2019年04月の記事一覧

綺麗な花が咲いたと思ったら今日は一日雨です

平成31年4月10日

昨日までの陽気が嘘のように、今日は一日冷たい雨が降っています。4月6日の朝、東京泊のホテルを出てから関ケ原インターを降りるまで、正に「桜」「さくら」「サクラ」の春爛漫の様相だったのに、本日は東京でもみぞれが降ったとか。この寒暖の差は堪えます。東京から帰った日には施設の桜はつぼみが大きく膨らんだだけだったのが、昨日は花見の企画が出来るようにまでなったんですが、綺麗な花が固まった感じすらします。本館から新館に行く通路の窓越しに家族会で植樹して頂いたしだれ桜も雨の中ですが綺麗なピンクの花を咲かせていました。日本人は私も含めて一年の内の僅か一週間程しか綺麗に咲いてない桜の花をこよなく愛しているのは、多分に感性が豊か?奥ゆかしい?うん・・・?感性ゆたかとか奥ゆかしいが宏君に当てはまるのか?

昨夜は高校の同窓で社会福祉法人のオーナー理事長4人会でしたたか飲んで頭が働いていないのと、代行で帰り車庫に入れて貰ってお金を払ってから30分ほど車の中で寝てしまったようで、つくづく思いました。こんなにくたくたになるまで飲んだらあかんと。来月16日には66歳になるのだからと自戒を込めて思いましたが、次の飲み会でも同じことを繰り返すのかな。北島部長は3回失敗して、3か月間は節制して前回の時はしっかりとした対応だったので進化しているのに私は全く反省が出来てない。健康を害する前に改善できる妙案があればリピーターの皆さん教えてください。多分、妙案を教えて貰っても実践出来るかな・・・。こんなことを考えているうちは駄目だなと自嘲気味に考えています。明日は天候も回復すると思うのでガンガン仕事します。そう言えば明日の予定は職員の祖父の葬儀に出席して、午後からは法人設立前からお世話になっている家で介護に関わる相談に乗り、その後岐阜羽島15時15分発で東京に行き、衆議院会館での陳情がありその日の内に帰る強硬スケジュールです。やっぱり私は『良く学び良く遊べ』のスタンスしか出来ないのかなー。

 

 

 

デイサービスの花見に飛び入り参加しました。

平成31年4月9日

午後からデイサービスが花見をしていて、花をバックにしてぜんざいを食べてみえ、利用者さんがぜんざいを食べ終わった段階でカラオケタイムになったんですが、曲がかかるばかりでマイクを通した声が一向に聞こえてこないので、事務所の窓越しに「職員が率先して歌って盛り上げていかないと駄目だろうが」と咤激励すると返ってきたこたえが「今日は歌えん職員ばかりですので、理事長助けて下さい。」との事だったので、「よーし、歌ったろ」と勇んで行くと利用者さんから拍手がきて、益々乗せられる形で4曲も歌ってしまいました。その間に、84歳の利用者さんが私の小さい頃からの事をよくご存じな方で、2曲歌った段階で大きな声で「理事長さんは小さい頃は大きな声で話することも出来ん子だったのに、上手に歌が歌えるようになって、よっぽど練習したんやな」と言われたのが聞こえてきて、どうやって切り返したろかと悩むまでもなく私は「私も大きくなりましたので」と答えていました。小さい頃の私の母親秋江さんの後ろに隠れてもじもじしながら小さい声でしか話が出来なかった頃の私を知っている方にとっては『びっくりぽん』なんでしょうね。でも、人は時間と共に変わるのです。リピーターの皆さん。私はまだまだ進化していきますので、見守っていて下さい。

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施設の桜について

平成31年4月8日

「蒔かん種は生えない」と言う事をいつも言ってますが、今回は「植えない木は花を咲かせない」との思いを今、正に施設で一生懸命に咲いている桜の木を見て、つくづく、いやいや、しみじみ思いましたので書くことにします。実は施設の本館にある桜の木は平成10年5月15日の竣工式を前にして、工事でごった返していた4月始めに岐阜県庁から桜の苗木を取りに来たら頂けるとの連絡を貰い、欲張って10本貰ってきて、一本一本丁寧に植えました。1メートルもないひょろっとした苗木を植えながら「大きくなって立派な花を咲かせてみんなを楽しませて」との思いの前に、苗木が小さかったので、「木と木の間隔が広すぎないか」と悩んでいたのですが、20年経った今、自分で『正解だった』とニタニタしてます。しかしながら、桜の成長には目を見張るものがありますが、桜の花が綺麗に咲いている姿を見ていて法人も桜の木と同じように大きくて磐石なものになったし、この桜の花のようにみんなが楽しんで貰える存在になってきたかなとも思っています。もっともっと大きく岐阜県が誇る淡墨桜のようになるには、これからもリピーターの皆さんの声援が不可欠です。変わらねご支援宜しくお願いします。

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元ソフトバンク室長嶋聡さんからメールを頂きました

平成31年4月7日

『「愚者は成事に暗く、智者は未萌に見る」と「戦国策」にあります。愚かな者は、物事が形になって現れてきても、まだそれに気がつかない。これに対し、智者は未だ芽のような段階で、つまり「兆し」で将来を察知し、構想し、適切な経営戦略をたて、着実に実行してゆくと言う意味です。松下幸之助氏が、大阪に市電が走るのを見て、これからは「電気の時代」と直感し家電産業を始めたことは、まさに「未萌」を見たと言えるでしょう。』との原稿を読み、規模は全く桁外れに違いますが、私も児童施設建設からの方向転換をすると決断したのが介護保険制度施行前の1994年で、その当時特別養護老人ホームが西濃地区には6施設しかなく、「措置」から「保険」に移行されれば不足して、被保険者から不満が噴出することは間違いないと確信して、先ずはその当時の関ケ原町民生委員児童委員協議会会長に関ケ原町の高齢者の実態調査の為のアンケートの依頼をさせて貰うと共にハード面の勉強の為に施設見学にも述べ30施設程行かせて貰いました。(その当時はあくまで個人としての活動でしたので、「関ケ原町老人施設設立準備代表」と言う名刺と「大垣女子短期大学非常勤講師」の2種類を持つのみの立場だったののですが、どの施設も温かく迎え入れて頂いたので、今は施設見学に来ていただける方には全力で対応しています。)決断してからも紆余曲折はありましたが、決断してから4年の年月がかかりましたが、1998年5月に本館が事業開始してから丸21年になり、主旨一貫『地域と共に歩む』を評価して頂き、2004年には新館を増床し、2014年には大垣市和合に新設をさせて頂き、西濃地区の要望に応えられるまでになり、2021年には盲養護老人ホームの新設及び養護老人ホームを立ち上げる事によって、岐阜県内の方々に信頼を得られるような展開にしていきたいと考えています。決して規模を大きくすることのみを考えていたのではなく、国が進むべき姿を追い求め、地域のニーズに合わせた方向性を見た展開をしてきたと思います。介護保険が施行され19年が経過した今、「介護報酬の不正請求」が話題に上る事がありますが、当法人はあくまで社会福祉法人としての使命である「地域のセーフティーネット」としての役割を全うする事に有意義性を感じています。その中から、盲養護老人ホームの建設は岐阜県下唯一の施設としての熱い視線に応えなければとの思いを強く感じています。まだまだ紆余曲折はあると思いますが当法人の「今日一日楽しかったよ」を展開していきますのでリピーターの皆さんこれからも咤激励宜しくお願いします。

 

イッキに春が来た

平成31年4月6日

昨夜は北海道の村上委員長と岐阜の田中幹事と3人で赤坂見附にある和食店で食事をしました。店長おすすめの料理を頂きながら私は熱燗をしっかり飲みました。二軒目の店を店長さんに案内して貰い、ここでは、しっかり歌も歌いはち切れました。午前様にはならずホテルでしっかり寝て、6時には起きてお風呂にゆっくり入り、東京駅までタクシーで向かっている車の窓から桜の満開の花が目に飛び込んで来て、天気も良くてラッキーだったし、新幹線の車窓からも至るところで満開の桜を目に焼き付けました。岐阜羽島から高速で走ってしてもあちこちの桜が綺麗に咲いていました。「流石に関ヶ原はまだだろうな」と思っていて、ETCのゲートを通過しようとしたら、ETCの2ヶ所のゲートが2ヶ所共に赤信号になっていて、大渋滞になっていてなかなか動かない。でも、そのお陰でインターチェンジ内の桜の花をゆっくりと見ることが出来ました。ゆっくり花を見ていたらETCのゲートが青になり通過できました。考え方によっては「ラッキーだったな」と思いました。そして、家に一旦寄ったので旧中仙道を走らせていたら、学校の校庭の桜も咲いていて、桜のオンパレードのようでした。施設内の桜は昨日はつぼみが少し膨らんだかなと言う状況だったのに花が開いているのも沢山ありましたが、流石に東京のような満開と言うものではありませんでした。但し、一つ気になる事がありました。それは、名神高速を西に向かって走っていて、快晴の空のはずが滅茶苦茶霞がかかったように見えたからです。これは西からの偏西風に乗って黄砂が飛んで来てるのかと考えるとぞっとする思いでした。自然現象とは言え、喉や目に良くないなと思うと、関ヶ原より西の所はもっと酷い状況かもしれないと思うと考えさせられてしまいました。黄砂を乗せる風が強いからか施設の鯉のぼりは気持ち良さそうに泳いでいました。考え方は置かれた状況で違った風に思えるものだと考えると基本的にはプラス思考でこれからも行きたいと改めて思った次第です。

 

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数学者の藤原正彦先生の企画が週刊現代にあったので書きます(少し前の記事ですが)

平成31年4月5日

私が藤原先生の事を知ったのは、盲養護の記念式典が東京であり、その式典のご案内を頂いたので参加させて頂いた中での記念講演でお話を聞いて素晴らしい方だと思ったのが最初です。一番印象に残ったのは難しい話をわかりやすく語り掛けるように話して頂いた事です。(ちなみにこの式典には秋篠宮殿下と紀子様もご出席され、秋篠宮殿下はご挨拶もされました。)さて、今回の紹介は記事の中で素晴らしい言葉が(私の見解でですが)一杯あったので紹介すると共にコメントします。①兄を病院に母親が連れて行くときに母親から留守番を命じられた時に『母親達が出掛けた途端、布団に入ってしまい、帰宅後に起きれば、留守番時間は実質ゼロになると。そうやって一人残された寂しさを見事に克服しました。』には、子どもの頃から数学者的な発想をされていたのだと思いました。②父親が就職難の時のエピソードで『当時は戦後の大変な就職難でしたが、父の伯父でお天気博士として親しまれていた藤原咲平が、中央気象台長をやっていたので、そのコネで父は気象台に就職できました。当時は日本の社会でコネは普通で、身元がしっかりしたコネは悪いことではなかった。』には、古き良き時代でお互いに支え合っていたのだと思います。今だとこれを「そんたく」と言うのでしょうか。③『小学生の時から数学は得意で、どんな問題も見た瞬間に解けた。三年生の頃、父が「1から10まで足すといくつか」と聞きました。小一時間ほど考えて、「1から9までの和は真ん中が5だから、5の9倍で45。だから答えは55」と言うと、すごく誉めてくれました。いい解き方をひらめいた時に誉めて貰えるのが嬉しくて、問題を出されると必死に頑張りました。』には、天才的思考力をお持ちでありながら、難解をわかりやすく解説する事を既に小学生の時から鍛練されていたのだと思いました。
まだまだ、一杯紹介したいのですが、本日は東京本部で午後から役員会がありその後もバタバタになりそうなので列車の中で昼食を頂かないと時間がないし、リピーターの皆さん中途半端なコラムでご免なさい。走りながらの毎日ですが、私に役割があれば120%で頑張るのが私のスタンスですので宜しくご理解頂き今後とも宜しくお願いします。

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やっぱり北島部長は無敵です

平成31年4月4日

昨日は北島部長と3ヶ月ぶりに飲みました。旬の食材を使った郷土料理だったのですが、和食にはやっぱり日本酒が一番だと言う事で、岐阜県多治見の辛口のお酒『三千盛』を冷酒でしたたか飲みました。私の希望で熊肉の料理を頼んだのですが、北島部長はスープまで全部きれいに平らげた為か、本日も元気に跳び跳ねてます。私とは30歳の年の差があるので仕方がないですが本当に羨ましい位に元気です。

話しは変わりますが本日は快晴の日和で暖かかったですね。昨日に今須に雪が舞ったのが信じられない位の陽気で、昨日は10℃もなかったのが本日は私の車の温度計は16℃まで上がってました。施設の回りの桜も一輪だけですが咲いていました。つぼみも膨らみが大きくなって、いよいよ花見の準備をしなければと考えています。花見と言えばお酒ですかね。でも、昨夜は久しぶりにお酒をしたたか飲んだので花見であってもお酒を飲みたいとは思いませんが、いやいや、そんなことを言っていても、お酒が目の前にきたら飲んじゃうだろうな。今須の桜はまだまだつぼみですが東京は満開のニュースが入っているので、明日は東京出張で泊まりだし花見酒となるのかな。だから、今は飲む気分じゃないと言ってるでしょ。でもね、お酒が目の前にきたら飲んでしまうでしょ。まだ、昨夜のお酒が残っているのか頭が働いていなくてたらたらとしたコラムでごめんなさい。リピーターの皆さん明日は東京に行く列車の中でびしっときめたコラムを書きますので今日のところはご容赦下さい。

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「お帰りなさい北島部長」

平成31年4月3日

決して北島部長がえりかの里の責任者を放棄して敵前逃亡をしていたわけではありません。それどころか、ここ3ヶ月の利用者さんの利用はどんどん増えています。これは北島部長の頑張りと北島部長に良く従ってくれるスタッフのお陰です。では、何故「お帰りなさい」なのかと言うと、この話をすると長くなるのでしませんが忘れもしません1月19日から北島部長は何故か私と一緒に飲む事を頑なに拒否しているのです。2月に行ったおそばせながらの新年会ですら飲む事を拒み、もっぱら職員の送迎に徹していたのです。送迎に徹してくれたお陰で複数の職員が飲む事が出来たので有り難い面もあったのですが、酒に酔った北島部長を見ることが出来なかったのはちょっぴり、いやいや、かなり寂しかったし楽しくなかった・・・。そんな北島部長が約3ヶ月ぶりに私と一緒にお酒を付き合ってくれるので「お帰りなさい。」と言う事なのです。本日一緒に飲みに行く為の条件整理として、吉澤統括部長に北島部長の家の玄関のチャイムを押し家に入るのを見届けて帰ると言う事を固く誓いました。本日はウィスキーのストレートの飲み比べをするのか熊肉の食べ比べをするのか、ワイルドな伝説をまたまた作るのか・・・。飲みに行く前からわくわくしてます。めちゃくちゃ頑張って仕事をしてくれている北島部長、3ヶ月ぶりにはち切れましょうよ。そしてまた、明日からがんがん仕事に打ち込んで下さいよ。私の信条である『良く学び、良く遊べ』を実践しましょ。リピーターの皆さんこんな生き方素敵だと思いませんか。私はいつも言ってます。「私が今あるのは、お酒が飲めて、歌が歌えて、お話ができたから」だと。これに追加するとしたら「人との関係であるご縁を大切にしてきた」と言う事かな。どちらにしても幸せな生き方です。北島部長「今日ははち切れましょう。」リピーターの皆さんは明日のコラムで武勇伝が読めるのを楽しみにされているのだから。

三寒四温とは言いますが

平成31年4月2日

3月の中旬はポカポカ陽気が続き、「今年は暖かくて雪の少ない年でありがたい。でも、夏に渇水期の水不足が心配だ。」等と言っていたのが嘘のようにここ3日間はめっちゃ寒いし陽が照ってきたかと思うと雲に覆われ雨が降ってくる。今日も昼過ぎに出かけようとした時は晴れていたのに、帰りの際には関ケ原に入ると雨になり、今須に入ると、な、な、なんと雨がみぞれに変わり5度あった温度も1.5度・・・。絶句です。言う事なしです。住めば都とは言え・・・。でも、冬が過ぎ、春が来て、そして夏が来る。夏になれば都会の暑さは絶対に無いのです。暖かくなってくれば今須は最高ですよ。苦あれば楽ありです。負け惜しみではなく本当にそのように思っています。

しかしながら、三寒四温とは上手く言ったものです。但し、ご高齢の入居者にとって寒暖の差が激しいのは体にこたえます。衣服の調整や布団への配慮は勿論の事、昨日とは違う何かを理解した対応をする為には「習うより慣れよ」での観察力・洞察力が必要になってきます。その意味からいくと、退職者が少なく職員の平均勤務年数も高くなってきた今、より一層のスキルアップは「今日一日楽しかったよ」を実践する土壌が出来てきたように思っています。

昨日の入職式・辞令交付式の準備でも、私が施設に来てから、「掲示物(横断幕)を作るように」と言うと職員が涼しい顔をして「既に作って掲示してありますよ」と言われ、私は言う事なし。これまた絶句。本当に当施設の職員も頼りがいのある存在になったものだと。感謝、感謝です。21年前の立ち上げた頃には挨拶すら出来ず、利用人数が少ないと喜び、多いとブーイングが乱れ飛んでいた頃の事を思うと雲泥の差。しかしながら、そんな状況を変えるべく対応が出来たからこそ今があるとすると考え深いものがあります。厳しかった状況についてはリピーターになって頂いている方にも何れ語りたいと思いますが、10000字でも無理かなー。だとすると一冊の本にまとめますか。

 

無事に入職式と辞令交付式が行われました

2019年4月1日

定刻である10時から行われた入職式と辞令交付式が行われ、先ずは新規採用者6人一人ひとりに辞令書を手渡し、次に人事交流の職員にも手渡し、その後理事長である私の話をさせて頂きました。職員を確保することの難しい背景があるなかで当法人にきてくれた一人ひとりに対して思いを語りました。そして、本部職員になる者、和合の職員になるものの、それぞれに代表者が挨拶。本部の代表者は専門学校を出たばかりの職員が「がんばるぞ」の気持ちを全面に出した挨拶をして、和合の職員は社会人をながく経験し、改めて介護福祉士の専門学校を卒業した職員の挨拶で、それぞれに特色ある話をしてくれ満足していると、次には先輩の言葉を昨年、高卒で入職した職員の話しと続き、昨日下書き原稿は読ませて頂き『良くまとまっているし、法人側が狙っている事を言い当てた内容だった』とは思っていたのですが、しっかり話せるかと私自身がどきどきしながら聞いていたのですが、『案ずるより生むが易し』でしっかりと尚且つ聞きやすいスピーチでした。私は正直自分が話をするとき以上に緊張しながら「頑張れ、がんばれ。」「後少しだ」等と思いながら聞いていました。副施設長の閉会の言葉の後は記念写真で、全体写真に続いて、それぞれの施設に分かれて撮りました。写真撮影を終え、全員で地区の氏神様である天満神社にお参りして、心新たな気持ちでそれぞれの持ち場へと別れ、早速仕事をして貰いました。職員は如何に採用して如何に育てていくか、本日朝に降った行きで南に見える山は真っ白でした。さてさて、白色を如何なる色に染めて立派な介護職員にしていくか、リピーターの皆さんも見守っていて下さい。

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