2019年06月の記事一覧

本日は7時30分出発です

参議院全国比例候補の角田さんと共に中濃支部の施設を中濃支部長の協力を得て後援会活動の一貫として回ってます。あいにくの雨で足元が悪い中ですが、力(リキ)を入れて話をしてます。但し力が入りすぎてついつい話が長くなってしまい予定の時間を30分遅れてしまっているので只今(12時06分)次の施設で時間を節約する為に話をしながら昼食を頂く事にします。昼食休憩の時間を節約したので午後の予定の一番目の施設には余裕を持って移動して貰っています。さてさて、午後からは話をコンパクトにして予定通り行けますかどうか・・・。只今15時51分です。取り合えず予定通り施設訪問をこなしています。このままいけば、中濃支部長の施設に17時には着きそうです。何とか角田さんを岐阜駅に送り、岐阜グランドホテルで行われる野田聖子衆議院議員の会に参加するため頑張って18時を目指して走ります。明日は東京品川プリンスホテルで全国老施協の代議員総会があり、副議長としての最後の仕事が待ってるし、総会の後には全国介護政治連盟の役員会もある、あいからわずの忙しい日程が待っていますが頑張ります。そう言えば先般8日の日に施設におみえになった方が私の小さい頃の事をご存じの方で「理事長さんが小さい頃はからだが華奢でひ弱そうなイメージしかないので今の理事長さんの元気さは想像出来ませんでした。」と言われて、わたしのからだが虚弱だったと日頃言っていたことを証明していただけたと思うと同時に今の元気さに対して改めて感謝の気持ちを抱いた次第です。野田衆議院の会には5分遅れでしたが何とかたどり着きました。予想はしてましたが会場は人・ヒト・ひとです。野田衆議院議員の話の中で予算委員長を女性議員が勤めたのは初めての事で色々な軋轢はあったとの事でしたが全てはね除けて全う出来たとさらっと言われたのを聞いていて、彼女も苦労を苦労と思わず出来るタイプの稀有なタイプだと改めて感じた次第です。全ての挨拶が終わり乾杯があり(本日は烏龍茶です)野田衆議院議員のところに行きご挨拶をした時に角田君の励ます会に来て貰えない事をひとしきり恨み節を言った後は記念写真に納まり、お開き前にくたくただったので中座して今は家のお風呂でコラムを書いてます。昨夜と違ってコラムを打ちながらうとうととする事もなく書き終えました。明日のために爆睡します。リピーターの皆さんお休みなさい。

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関ヶ原パワー全開

令和元年6月9日

全国老施協の組織内候補のかくた君が11時50分に岐阜羽島に着き、明日の中濃支部の施設訪問を前に有効な活動をするように依頼を受けたのが3日前。本日は日曜日と言う事で施設側の受け入れをしてくれたのが1施設のみ。但し、その施設では直接角田君本人から挨拶と握手をしてもらえました。施設を後にして関ヶ原の本部施設に案内してそれぞれのフロアで職員及び入居者に握手をして、

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15時過ぎには会議室で関ヶ原町を中心にした応援体制の打ち合わせを角田本人を交えて行う為に応援体制を依頼した方を待っていると、自治会の役員さん、町会議員さん、老人会の役員さんらがぞくぞくと来て下さり、驚いた事に町会議員さんにおいては8人中5人が参加して下さり、少し遅れての参加で自民党県連担当議員の方を入れて総勢28人で行われました。参加して下さった方々からそれぞれに熱い挨拶を頂き、最後には県会議員からの発案で頑張ろうコールを全員ですることになったのですが、若いところがリーダーを勤めるべきとの事で和合の事務長と商工会青年部の二人が1段高い所からリーダーを勤めてくれ、打ち合わせなしだったにも関わらず盛大に元気よくでき、無事に終了しました。結果はともかく、角田君を応援すると言う雰囲気を関ヶ原では出来たと思います。このような後援会活動は地道にしていかなければと改めて思った次第です。✳この原稿は9日の午後11時に打っていて、途中で集中力がなくなり全く打てなくなり、うとうとしていたら、宿直者が午後11時40分にメールで『コラムのアップはしなくていいですか』と連絡してくれたので、『これから頑張って打つから朝イチでアップして』と連絡して今(0時16分)打てました。とにかく連続記録更新と言う事でご理解下さい。

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当施設の管理宿直者の意味と思い

令和元年6月8日

当施設において夜の体制は夜勤者5人と宿直者1人の6人体制です。平成10年5月の事業開始当初は、宿直代1回3600円(今は5000円)を施設長である私がすると、宿直手当を出さなくて良いと言う経費削減の意味と、私がすれば自分自身の安心感と言う意味で週に3回程宿直をしていたのですが、施設の夜の状況も少しづつ落ち着いてきたと言う事と地域の高齢者の活用と言う意味合いから少しづつ地域の高齢者雇用の手立てとして宿直をして頂く体制にしたのですが、ある時かつての入居者さんが入院されている病院で深夜に亡くなり家族から連絡があったにも関わらず宿直者が「よくわからんので、朝になって掛けなおして」との対応をされ、7時に出勤した職員に報告はされたものの時すでに遅しで、病院に駆け付けた時には自宅に帰られていて、悔しい思いをして、「やはり、管理直体制でないと後悔しなけれいけないことが起きる。」と考えて、それ以降の体制は「施設長に代わって対応出来る職員で宿直をしてもらう。」と決めて今も実践しています。勿論、報告・連絡・相談は何時であっても携帯でやり取りはしていますし、必要に応じて施設にも駆け付けています。(但し、施設が落ち着いていて、深夜の対応は激減しました。)「管理宿直」とは文字通り、管理者としての判断をして貰う為の宿直者です。今朝もこんな事がありました。それはメールで「早出の職員から家を出るのが少し遅くなり5分程遅刻しそうだ」との連絡を受けたので、宿直者に「出勤してきたら、急いできて事故でもしてはいけないので、急ぐことなく来るように指導しておくように。」と言うと、「そのように話をしておきました。」との答えが返ってきたので、改めて当施設の職員は施設長が考えていることを良く理解していてくれる。と、考え深いものがありました。言い続ける事も大切ですが信頼を置いた対応を私もしなければいけないとも思いました。

話は変わりますが、久しぶりにデイサービスの送迎で運転手を勤めました。どの家でも「理事長さん自ら運転されるんですね。」と言われるので「たまには家での様子を見るのも大切な事ですから」と答えました。利用者さんによっては「わー、理事長さんが迎えに来てくれて勿体ない」等と言われ、自惚れかも知れませんが、いつも以上に華やいだ車中だったのではないかと思いました。『やっぱり、現場主義はいいなあ』

 

5時51分、少し遅い出発です。(一日坊主にはなりませんでした。)

令和1年6月7日

家の玄関先で靴の紐を結び直しながら「7時30分に朝食をたべるのか」と考えていて、「ぴーんポーン。コース変更」と言う事で青坂神社と妙応寺とお墓参りコースに決めて早速歩く事にしました。

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青坂神社の境内に足を踏み入れると、小学生や中学生時代に「ここで野球をして遊んだな。しかし、よくもこんな狭いところで野球をしたものだ」等と思いながら携帯で写真を撮りました。

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途中で大きく切った丸太が積んでありました。「この丸太はかつては幟を揚げる時に使っていたものだ。幟を揚げる作業の時には紐の結び方もわからず肩身の狭い思いをしたな」と考え深いものがありました。

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いよいよ神社の階段を昇りました。「確か100段はなかったな」と数えながら昇って行くと最初の踊り場で31段あり、「今上がっているところからトンネルになるんだ」と久しぶりのワクワク感です。引き続き階段を昇ると67段あったので階段の数は98段とわかりました。全部階段を昇ると爽快感と言うか達成感のようなものを感じています。再び階段を降りて行くと貨物列車がゆったりと走っています。「しかしながら最近の貨物列車は長くなったな」と感じているのは私だけでしょうか。お寺に行く近道で山道を降りていく途中に徳川家康が座ったと言われている石があったのですが、看板のみで場所移動したことを知りました。山道を下りる時に「若いときは飛ぶように下りたのに・・・。」

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山道を降りきるとマンボ(トンネルとは言いません)の中を歩いていて道沿いにある川を覗くと魚がいっぱい元気良く泳いでいました。私も子どもの頃はこの川の上流で水に浸かっていたな。(泳ぐ程広くないので、よく潜っていましたっけ)

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曹洞宗の別格本山である妙応寺は流石に立派。今須がかつて栄えていた証しかな。本堂の中に入ると大きなチャイムの音がしてご迷惑だと考え本堂前でお経を唱えていて気が付いた事があります。それは、日めくりカレンダーがあり7日になっていたから『凄い』と思った次第です。本堂からお墓の方に歩いている時(616)住職がお経を唱えられていておリンの大きな音が聞こえました。

我が家のお墓でお経を唱えながら墓誌を見ると秋江さん、進さん、英子さんの三人の法名が書いてあり、あの世か天国かで三人はどんな関係で過ごしているかと考えると思わず笑えてきました。「親父と二人のお袋、私は元気に頑張っているので、少しは安心して仲良く三人楽しくやってね」と語りました。今日は関市での葬儀に参列して、全国老施協の動きも気になるので情報収集もしながら充実した一日にしていきます。リピーターの皆さんも鬱陶しい雨空ですが気分は爽快に過ごしてください。

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(追記)最後の写真は私の家の橋向こうの倉庫のシャッターの絵ですがしみじみ見て写真に納めたものです。

 

午前5時09分歩いてます

令和1年6月6日

「ホーホケキョ」「ち、ち、ち」ほかの鳥のさえずりで、一旦止まって歩数を確認『2050歩』によしよし。521分初めて散歩されている方に会い「早いですね」とご挨拶。(ちなみに車には会ってません。)

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途中若宮さんにお参りして、午前533分目的地の聖蓮寺に到着。本木戸が開いてないので横からそっと入ります。本堂前で四国遍路で覚えたお経を唱え、親鸞さんの像に手を合わせお賽銭をそなえようとすると私が以前歩いていた時のお賽銭がそのまま置いてありびっくり。

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552分にようやく太陽が山から現れました。畑作業をされている方に声をかけると「若山さん?」と返ってきたので「はい」と答えると「久しぶりやね、どこか悪かったの」と言われたので「ばたばたでなかなか歩けなくて」と言うと「それならいいんやけど」には参りました。

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先程家にたどり着き携帯で歩数を確認すると7000歩を越えていて改めて散歩の凄さを感じました。と言うのは毎日ばたばたとうごめいていますが、お客様の対応があれば事務所から会議室に行ったり来たりで歩くくらい。たまに施設の内外を歩いてもせいぜい5000歩が良いところ。朝の冷気を感じ鳥の囀ずりを聞きながら快適に歩いて、湯船につかり、さっぱりしてから一日の仕事に入れる。何と幸せな事か。今日は今月24日に行われる研修会及び角田君を励ます会の会場の打ち合わせを岐阜グランドホテルで午前中に終えて午後は具体的な流れを猫田県議会議員と猫田事務所で行い、夜は大変お世話になった関市にあるかつての施設長さんで元軽費ケアハウス委員会の副委員長をしていただいたかたのお通夜があります。今日も一日ばたばたですが、ばたばたでうごめく事が出来るのは、職員が一生懸命頑張っていてくれるからと感謝しながら頑張ります。リピーターの皆さんこれからも社会福祉法人杉和会は地域の為に貢献しますので応援宜しくお願いします。

 

 

今須中学1年生に講話をしてきました

令和1年6月5日

例年今須中学1年生に6月は講話をさせて貰い、7月には施設での体験学習で入居者さんとの交流の時間を持ち、8月は本部施設で行われる夏祭りのイベントに参加して貰い、翌年3月には総合学習の発表会に招待を受け発表の講評をさせて貰うのですが、本日は今須中学校に講話をさせて貰いに行きました。

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今須中学1年生総勢11名と教頭先生、担任の先生、副担任の先生を前にして1時間半しっかりとお話をさせて頂きましたが、今須っ子は「超まじめ」な為に私の得意な「おじさんギャグ」を連発しても全く受けなくてノリノリの講話になかなかならなかったのですが、真面目な聞き上手な面々だったので、聞き手に私が引きずられるようにして講話が進みました。話を姿勢が良いのと目の輝きに対して私自身エンジンがかかり、予定の時間がアッと言う間に来てしまい、質問の時間に食い込んでしまったのですが、担任の先生のご配慮により時間延長を認めて頂き生徒さんの質問にもしっかり応える事が出来ました。

先般、岐阜県老施協総会で講演して頂いた大谷徹奘師は自信を持って同じ話を聞き手に合わせて変えていく形だと言う事を師の著書とCDで確認して、「私もその流儀で行こう」と決めていたので、最初の話は私が小さい頃虚弱だった話から、『福祉』の語源の話をさせて貰いました。つまり、福祉の『福』にも『祉』にも『しめす辺』があり、『示』は神様にお供えする三方の事です。と言ったら、三方を知らないような表情だったので、「今も若山家では初なりのものやお土産などを頂くと仏さんにお供えします。」と講釈したりして・・・。最後には、『介護の仕事はやりがいがあり、尊い仕事なので10年後にはこの中の一人でも二人でも介護の仲間でいてくれたら嬉しいし歓迎しますと話して最後に83日が夏祭りなので是非協力して下さいと話をして講話を終了しました。

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土砂崩れ防止壁の工事の状況を確認して感動しました

令和元年6月4日

施設の南斜面の土砂崩れ防止壁の工事を2015年度から岐阜県の補助事業として施設の西側から実施して頂いていて順次工事が進み、5年目を迎えて150メートルが完成して施設の出入り口まで完成したのを、今、工事をして頂いている斜面を登ってみました。その時の写真が下の写真何ですが施設を上から見るのもなかなか良いものだと思い、携帯で写真を撮りました。そして、山の上に登って分かったのですが、名神高速道路の下り車線を走る車をはっきりと見る事が出来るのです。と言う事は名神高速道路を走っている側からも私が立っているのがしっかり見えると言う事なんだから・・・。「よし、山の斜面にネオンサインでもつけたろか。」等と思ってしまう私は変なのでしょうか。施設の西側奥には今までの倍以上に大きな砂防を計画して頂いているとの話を岐阜県土木事務所の担当の方から聞いていますし、より安心出来る施設にしただけているのは本当にありがたい事です。この工事をして頂く為に岐阜県高齢福祉課を通じて何度も話し合いをしたのは事実です。何故なら、震度「7」にも耐え得る建物を建てさせて貰ったのも関わらず関ケ原町さんの「福祉避難所」の指定が頂けなかったからです。確かに「イエローゾーン」の斜面ではありましたが、防災備蓄倉庫を造り食料品、水の確保だけでなく、衛生用品、簡易トイレ、蓄電池まで揃え3日間の籠城が可能になるようにリスクマネジメントの権威者であるびわこ学院大学教授の烏野先生のご指導で確保させて頂いたのだから。勿論、災害などないに越したことはありませんが、5月の北海道で39度と言う異常気象だつた事を考えると「想定外」な事がいつ、どこで起きても不思議ではありません。いやいや、当地で起きなくても災害が起きた地区のお手伝いが出来る事も考えて・・・。これもまた、中村会長が健在な時に熱く語られていた『先を見る』事にも繋がると考えています。岐阜県の多大なご理解に感謝しつつ、当法人が出来ることをこれからも頑張っていきますのでリピーターの皆さん、当法人の展開も見守っていて下さい。

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昨日の『自覚悟』について、より突っ込んで書きます

令和元年6月3日

私は昨日の結論で『腹をくくる』と結び、書いた後からずっとしっくりこないなと思いつつ、私の人生ですから自分なりには理解し消化できたように思っていましたが、殆どのリピーターさんにとっては「なんのこっちゃねん」と言う書き振りだったと反省して、自分で問答をした結果を書く事にします。私は虚弱児で自分では何も出来なくて、いわゆる『自立』をしたのは38歳の時だとは何度も書きましたが自立をしたから『悟』を拓けた等とは全く思っていません。但し『自律』に向け努力したことは私自身誇って良い事と自負しています。「反社会、非社会の子どもに個別指導をしたい。」と言う思いだけで、児童養護施設の児童指導員を辞し、まっしぐらに突き進めるものと思っていた私には、いわゆる『腹をくくる』試練が一杯いっぱい待ち受けていました。砂田おさむさんの『人生夢の途中駅』の詞をお借りするなら「夢中で駆けた時代もあった、振り向けば、雨や嵐の時代もあった」と言う事何ですが、雨や嵐は必ず時間と共に過ぎ去りますが『腹をくくる』事は決して時間が解決してはくれません。つまり、頼れるのは自分だけ・・・。(ここで、先般、嶋聡先生からのメール送信での通信を読ませて頂いた時に『成功者は運が強い』との事が書いてありました。)苦しんで苦しんでもう駄目だと思う試練が一杯あり、腹をくくった状態の時にいつも救いの手がありました。今から思うに、一生懸命に尚且つ純粋に行動している姿を多くの方が見ていて下さり、救いの手を差しのべて下さったから、土地もない、社会的地位もない、お金もない私が今こうして事業をしながら「地域貢献こそ大切」と声を張り上げて言えるのも支援をして下さった方々のお陰。施設が出来た当初は私自身が舞い上がり、施設もくしゃくしゃになった試練もありましたが、その時も腹をくくり、自ら施設長を辞し一職員として1年半の経験が今に生きていると思います。『腹をくくる』試練を一つひとつ乗り越えさせて貰って今があるのだと思うと『自覚』も『覚悟』も周りの方々によって築いて行くものだと気が付きました。色々な方の支援を頂くには日常での感謝こそ大事と言う当たり前のところにたどり着きました。『運も実力のうち』と言いますが『運』を引き寄せる毎日があればこそとも思いました。これからもたゆまぬ努力をしてまいる所存でおりますのでリピーターの皆さんこれからも宜しくお願い致します。

バテバテで午後から休みを頂き二時間寝たので頭がピュアになりました

先般講演頂いた大谷徹奘(てつじょう)師から頂いた事を書く事にします。大谷師の講演のキーワードは三つありました。一つに『よっぽどの縁』二つに『自覚悟』(じ・かく・ご)三つに『身心安楽』(しんじんあんらく)です。その中で今回は『自覚悟』について書く事にします。先ずは師の講演の説明をします。悟りについての話になり、本来『悟』は『自覚』と『覚悟』の二つの言葉からなり、『自』と『覚』を取り『悟』の意味になったと言われました。確かに『悟りとは』などと問われた時に何となく分かったように知ったかをしていたように思いますが『自覚』して『覚悟』をしたのが『悟』と言う本来の意味だと言われてみると、「スカッと」わかったように思いました。つまり、どこかの番組ではありませんが大きく「ガッテン」と言う事です。私はこのコラムでも書いたと思うのですが、『38歳の時に初めて自分で自分の事で決断した。』と。その決断とは13年も勤めさせて貰い、嫁さんも子どもも二人いる中での決断でした。つまり、ここでの決断は大谷師の言い方をするならば『よっぽどの決断』であり、その決断を許してくれた家族がいると言う事です。38歳で児童養護施設の児童指導員を辞しフリーの立場で大学、短大、専門学校で多い時は週に13コマの講義と家庭教師、そして本来したかった非社会、反社会の子どもたちの個別指導に取り組み、理想に燃えた『覚悟』はありましが現実問題としての『若山家の経済状況』を日本の制度は認めてくれず、私の覚悟は挫折に変わるしかなかったのですが、固くなな考えではなく、理想の形を変えていく事で自分の『自覚』が芽生え今の自分を作り、まだまだ『悟』の境地には程遠いですが『自覚』をする中から『覚悟』が作られたと思います。私の場合は『覚悟』と言う言葉より『腹をくくる』と言った方がより的確な言葉だと思います。と言う事は日本の制度が、社会が、地域が私の今の形を作ってくれたと言えるのかも知れません。正直、大谷師の講演内容とはかなりずれたものになってしまいましたが、リピーターの皆さん私の意を理解して頂きご意見を頂ければ幸いです。

飛騨支部の役員さんは暖かかった

ホテルから歩いて5分のところに会議および懇親会を行う会場があり、驚いた事に岐阜支部長が駐車場のところで迎えてくれました。会場の玄関先は外国の方が記念写真を何組もとられていて、一瞬「ここは日本なのか」と疑ったりして。私も思わず写メで写真を撮り会場に入ると支部長さん、副支部長さんはみえており、役員の一人の方が時間を間違えてみえて、携帯で連絡をとり、定刻より5分遅れの16時5分に役員会が始まり令和元年の事業計画も無事に承認され、岐阜県老人福祉施設協議会会長としてご挨拶と共に人材を中心に話をさせて頂きました。役員会が終わり懇親会の準備の為、30分の休憩の後に、交流会が始まりました。飛騨は酒何処だから気合いを入れて飲まなければと思っていると副支部長の片岡施設長さんから乾杯発声のご指名を頂き乾杯のご挨拶をさせていただき、最初の一杯は生ビールを飲ませて貰い、後は熱燗に切り替え飛騨牛の焼肉で(全くきめ細かい霜降肉です)ガンガン飲みました。20時前に参議院議員組織内候補予定者の角田氏が来てくれて、それぞれに挨拶をして、一次会はお開きになり、大概飲んだのですが、二次会に歌が歌えるところに移動し、懲りる事なく『人生夢の途中駅』を歌いつつウィスキーをロックで頂き、角田氏と同じホテルと言うこととあまり夕食を食べられてないと言う事で、ラーメン店に行きまたまた、ラーメンと共にビールを頂きました。今朝は飲みすぎたと後悔しながらお風呂に入りましたが全く汗が出なくて「やばい」と思い、ベットの上で体操をして、再びお風呂に入るとタラタラの汗が出て、ようやくシャキーンとなり、時間がないので慌てて着替えと荷物の整理をして1階のフロント前に行き、しばらく待っていると全員揃ったので『かくた後援会加入促進』の為に角田さんを乗せ施設訪問に。昨日お会いした施設長さんだけでなく、土曜日にも関わらず、法人役員の理事長さんや常務理事さんがお向かいして下さり、角田氏を交えての情報交換をしてどの施設も暖かく迎えて頂けました。飛騨支部は面積が広いので、2日間の走行距離は482キロを走破しました。岐阜県老施協会長になり4期目(7年目)を迎えたのですが、支部長さんの協力と理解が得られていることに感謝して、18時前に岐阜羽島に角田氏を送り届けて、ホッとして、今は家の湯船に浸かりながらコラムを携帯に打ち込んでます。次回は10日に中濃支部を角田氏と共に回る事になってます。このように一生懸命に活動するのは介護を取り巻く環境が厳しさを増していて政治力も必要だと思うからです。リピーターの皆さんも熱いメッセージを宜しくお願い致します。

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