2018年11月の記事一覧

リリー・フランキーさんを知っていますか

平成30年11月20日

本日は第75回全国老人福祉施設大会北九州大会の記念講演で「「家族と絆」~私と故郷の55年~」」のテーマで肩書きはイラストレーター・俳優・小説家とマルチな方のお話でした。私はリリー・フランキーさんのことは映画「万引き家族」で主演を勤めカンヌ国際映画祭(71回)において、最高賞であるパルム・ドールを獲得したくらいしか知らなかったのですが、当法人の吉田部長はリリー・フランキーさんの講演が聞きたいから参加したいとの申し出があり、本日の参加者の一人になっているのですが、やる気で来ているので、大会後は今まで以上に頑張ってくれると思います。講演ではなく対談形式で行われたのですが、一番印象に残った言葉は「いつまでもルーキーの気持ちでいる事は大切だと思うし新しい事にチャレンジする事は素敵な事だと思います。」には、勇気を頂きましたし自由人的な生き方に素敵さを感じました。その後の企画でフリーアナウンサーの草野仁さんの話を聞いてリリー・フランキーさんのトークとは正反対的な感じの実直な話ぶりに先程の企画とは違いホッとしました。勿論リリー・フランキーさんが駄目と言う事ではなくてどちらも素敵だったのですが、これ程違う方の企画をされたのも味があるなと思いました。

交通ルールに物申す

平成30年11月19日

先般、岐阜市での会合に行くときに池田トンネルを車で走っていて感じた事なのですがトンネルの長さは2000メートル以上で片道1車線で両方に狭いながらも歩道がありますが、県道でありトンネルの中はそんなに明るいとは言えないのです。尚且つ言える事は2キロメートル以上のトンネルの中を歩いている方を何度も通りましたが見たことがありません。にも関わらず、自転車が車道を走っているのですが、明るくもないトンネルなので目の前で浮かんでくるような感じだったので自転車の方も運転している私も緊張感が走ったように思います。確かにルールはルールですが、歩道を自転車に走ってもらった方がリスクは減るのではないでしょうか。絶対に歩行者がいないとは断定出来ませんが弾力的な運用は出来ないものでしょうか。ルールは時の権力者が作るものだと思っています。極端な話ですが江戸時代に5代将軍徳川綱吉が作った生類憐れみの令や秀吉が刀狩り令を出したのは最たるものだと思います。今の日本は都市部の都合で制度が作られているように思います。(めちゃぶりの話題で恐縮ですが、本日は北九州での全国大会の為新幹線での移動中ですが、全国大会に合わせて気分が高揚しているのでリピーターの皆さん我慢してお付き合い下さい。)介護保険制度にしても都市部の高齢化について考えているとしか私には思えません。トンネル内の話しに戻しますが、都市部の道は広く整備されているしトンネルの中も明るいでしょう。でも、田舎の道はそうではありません。そこで、私の持論ですが都市部と田舎の制度は違って当たり前だと思うのですが、リピーターの皆さんはどのように考えられますか。京都から小倉まで2時間30分あり、着いてからの私の動きを考えた時に過激な考えでコラムを書いてしまったと反省しつつも、言わなければ何も変わらないと言う中村会長の「遠慮は三流を地で行ってみました。

 

素足(短い題名でしょ)

平成30年11月18日

本日は月一回の本部施設のお参りで14時になってお仏壇のある静養室にあがり椅子に腰掛け入居者さん利用者さんにご挨拶しようと思った瞬間、最前列に座っている方が「理事長さんは素足やで、寒くないんか」との声が聞こえて来たので私は「お金がないので靴下が買えんのです。」と切り返したら、つぶやいた方が罰悪そうな顔をされたので、「これはいけない。」と思い、真顔になり「私は小さい頃体が弱くて冬には霜焼けが出来て、特に治りかけはむず痒くて靴下を履くと痒くて靴下をはいておれなかったので、それからは今でも靴下を履くのが嫌いになってしまったので、決して靴下を買うお金がないのではありませんので。」と一講釈してしまいました。しかしながら有難いものですね。私が靴下を履いていないのをめざとく見つけて心配していただけるとは・・・・。明日から北九州市で全国大会が行われる(私は役員なので1日早く行かせて頂くのですが)ので、色々とお世話になって頂いている方への手土産として、地元の田中屋せんべいさんに優・悠・邑の焼き印の入った昔ながらのせんべいをお願いしてあったのを取りに行き、バテバテで腰が「くの字」になったままでは明日からの3日間が持たないと施設も落ち着いているので養老温泉に行きお風呂に浸かりサウナにも入り水風呂にも入りマッサージも施術してもらい体もシャキっとしたので、明日からの北九州市で全国大会も頑張ってきます。マッサージをしながらも鞭打つ生き方が良いのか等と考える前に今日マッサージをして頂いた方から教えてもらったストレッチも取り入れて頑張りますので、鞭打ちながらの生き方にリピーターの方もエールを送って頂けると嬉しいです。

平成30年11月17日 頑張りました

 昼食時に1446個の吊るし柿の出来映えを味見すると渋みがとれていて甘味も最高と言うことで、吊るし柿の撤収をすることにしました。私は吊るし柿を吊るした竿からはずして運ぶ役。一段目二段目三段目までは外す事が出来たのですが四段目は脚立に乗ってはずさなければいけないので、ここはデイサービスの責任者の北島部長の出番。北島部長は別名「ボス猿」。高い所が大好きな特技を活かさない手はないと呼びにいくと、恥ずかしながら私の倍の早さで取り込んでしまう早業・・・・・。但し、早すぎて、紐からはずしてフリーザー袋に綺麗に詰めて冷凍庫に入れる作業が滞ってしまったので、私も紐からはずしてする作業をするはめに・・・・・。こんな作業は初めての経験。しかしながら頑張っている内に変に楽しくなり、本当は半分だけの取り込みのつもりだったのを全部することを決めて、北島部長にはずす作業は任せて紐からはずしてする作業に徹したのですが、後の半分の作業に取り組みだして後悔しました。なんたって1446個ですから・・・・。結局、作業は片付けまでした終了が16時30分で17時15分からは幹部会が始まる時間で幹部会の事前資料を読んでいたら幹部会が始まる時間で・・・・・19時30分に幹部会が終了して、気が付けばコラムが書けてない。と言うことで今は家にたどり着きお風呂の中で携帯に向かってコラムの打ち込みをしてます。諸般の事情でコラムのアップが遅くなりましたが8月22日からのコラム更新がストップすることはありませんでしたが、これ以上湯船に入っていると茹で蛸・・・・・いやいや茹で豚になるといけませんので本日のコラムはここまでとします。(写真がいっぱいあるのでお許しください。)

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お腹ぽっかりのお話Part two

小さい頃の私がガリガリだった事は昨日コラムで書きましたが、今とどれ程違うのかを体重がおおよそ2倍ではイメージしにくいと思いますので恥を忍んでリピーターの皆さんにだけそっとお教えします。

先ずは首回りですが35㎝が48㎝に、腰回りが63㎝だったのが三桁になったのは脅威です。この数字を見て思いませんか。例えばヘビに例えるなら青大将がアナコンダになったようなものだと・・・・・。しかしながら最も悲しい現象は「おへそ」です。何故ならば、ガリガリだった頃は「出べそ」でもないのに、いわゆる「半べそ」のような状態で海水パンツ(今は水着と言うのかな。しかしながら65歳のおじさんはこのように言うのです。)をはいた時には恥ずかしかったのを今も覚えています。しかし今はと言うと・・・・。ぼーーーーーっかり(こんなにーを書かなくても良いかとも思いましたが事実を隠蔽するわけにもいかないので・・・・・・。)お腹の中で半べそだったおへそはお腹深くのめり込んでいておへそを確認するのは余程の努力をしないと・・・・・・いやいやめちゃくちゃ努力しないと無理です。だって肉の上に肉が幾重にも重なっていますので。

ここまでになったらいっそのこと「宏君のおへそを早く見つける選手権」でもやりますか。先日施設のある地元の集まりがあり私のお腹を見て何人かの方にいじられましたが今の私はそんないじられ方では落ち込みません。ガリガリで熱を出してばかりだった私が65歳の今もバリバリ活動出来ているし堂々とした対応が出来ているから。実は昨日の東海北陸ブロック正副会長会議が終了後にも、名古屋市の役員さんから、「若山先生のお話は迫力があり思いがじんじん伝わってきますね。」と言われて素直に喜ぶべきかどうか迷うところですがここは素直に喜ぶ事にします。

 

※今回のコラムはリピーターの皆さんに抱腹絶倒を狙いましたので、思い切り笑って下さい。

お腹ぽっかりのお話

私は中学生の頃、お腹がぽっちゃりの相撲取りに憧れていました。何故ならばその頃の私はガリガリで今の身長と変わらないのに体重は40キロ位しかなくて、当時のあんこがたの若秩父のお腹をパンパンとたたく姿に憧れていました。しかしながら、今は昔の面影は全くなくて、若秩父よりもふんぞり返ったお腹かもしれません。青山でスーツを買うにしても限定のものしかなくても、今の自分を大切に思ってます。何故ならば、確かにお腹はぽっちゃりしてますが、全く高熱を出すこともないし病気もありません。それどころか私のお腹をさすると福が生まれるのではないかと思って貰える人まで現れるかも知れませんが、単に私の思い込みでしょうか?お腹はしっかり良い音を立てている訳だし、いい音を聞きながら眠りましょうか!!

お蔭様で忙しい日々です

平成30年11月15日

本日(15日)は午後1時から岐阜県老施協正副委員長会議があり午後3時からは東海北陸正副会長会議が行なわれ会議後は懇親会も設定されているので岐阜市内で宿泊し明日(16日)から二日間「オール岐阜・企業フェス」が開催され当法人も企業ブースをエントリーしてますしオープニングセレモニーでは来賓としての対応もあり尚且つ明後日(17日)は「オール岐阜・企業フェス」が終了して施設に帰り幹部会を招集(17時15分)しているので二日間は目一杯のスケジュールで18日は月に1回私が導師になってのお参りがあり心穏やかになった翌日からは北九州市で三日間全国老施協の全国大会がありその間にも、全国の役員会や政治連盟の会議があって、北九州の大会から帰った22日には9時30分から岐阜県庁議会棟で「岐阜県社会福祉審議会」の会議があり、その日の午後は和合のお参りと幹部会があり夜は19時30分から「在宅医療介護連携研修会」が地元で開催され、23日は西濃支部の施設長研修があり・・・・・・。何と充実した日々。しかしながら私がこのような展開が出来るのは、しっかり留守を守っていてくれる職員がいてくれるから。いくら私が65歳の身体に鞭打って上に書いたスケジュールをこなしても、施設の評価が駄目であったらいわゆる『砂上の楼閣』と化してしまうと思うから。いつも感謝の気持ちを忘れず頑張っていきますので、リピーターの皆さんからの益々のご声援を宜しくお願いします。なお、本日時間を見つけて書けたら「お腹ぽっかり」の話しも書きたいのですが。これから、会議の場所に移動しなければいけないのでイメージは出来ているのですが今は予告編として・・・・・。

私は無実だ

平成30年11月14日

信号待ちで20秒間携帯を持って「若山ですが、理事長さんと11時のお約束ですが工事等の渋滞で少し遅れる事をお伝え下さい。」と話しをして、まだ赤信号だったのでポータブルナビで(本日は自分の車をリコール修理の為に使用できなかったのでカーナビでなかった)時間を確認して、信号が青に変わったので発進しようと思った瞬間窓越しに警察官が窓を叩かれたので窓を開けると、「先ほど携帯されてましたね。信号を左に回って止まってください。」・・・・。いやおう無しに犯人扱い。言われた瞬間頭が真っ白になり(私らしくもない話しですが)時間もないので「急いでいますので早く書類を作成してください。」と言うのがやっと。私は間違いなく信号待ちにしか携帯は触っていないのに「携帯をしていた。」と断定されたので、その時は一瞬『信号待ちでも携帯は触っていけないのか』と考えて『確かに触っていました。ご免なさい』になったのですが、ひょっとすると私がポータブルナビで時間を確認していたのを見て『携帯をしていた』と判断されたのであれば「私は無実だ」。警察官はしっかりと業務を遂行された訳で、ただで転ぶのは嫌なので警察官の対応をコラムの原稿にします。それは、書類を書かれて私にサインを求められ母印を押して指が汚れているのをティッシュを下さり、手を拭ったティッシュを警察官の方が「下さい。処分しておきますから」の対応には賛辞を送りたいです。リピータの皆さん車を運転中は例え停車中でも携帯の操作はしないで下さい。どうしても携帯をしなければいけないのであれば、路側帯等に完全停車して携帯してください。

インドネシアからの短期留学生に通訳してくれるデイサービスの職員アディトに大爆笑

平成30年11月13日

本日15時でインドネシアからの短期留学生の現場実習が終了の為、中部学院大学の先生がお向かいにみえたときにデイサービスの職員アディトの対応に大爆笑が起きたので紹介します。デイサービス職員のアディトは日本語検定の2級を持っていて今期の介護福祉士の試験も1回で合格した優等生。当然のように通訳を依頼する為にボランティア室に呼び通訳をしてもらう時の出来事です。私が「感想は」を通訳してくれと言ったらアディトは留学生の方を見て「感想は」と思わず言ったのです。言われた留学生は皆が笑っている中できょとんとしてました。そこでアディトに日本語は難しいかと投げかけると、最初のうちは『今須弁に悩まされた。』との答えが返ってきました。『一番困ったのはどんなこと』と改めて聞くと送迎の添乗で行って運転手さんから『閉めたらあかん』『開けたらあかん』には困りました。と言われて私も生粋の今須人なので『あかん』の意味は充分理解できるのですが、インドネシアから来たばかりのアディトにとっては難解だった事が良く分かりました。と言う事は当たり前が当たり前でない状況を理解しつつ展開しなければいけないと言う事が分かりました。(今回のコラムは私の独りよがりなものになったと思いながらも訂正をすることはしません。私の思いになって理解してください。)

昨日山崎ていじ事務所からポスター、オリジナルタオル、広報誌と後援会の案内が送ってきました。これは東京でていじさんも良く行かれるお店に行ってポスターが古いものだったのでていじさんに携帯をして新しいポスターを送らないかんよ。と言うと共に私の施設にも送ってと言ったのですが、流石に商魂たくましいです。後援会の案内も入っているとは・・・。でもその根性で紅白歌合戦に出れると良いんだけど。歌は私の方が上手だったけど、今では足元にも及ばない。勿論足の長さはもっともっとだけれども。悔しいけどそれが現実。でもでも、私にもいっぱい良いところがありますからこれからも宜しくお願いします

本日10時から岐阜県庁4階で会議がありました

平成30年11月12日

本日の会議は「平成30年度岐阜県高齢者安心計画作成・推進会議」と言うもので、事前資料は送ってきていたのですが、落ち着いて資料を見ることが出来なかったので5時30分に起きて施設に行きしっかり読み込み、線を引き付箋を貼り準備を終え、8時過ぎに家に帰り朝食を食べ着替えをして出掛けました。そして、県庁の4階にある特別会議室に行くと30分前に着いたので私が委員の中では一番乗り。健康福祉部の担当者の方にご挨拶をして自分の席に着こうとすると、高齢福祉課長さんがわざわざご挨拶にお見えになったので何か楽しいことを言わなければと変な使命感に燃えて「課長さん。私は自慢ではありませんが小・中・高・大学と一貫して予習と言うものをしたことがなかったのですが、今日はしっかり予習をしてきました。」と付箋がしてある資料をお見せすると、「今日の会議も宜しくお願いします。」とまじめな回答が返ってきたので逆に面食らってしまいました。でも良く考えたら当たり前か。高齢福祉課長が会議の説明をするわけだからギャグをギャグで返す余裕なんかないか。私が課長さんの立場でも同じ様な対応になるかな・・・・・。会議は定刻通り始まり、開会のご挨拶を健康福祉部長さんがされ、飯尾会長(中部学院大学教授)の進行で会議が進み、事務局説明を高齢福祉課長がほぼ1時間に渡ってされました。その後質疑応答の時間になり、いつもの事ではありますが、いの一番に手を挙げて4項目に絞って質問や意見を述べさせて頂きました。私が一番バッターで質問してからは順次質問が出て有意義な会議となりました。会議終了後は健康福祉部次長さんとの情報交換をしてその後、県議会代表の県議の方に会議中の質問があった事に対して特養の現状を説明したりして、結果的には会議に一番乗りをして最後に帰る結果になりました。折角このような会議で組織の代表として出席している以上当然な事だと考えています。リピーターの皆さん私も頑張る時は頑張っていますのでご支援ご声援を宜しくお願いします。今、ご声援等と書きましたが例えば「よっ。日本一」これはないか・・・・・。

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