2018年12月の記事一覧

職員の慰労を兼ねて東京へ出掛けます

平成30年12月11日

本日は第11回「介護作文・フォトコンテスト」の表彰式が東京都北区東十条にある図書印刷株式会社1階ホールで午後1時より開催され本部施設のデイサービス責任者である北島部長がフォト部門で入選したので応援団兼保護者??(保護者の割には私の荷物を北島部長が持ってます。)として参加する為に今は新幹線に乗っています。北島部長に応援団としてついて行くと話をすると「写真を撮って送っただけですから遠慮しておきます。」との返事だったので私は「そうではない。北島部長が撮ったから利用者さんは良い顔をしてくれたし、エントリーをしなければ入選する事はなかったわけで、今後に繋げて行くためにも盛大にしなければいけないのだ。」と話をすると「喜んで行かせて頂きます。」で、本日の出張になったのです。ところでフォト部門で入選したことは既にこのコラムでご承知だと思うのですが、よーく考えてみるに、我が施設ではイベントが多くシャッターチャンスは多いのにフォト部門での入選は初めて(ちなみにホームページ部門では特選を頂いています。)これは、見せ方や撮り方に問題があるのだと改めて思いました。と言うのも、全国老人福祉施設協議会の広報委員長の福島さんによると施設名や都道府県名は全くわからない状況下で審査しているとの事なので、沢山のエントリーをしても素晴らしい写真は賞に入ると言う事だから、良い表情を醸し出す企画力には自信を持っているので、豊かな表情を引き出す手立てを講じる事が肝要・・・・。とりあえず今度の日曜日(16日)に行われるクリスマス会では、豊かな表情を引き出す為に私は腹踊りでもしますか。いやいや率先垂範もいいけど・・・・。私はとりあえずド派手な衣装で登場しますか・・・・。どれだけの方が喜び良い顔をしてくださるか?私は今からわくわくしてます。

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ベトナムからの留学生を初めて受ける事になりました

平成30年12月10日

男女一人ずつの2人を受け入れる事になりました。それぞれに日本語検定の2級と3級を取得している優秀な子で来年の4月から中部学院大学に入学する事が決まっています。4月からの2年間は社会福祉学部の学生としてしっかり学業を頑張って貰いながら、土曜日、日曜日には和合の施設で仕事をして貰い、大学を卒業してからはなるべく長く働いて貰えたらとの思いはありますが、その質問に対しては、女性は出来たら日本に永住したいと言ってるし、男性は7年間しっかり働いてお金を貯めてベトナムに帰って会社を立ち上げたいとの事。2人とも立派な志しだと思うので出来る限りの支援をしてあげたいと考えています。

ベトナムからの職員の受け入れは初めてですが、9年前からEPA介護福祉士候補生の受け入れでインドネシアから沢山来ていて、現在本部施設に11名と和合の施設に1名の計12名が在籍していて、和合のシスカさんは本部施設での経験で1回目のチャレンジで介護福祉士の国家資格を取得した優等生。インドネシアに1ヶ月一時帰国して現地で結婚式を挙げて旦那さんを呼び寄せ、和合の施設から歩いて5分とかからないアパートから2人の子育てをしながら仕事を頑張っています。10年が節目になるので、今後のプランを聞いてみたら「日本の食べ物が美味しいので日本にずっとたい」。との答えを貰い嬉しい限りです。介護人材が枯渇していく状況下で色々な手立てをして人材を確保すると共に人材定着の為の手立ても講じて安定した施設運営をしていきたいと考えていますのでリピーターの皆さんもバシバシご意見を下さい。

あとはクリスマス会まで6日になりました。こちらもわくわく感いっぱいで期待に沿うように頑張っていきますので・・・・・・・・。

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昨日行われた同窓会の報告をします

平成30年12月9日

17時には全員集まりませんでしたが、早くから集まっているメンバーから急かされ、1回目の乾杯を私の音頭で行い、昨日書いた暴れん坊がいないと思い「氏縄が来てないな」と右隣にいた柴田君に話しすると、柴田君が慌てたように「何言ってるの。僕の隣にいるのが氏縄君だよ。」と言われて隣を見ると「うーん、氏縄君か。確かに言われてみると氏縄君かな。」と言う事で話をしていると50年前にワープして・・・・。お互いに照れ臭い・・・・。氏縄君は一途にJRに勤めていて、今でもJR関係の会社の重役で月曜日から金曜日までは東京の会社に出向いていて、ホテルを根城にしているとの事です。話の端々に今も頑張っている事がわかりました。私の左隣にいたのは、クラス一の秀才で岐阜高校から京都大学に進学して銀行マンになった繁君。今は銀行を退職して、週1で大学での講義をしつつ、新たに大学で勉学に勤しんでいるとか。私は思わず「今更、何の為に勉強をするの」と聞き返すと「惚けない為に」との答えが返ってきたのには驚きました。17時から始まった宴会は20時には終わるのかと思っていました。だって、通常飲み放題食べ放題だったら2時間で長くても3時間でしょ。しかしながら、コミュニティハウスで泊まるつもりでいるメンバーは腰を据えているので3時間では終わりませんよね・・・・。でも流石に4時間経過の21時には終わるだろうと思っていましたが・・・・。まだまだのようで、5時間たった22時にはカラオケまで始まり、私も居直って一曲歌ってしまいました。しかも近々CDデビューしようかと思っている「人生夢の途中駅」だったのでみんなから、「上手すぎる。余程授業料を払っているな」等と囃し立てられて・・・・。これは喜ぶべき現象なのか悲しむべき現象なのかと・・・・。23時20分にようやく終了して、酒を飲んでない同級生に家まで送って貰い長い1日は終了しましたが、参加したみんなが余程居心地が良かったのか来年の再開もコミュニティハウスでとの事で、これこそ喜ぶべき現象なのか悲しむべき現象なのかと・・・・。

 

当施設新館西側にあるコミュニティハウスで中学時代の同窓会があります

平成30年12月8日

32人の同級生の内、今日になって一人の追加があり18人の参加になりました。久しぶりの企画にしては過半数以上の参加であり嬉しい限りです。施設に興味を持って頂けたのか、ひ弱だった宏君がどんな風に変わったのかを確かめたかったのか・・・・。うーん、あまり難しく考えずに「沢山参加して下さりありがとう。」と言う事にしておきます。お酒は水割り、ロック、お湯割り、熱燗、冷酒も出来るように準備して、漬物の盛り合わせ、乾き物、果物などを用意して、極めつけは赤だしまで・・・・。今は16時25分で、早くに来てくれた同級生は今、職員の案内で施設見学をしてもらっていて、17時スタートの最終チェックをし終えて、何時に終わるかわからないので、コラムの連続更新が切れないように、隙間の時間を利用して急ぎ携帯電話でコラムの原稿を打ってます。早くに来た同級生とは施設で挨拶をしたのですが、今の所昔の面影で何十年ぶりでも、誰だかわかりました。しかしながら、本当に中学を卒業してから一度も会ってない、クラス一の暴れん坊だったのが、本日は参加すると聞いてます。私は何度も言いますが中学時代は対人恐怖症の赤面症だったので、いじめの一番の対象になったかと言うと昔の暴れん坊は強気をくじき弱気を助くで、ぜんぜんいじめられなかったし助けて貰った記憶しかありません。今日会えるのをめっちゃ楽しみにしてます。17時に私の乾杯で始まりました。後は明日報告します。

 

本部施設のクリスマス会は16日の日曜日です

平成30年12月7日

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クリスマス会までのカウントダウンがされているなか、職員も出し物の練習プランを出してきて心弾み、家族の返信のハガキからは40人以上の参加を頂いて企画に対する期待の大きさを感じていますし、来賓等の招待客も25人を超えて、文字通り「継続は力なり」を証明しているように思います。正直、「ありがたいな」と思うと同時にカウントダウンの中で理事長としてプレッシャーを感じています。常日頃職員には「黒子になれ」と言いつつ理事長である私は「どんな渋い格好で出番を迎えようか」とわくわくしてます。この際、山崎ていじショーの看板を塗り替えて若山宏君オンステージにしたろか。いやいやそれでは、お客様に失礼だろ・・・・。少なくとも山崎ていじはテレビでツーコーラス歌えるプロの歌手なんだから。カラオケで1点しか差がなかったからと言って理事長は調子に乗りすぎと言われそう・・・・。でも、山崎ていじに足の長さと歌の上手さで負けたとしても何とか参加されている方々にあっと言われてわくわく感を持って頂ける企画はないかと事務所に来た職員とワイワイやっていました。そしてアイデアと手配を終えてつらつら考えました。私だけ目立つのは得策ではないと・・・・。そこで次に起こしたアクションは、瑞穂市にあるドン.キホーテでクリスマス用品を手に入れて私の道連れを多く作る事だと。だって昔から言うじゃありませんか「赤信号 みんなで渡れば怖くない」と・・・。小林幸子や美川憲一と同じようにとは行きませんがリピーターの皆さんも乞うご期待と言う事で・・・・・・・・。

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明後日の8日は当施設敷地内にあるコミュニティハウスで中学時代の同窓会があります

私が今須中学校を卒業したのは、ちょうど50年前で同級生は男子21名、女子13名の全部で34名です。2人の同級生が既に他界しているので実際は32名ですが過半数以上の17名が参加すると聞いてます。当施設は単に会場を貸すだけとの約束で「地域貢献になる」との思いで利用してもらう事にしたのですが、後2日となった今、落ち着かなくてアクションを起こしてしまいました。一つには深夜電力を活用した床暖房のスイッチの確認をしたり、飲み物を入れるグラスを用意したり、極めつけはお酒、おつまみ、果物などの準備と確認をしました。いくら同級生とはいえ、地元ではそれぞれの立場で活躍している方ばかり。見返りを求めるつもりは決してありませんが、このような形で活用してもらえる事に意義を感じている次第です。私が卒業した時は1学年1クラスでその当時は小学1年2年には上の谷地区には分校があり(当施設の向かいにある建物で今は地区の公民館として使われています。)小学三年生からはクラス替えもなく、7年間同級生のメンツは替わらず
で・・・・。と言う事は小さい頃のイメージを中学校を卒業するまで持ち続けてきたと思います。だから私は「病弱な対人恐怖症の赤面症を演じ続けてきたのかな。高校生になりそのしがらみがなくなり、稀有な生き方と実直さで今の自分を築いてきたのかな・・・・。そんなに大袈裟な事ではなくて沢山の素晴らしい出会いを頂いて今がある。しかしながら一つだけ心配なのは、私の感情が中学時代にワープしたら・・・・・。大丈夫です。そんな柔な生き方を今はしてないので、多分堂々と同級生のまえでも振る舞えると思います。この事については後日談をします。

18時40に柿を頂いたり栗を頂いたりしてお世話になっている方から電話

平成30年12月5日

「何事か」と思いながら「ご無沙汰してます、その節はお世話になりました。」と吊し柿の柿の提供のお礼を改めて言うと、「理事長、そんなことよりBS5チャンネルに山崎ていじが生放送に出とるで見て下さい。そろそろ出番だと思うので」と慌てて電話をきられたので、「弱ったな。まだお風呂に入ってないし」と思ったのです。何故ならテレビを点けてBS5チャンネルにして画面を見ると「日本の名曲、人生歌がある 生放送!5時間スペシャル」と出ている。「おいおい18時から始まったとして23時までのいつ出てくるかわからない山崎ていじの出てくるのを待たなければいけないのか」と・・・・・。しばらくすると司会者が5曲の紹介があり決断しました。「お風呂に入るなら今だ」と。慌ててお風呂に入り、食事の時も律儀にBS5チャンネルにして見ていたのですが、歌っている方の後ろに座っている緑色のスーツ姿の山崎ていじの姿をとらえる事は出来ましたが出番が来ないので慌ててベッドに横になりテレビのスッチを点けると20時になり、山崎ていじの「昭和男唄」のイントロが流れてきたので「教えて頂いた方にこれでお礼が言える・・・・。」と思うと共に今月16日に本部施設のクリスマス会に山崎ていじが来てくれた時にも話が出来るし、それよりも何よりも、テレビで歌を歌っている本人が来てくれるのは有難いとしみじみ思いました。「よし、テレビの画面で立派に歌った山崎ていじと久しぶりに歌でガチンコ勝負したろか。」いつぞやは山崎ていじの持ち歌「お前しか愛せない」で山崎ていじが93点で宏君が92点の1点差で負けたんだったな。今回は私の持ち歌みたいな砂田おさむの「人生夢の途中駅」で勝負しよか。「これだったら勝てる。プロの歌手に勝てる。」「おいおい、勝手な事を言っとるな。クリスマス会は入居者さん利用者さんのものじゃろが」「おっしゃる通りです。」と言う事でリピーターの皆さんも16日13時30分からのクリスマス会に来ませんか。但し、要連絡で尚且つ先着3名様までとさせて頂きます。何故かって?だってこの企画は入居者さん利用者さんと日頃お世話になっている方が優先なので・・・・

久しぶりにテレビでめちゃ笑える番組があったので紹介します。

それは日曜日午後10時30分から放映している「今日から俺は!!」と言う番組です。

その番組は1980年代のいわゆる「ツッパリ」に焦点を当てて一回ずつテーマを変えての内容なのですが、「ツッパリ」イコール「ケンカ」。しかしながらそこに笑いと人情をコミカルに入れてあり、私の奥様かをりさんに毎回録画を頼み時間がある時に楽しんで見てます。私が送った高校時代は1970年代で番組とは10年早いのですが、短ラン長ランは私の高校時代もいっぱいいましたし、女子のくるぶしまであるスカートを着ているのもいっぱいいました。そしてそんな格好をした子達は誰もが明るかったし、スカートがずるずるの子の殆どが体育系の部活に入っていて、何故か私は慕われていました。何故慕われたのかは良くわかりませんが、きっと私もどっこいどっこいの男子だったのでしょうか。いやいやそうではなくて、その頃から人を束ねる話術に長けていたのかな・・・・。「バイク」「彼女」「ケンカ」が常に話題にのぼっていたのも、テレビのテーマと相通ずるものがあります。

しかし、私の高校時代もこの番組の子達も明るいです。あの明るさがあったから、仕事についてからはみんな頑張って仕事に打ち込めたのではないかと思います。そういう意味では心踊る番組と言っても良いのではないでしょうか。但し私は体力的には衰えを感じますが心は青春真っ盛り。今も夢を実現する為に頑張っていこうと思っていますので、リピーターの皆さんこれからの私の展開にも理解して下さい。

東京で開催された全国老人福祉施設協議会の理事会を欠席させて貰い本日も自宅療養してます

朝から気分も優れず出張に行ける状況になく、朝食を食べたらお腹が張った感じが強くなり倦怠感も強いので薬を処方して頂いた薬剤師に電話で相談すると、風邪薬が強いのが出ているので風邪症状の咳や喉が痛いのが治まっているのなら風邪薬を止めて、水分は採って絶食してはどうかとの事でしたので、昼食を抜いて様子を観ているのですが、確かにお腹が楽になってきました。薬を飲まなければいけないと律儀に食事を採っていたことと、小さい頃ガリガリで体力がなかったので私の母親秋江さんが「食事をしっかりとらないと駄目」との教えを守り「風邪には栄養と睡眠」とばかりの教えを守っていたわけですが今の体格と小さい頃の体格の違いを考えれば1日食事しなくても大丈夫だと今更ながら気が付きました。頭が重いのは仕事をすれば知らない内に治ると思うし、咳や喉が痛いのは我慢出来る許容範囲だし、仕事がしたいモードでウズウズしてきたので、早くにバリバリ仕事が出来るようにリピーターの皆さんも念じて下さればと思います。さて、小さい頃の様子を少し書いてみます。私は3番目の子でありながら末っ子でしかも虚弱児。母親秋江さんは宏君を目の中に入れても良い位の育て方。そんな私が高熱を出すと我が家の生活が一変します。どういう事かと言うと「如何に息子に栄養の有るものを食べさせるか」に集中します。私はそれが当たり前だと思って育ったのですが、それがとんでもないことだと言う事に気が付いたのは最近のように思います。一人っ子が多い今はそれが当たり前のようで子育てが難しくなっている現実があるようですが60年以上前にそれが許された私が今は社会福祉法人の理事長になるなどとだれもその当時の方は思わなかったと思います。でも、今のようになれたのは大人になった私に自己責任の大切を教えてくれた父親進さんの存在が大きかったし色々な出会いを大切にしてきた時代があったから。勿論今も大切にしてますよ。その時代の事を言い当てている歌が有ります。「夢中で駆けた時代もあった。振り向けば雨や嵐も試練の日々も。耐えて目をふく男花、人生夢の途中駅・・・・・」いかんまだまだ夢の途中駅や布団にしがみついとる場合やないで・・・・。一人寝てると色々な事が浮かんできて支離滅裂な文でごめんなさい。(いつもの事か・・・・)

11月30日、12月1日と休みを頂き本日久しぶりに施設に行きました。

平成30年12月2日

血圧が高く風邪もひき咳ずめで二日間ほとんどベッドの中で過ごしましたが、少し良くなると横になっていても眠れなくて、今朝はそれほど体調が良かったわけではなかったのですが、10時から介護者教室が開催されるので開会の挨拶を兼ねて施設に行きました。施設にいるときは家とは違ってシャキッとするのか頭が重いのも忘れて挨拶をすることが出来ました。その後岐阜県福祉施設共済会から広報誌の念頭の挨拶文が11月末締め切りだったので気分は余り優れなかったのですが頑張って書きましたが、流石に二日間もベッドの中での生活だったので、午後からは家に帰らせて貰いました。明日からはバリバリ仕事が出来たらと考えています。病気をするとしみじみ思うことがあります。健康な時は仕事が出来るのが当たり前と思っていたのですが、健康で仕事が出来る事に感謝しなければと痛感してます。何をするにも若い者に負けたくないと酒を飲むときもムチャな飲み方をしてきたことを病気をしている今は反省していますが元気になって酒が入ると今の気持ちでいられるか甚だ自信がありません。だって、今の組織が出来たのは私が酒が飲めて歌が歌えて話が出来たからと豪語している状況があるから。しかしながら、この考え方を変えなければいけない時期が来ているのかも知れません。今そのように思ったのは、咳が出て喉が痛かったから・・・・・、まだまだ懲りない日々が続くのかな・・・・・・多分。

 

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