2019年06月の記事一覧

地元の議員さんの日帰り旅行中です

昨夜は結構遅い帰宅(23時前)だったのですが集合時間が7時30分に垂井だったので6時45分に家を出て、7時10分に着いたら既にバスが来てたので、主催者の方にご挨拶をしてバスに乗り込みました。結局7時50分にバスは出発して2回のトイレ休憩があり一つ目の目的地『美浜・えびせんパーク』で『たこの姿焼き体験』をしました。

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お店の方が一生懸命に説明をして下さったのですが、殆ど理解出来ないままに実演しました。お店の方に手伝って頂き、たこの姿焼きせんべいは完成して焼きたての自分が作ったたこせんべいを食べるとこれが意外に美味いのです。私は思わず「私はせんべい作りの天才」等と思ってみましたが、それは全くのおかど違い。よく考えてみたら、生地はお店が提供したのを使用したのだから美味いのは当たり前か。

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再びバスに乘って師崎・片名港に着き海上タクシーで昼食先である日間賀島へ。

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船を降りて2台のマイクロバスに乗り換え日間賀観光ホテルへ。食事の会場では海の珍味を頂きました。(特にたこ料理)食事の時にはビールと熱燗がガンガン出てきて、参加されている方がお酒を注ぎにみえて垂井町で計画している盲養護老人ホームの事や当法人の施設についてのお話についてしっかり語り、当法人に対する期待をひしひしと感じました。

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食事が一段落したらカラオケタイムになりカラオケが好きな方が多く、それでも根性で2曲歌いました。(『兄弟船』『おまえしか愛せない』)上手く歌えたので調子に乗って「山崎ていじには足の長さではぜんぜん勝てないけど歌の上手さは私の方が上です。」とのたまってしまいました。

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二時間以上の昼食が終わり、マイクロバス、水上タクシーで師崎に戻りバスで15分走ったところにある『網元直売・魚太郎』で買い物タイム。但し疲れが出ている私には全く購買意欲無しで、うろうろしているのみ。再びバスで30分移動した『めんたいパークとこなめ』に着いたのですが、バスの中で一人待機。その後は一路垂井町へ。途中のトイレ休憩の時に気が付いたのですが、バスのシートに座っているだけで何もしないでいたので膝ががくがくです。と言う事は、入居者さんがじっと椅子に座られているのは改めて大変な事だと思いました。この事に改めて気付いたのは収穫でした。勿論、新規事業について地元の方が理解して協力して頂く言質を頂いたのは大収穫だと思っています。しんどい道中でしたがただでは転ばない私の真骨頂かな・・・。

平石会長新体制で初めての正副会長委員長会議での報告をします

令和元年6月29日

会議の冒頭の平石会長の言葉の中で特に強調された言葉は『役員一人ひとりが当事者意識を持ってそれぞれの役割を担って貰いたい。』との主旨だったと思います。その言葉の中には会長を引き受けられて、組織の刷新に対する並々ならぬ決意の表れだと思いました。そしてもう一つ強調されたのが『融和と再生』との言葉でした。私も全く同じ事を考えていましたが、素晴らしく端的な言葉を選ばれたと思います。確かに今は完璧な組織ではありませんが、必ず、『融和』が出来る事によって『再生』を勝ち取る事が出来ると確信しました。私も、総務・組織委員会委員長として平石会長の元で、自分に与えられた役割を頑張って行こうと強く決意した次第です。

私のコラムを見ていてくれる全国老施協の特に若手の役員に向けて発信します。「当事者意識を持つ」と言うことは、事務局におんぶに抱っこのやり方ではなく、自ら企画し事務局の方には、文字通り事務的な仕事をサポートして貰う手法でいて貰わねばいけないと言うことです。確かに役員は常勤ではありませんが会員・会費に忠実である為には、全国老施協の為に汗をかく事です。簡単には結果が出ない事でも一生懸命の自分がいれば必ず結果は付いてくるから。もし結果が出なくて悩んだら私に相談して下さい。私は『総務・組織委員会』の責任者です。全ての委員会の総務を司り組織を活性化させる為の委員長なんだから。自分で言うのも変ですが『一見恐そうだけど中身は優しさとやるきの塊だから』

頑張るを形にするために会議が終了して、総務・組織委員会の担当副会長である皆川さんと、担当幹事の田中さんの三人で打ち合わせをしました。やるべき事が山積している現状を前期も総務・組織委員会幹事だった田中さんが報告して、次への戦略について忌憚なく話をしました。

今は(午前848)新幹線の中でコラムを携帯で打ちながら岐阜羽島に9時30分に着いて施設に戻り本来の業務をしっかりこなすこともしなければと考えています。もう一度昨日の会議はしっかりとした発表がなされ討議もしっかり出来たと思いました。勿論私もしっかり意見を言わせて貰いました。幸先の良いスタートでしたのでこれからも自分の置かれた立場を理解して精一杯頑張りたいと思います。

最後に若手役員に向けて『言おうと思った事は口に出せ。やろうと思った事はやり遂げろ。言った事、やった事で上手くなければ修正すれば良い。でも、アクション起こさず後悔することはだめだ。できなくて悩んでしまうならいつでも相談に乗りますよ。一見恐そうな顔だけど大丈夫だから・・・』

 

平石会長新体制で初めての正副会長委員長会議の為、東京に出張です

令和元年6月28日

前期は副議長としての参加でしたが、今回からは『総務・組織委員長』としての参加になります。7月号の『月刊老施協』に委員長としての指針原稿の依頼を受け、その原稿の締め切りが本日だったので、朝イチで原稿の見直しをして、全国老施協事務局にメールで送り終えたら、フラッと優・悠・邑家族会会長の吉田さんがみえたので、先ずは24日に『かくた君を励ます会』に来て頂いたお礼を言うと吉田会長から「800人が集まった集会に複数の県議が挨拶してくれたのも嬉しかったけど、一番嬉しかったのは、若山君が会の代表として立派に挨拶もして、座っていたことや。20年以上前に岐阜県庁の議会棟に一緒に行ったことを誇らしく思ったし、本当に嬉しかった。」と言われたのには、思わず目頭が熱くなりました。そして、「家族会会長が優・悠・邑の施設長が推薦しているかくたを応援するメッセージを作るべきだと思うがどうだ。」と言われた時には、ここまで思っていて下さる事に思わず手を合わせてしまいました。今(10時56分)は新幹線で東京に向かっていますが、20年以上誠意ある展開をしてきた(途中で舞い上がった時もありましたが・・・。)賜物だと思うと、今日の会議でも是は是、非は非で発言していきたいと考えています。だって、会員の会費から費用弁償して貰っているのだから、誠意ある対応をするのは当たり前の事なんだけど・・・。列車が混んでいて、隣の席に若い女性の方が座られていて、領収書の整理をしながら家計簿を一生懸命につけてみえ、横浜辺りでその作業を終わられたのを見計らって「緻密に家計簿を付けられるんですね」と話し掛けると、「資料の整理をするのが楽しいので」と答えられたので、「失礼ですが結婚されてますか」と再びお尋ねすると「はい」と、答えられたので「あまり細かい事をするとご主人に鬱陶しがられませんか」ととても失礼な質問をしたのに対して、「そんなことはないですよ」と当然なように答えられたので、私が名刺を渡すとその女性の方からも名刺を頂き、しばらくお互いに仕事の話をさせて頂きました。旅は道連れとは言いますが、一見怖い風体の私とよくぞお話をしていただけたと感心しながら東京のホームに着きお別れしました。そして、タクシーで本日の宿泊先である都市センターホテルに荷物を預け本部施設がある塩崎ビルまで歩き、途中のコンビニで昼食用のおにぎりとパンとお茶を買い、いよいよ会議に挑むのですが、会議の内容などはあすのコラムにさせて頂きます。但し、会長の話の中に「融和と再生」のキーワードがあった事は予告として述べておきます。

流石に本日はバテてます

令和元年6月27日

24日は、8時から岐阜支部の施設回り(本部施設を6時過ぎに出発)と『かくた君を励ます会』があり、ほっとする間もなく、翌25日には東濃支部の施設回りで京都の桜井君を乗せて7時前に施設を出発をして、施設回りをして本部施設に戻ったのが19時前。本日は脱力感があり、家で8時過ぎまでぐだぐだしていて、スケジュール表を確認すると、9時30分から清心苑の施設長さんが20年の節目でご勇退されるとの事で、新しい施設長さんとご挨拶に来てくださる事になっていたのを確認。ここは頑張って施設に行かねばと言う事で着替えをして施設へ。20年の長きに渡ってご協力頂いた事に感謝を申し上げ、思い出に話が盛り上がり。11時からは日清医療食品の方と打ち合わせをして、慌てて昼食をとり14時に岐阜県盲協会会長にご挨拶に行く事になっていたので車を走らせるのですが、バテバテで運転がしんどくて・・・。でも、盲協会会長との挨拶では盲養護老人ホームの建設に向けた途中経過をしっかり話しました。帰りの運転もしんどかったので、散髪をしてさっぱりとして、今は17時57分でめちゃ早いのですがお風呂に入りコラムを打っている次第です。明日は全国老施協正副会長委員長(通常)会議があり、政治連盟の役員会も行われるのでシャキッと気合いをいれなければいけないのでだらっとするのは今夜一晩寝て終わりにしなければいけないと思ってます。だって、7月3日は埼玉県志木市での講師依頼を受けているし、4日は北九州に移動して、5日にはシンポジストを受けてるし(外国人介護人材について)、もちろん4日は参議院選挙の公示日だし、『バテバテだ』等と言っている場合でないので頑張ります。自分なりに頑張ってるつもりですが無理をせず、休める時には休んでやるときには全力でのメリハリのある生活をしていきますのでリピーターの皆さん宜しくご理解下さい。そう言えば明日が締め切りの原稿がありました。東京への出発(10時14分岐阜羽島発)までに書かなければいけない。

かくた君の後援会活動の一貫で東濃支部の施設回りです

恵那文化センターの駐車場で8時30分に東濃支部長の上田さんと待ち合わせをしていて、本来角田君本人と行くべきなのですが、角田君は全国行脚をしなければいけないので、角田君の名代で全国老施協の桜井外国人材部会長が来てくれる事になっていて、桜井部会長は京都の丹波から来てくれるので本部施設に7時の約束で私の車で恵那まで行く事になっていたので、遠くからきてくれる桜井部会長を待たせるわけにはいかないので、我が家を6時30分に出て施設で待っていると間なしに桜井部会長が来てくれ、少し早くの出発ができました。

高速道路は途中の一宮での渋滞はありましたが予定時間の15分前に着き支部長を待ち、支部長が着かれて支部長の車に乗せて頂き出発。一つ目の施設にはスケジュールよりも早く着き順調なスタート。ところがその施設ではわざわざ理事長先生が待っていて下さり81歳との年齢をお聞きしましたがめっちゃパワフルで滞在時間予定の15分をはるかにオーバーしてしまい(40分)ハンドルを握っている上田支部長から、「滞在時間は15分で」と釘をさされてしまいましたが、さてさて11施設を予定通り回れるのか自信を無くす始末です。

昼食時間を節約するために、12時前に着く予定の施設で昼食を準備して頂いていたのですが、12時前どころか12時20分に到着。説明が終わって昼食を頂いたのが12時40分でしたので、3人は10分で食べようと黙々と食べたのですが私は急ぐがあまりハンバーグに付いていたケチャップでカッターの胸の部分を汚してしまい苦笑いをしながら「次回昼食を頂く時はエプロンを自参します。・・・。」と自虐ギャグ。出発予定の13時には施設を出て時間は稼げました。

どうしても、15分の滞在時間では収まらず遅れがちの予定を事情を話して同一法人の施設を一つ省く事を了承してもらい最後の施設はしっかり予定通りに終了して、18時20分に我が法人の本部施設に着き、桜井部会長の車を見送り本日の強硬日程を終えてゆっくりお風呂に入り夕食をとると睡魔が襲ってきました。しかしながら、コラムの連続掲載記録を途ぎらすわけにはいかないので、寝む寝むですがコラムを書きました。リピーターの皆さん、もう限界なので見直しはしませんので誤字脱字があってもご容赦下さい。

昨夜の『かくた君を励ます会』は800人の参加で盛大に行われました

令和元年6月25日

17時に岐阜支部の施設訪問を終え、『かくた君を励ます会』が行われる岐阜グランドホテルに着き地下一階の会場に行き椅子が整然と800席並べてあるのを目の当たりにして、頭が真っ白になりました。だって、事前の調査では800人が参加してくれる事にはなっていましたが、本当に準備した分の参加者がきてくれるのかと・・・。

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若手の職員である21世紀委員会の方々にお礼を言うと共に檄を飛ばし、司会者との最終打ち合わせをしていると担当県議の高殿議員がおみえになり、全国介護政治連盟の久藤会長、全国後援会の大山会長、伊藤県議がみえて緊張感が一気に・・・。そんな時に「岐阜県が頑張っている」と聞き付けられた鹿児島の吉井先生までかけつけてくださり、その段階で開始20分前になったので会場の様子を見に行くと椅子席が半分位埋まっている状況に「大丈夫か」との不安がピークに。

そして再び控え室に戻り開始予定10分前に舞台へ来賓の方々を誘導して舞台から会場を見ると7分の入り。そして18時30分に会場が暗くなり、ロッキーのテーマ曲が流れてスポットライトが当てられた所にプラカードに先導されたかくた君が現れ、会場の参加者に握手をしながら会場の方の拍手に乗って練り歩き舞台中央へ。『想定以上の盛り上がりだ』と思っていたら、会場の後ろに予備に置いてあった椅子を持ち出して座られる方もいて『大盛況だ』。

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会者の進行で林副会長の開会宣言。そして仕掛人である私が主催者挨拶。いつもの事ながら、事前の原稿はなし。でも、私なりに精一杯のエールを送る内容と来賓と沢山来て頂いた会場の参加者へのお礼の挨拶をして、続いて来賓の挨拶を久藤会長、大山会長、野田聖子自民党県連会長(代理)県連会長代行の猫田県議、担当県議の伊藤県議て高殿県議に挨拶をして貰っていると、東京から駆け付けて下さった大野参議院議員に挨拶をして貰い、角田さんの決意を迫力ある話をしてくれました。

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そして、事務局からのお願いの後、頑張ろう三唱を長谷部21世紀委員長のリードで会場も舞台にいた者も一体になり行いました。800人が一斉に声を合わせて行った頑張ろう三唱な私は感動のあまり涙が溢れそうになりました。

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会場の熱気のなかオレンジの統一ジャンバーを着てくれた30人の若手職員、そして一時間あまり幟を持って頑張ってくれた10人の職員、受付をしてくれた職員、プラカードで誘導してくれた杉野施設長。みんなの力で盛大に出来た事に感謝して、いよいよ始まる選挙戦に向け気を引き締めていきたいと思っています。

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本日は朝からお礼の電話をかけました。何事も後悔の無いように出来る事をして、天命を待つ。いやいや、この選挙戦は負けるわけにはいかない。何故ならば介護の代表を国政に出さなければ介護の明日は無いと考えているから。リピーターの皆さん強制ではありませんがご理解ある方はご支援下さい。

 

いよいよ『かくた君の励ます会』です

本日岐阜グランドホテルにおいて『かくた君を励ます会』が行われるのですが800人分の椅子席を用意して「果たしてどれだけの参加者が来てくだれるのか」とか「雨が降って足元が悪くなるのは来てくださる方に申し訳ないな」等と考えていると朝早く目が覚め、我が家の仏壇でお経をあげ、スーツに着替えて施設に行き、荷物の確認をして、岐阜グランドホテルに行くのに時間があると思い、自分の高揚感を押さえる事も考え施設の仏壇でしっかりお経をあげました。ところで、本部施設の仏壇は設計の段階で私がわがままを言って仏壇の設置スペースを1間半(2、7メートル)にして頂きました。その理由は浜仏壇で三方開きにして、両サイドと天井にステンドグラスで製作してもらう特注にしたかったからです。その思いは仏壇も明るく楽しくなり、生活にメリハリがつけばと考えたからです。8時岐阜グランドホテルに集合で角田本人と岐阜支部長と共に施設へ後援会組織固めの挨拶回りをしています。1日で16箇所を回る強行軍。昼食はコンビニで購入したおにぎりやパンを移動中に食べなければいけなかったですが、食べる事が出来ただけラッキーと思っています。今(午後4時07分)最後の訪問先に向かってます。この調子なら、励ます会のある岐阜グランドホテルに17時までに行けそうだから、18時30分までに打ち合わせも十分できそうです。昼からは温度も上がり暑くなってきましたが、青空一杯になりましたので、励ます会が終了するまでは雨の心配もなさそうだから、励ます会が盛大に行われ、これを契機に『かくた』の名前が浸透して選挙戦に突入して立派な成績が出せるように支援していきたいと考えています。そう言えば昨日の携帯で撮った写真の中に、関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利宣言をした時に座ったと言われている石の写真がありました。本日その写真を掲載して、家康さんにあやかって7月21日に高らかに勝利宣言をして、美味しいて嬉しい酒が飲めるように頑張りたいと思いますのでリピーターの皆さんも介護業界の為に汗を覚悟でいる姿をご理解して頂ければ幸いです。2019062305320201 2019062305321101

今(午前5時08分)列車をとらえました。次の列車がまたきました(午前5時12分)

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今(午前5時15分)また貨物がきました。

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10分の間に3本の貨物列車が通過したわけです。2台目の列車は同じ緑色の荷台だったので同じ運送会社のものだったようです。一時はトラック輸送に押されていたのが、盛り返してきたようだと感じました。

さて、昨日は若山家の氏神様である若宮神社で戦勝祈願をしたので、本日は体力温存の為に歩かないでおこうと考えていたのですが、目を覚ましたのが4時40分で天気も良いので「起きるべし」で「えいやー」と起き、本日は地域の氏神様である青坂(せいばん)神社から妙応寺に行き、若山家のお墓にお参りするコースに決めて歩き出し、青坂神社の急な山道を歩きながら小さい頃の事を思い出しました。

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この山道は線路を渡ってその当時あった公民館に行くのは子ども逹が危ないとつけて下さった道だな。子どもの頃は飛ぶように下りれたのになどと思いましたが、急で危ない所には丸太の木をさりげなく手すりのように置いてあったりして、思わず「今須の方は思いやりがあるな」と思ったりして・・・。

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若山家のお墓でしっかりお経を唱え、そのまま、我が家に帰るには想定した時間より早かったので、少し大回りすることにして、我が家の田圃の状態をみると言うコースに変更。鹿避けのフェンスを開けて入って行くとほとんどが休耕田になっていて草も刈ってないので背丈ほどになっていて、我が家の田圃はお世話をしていただいている方がみえるので草は刈ってあり、果樹の木を植えてもらっているので、隣の田圃に迷惑をかけてはいなくて「ほっ」として。

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ここまで来たなら違う踏み切りで帰ろうとして、お地蔵さんが安置されていたので、

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坂を下りて行くと『地獄谷』の大きな石碑があり、いつかはこの言われを調べてみたいと思いましたが、「今は角田君の事で全力だかね。」

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そして、踏み切りを渡り、国道21号線を横切り、民家の間の小路を抜けるといつもの旧中仙道に出て、

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関ヶ原町が設置した文化財の看板をじっくり読むと、『問屋場』がかなりレベルの高いものであったり、

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今須宿には本陣が一つ、脇本陣が二つあり、国境として栄えていたことがわかりました。

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と言う事は、明治の始めに将来を見通せる方がいたら素晴らしい街造りがが出来たのではないかと思いました。しかしながら、もし栄えていたらひょっとして私は饅頭屋のおやじになってあたかも・・・。決して饅頭屋の親父が悪いのではなくて、生き方が変わっていたかもと思うと楽しいなと言うお話でした。

夏至の日の朝早く(午前4時52分)歩きました

令和元年6月22日

明後日6月24日は『かくた君を励ます会』があり、明日が行けるかの確証がないのもあり、本日朝イチで戦勝祈願に若山家の氏神様である若宮神社に散歩も兼ねてお参りしました。今須平井地区にある若宮神社は私の母方祖父(母秋江の父親で春吉さん)生きていれば、私の母秋江さんは大正9年生まれだから99歳で母秋江は末っ子で一番上の姉は20歳上だから生きていれば119歳、その父親だから21歳の子として140歳だから春吉じいさんの父親が若宮神社創建に尽力したので(つまり、150年位前なのかな)『若宮神社』の一文字『若』を頂いて『若山』と言う名字になったと聞いてます。私にとっては力の源である若宮神社。きっと良い結果を導いてくれると確信してます。

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(神様に対してめっちゃプレッシャーかけとるな)戦勝祈願を終えて、聖蓮寺でお経をあげようと歩いて行くと石垣の上に私が前回の散歩の時に落としたタオルが置いてありタオルの上に風で飛ばないように石が置いてある。

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私は思わず「ありがたいな」と手を合わせました。何事も目標持って行った方が形になると言う事を改めて知ったのは、歩いている時に「1・2・3」と数を数えながら歩くと歩くスピードも早くなるし、歩幅も広くなることがわかりました。そして、その時、中学2年の時のマラソン大会の出来事を思い出しました。それはスタートダッシュ宜しく思いきり走り、後続者にどんどん抜かれ、バテバテの時に自転車でしばらく並走して下さった担任の先生によってペースをつかみ、先生が「次の電信棒を目指せ」と言われ、次々と電信棒を目指して走って行くと自分のペースがつかめ、ラストスパートがかけれて10人位をごぼう抜き出来てゴールしたことを思い出しました。そして、午前6時02分に散歩から帰ってきました。本日の散歩での歩数は6345歩です。歩数的には大した事はありませんが、確実な歩みが出来ました。毎日は歩けませんが歩いた後の爽快感は最高ですので、無理のない程度に朝イチの散歩は実行したいと思います。そして明後日の『かくた君を励ます会』を沢山の参加者に助けられ無事に終えて、7月21日には早々と美酒を飲みたいと考えています。リピーターの皆さんも協力お願いします。

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EPA介護福祉士候補生

インドネシアから昨夜185名が豊田の研修所に来て、本日入校式が行われ当法人にも二人の23歳の女性が来てくれる事になっているので入校式に出席してきました。インドネシアから着た来賓の方が「今回来た185名の介護福祉士候補生は沢山の応募者から選ばれた優秀な方逹なので、この研修所で半年間、日本語、日本の風土、介護の基礎をみっちり学び、それぞれの施設で実践を学び、三年後には全員が介護福祉士に合格するように頑張ってほしい。」との挨拶に185人が声を合わせて「頑張ります」との元気な対応には感動しました。約1時間の入校式が終わり、当施設に来てくれる二人の子との面談が企画されていて、二人ともに、昨日の長旅の疲れをみせる事なく、一生懸命色々な質問をたどたどしくではありますがいっぱいしてくれました。『たどたどしく』などと書きましたが半年しか日本語の勉強をしてないのに話が出来るのには感心するばかりです。勿論異国の地に来た不安は一杯いっぱいあり、時には不安げな顔をするので、その都度「当施設には多くのインドネシアからの先輩がいるので安心して、わからない事は聞いたら良いよ」と話をしました。二人には法人で作った施設名が入ったキャリアファイル、ボールペン、ペンライトと、お菓子をプレゼントするととても喜び、逆に二人から施設へのプレゼントを貰い、玄関先で記念写真を撮り、私の車が見えなくなるまで見送ってくれました。ベトナムの留学生もそうだったのですが、一生懸命さが全面に出ていてめちゃ爽やかな気分になり、三好インターから高速に乗りしばらくすると事故渋滞に巻き込まれ、私は走行車線を前の車と間隔を開けてゆっくり(多分時速10キロ位で)走っていると走行車線でない、サービスエリアに入る車線を勢いよく走っていく車に苛つきながらも冷静に運転してサービスエリアから本線に入るところで無理矢理入ろうとしている車で大渋滞。私の車の前に無理矢理入ろうとする車の主は運転席側の窓を開けてタバコを持つ手を窓から出して当たり前のように前に出て・・・。私は日頃は間違った事には厳しい対応をするのですが、車の運転は『事故をするよりましだ。』で紳士的な対応。2キロ程ノロノロ運転で行くと、追い越し車線上でトラックとワゴンの事故現場で、追い越し車線を規制しているのがわかるところに来て、右側の車が走行車線に入ってくる中でルームミラーで後ろを確認するとギリギリの所までスピードを落とさず追い越し車線を走ってくる車が・・・。「どうやって走行車線に入るのか」と思っていると、頭の部分だけぶつかっても仕方がないようにして入れてくる。『ぶつかってから遅いのに』と思っていると何台もそんな車が・・・。日本が平和ボケしているのかなぁ。そう言えば今朝5時から歩いた神社の狛犬の口に手を入れて根性を正して欲しいと思いました。そしてまた、歩いていて我が家の南側の田圃を見てびっくり。何故なら全て田植えがしてない・・・。これで、日本の食は大丈夫なのか。などと嘆いていても仕方がないけど、今日お会いしたインドネシアの子とのギャップがありすぎだな201906211636120120190621163358012019062115130501201906211420410120190621054321012019062105161401

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