2019年06月の記事一覧

大谷徹奘さんの『今日の言葉』で成功のカギは「予」がつく言葉。予習・予測・予想・予備・予定・・・・・。

令和元年6月20日

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事務所にかけてある徹奘師のカレンダーを毎朝宿直者がめくってくれるのですが本日は垂井町役場で今年の統一地方選で新しく代わられた町長さんに9時30分にお会いする約束があり、朝早くから色々な思いを描きながら考えていて、8時45分に事務所を出るときに何となく、今日の格言をみたら表題のようだったのでしみじみ思いました。26歳まで予習など一切した事がない私が、諸般の事情があるからとは言え予め戦略を練っていた事には意味深いものを感じます。町長さんとの話し合いには「今後の対応をしっかり進める為に副町長も呼びます。」との町長さんのご配慮で人数も多いからと町長室の隣の会議室に場所を移動して行われました。

先ずは理事長である私が盲養護老人ホームの新設の必要性と養護老人ホームの全面改築の意義について説明すると共に今までの経過報告をしました。朝早くから話の内容の整理をしていたので、自分で言うのも変ですがスムーズに話す事が出来たと思います。しかしながら、前町長との引き継ぎがあまりされてないようで、改めて当法人側が入手している資料を提出していく事により、具体的に計画を進めていく建設的な話し合いが出来るスタートが切れたと思います。ある程度は『予測』していたので引き継ぎが上手く出来ていない事は腹の中に入れていたので、冷静に話し合いを進める事ができました。『予備』的なものとして今の現状を打破する副案を持ち合わせていたので、次回の話し合いが円滑にいくような形で話し合いは終了しました。

勿論これからしなければいけないことは沢山あることは承知してます。だって10億円のプロジェクトなんだからそれは覚悟の上です。徹奘師の教えを持って挑めたので上手くいったとも考えられるし、家を出る前にお仏壇に手を合わせ『文殊菩薩様』『不動明王様』にお願いしたし、自分一人の力では決してないと思っています。でも、私はつくづく思うのですが、私のご先祖様は私がいっぱいいっぱいお願いするので大変だと思うのですが、願いを聞いてもらえるのはみんなの事を思ってお願いしているから聞き入れて下さるのだと思っています。と言うことはラッキーではなく、必然なのかもと勝手な考えを書いてます。リピーターの皆さん。今はやらなければいけないことがいっぱいあって理路整然とした文章で無いことをお許しください。

 

 

介護の代表の角田君を励ます会が6月24日に岐阜グランドホテルで開催されます

本日13時30分から岐阜県老施協正副委員長会議があり、その後岐阜グランドホテルに移動して6月24日に開催される『かくた君を励ます会』の最終打ち合わせをしました。打ち合わせに立ち会ったメンバーで「どのように盛り上げるか」を話し合いながら打ち合わせをしていると、だんだん過激になってきて、例えば「若いスタッフが同じジャンバーを着た方がいいのでは」とか「角田君の入場では名前を書いたプラカードで誘導して貰おう」とか「若い職員に角田君の幟で賑やかに歩いた方がいいのでは」との意見が出たら「だったら、スポットライトで照らした方が良いのでは」との提案があったら「角田君のテーマソングを流すべきだ。」と言うことで、角田後援会に連絡すると『ロッキーのテーマソング』を宇都宮の大会では流したとの事で、その事を話すと同席していた副会長が「準備します。」との言質を貰い『瓢箪から駒』のように次から次に話がまとまりました。このわくわく感がみんなに伝わったら、きっとおおぜいの支援者が参加してもらえると思います。どうしてこんなに一生懸命熱くなるのかと言うと『介護を守る為に背水の陣』で宇都宮市会議員を辞し、特養の施設長も辞めた角田君が参議院議員として44歳の若さで暴れまくり介護を守る為の礎となって貰う為に我々が出来る事を精一杯やるしかないと考えて、『出来ることは全てやる』との思いでいます。選挙に挑む我々は素人集団ですが、岐阜県で立派な成績を出して、角田を立派な政治家に育ててこの介護の業界を磐石にしていきたい。これは、単に我々の業界の欲得ではなくて、社会保障のセーフネットを守る事だと信じています。リピーターの皆さんも私のこのコラムを見て賛同して貰えるなら、6月24日に岐阜グランドホテルに18時30分に集合してもらえたら嬉しいです。

朝イチで宿直をしていた幹部職員と話をしました

自分なりに一生懸命に頑張ってしているのは理解できるのですが、例えば先般の経営戦略会議(幹部会)において、フロアの現状指摘に対して建設的な考えを全く言えず、ボクシングで言えばノーブローで「何とかしなければいけない。」と言う事が全く伝わってこなくてひんしゅくをかってしまい、ますます口を開けない状態になっていたのでそのことについて「なんとかすべき」だと話をすると「言われたことに対してすぐに答えれない。」と言うので、私の体験談を話ししました。

「私が育った今須地区は1学年当たりの人数が少なくクラス替えは全く行われないので、保育園から中学校を卒業するまで小さい頃のイメージを替える事が難しく私自身は対人恐怖症の赤面症を演じ続けて何も言えない存在だった。小学6年の時の事だけど、『接吻』と言うのを辞書で見つけた同級生が面白可笑しく伝えて、クラス中に広まり、担任の先生の知るところとなり、私も友達から聞いていたのに、意味が理解出来てないままに笑っていたのだと思います。私が笑っていたので友達は私が理解したものと思ったんだと思います。担任の先生が「この話題について知っているものは手を挙げろ。」と言われて、私は理解していなかったのが本当ですが、「知っている仲間」として手を挙げながら、「意味を説明しろ」と言われたらどうしょう等と考えていました。今の自分は納得がいかなければとことん聞くし納得いくまで喧嘩してでも議論する人間になりましたが、このような性格になるのには、劇的なきっかけがないと難しい。私は母親代わりの一番上の姉が23歳でなくなった事が大きかったと記憶している。」

と話して、今でもとっさに意見が出ないのであれば、後日しっかりとした答えをレポートしていく習慣を付けたらどうかと話ししました。

『うさぎとカメ』の話ではありませんが、スタートダッシュが良いから何でも素晴らしいとは言えない。きちっとした提案を後日する習慣をつけ継続していけば評価は必ず変わるから頑張れと話をしました。今でこそ、私は『瞬間湯沸し器』のように対応出来るようになりましたし、納得いかない事は徹底的にしなけれは気がすまないように思われていると思うのですが、最初から出来た訳でないのだと言うことを熱弁を振るって話をしました。

本当に理解して実践してくれたらきっと今以上に素晴らしい職員になると確信しています。リピーターの皆さんも『地道にこつこつ』頑張りましょう。

特養の『サンシャイン美濃白川』に行ってきました

サンシャイン美濃白川の施設は、当法人が施設設立の準備をしていた時に(24年前)当時岐阜県社協で事業部長をされていた後藤卓郎先生(その後柳城短期大学教授)の紹介で施設見学に行かせて貰った時からのご縁ですが、久しぶりに行かせてもらい、車の中で地名等も理解しながら走らせていて、『上麻生』と言う地名が出てきて、私が11歳の時ですから55年程前に父親が新任校長として赴任した時の夏休みに父親に連れていって貰った事を走馬灯のように思い出しました。55年前に東海道本線は既に電化されていたのですが高山本線は蒸気機関車でトンネルの手前で慌てて窓を閉めているのが不思議な光景だったのを先ずは思い出しました。そして、次に思い出したのは、地元の小学生の子たちと一緒になってソフトボールをして遊んだのですが、全く打てずエラーばかりしてひんしゅくをかい、めそめそ泣いていて父親がタオルを渡してくれた事を思いだしました。そうなんです。私は小さい頃泣き虫の弱虫だったのです。次に吊り橋があり、めっちゃ高い所によわよわしそうな吊り橋をドキドキしながら渡り終えたらその後、バイクで悠々とゆらゆら揺らしながら渡られるのを見てまるでサーカスの曲芸のように見えたのを思い出しました。その当時の吊り橋は決してしっかりしたものでなく、歩く度にゆらゆら揺れていたと記憶しているのですが、今日改めて見たのは吊り橋ではなく頑丈なものでした。そのように考えると私も55年が経過して自分で言うのも変ですがたくましくなり、設備面も充実した事が分かります。そして、サンシャイン美濃白川を訪問させて頂き、24年前に訪問した時は『児童養護の事はわかっていても高齢者福祉の事は何もわかってなくて勢いだけだったけど、今は少しは高齢者福祉についても語れるようになったな。』と考えると、55年前の私、24年前の私と今の私の姿に自分自身驚くばかりです。私自身がそうなんだから、リピーターの皆さんはもっと驚かれている事と思います。でも成長しない人などあり得ないから「まっいいか」

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昨夜はしたたか飲みましたが・・・

令和元年6月16日

昨夜は杉和会の理事・評議員・監事の方の他に選定委員の乾さん、家族会会長の吉田さん、顧問の烏野先生に幹部職員の総勢20名が地元の料亭「末廣」で懇親会を持ち、したたか飲みました。私の場合は日本酒の冷酒を頂くと飲みすぎる傾向があるようです。特に昨夜は辛口の「三千盛」だったからなどと酒の銘柄の性にするのは自分でも如何なものかと思っています。朝風呂に入り体調を整える事に余念がありませんでした。と言うのも本日10時から「父の日コンサート」で私が歌を披露して男性入居者さんにガーベラの花を1本1本お配りする企画があったからです。(ちなみに、ガーベラの花言葉は「希望と前進」です。)先ずは、昨日まで悩んでばかりいて選曲出来なかった選曲作業をしました。選曲は1曲目は山崎ていじの「夜汽車」、2曲目は鳥羽一郎の「兄弟船」、3曲目は北島三郎の「北の漁場」、4曲目に堀内孝雄の「いとしき日々」5曲目に山崎ていじの「おまえしか愛せない」ラストは北島三郎の「祭り」で行こうと決めて、9時45分から練習を始めると早々に会場に来て下さった方が熱心に聞いて下さるので何ら本番と変わらない状況で歌わせて貰い、練習をしながら途中で着替えをしようと考えて、3曲歌った段階で副施設長に1曲歌って貰う事にして、(曲は「月月火水木金金」仕切り直しをして「父の日コンサート」を始めました。進行を水野生活相談員にして貰い、緑色のブレザーで登場。

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山崎ていじのキーは高いので2つ下げるべきだったのに下げてなくて・・・。でも何とか調子よく歌えたので波に乗って歌えました。これは私の真骨頂である『禍を転じて福と為す』と言うことか。3曲歌って副施設長に歌って貰っている間に赤のブレザーに替えると共に喉を潤し(本当は金色のにしたかったのですがみつからなかったので)残り3曲を歌い切りました。

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途中で入居者さんから花束を貰ったり、感謝の言葉を貰ったりしてとても良い雰囲気ですることが出来ました。こんな調子なら月1回はやれそうだと思った次第です。そう言えば、新館の面会に来て面会札を返しにきた方が玄関先で立ち止まり・・・。きっとあの状況は聞きほれていたのではないかと自惚れています。

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午後は『供養祭』があり、かつての入居者の家族の方も多数参加して下さり、久しぶりの再会をお互いに喜び合う事が出来ました。私自身は一人ひとり亡くなった方の思い出を頭に浮かべながらお経を聞いていました。無事に供養祭が終わり、家族のお見送りをしてから、事前にお供えを頂いた方の所にお供えをお持ちして(5件分)今は17時15分からの本部幹部会を待っています。取り敢えずコラムも書けたので家に帰って少しはゆっくり出来るかな・・・。

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6月13日の写真撮影をした中で書ききれなかった事を書きます

実は本日も5時前に目を覚ましたので歩こうとしたのですがバテバテで二度寝をしてしまい、午前中は先般梅を提供してくださった家にお礼にいったり、明日午前の企画に『父の日イベント』があり、そのための準備の為に買い物にいったりして、「午後4時から評議員会があり、その後は法人関係者の懇親会が関ヶ原駅前の末廣であり、多分この時間(13時32分)にコラムを書かないと更新記録が途切れてしまう。でも、頭の回転が悪い絶不調での苦肉の策で3つの写真について書きます。

一つ目は朝日を背に歩いていて自分の影がメッチャ長くてしかもスマートなのに感動して撮ったものです。ここまでスマートで足が長くなくても大丈夫だけど、せめて・・・。いやいや、健康で元気に歩けてバリバリ仕事が出来る事に感謝だし、人を見かけで判断する人は無視むし・・・。

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二つ目は伊吹山の写真ですが、大学に行っていた夏休みの5年間(少し長くないか)は伊吹山の9合目の売店でそばを湯がいたりしてバイトで徹夜をしたり、徹夜の後に人が足らないと言う事で特別手当てを貰ってその当時にしては多額のお金を稼がせて貰って、北海道を1ヶ月も放浪の旅をしたり楽しい思い出が一杯だなと久しぶりに伊吹山をじっくり見て思いました。

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三つ目の写真は現在の小中合併校の写真の中にかつては今須にも診療所があったななどと感傷に浸りながら歩きました。私が通っていた頃は小学校が手前にあり、グランドを挟み中学校がありました。中学校へは渡り廊下で行けるようになっていて、渡り廊下の途中に給食室があり、お茶などを取りにいったななどと考えながら歩いたり、診療所には本多先生と言う女医さんがみえたので生まれて半年目に心臓が止まった私が今も元気でいるのは本多先生のお陰だな。あの頃の診療所は重厚な建物だったななどと、歩いていると昔の事を思い出すきっかけにもなるのだとしみじみ思った次第です。本日は歩けませんでしたがせめて週に2回は頑張って歩き、今須再発見と歳時記的なもの等をいっぱい書いていきたいと考えていますのでリピーターの皆さんも一緒に楽しんでいただければ幸いに思います。

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出来る男のお話です

令和元年6月14日

本日は西濃支部の施設訪問をして、全国介護政治連盟と全国老人福祉施設議会から組織内候補として7月に行われる参議院選挙に立候補したかくた君の後援会活動の一貫で全国老人福祉施設協議会副会長であり福井県会長の皆川さんの同行を得て実施しました。福井県の皆川会長に大垣へ8時17分着のしらさぎでお向かえする打ち合わせをしていて、私が大垣まで電車で行き、中西支部長に車を出して貰うと打ち合わせをして、直ぐに「資料を持って私が電車で行くのは現実的ではない」と気が付き打ち合わせのし直しをして、結局本部施設に7時20分に中西支部長に迎えに来て貰い、資料を積み大垣駅に皆川副会長を迎えに行く事になり、本日の中西支部長の対応は私が7時20分ぎりぎりに行ったところ、中西支部長の車に既に荷物を積み私を待っている手際の良さ。大垣駅に8時に着いて私が改札口まで皆川副会長を迎えに行き、中西副会長は車で待機して貰うのに20分近く車の停車場で待つのは難しいのでコイン駐車場に入り待って貰うことにしたのですが、私が無事に皆川副会長をお迎えして、車に戻ると停車場で待っていてすんなり乗ることが出来ました。つまり、私の思い以上の対応を鮮やかにしてくれた対応に『出来る男は違う』と思いました。そして、いよいよ施設訪問になり、中西支部長は皆川副会長と私を玄関先に降ろしてから、車を駐車場に停め資料を持ってくることをさりげなくやりこなす対応に感心するばかりです。施設訪問が予定より早く進んだときにはその都度訪問先の施設への連絡も速やかにしてくれる対応にも『出来る男は違う』と思いました。全ての訪問を終えて皆川副会長を米原駅に送り届け、私を施設まで送ってくれる車の中では、話の端々に『学ぶ姿勢の素晴らしさ』を感じ『出来る男』はこのようなスタンスから生まれてくるのだと改めて感じた次第です。心憎いばかりの対応に朝早くからの疲れを感じることなく出来た事に感謝して、さてさて明日は当法人の評議員会と役員の年に一回の交流会。私なりのおもてなしで日頃の感謝を頑張りたいと考えてます。

今(午前5時13分)から歩きます。午前6時14分に無事に帰ってきました

2019年6月13日

今須探索レポートの前に『無事に帰ってきました。』について書きます。実は私が玄関先に立つと、既に歩いてみえるご近所さんがいて、この方は朝と夕方毎日歩かれている方で、「一緒に歩くのは無理」と考え反対方向に歩きだし、「今日のルートは『国境(くにざかえ)を目指すだったから、国道沿いを歩くしかない」と国道を歩きだして5分と経たない内に後悔が・・・。だって、この時間帯は大型トラックがガンガン走っているのですから。右側を歩いていて対抗して走ってくるトラックの運転手さんは、みんな優しくて少しスピードを落としながらセンターラインをまたいて私の安全を確保して下さり感謝です。但し、一度だけ恐い思いをいました。それは、後ろからきたバンタイプの普通自動車がトラックを追い越した時に私の横を通り越して行ったのです。「この道路は黄色車線で追い越し禁止だぞ。しかも歩いているのがいるんだぞ」。通り越した瞬間は何が起きたか正直理解できず、パニクりました。その後で私はつくづく思いました。「あんなに急いで大丈夫なのか。事故もなく目的地に着いてくれれば良いのだけど」と。国道を歩いた理由のもう一つは「あまり人に会わないで歩きたい」もあったのですが、命の方が大切だから二度とこのコースは歩きません。でも、帰りは今須の中道を歩いたのですが、かつての入居者の家族の方がゴミだしをされていて挨拶したり、職員が犬の散歩をしていたり、県職員OBの方が畑をされていたり、極めつけは軽トラの窓越しに施設の近所の方が声をかけて下さったり。でも、色々な方が声を掛けて下さるのは幸せな事なので堂々と元気良く挨拶しながら歩く事にします。

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『探索レポート』に移ります。国道を歩く無謀さは既に書きましたが、国道から我が家の2階建ての車庫(ちなみに1階は車五台で2階は書庫兼物入れ)と我が家の屋根を撮りました。いつもと違う見え方をしています。全般曹洞宗の別格本山妙応寺は紹介しましたが、国道からの写真も撮りました。当法人の看板も20年が経過してかなり色あせているのがわかります。線路を渡ると鉄道標識に『車返し』が見えて、松尾芭蕉の句碑も見つけました。これは歩いてないと絶対にわからないとしみじみ思いました、『寝物語の里』は常盤御前にまつわるものだとは知っていましたが、じっくりと説明を見ました。そして極めつけは『近江』と『美濃』のいわゆる境が60センチ位の川だとは笑えます。滋賀県に「よいしょ」と越えて引き返し『車返し』のいわれを読んで、古き良き時代のお公家さんの遊び心を知り、「よっぽど何もない刺激の少ない時代で緩やかに時が流れていることがわかりました。つまり、情報伝達が現代とは滅茶苦茶違う事を実感して情報の早さを競っている現代とどちらが良いのかと考えるとメッチャ悩ましいです。

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ちょうど一時間歩き(でも歩数は7000歩でしかありませんが。)朝食後に予約してあった歯医者に行き、施設に行くと梅ちぎりの役割があり、鈴生りにある梅を楽しく取ると結局篭2杯をしっかり採り、帰ったら直ぐに昼食で、食べ終わって慌てて和合の施設に行きました。と言うのはNHK岐阜支局の記者さんの取材が14時からあったからです。しっかり一時間取材を受け、15時から和合のお参りと16時からの幹部会があり今(19時29分)ようやくお風呂の湯船でコラムが完了して、これから夕食です。大車輪のような毎日が過ごせる事に感謝しているのでリピーターの皆さん若干の意味不明はお許し下さい。

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朝から汗ビッショリです

自分でも嫌になると言うか律儀と言うか、とにかく品川駅のホームまで走りました。新幹線だから岐阜羽島と言う駅は、一時間にひかりが1本、こだまが1本しか停まらないと言っても30分待てば列車はくるのに、携帯で切符の手配をすると(8時55分現在)「9時7分に乗れる」と携帯で取った瞬間、「本当に間に合うのか。券売機で切符を手に入れなあかんのに」と思い、ホテルを出た所の交差点から駅構内も走った走った。券売機は順調に手に入り、23番線のエスカレーターに足を乗せた瞬間に列車が入ってくる気配。列車が止まった所から列車に飛び乗り指定された席に座ろうとしたら列車が少し揺れて列車が走り出した事を理解して私自身に苦笑いです。座席に座った瞬間背中を汗がドサッと溢れてきました。このようなスタンスでの生き方しか出来ない私は褒めて貰って良いのか、バカだと思われているのか・・・。今(午前10時17分)経理等をお願いしている岩田先生から連絡があり、「少し相談をしたいことがあるので時間はないですか」との事。「11時30分には施設に戻ります。」と言うと「その時間でおじゃまします。」との事。「ダッシュで列車に乗って良かった。何事も全力だと良い事もあるんだ。」と思うと「この生き方を止めれんは」。昨日も角田君の参議院選挙の事でお互いに一生懸命に活動している結果として、一時険悪な雰囲気になったのですが、仲介に入ってくれる者がいて、結果としてはお互いに全力でやろうと言う事になりました。介護現場を良く知っている角田君を参議院議員にしなければ介護を取り巻く環境がますます厳しくなることを理解した結果なのだから、是は是、非は非でこれからも全力で取り組んで行く事を改めて思いました。岐阜に帰れば各支部長も一生懸命取り組んでいるし素晴らしい土壌でこれからも頑張ります。本日16時から『かくた君を励ます集いin岐阜』が今月24日に開催される打ち合わせをしました。色々話をしている内にアイディアが浮かんできて、岐阜グランドホテルの会場が一杯になり、投票でも立派な成績が出るように全力で応援していき、角田君が立派な議員になり介護業界を牽引してくれる事を念じながらこれからも応援していきたいと考えています。いみじくも今(19時14分)お風呂に入りながら新聞で経済財政運営の指針『骨太方針』をみて、「最低賃金早期に1000円」の文字が目に入りました。私も介護事業経営者の端くれとして思うのは、頑張っている職員に多くの対価を支払いたいけど、原資の根拠を示して頂かないと目標達成は絵に書いた餅になってしまう。現に「コンビニのレジの時間給の方が多い」と心配した意見もあることからも目を背けず訴えていきたいと考えています。自らの意識を変えなければ何も変わらないと言う考え方もあります。自分で出来ることをしっかり頑張っていきたいと心強く思っています。リピーターのみなさんも宜しくご理解下さい。

朝イチで頑張っちゃいました

令和1年6月11日

昨日は滅茶苦茶ハードな一日だったのですが、22時30分にはベットにはいり爆睡したのと歳をとって朝の目覚めが早くなった為か、(自分では決して歳を取りすぎたとは思っていませんが)5時に目を覚まして、本日は東京出張で夜まで予定が入っているのでゆっくりしていようと決めていたのですが、外は明るいしもったいないなと考えて5時30分には着替えて散歩に出掛けました。

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玄関を出て東の空を見て思わず手を合わせて合掌をして、「さてさて、今日はどんなコースを歩こうか。よし、西に向かうのは東京征伐に行く日にはむかないから取り合えず東に向かおう。」で歩きだし、「旧中仙道を歩こう」で歩いていくと、車に乗っていると分からない風景で、東海道本線の踏み切りを行ったり来たり。続いてトンネルをパチリパチリ。

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いよいよ中仙道を『山中』に向け歩いていき、つくづく、昔の人にとっては文字通り山越えで野生の動物も一杯いただろうなと思うと大変なところだったと。そして歩いていてやたら多い看板が不法投棄に対する看板です。「誰もいないから車で来て捨てるのか。めっちゃ許せんな」。先日は青坂神社の階段から東海道本線の上りのトンネルを撮したけど今日は下りの入り口と出口を撮ることが出来るとパチリパチリ(昔から言うでしょ『下手な鉄砲数打ちゃ当たる』)。歩いていて雨が降ったので紫陽花が綺麗に咲いていたし、度忘れしましたが(朝は花の名前を言えたのですが)もう一つ野花が綺麗な紫でした。(まだ思い出さないのでご免なさい。名前はスルーします。)

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常盤御前の説明がきをみて、義経を思う母親の思いに朝から感動して・・・。山中の集落を真っ直ぐ行かずに名神高速道路沿いの山越えを決行。車で行った時は数分だったようだったので簡単だれうと考えていたらこれが間違い。やっぱり山越えはきつい。車で通った時には全く意識していなかった大きな物が何だと看板を見たら、『非常用のタンク』だとわかり、関ヶ原で生活して66年経ってこんな備えがあるのを初めて知りました。しかしながら、このタンクで町内中の方がどれだけしのげるのかと考えると逆に不安になってきました。

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伊吹山は霞んでいてしっかり見えないとがっかりしていたら、しばらくしてスカッと見えたのには『思いは通じる』と勝手に理解してます。写真はパチパチ撮ったので説明をしてないのもあると思いますが、品川で降りるので本日のコラムはここまでにしますが、わたしの思いで撮った写真も楽しんで頂きながらリピーターの皆さんこれからも杉和会ホームページの理事長コラムを宜しくお願いします。

 

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