2019年02月の記事一覧

大丈夫か

平成31年2月28日

朝一で施設に行き仕事の区切りをつけ、朝食の為に家に帰ろうとして、パソコンの画面を見るときは眼鏡を外して机の左側の物入れに入れているはずの眼鏡がない。宿直者の職員に「今朝は眼鏡をしてこなかったか」と聞くと「多分されてこなかったと思います。」との返事だったが、一先ず施設長室の机の上を見たがないので、「やはり家からしてこなかったなら、仕方がない」と、予備の眼鏡をかけて家まで運転をして帰り着き、家の中で考えられるところをウロウロと探しても見つからず、再び施設に行き探そうと言う事で一瞬パニック。

何故なら今度は車のカギがない。「玄関先の靴箱の上の籠に入れたはず。だって、家に上がる前に籠に入ってないので、玄関のカギをさす所にあったのを確認したから」。ひょっとしたら食堂のテーブルの上かなと見てもない。半ば諦めて玄関の戸を開けて何となくカギをさす所に目をやると、何とカギがささっているではありませんか。鍵の件は一件落着ですが、不思議な現象です。これはもしかしたら『妖怪カギ運び爺』の仕業か・・・・・。(そんな訳ないか)

とにかく再び施設に行き、再びメガネ探し。何度も何度も事務所と施設長室を行ったり来たり。でも見つからない。頭を冷やそうと洗面所に行こうとして途中にある机の上を見るとはなしに見ると、何とメガネが鎮座しているではありませんか。思わず絶句です。

しかしながら、こんなに探し物をしている私は一体何者。いよいよ、認知症の出現か。と、いらいらしていると、「理事長」「施設長」「会長」など呼び方は様々ですが『お忙しいから』と慰めなのか同情なのか、忙しいと言う事実だけなのか。うーん。何とかしたいけど、ますます探し物が多くなるのかなー。本当に悩ましい限りです・・・・・・・・・。

 

酔っ払いは何ともならない

平成31年2月27日

おそばせながらの新年会の2組目が実施され、しゃぶしゃぶ木曽路では、お酒を飲める職員を私の近くに集め、2時間しゃぶしゃぶを頂きながら日本酒をしたたか飲みました。二次会は飲める職員と歌える職員を伴って前回同様に行きウイスキーをロックで飲み、お酒を飲んでは3度もハプニングを起こして奥様に愛想をつかされている北島部長が職員の送迎を一手に引き受けてくれてみんなが帰ってから何となく物足りなくて(だってまだ22時過ぎでしたから・・・)気楽に話が出来るお友達に連絡すると、「これから行きます」との答えが返ってきたので、お店で合流しここでもしたたかウイスキーを飲み23時過ぎにタクシーを呼んで貰い自宅にたどり着いたのですが、酔っぱらった私は、代行運転と勘違いしてシャッターを開けてうろうろ。タクシーの運転手が「お客さん、代行ではありませんよ。」と何度か言われてもその意味が理解出来ず車庫の周りをうろうろしていて、「何で車庫に私の車が入っているんだ。」と悩んでいて、ようやくタクシーで帰ったと理解して、運転手さんにお金を払い、表のカギを持っていなかったので裏口の指認証で家に入り、何とか事なきを得たのですが『酔っ払いは何ともならない』と言う結論に達しました。流石に本日はグロッキーで午前中は家で休ませて貰い、午後1時からの共同通信社の記者の方の取材を受ける為にたくさんの水を飲み、何とかシャキッとして受け答えが出来ました。しかしながら、お酒が弱くなったのか飲みすぎたのかは定かではありませんが、なんともはや情けない話です。65歳と言えば大概の良識があってしかるべきなのに、「反省だけならサルでもするぞ。」を私自身に言いたい気分です。ただ救いは共同通信の記者には私の福祉に対する思いを中心にしっかり話せた事です。文字通り『よく学び、よく遊べだ』と一人で納得している次第です。

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施設奥の西側に大きな砂防ダムが出来ます

平成31年2月26日

防災については近年多く災害が起きている中、岐阜県としても積極的に事業を実施していて、当施設の周辺の山が危険域のイエローゾーンと言う事で山の斜面の工事を5期に分けてではありますが、毎年実施して頂いており、全てが終了したあかつきには、めでたく『福祉避難所』に指定して頂けると言う事で岐阜県において多大なご理解を頂いて実施していただいているのですが、昨年の2度に渡る大きな台風によって施設の中に通っている川が豪雨によって川に多くの土砂が流れてきて体積している状況もあり、施設の上流に大きな砂防を急ピッチで造る工事が進んでいて、山の木は1000本以上切られ、川の流れも変えて、土砂をダンプでたくさん運んで頂き、施設の上流の環境がガラッと変わりつつあります。

本日も何台かのダンプが施設南側の道路を行き交うので、久しぶりに施設の奥を見に行きました。本当に感動しかない位に変わっていました。確かにこれだけの工事をして頂ければ上流域で土砂を止めてくれると思うと自然に「ありがたいなあ」の言葉しかない。いやいや、ひとつ懸念があります。それは、これだけの木を切りまだまだ多くの木を切る計画があるとの事なので湿度は間違いなく下がるだろうからインフルエンザ等を気を付けなければ。しかし、インフルエンザは予想が出来る事だからしっかり対策を施せば大丈夫。

しかしながら、災害は想定を越えることあるからここは、砂防を優先して頂いた事に感謝。ところでこんなに大規模なものになったのは、砂防ダムは土砂で一杯になれば砂防ダムとしての機能を果たさなくなるのですが、今回の工法は土砂が一杯になったら土砂を取り除く工法なのでダンプや重機が通れる道を造るとの事。この事にも思わず「ありがたいな」。

工事をして頂いている方に親切に教えて頂いて浮き浮きしながら歩いていて、新館の南側にある池に中にある小山の回りに沢山の金魚が泳いでいました。この金魚は夏祭りの企画の一つで『金魚すくい』があり夏祭りが終わって放流したものですが、間違いなく増えている。施設でゆったり育っている金魚(私がガラケイでとった写真ですが分かりますか)に、『家族が増えるのは微笑ましい』と思いました。入居者もゆったり、金魚もゆったり『平安之福』でまたまた「ありがたいなあ」

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3月2日付けの週刊現代の情報からPART2

平成31年2月25日

私の生母は私が小学校3年生の頃から闘病生活を余儀なくされていて、癌が転移する期間は不思議と元気で家での生活ができ、そんな時の母は私が学校から帰ってくると、宿題を確認してその後国語の本読みをするのが日課だったのですが、小さい頃から虚弱だった私はしょっちゅう高熱で学校を休んでいたので、当然のことながら勉強は出来ない子供だったので、本読みもたどたどしくて、母親が何か指摘する度に涙が出てくるような状況で今からは考えられないような子供だったのです。今でもその後遺症なのか声を出して本を読むのは苦手です。恥ずかしながらのエピソードを紹介すると、30歳と10日で結婚式を挙げた私は結婚式のセレモニーで「誓いの言葉」を嫁さんと一緒に読んでいる時に原稿には書いてない事を話していて嫁さんに背中を突かれた記憶が今でも鮮明に残っています。こんな私が、人様の前で話が出来るようになったのは、26歳で児童養護施設指導員になり、小学生・中学生の勉強を見なければいけない立場になり、かつての同僚であった数学の先生に食らいついて教えて頂きそれなりに出来るようになったように思います。(前置きが長くてすみません。本題に入ります。)CoCo一番の創始者である宗次徳次氏は確かに稀有な人生ですが、苦労を苦労と思わないで、苦境を乗り切った時に全ての事を『ありがたかった』と感謝をされる。めちゃくちゃ素敵な考え方だけれども誰もが真似を出来る生き方ではありません。そして、『人の笑顔が見たい』の信念の為に上手くいっていた不動産業を廃業して未知の世界に飛び込む信念の持ち主。そして、信念を持ってやり切ろうと言う意思の強さ。しかしながら私は、宗次氏の奥様が旦那さんを信じて付いてきて下さったいわゆる内助の功があったればこそと思っています。だって「CoCo壱番屋」の名称は「奥さんのカレーが一番や」で決まった事からも二人三脚が素晴らしいものになったのだと考えています。話は飛びますが、岐阜県出身の嶋聡さん(元ソフトバンク社長室長)の講演の折、松下政経塾で松下幸之助さんからの教えで、塾生が『成功する秘訣は何ですか』との質問に松下幸之助さんは「成功の秘訣は知らん。だけど成功するまでやり続けたら必ず成功する。」とのエピソードを聞き、なるほど意味深い言葉だと思いましたが、宗次氏の生き様にも相通ずるものがあると思いますし、私の生き様にも通ずると思います。もちろんスケールは桁外れに違いますが。そして、これはスケールが桁外れだから仕方がないことですが。宗次氏は自分が稼いだお金は全て寄付すると断言されそのように実践され喜ばれているのですが、私は桁外れの小ささの中で、法人が収益を上げた分は地域貢献で頑張らせて貰おうと考えています。苦労を苦労と思わない生き方と趣味もない生き方には共通項がありますが、まだまだやらなければいけないことが山積している状況の中、「仕事が趣味」とインドネシアEPA介護福祉士候補生に言い切った事ですし、これからも地域貢献にますます磨きをかけていきますのでリピーターの皆さんも応援宜しくお願いします。

 

3月2日付けの週刊現代の情報から

平成31年2月24日

『無私の人である。自分のために稼ぎたいと思ったことがない。趣味はないと断言もする。「何が楽しいのか」と聞くと、「人の笑顔」と即答する。この稀有な成功者はいったい何者か』との書き出しに目が止まり、誰の事かと表題を見ると、『男の人生には物語がある。「CoCo壱番屋」創業者 宗次徳次』と書いてあり読んで行くうちに多くの共感点と多くの参考点があったので、私の視点で書くことにします。

いきなり「私は1948年石川県生まれらしいんです。戸籍上ではそうなっています。しかし、物心がついたのは、兵庫県尼崎の孤児院。今も実の両親は知りません。」から始まり3歳の時に里親に貰われた家の養父がギャンブル依存症で養母は夫の暴力と借金に愛想を尽かして出ていき養父との二人暮らしは電気も止められローソクでの絶貧暮らし。そんな暮らしの中での述懐の中で「父は父なりに私への愛情があったのだと思います。怒ることはあっても、出ていけとは一度も言いませんでしたから。だから父への恨みは一切ありません。自分が不幸だとも思いませんでした。(中略)ただ、父が喜ぶ顔を見るのが、とても幸せな時間でした。」と語りには正直「そんな阿保な」と思いましたが、その記事の中でのコメントに『奇特な人である。幼い頃、貧しい暮らしを送った人の多くは、豪奢で楽な暮らしを夢見るが、宗次氏はそんな事は考えもしなかった。3足8980円の靴を愛用していると笑う。』私にはこのような生き方なとても真似出来ないが、この謙虚な生き方には共感して少しでも真似が出来る事はしていきたいと思いました。「父子二人の暮らしは、中学3年生の卒業間際、養父に胃がんが発覚し、闘病3か月で急死。その後、母子二人の生活が始まり「ようやく、電気と食事のある生活が始まりました。母は会社の賄い婦をしていたので、私のために余ったご飯とおかずを持って帰ってきてくれました。高校に入ると同時に食が満たされるようになり、本当にありがたかったです。(私たちにとって当たり前の事を『ありがたい』と思える生き方に感動を覚えました。)高校を卒業され不動産屋に就職されて、同年代の2~3倍の稼ぎだったにもかかわらず奥さんが始められて喫茶店オープンの当日、喜ぶお客さまの笑顔を見て、飲食店経営に心を奪われ、その日の夕方には不動産業を廃業して喫茶店を手伝う事に決められた。との件には舌を巻くしかコメントのしようがありません。『場末の喫茶店の店主だった私が、最初に作った標語が「お客さま/笑顔で迎えて/心で拍手」と言うのも実感のこもったものだと思いました。カレー店を作るために東京の有名カレー屋を食べ歩いて、結論は妻の作るカレーが一番おいしい。「ここのカレーが一番や」。で「CoC o壱番屋」が誕生。めちゃ凄いのは「25歳から53歳で引退するまで、まじめにコツコツやっていたら、知らない間に大きくなっていたというのが実感です。毎期の目標を必達で行くために、まずは誰より自分が一生懸命になろう、と思ってやってきました。失敗する経営者は、途中でよそ見をしたり、油断したりしたのではないかとしか考えられない。」のコメントを見て、当たり前がいかに難しいかをお知る思いです。そして、「趣味はない、と断言する。むしろ、41歳のときにゴルフを少しやった事を後悔している。とまで言う。趣味で自分が楽しんだとして、それを誰が喜んでくれるのか。宗次氏の心にあるのは『人の喜ぶ顔が見たい』それだけなのだ。」と解説しているがそんな生き方が出来るのは『稀有な生き方』としか表現出来ない。最後のまとめに「稼いだおカネはすべて寄付」の文字が並んでいて事実、貧困問題の解決に奔走する市民団体、学費に困る子供への奨学金などに寄付をする活動をされている。正に有言実行。私は寄付と言う形ではなく、地域福祉で貢献し続けて宗次氏のようにスケールの大きなことは出来ませんが、私なりに頑張っていきますので、リピーターの皆さんも社会福祉法人杉和会の活動を見守っていて下さい。

おそばせながらの新年会が昨日開催されました

平成31年2月23日

富山での出張から帰って、一時間ほど家で休息して(この時間にコラムを書き上げたのですが)大垣にあるしゃぶしゃぶの木曽路に行き、定刻の18時30分に理事長の私の挨拶で飲み会がスタート。30人の参加者の内飲むのは10人のみ。お酒を飲まない職員はしっかり肉を食べに来たのか、追加の肉がどんどん運ばれてきて、思わず唖然。でも気持ち良い程食べてくれるのも嬉しいものです。のんべいグループが私の回りで注いで注がれて注がれて注いで。最初に熱燗5本を頼んだのはあっというまになくなり、追加でまた5本頼み、流石に3回目を頼んだ時は3本で。でも結局また3本頼んで、後2本後2本で結局合計20本。本日20本飲んだ事が話題になり私は「お銚子は5勺だったから合計1升だったね」と言うと事務長が大真面目に「あのお銚子は2合入りますよ」と言われたので、と言う事は4升飲んだと言う事は誰がどの位飲んだのかと言えば、私の両隣と前に座っていた四人で3升と後の四人で1升と言う結論に達しました。木曽路を終えて二次会に飲まない職員も入れて12人。歌を歌いウィスキーや焼酎を飲み23時前に私が北の漁場を歌ってお開きに。前日は富山で三次会までやっての新年会・・・。65歳の私としてはよくぞ付き合えました。宏君は偉いと考えていたら、一番頑張っていたのは理事長ですよと言われて・・・。うーん、この飲み会は仕事の一貫だったのかどうだったのかと考えていて悩んでしまいましたが、究極は良く学び良く遊べじゃ。文句あるかいと言う事で。2回目の飲み会は26日なので23日、24日、25日の3日間は禁酒で行くぞ。そんなこと「当たり前だのクラッカー」と結構な年齢の人にしか分からないギャグで二日酔いのコラムとします。ところでリピーターの皆さん「当たり前田のクラッカー」分かりますよね・・・。

2日間の21世紀委員会合同委員会が終わりました

平成31年2月22日

昨夜は研修後に交流会があり、一次会終了後は岐阜県から参加した総勢10人を引き連れて二次会、三次会と盛り上がり、三次会の後私以外はラーメンを食べに行く元気な若者(時には「ばかもの」とも言いますが、良く学び良く遊べは大いに応援するのですが。本日2日目はグループ討議をしたのですが、私はDグループで参加して「お酒もガンガン、食べるのもガンガンの職員は良く頑張れる職員だ」等と訳の分からない意見を言ったのですが、皆は大きくうなずいていたところをみると、参加した方はみんな頑張っている職員さんばかりなんだと変に納得しました。
11時30分に全てが終了して全国21世紀委員長や富山県の役員さんにご挨拶をして、当施設の吉田部長の運転で帰路に着くのですが、途中で人気のうどん店で『どて煮込みうどん』を食べたのですがこれが絶品で、昨日はお寿司で満足して今日も。めっちゃありがたい。そして、本日18時30分からは本部施設のおそばせながらの新年会が大垣のしゃぶしゃぶの木曽路であるので、流石に本日は昨夜ほどにははちきれないと思っているのですが、植木等さんの歌のように「ちょいと一杯のつもりで飲んで、いつのまにやらはしご酒」ベンチで寝ることはないにしても・・・。だから、大垣に出掛ける前にコラムを書いているのですかね。と言う事は自分の性格を良く知っていると言う事ですかね。いやいや何事も全力でやってしまう宏君であります。但し、かつての宏君は全力でやって突然高熱を出して入院なんて事があったのですが今は元気そのものなので喜ばなければいけないけど、油断は大敵だから本日はおとなしくと言いながら二次会の設定をしている宏君なのであります。(何のこっちゃ)

2日間富山です

2019年2月21日

本日と明日の2日間は富山で21世紀合同研修会(50歳までの組織)に東海北陸ブロック会長として参加する為に朝8時に職員の車で富山に向かい今は早く会場ホテルに着いたのでコラムを打っているのですが(ここで本部役員が到着されたので、ご挨拶の為に一旦中断)(再開)会場ホテルに着く前に富山のくるくる寿司で昼食をとりましたがメチャ美味しかったです。特にカニやネギトロの軍艦巻きのネタが大盛で・・・。お昼から美味しく頂いたので夕食はもっと期待して良いのかな。富山の21世紀委員長にも挨拶するとブロック会長としての出番があり挨拶をさせて頂くのだそうで・・・。私の挨拶は多分参議院選挙の組織内候補者の角田みつよし君の話を熱く語るんだろうなと思います。そして、本日参加している若手の皆さんがこぞって主体的に活動してくれる事を期待しています。だって介護業界と社会福祉法人が今まで以上に地域貢献出来て職員も入居者さんとその家族も地域も生き生きした社会を構築していきたいから。グループ討議にも参加して、みなさんの意見を聞いていて若者らしいはつらつとした意見や悩みを訴えられて、ここは、ビシッと決めたいなと思っていた時に私に意見を振られたので(場をよんだ名司会者)実績に伴う意見を話しました。次に場所を変えて角田くんのビデオメッセージが流れ私なりに熱い思いを言いたかったのですが、ここは愛知県の役員にしていただき懇親会で思いっきり角田君の事を東海北陸ブロック会長として熱く語りました。語っている内に涙がでるような状況になって困りました。だって角田君は1歳にならない子供さんがいるのに、自分を捨てて介護業界の為に人生を掛けてくれたのだから。角田君の覚悟は半端で無いことを話をしながら頭が下がる思いだったからです。だからこそ、岐阜県で10000票とるにはとことん頑張って活動しなければいけないし(半端な事ではとれないことは分かってます。)結果をださなければいけないと酔っぱらいながら考えています。今の状況は一次会の懇親会を終えて昭和を思い出す店で二次会を済ませ今はカラオケで砂田おさむの人生夢の途中駅を歌ってからコラムを酔っぱらいながら携帯で打ってます。次の曲を入れるように言われていますので今日はここまでにします。何てしんどい生き方なのか。でもこの生き方しかできないわたしです。リピーターの皆さん私の生き方をご理解下さい。

情けない

平成31年2月20日

昨日のコラムで大きな時計の針がくたくたで機能しないので事務所の職員に修理を依頼したところいとも簡単に治してしまったので、「怪しいな」と疑っていたので・・・本日の朝の挨拶時に確認すると『しっかり動いている』と感動すると共に疑った事と私の能力のなさに思わず「情けないな。」館内の挨拶を終えて事務所で決済印を押そうとシャチハタ印を押すのですが上手く機能しないので、宿直者の服部課長に「インクを入れて貰ったら動かなくなった。」と話しすると、印鑑を持った瞬間に「大丈夫ですよ。使えます。」と言うので「嘘や」と言っていつものように押してみるとしっかり押せるのです。「魔法を使ったのか。ネタ話をしてくれ。」と言うと服部課長は「魔法ですからネタ話はしません。」といつものように意地悪く・・・厳かにロック解除の方法を教えてくれました。教えて貰えば簡単な事なのにそんな事も知らない私は「情けないな」。しかしながら私は色々な職員に恵まれていて今があると思うと「ありがたいな」と思った次第です。私の役割は何なのかと情けない状況で考えてみました。いつもの私なら「お酒がめっちゃ飲めて、歌がプロ級で(自称ですよ)話が出来て、根回しが得意なだけです。」と言っていたのですが、今朝の服部課長からの報告で気づいた事があります。それは、本日の夜勤者から悩みを聞いたとの報告により、悩みの解決策をさっそく伝授したのです。そして話をした瞬間にその職員の顔が笑顔になりました。「そうだ。私の取り柄は即行動するフットワークの良さだ」と。よし。これからも150人の杉和会職員の素晴らしい特性を生かしてやりがいを持って頑張れる集団を形成していきますので、リピーターの皆さん益々のご支援ご協力をお願いします。おっと。4月28日のてるてる座の600回記念公演(関ケ原ふれあいセンター:13時開演)にスペシャルゲストに岐阜が生んだ演歌歌手『砂田おさむ』の出演が決定しました。リピーターの皆さんもスペシャルゲストのそのまたゲストに若山宏が砂田さんのオリジナル曲「人生夢の途中駅」を歌うかも・・・。リピーターの皆さん乞うご期待と言う事で。

けしからん事とうれしかった事

平成31年1月19日

けしからんかった事は、17日に幹部会があり、その時の指摘の中で私が「新館1階のコミュニティゾーンの大きな時計の針がくたくたになっていて時計としての役割を果たしていない」と言って翌日の朝に対応出来ていないのは物理的に無理だったとしてもその翌日である2日後の今日対応が出来てないのは幹部職員にも思いが足らない証し。

そこで時計をはずして、治らないかと試してみましたか私には無理だったので、よっこらよっこら事務所まで運び事務所内の職員に修理対応を任せて、一旦朝食の為に家に帰って再び施設に戻ると依頼した職員が「治りましたよ」とすました報告に『けしからん』を二つ。一つは勿論、「直ぐに対応せなあかんやろ」で、もう一つは「なんでその場で私は治せんのや」です。まあね、二つ目のけしからんは私には治す能力がなかっただけなんですが・・・。

次に嬉しかったのは写真の絵の事です。雛祭りの絵が上手に出来ていたので「誰が作成したの」と聞いたところ、職員の母親が下絵を描いて下さって後は入居者さんが作成されたとの事に対して滅茶苦茶嬉しかった。だって自分の息子が勤めている施設の入居者さんの為に母親が下絵を描いて下さったとは。これは感謝であり、母親として頑張っている息子にエールを送っていると思うとますます嬉しかった。

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しかもこんなときには、タイミング良くその職員が出勤時に会うのです。そして、その事を話しするとその職員は滅茶苦茶照れていました。そして改めて思いました。施設は多くの方に支えられにこにこした入居者さんの笑顔を作って貰っているのだと。

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