお方はそんなに偉いのか。それとも対応の仕方を学んでいないのか・・・。とにかく、交通事情が良かったので9時52分に着き、駐車場から会議がある議会棟3階まで走って行くと何とか9時58分で何とか間に合い、しばらくは息を整えるのに必死。会議終了後時間がない事はわかっていたのですが、何人かの委員の方とにこやかにお話をして、車に乗って再び岐阜羽島に。それほど待つことなく列車に乗り大阪でのぞみに乗り換えて・・・。この時思いました。次の列車に乗るのに一旦ホームから降りて又上がってホームに行くのを皆さんは黙ってされている。もっとも私もそうなんですが・・・。テレビのニュースなどでは『九州地方は豪雨』との事だったのでばんばん傘の用意をして博多の駅に下り立つとこれがかんかん照りの暑いのなんの。『言う事無し』。本日の会場は『ホテル日航博多』とは知っていましたが、今回シンポジストとして呼んでくれた花田さんによれば「駅前だし直ぐですから」の言葉に出口がどちらかを駅員さんに聞いて(東京の駅員さんとははるかに違う丁寧さ)駅を出て、『さてさて、日航の鶴のマークはどこかな』と上を仰いだのですが『どこにもない』・・・。確信はなかったのですが、なんとなく右の通りのような気がしてしばらく歩いても鶴のマークがないので『ここは聞くべし』で道行く人に聞くと「道路向こうの建物だけど、道路を横断出来ないので、地下に行かれた方が良いですよ」と言われたので素直に地下に入ったのですが、入った瞬間『全く方向がわかりませーん。』でお店の方に聞いてもわからず、ここは駅に戻った方が良いなと考え駅の方向の看板に沿って歩き上に上がり、『交番』の標示を目指して交番に着き中が見えないドアを開けると20人位の警察官が仕事をしてみえるところで、大きな声で「日航ホテルに行きたいんですけど」と言うと若い大柄の警察官がわざわざ外まで出てきて親切に教えて頂きました。ここでも親切にして貰えた。言われた通りに歩いて行くと目指す鶴のマークが確認できてホッと。17時前だったのでフロントでチェックインをしようとして、『何の手続きもしてないのに部屋はとれているのか』と思いつつ名前を言うと「ご予約を承っています」にホッとして、花田君がいる会場に行くと会場の部屋の前で見つけたのでご挨拶をすると「部屋で懇親会まで休憩していて下さい。」で部屋に行き汗びっしょりになったのでシャワーを浴びて着替えをすることが出来ました。全くだらだらと書いてしまいましたが、リピーターの皆さん旅をするにも予習がいると言うお話でした。

福祉施設士会の全国大会のシンポジストの役割が無事終わりました

令和元年7月5日

昨夜は、18時30分から交流会があり、参加者の殆どが参加しての企画で出し物に『バナナの叩き売り』なるものがあり、シンポジストの特権で目の前で見させて頂き、買う側で参加したかったのですが、

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バナナのでっかい一ふさを岐阜に持って帰るにはかなり勇気がいるのでやめたのですが、私がナメクジに塩のように元気なく食事に手を付けず、ビールにも殆ど手をつけなかったのは、博多は日本なのに日本の料理と呼べるものがなくて・・・。

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結局20時30分に終了後博多駅前の居酒屋で明太子や冷奴をつまみにして、生ビール一杯と冷酒二杯を飲み〆には雑炊まで頂き生き返りました。22時にはホテルに帰り本日の為と前日までの強行軍の癒しの為に早く寝ました。そして本日は9時からシンポジュームのメンバーによる打ち合わせがあったので6時前からお風呂に入り7時には朝食を頂き、(流石に日航ホテルの和朝食。写真参照。ちなみに完食です。)話す内容の整理と共に片付けをして、打ち合わせ場所に8時30分に行き話す内容と四人の順番を決め(私は三番目)9時25分には指定された席に座りパソコン操作の仕方を確認してコーディネーターの進行で始まり、私の前の二人の方と内容がダフらないように聞いていて「いつものように実践していることと私の思いを語れば良いな」と考えると(居直り)EPAインドネシア介護福祉士候補生への取り組み事例と本年度から導入したベトナム人留学生について語る事にしてマイクを持っていきなり自分は児童養護施設の指導員からのスタートで紆余曲折な生きざまの中で今は特別養護老人ホームの理事長をしていて5年先、10年先をみた方向性を出さなければいけない。などと話してしました。シンポジュームは予定していた11時50分まで目一杯盛り上がったと思います。今回私をシンボジストに推薦してくれた大会長の花田先生に挨拶をして当法人の職員と博多駅まで歩き駅の構内で昼食をとり、その後京都で乗り換え岐阜羽島で降り、自分の運転で関ヶ原に戻りかつてショートステイを利用していただいた方のお通夜に参列して、3日ぶりに我が家のお風呂にゆっくり浸かろうと思っていたのですが、がんがん電話が入り早々にお風呂を出て、「あっ、まだコラムが書けてない」と言う事で中身があるのかないのかわからない原稿ですがリピーターの皆さん取り敢えず千文字の原稿になりましたのでお許し下さい。(でも、これは謝る事なのかな・・・。)

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4時55分に目を覚まし朝風呂に入り今(5時27分)出発準備出来ました

令和元年7月4日

昨日の埼玉県志木市にある特別養護老人ホーム『ブロン』での『かくた君を励ます会』は全く準備期間のない中での企画だったにも関わらず穂坂衆議院議員や中市議会議員をはじめ施設関係者や地域の方々総勢120人の方々にお集まり頂きブロンの西川理事長の司会進行で盛大に行われました。

岡芹埼玉県会長の挨拶、穂坂衆議院議員の来賓挨拶の後、かくた君の彼の人となりを知ってもらう為の映像を見て頂き、引き続き、阿比留後援会事務局次長と私(全国かくた後援会副会長)が何故かくた君を国政に送り出さねばいけないのかを話ししました。参加されている皆さんは本当に一生懸命に聞いて頂けました。この企画に汗を流して頂いた西川理事長をはじめ職員の方々に感謝すると共に、きっと良い結果が出るものと確信すると共に、岐阜県もより頑張らねばと思った次第です。

本日は5時前に起きて朝風呂に入り6時に志木市のホテルを出て志木から池袋、池袋から東京、東京から岐阜羽島と乗り継ぎ岐阜羽島から自家用車で岐阜県庁議会棟での10時からの『岐阜県地域福祉策定協議会』に出席してしっかり意見を言わせて貰い、会議終了後この6月に健康福祉部長に就任された兼山部長がわざわざ挨拶に来て下さり、その後グループホーム協議会の井戸会長らと挨拶をして、駐車場までは中部学院大学の飯尾教授と歩きながら話をして、再び岐阜羽島に向け車を走らせ12時30分発のひかりで取り敢えず大阪まで行き、のぞみに乗り換えて博多まで行きます。岐阜羽島から大阪方面に行く事はまずないので(大阪方面に行くときは米原から乗ります。)いつもの景色が新幹線の中だとどれだけ変わるか一生懸命に携帯で撮ろうとしても対抗する列車に邪魔されたり、木々に邪魔されたり、そんなことよりスピードが早くてなかなかシャッターチャンスがありません。(何とか良い写真をアップ出来るといいんですけど。

もうすぐ京都ですが大阪で乗り換えたら少し列車の中でメロンパンとおにぎりを食べて、少しは目をつぶってゆっくりします。博多に着いたら30年来の友人であり福岡県施設福祉士会会長で今回私をシンボジストと呼んでくれた花田先生に迷惑をかけないように体調を整えて頑張ります。尚、施設福祉士会の全国大会の様子は明日リピーターの皆さんにお届けします。取り敢えず昨年8月22日からのコラム更新は出来たと言う事でこれから(1316)は少しゆっくりさせて頂きます。

 

私の声

令和元年7月3日

私は小さい頃から自分の声にコンプレックスがあり話す声が小さくてボソボソっと話をしていた記憶があります。その他にもいっぱいコンプレックスがありました。例えばお箸の持ち方です。私のお箸の持ち方はスプーンとフォークを進化させた持ち方なのです。どうしてそうなってしまったかと言うと寒くなった11月から2月の時期は霜焼けで手足がはんぱなく腫れて箸が持てなかったからです。その他にも魚の身を解すのも苦手です。これはお箸の使い方が下手な私の代わりに我が父進さんが我が母秋江さんの命令により綺麗にとってくれたので今もその後遺症で下手なのです。ヤナに行って鮎料理を食べる時のくしゃくしゃさは今でも恥ずかしいです。

話を『声』に戻します。先月24日に開催した『かくた君を励ます会イン岐阜』で私が主催者挨拶をした時の話し方や声の出方について聞いたところ「しっかり良く通る声で内容もわかりやすくて良かったですよ。」と言われて話の内容はともかく声が通っていると言われた事に納得がいかず、今朝私の奥さまかをりさんに聞いたら、「結婚する前にはぼそぼそと聞き取りにくかった。」と言われて「やっぱりそうだったんや」と思い「今はどうなの」ともう一度聞くと「今は大きい声で聞き取りやすいです。」と言われて、しばし考え込みました。「どうして声が大きくなったのか」と。そしてつくづく思いました。

平成の30年は、自分の考えを形にしていく事を自信を持って実践してきた時代で(正直途中で舞い上がりくちゃくちゃになり大変な思いをした時もありましたが・・・)自信の現れが声の大きさになりしっかりとした声で話し出来るようになったのかもと思っています。もう一つ思い当たるのは平成4年に児童養護施設の指導員を辞しフリーになり(同時に無納税者にもなりましたが)大学で講義をするようになり、基本的には150人教室位の部屋ではマイクを使わず話をしていたので、自ずと声を張り上げていたのだと思います。講義は最大で週に13コマ(1コマ90分)していて、その時には毎週月曜日は午前2コマ、午後2コマ、夜間2コマの1日6コマをしていたのですが、声が枯れる事はなかったです。(多分この時にしっかりとした複式呼吸を覚えたのだと思います。だから歌もお経もしっかり出来るのだと・・・。

『声』と言うキーワードだけでこれだけ書く事が出来たのは、今(1234)新幹線で東京に迎い本日はかくた君の理解を得る為に埼玉県志木市に行く為にじっくりと携帯の画面に向かう事が出来たから。そして昨夜はしっかり眠る事が出来、頭がすっきりしているから。15時には志木市にある特別養護老人ホームブロンのお計らいで出来た会でしっかり役割を果たして、明日は6時には志木市を出発して岐阜県庁での会議と施設福祉士会の全国大会がある博多に移動。その翌日はシンポジストとしての役割と充実した時間が待ってます。自分なりに頑張りたいと考えてます。リピーターの皆さんこんな生き方をしている私を変わらずご支援下さい。

 

パワーポイント資料が全くできてない

今の時間は午前3時42分で本日(7月2日)しか7月5日の福岡県博多で行われる施設福祉士会の全国大会でのシンポジストとしてのパワーポイント資料が全く出来てない事に気が付き目が覚めました。「いくら忙しかった。とか、何とか」言っても、これは論外だぞ。しかし、私をシンポジストに推薦してくれた福岡県の花田先生に如何にも申し訳ないので、せめて一夜漬けであったとしてもそれなりのものを作成せねば。いやいや考え方によっては丸々1日費やして資料作りが出来るのだから、あと一眠りして頭をスッキリさせて取り組みますか。7時になるのを見計らって窪田室長と宿直をしている吉田部長にパワーポイント作成の協力以来をしてから、『起承転結』の構成の流れを考えていて時間も短い事もあり最もシンプルな内容で話すことにして、9時30分からのメインバンクの大垣共立銀行の方との打ち合わせを終えてから水野相談員の写真提供の協力も得て写真のリストと内容の流れを打ち合わせして、後は窪田室長にパワーポイントの作業は任せる形で散会し、その後大東福祉会の理事長に就任された関根さんがおみえになり、先輩理事長として、「先を見ながらの舵取りの重要性」について熱く語った後、明日からお世話になる志木市の施設への手土産を買いに出掛け施設に帰ると、窪田室長からのパワーポイントがメールで届いていたのを確認して取り敢えず5日のシンポジストとして発表するイメージは出来ました。その後、福井県老施協事務局から7月18日~19日に行われる東海・北陸ブロック研修大会参加者リストが送信されてきて、参加促進の依頼がきたので、各支部長に会員施設に再度の依頼をするお願いをして、尚且つ、7月4日以降での施設訪問日程の調整をました。日程調整をしていてつくづく感じたのは平日の予定はびっしり入っていて、その感激を縫って日程を決めることの難しさを感じています。(土曜、日曜祭日に予定を組めたら楽何ですが。いやいや『働き方改革』を知らないんですか)くたくたの中で家に帰り今は湯舟に浸かりながらコラムを携帯で打っているのですが、お風呂でコラムを書くのが1日の中で一番リラックスしているからコラムが8月22日から更新出来ているのかも知れないです。明日からは志木市で一泊して、次の日は博多で一泊してその翌日はシンポジストの役割と何と充実した日々なのか。これでは少々いやいやかなり喉が痛くても気力で頑張るしかないな。リピーターの皆さん頑張ってる宏君に拍手をお送り下さい。(自分で誉めてどうするんや)

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