2018年09月の記事一覧

我が家でのお祭りが終わりました。

昨日から台風24号は伊勢湾台風以来の強いものだとテレビで言っていましたが、60人分のお祭りの用意は準備万端出来ているし、予約した栗蒸し・お刺身・お寿司・揚げ物等を今更キャンセル出来ないし。ここは、仏ホットケの根性出して祈るしかない。と言う事で、朝早く起きて洗面を済ませ仏壇にお参りして遮二無二お経を唱えました。そして、11時からの職員を主体にした招待客が次から次に来て、18時30分に全てのお客様が終了しました。台風の為に前倒しで来た職員もいて、多いときは20人位のお客様で目が回るような状況も有りましたが、何とかお客様に迷惑をかけないように無事に終わりました。最後のお客様には、残った料理やお酒を半ば強制的に持って帰って貰いました。だって、私は家での晩酌の習慣はないし、家には二人しかいないのに山ほどの残り物を何日も何日も食べるのは嫌だし。職員がお客様できて「遠慮」されると中村会長から真剣に怒られ、どうして駄目なのかを教えて頂いた事をその都度話ししました。本日お客様で来てくれた職員が、明日への
活力を持ってくれたならば嬉しいなと思っている次第です。今20時48分で、テレビを点けてニュースを確認すると、これから台風24号が迫っているようです。少し東よりの太平洋側を通るようで満潮との関係で厳しい状況だと言ってます。関ヶ原町でも1時間に40ミリメートルが降ったと言ってます。明日の早朝まで油断できないようです。今は何も出来ませんが台風の後対応を夜明けを待ってしていきたいと思います。どこまでいっても「施設ファースト」です。当たり前です。命懸けで施設をつくったんだから。少しオーバーかな。でも正直な気持ちです。

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関ヶ原町老人クラブ連合会主催の地域医療の講演会が地元のお寺である妙応寺で行われました

2018.9.29

開会の挨拶は当施設の家族会会長の吉田儀一さんがされたのですが、その挨拶はいつもに増して熱く語られたものでした。そのあとは「やすらぎ」の保健師さんから健康寿命についての話があり、最後に記念講演のような形で関ヶ原診療所の島崎所長さんが話をされました。その中では関ヶ原町の中で地域医療の大切さをかたられたのですが、当施設も補完的な役割を担わなければいけないので、より一層の連携の必要性を感じました。関ヶ原町は少子高齢化による人口減が著しい町なので、具体的に人口減の右肩下がりの現象を少しでも緩やかにする具体策を地域医療だけでなく多面的に提案し実践していく事が喫近の課題だと改めて思いました。一般参加で町長さんや町議会議員の方もみえたので今回の企画をきっかけとして、真剣に取り組んでいって貰いたい。私も微力ながらお手伝い出来ることは頑張っていきたいと思っています。少なくとも私は現在65歳だから30年後の95歳の時に限界集落として消滅してないように努力しなくてはと考えています。私は、福祉と歴史の町としての具体的な方策をすればと思うのですが。関ヶ原町の住民が他の市町に移り住むようではいけない。誇りを持って住み続ける為の方策。ある政治家が言ってました。一度訪れて二度三度と訪れたくなるには美味しい食べ物があることと。私が知っている限り私が中学生の時(50年前)には関ヶ原町には和菓子やさんが5軒はありましたが今は一軒です。美味しいものがあるお店には列をなすのもい問わない国民が増えているのに、そのような現象は関ヶ原町で見たことがない。私は、知恵と努力と支援があり、広報活動をしっかり行えば可能だと考えているのですが。但し、補助金頼りの企画では限界があります。熱い思いで規格外に頑張れる若者はいないものか。いやいや、私達の年代の者がそのような人物を育てる努力をしなければ。関ヶ原町が消滅しないために。

 

夜中の出来事

平成30年9月28日

昨日歯を抜いた事はコラムに書きました。私は、精神的な苦痛にはかなり自信がありますが、身体的な苦痛には自信がないので、歯を抜いた後に痛みを伴ったら嫌だと考えていたのか完全な熟睡は出来なかったようです。おかげさまで歯はどんとした感じはありましたが痛みを感じる事はありませんでしたが熟睡出来なかった為か夢うつつの中で、私の産みの母秋江さんとの小さい頃のやり取りを思い出していました。それは冬になると霜焼けで手も足もぼんぼんに腫れて(既に何回も書いていますが)夜中に痛くて泣いていると隣で添い寝していた母秋江さんが私の胸の所をさすってくれるのです。しかしながら私は眠れずにいても母秋江さんは夜中ですから胸をさすっている手が止まりうつらうつらしだすと私はわざと動いたり痛そうに甘えた声を出すと、再び胸をさすってくれるのです。今から考えたらめちゃくちゃ甘えん坊でそれを許してくれていた母秋江はどれだけ私の事を可愛く思っていてくれたのかと考えると夢うつつの中ですが、そこまで愛してくれた母秋江さんには感謝しかありません。よく考えると、13歳の時にこの世から天国にいった母秋江さんは私の生涯分の優しさを13年に濃縮して注いでくれていたんだと思います。(そのように書くとこのコラムを読んでくれている姉春子さんは「私はどうなるの」と怒るだろうな。)熟睡出来なかった為か午前3時30分にお手洗いに行こうと廊下に出ると私の足音に気付いのか我が家の猫リットが年寄りとは思えない足取りで私の前まで歩いてきて、私が歩く前を尻尾を上げてジグザグに歩き、自分の食べ物の器の前で止まり、まだ食べ物はあるのに食べすに私の方を見るので新しい物が欲しいのだと考え、新しい物を入れると食べだしたので食べる様子を見ていると、満足したのか食べるのを止めたら自分が寝る所へすたすたと私の方を見ることなく歩いて行きました。「こらこら、感謝の気持ちがないんかい。」でも私も小さい頃は母秋江さんの愛情が当たり前だと思っていたので私の小さい頃とリットはどっこいどっこいなのかも知れません。昔から「親孝行したい時には親はいず」と言いますが、私の場合はあまりに早い別れだったので、親孝行したいと思う状況になることもなかったのですが、母秋江さんの事をご存知な方が利用されると母に出来なかった事を出来ないかと思い色々な企画して充実した気持ちになる今の自分がいるのは変でしょうか。そう言う意味では今の仕事は必然だったのかとも思っています。

歯を一本抜きました

平成30年9月27日

歯医者さんは大嫌いです。診療台に乗って機械音がするだけで「神様仏様助けて下さい。」と思う程です。だから、少々歯が痛くても我慢してなかなか歯医者さんに行かなかったのですがとことん我慢が出来なくなり、先般歯医者に行ってレントゲンを撮って頂いた写真を見てビックリ。何故かと言うと痛かった歯は元々かぶせた歯だったのですが虫歯で完全に歯茎の所まで到達していて本来白い歯がある所が歯茎が見えてピンク色でした。そして歯医者さんが「治療の余地なし。歯を抜くしかありませんね。」と言われたので、「20年前から介護審査会でご一緒していたのだから抜かずに治療して下さい。」と先生に訴えると「いくら若山さんの頼みでも出来ないものは出来ません。抜きましょう。」でしぶしぶ了解して本日、麻酔をかけて貰い抜くことになりました。しばらくすると、先生が「歯を抜く道具が上手くひかからない」と言われ色々と苦労されていたのですが「もう抜けましたよ」と言われても信じられませんでした。何故なら全く痛みを伴わなかったからです。「こんな事なら
もっと早く歯医者さんに来れば良かったと思った次第です。しかしながら、抜いた後の対応が私の場合いい加減なので夜中に痛くなったりしたらどないしょ。仕方がないベッドの中で一人しくしく泣きますか。

「孫正義の参謀」嶋聡さんから「嶋聡からの手紙」と言うメールが届きました

2018,9,26

嶋聡さんは元ソフトバンク社長室長で現在多摩大学客員教授ですが高校を卒業されるまでは岐阜県海津市出身と言うご縁で7月12日、13日に開催されました全国老人福祉施設協議会主催の東海北陸ブロック研修大会が岐阜市国際会議場に1000人の参加者で記念講演をして頂いたご縁で講演が無事に終了してから講師控え室で名刺交換をさせて頂き、親しくお話しをさせて頂いたご縁でメールで情報を頂くようになり、素晴らしい方の行動力に頭が下がる思いでいたのですが、こんかいの内容は私のコラムのリピーターの方々に知って頂きたく思い本日のコラムの題材にさせて頂きます。

『中国の起業家精神を体現する、アリババ・グループのジャック・マー氏が退任を発表した。まだ53歳。今後は教育に心血を注ぐとの事。出処進退の原則は、「進むときは人任せ。退くときは自分で決める」というものである。見事である。

私がジャック・マーと始めて会ったのは、2017年7月、経済産業省であった。日本でアリババのビジネスを展開するにあたり、時の直島経済産業大臣に会い挨拶をしておいた方がいいとの孫正義社長の進言があり、私がセッティングしたのであった。

当時、経済産業省は入り口が工事中で、わかりにくかった。ソフトバンク社長室がすべてアテントすれば良かったのだが、アリババ・ジャパンが案内するというので任せておいた。案の定、うまく正面に車をつけることが出来ず、連絡のためスタッフが右往左往していた。

暑い中、小柄で、どちらかと言えば貧相な(失礼!)男がトコトコ歩いてきた。それが、アリババの会長ジャック・マーだった。スタッフの不手際を責めるでもなくニコニコ笑いながら私に近づき、握手を求めてきた。なお、ジャック・マーは「男の才能は住々にして容姿と反比例する」と自分で言っているそうだ(笑)。

直島大臣との会談では日本の中小企業が中国企業が中国に輸出することを助けたいと話し、大臣も歓迎の意を述べた。会談が終わると車を入り口に回すでもなく、トコトコと歩いて、私に手を振りながら出て行った。(中略)ジャック・マーの言葉で私が一番覚えているのは、「イーペイが海のサメならば私は揚子江のワニだ。海で戦えば負けるが、川で戦えば勝つ」というものだ。イーペイの中国進出に対し、戦いの戦略・戦術を一言で表したものである。2010年、広州本社のフォーラムでジャック・マーは「私はイーペイを中国から追い出すといったが、これを成し遂げた」と繰り返し強調した。GAFAの進出になす術もないと傍観している、若き経営者もジャック・マーのような戦略・戦術を練ってもらいたいものである。』

嶋聡さんの原稿を殆どそのままに掲載しましたが、非常に中味の濃い意味合い深いものだったので紹介しました。かなり独善的なところもありましたが、力強く生きてこられた事と自分の生き様に自信を持ってみえる事に勘当すると共に65歳の私がどこまで頑張れるのかをスケールは断然違いますが参考にした生き方をしていきたいし、嶋さんとの関係も大切にしていきたいとおもいました。

昨日のコラムで書いた「三太郎」について、改めて書きます。

平成30年9月25日

当施設が発祥の地である「歌謡楽団てるてる座」がどこから手に入れたかは分かりませんが「三太郎」を月1回当施設でのボランティアで歌ってくれた時に「この替え歌は盛り上げるのに最高だし、台詞を覚えない私にはぴったりだ」と思い、たまたま名古屋の錦で飲んだ時に、歌ってみたら今まで静かだった空間が華やかになり、頭に乗って歌っていると歌い終わってから何人かの知らない人と乾杯してしまいました。その経験からこれは「うける」と確信し、その年のクリスマス会で山崎ていじさんのショーの前座で「三太郎」を歌う事にして、職員3人を指名し、桃太郎、金太郎、浦島太郎の衣装で参加するようにしたところ、

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職員共々悪乗りしてうけたうけた。私達施設の職員は入居者さん利用者さんに笑顔でいていただいて、それを喜びにかえる。正に究極の隠し芸。その企画をプロデュースした私も職員のアイデアに脱帽。文字通り当法人の理念である「今日1日楽しかったよ」を現実のものに出来た出来事でした。

本日は午後から岐阜県老施設協飛騨支部の役員の方が7名本部施設へ
施設見学と私の話を聞きに来て頂くのですが、武勇伝にならず、自慢話にならないで、それぞれの施設で役に立つ話をさせて頂く為に一生懸命汗をかきたいと考えています。

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月1回の認知症カフェ「邑」が優・悠・邑で開催されました

2018.9.24

いつもは、河島看護師による手細工コーナーがあるのですが、本日はお孫さんの運動会のために東京へ行かれているので、ピンチヒッターで認知症についてと立ち上げ時の様子について、得意の小噺を入れてさせて頂きました。30分の予定だったのですが、話しに花が咲きはるかにオーバーした段階でドクターストップではなく進行者ストップがかかり、しぶしぶお話しをまとめ無事に話を終え、私の話の後は、ポップコーン(発案者は長浜の内藤さんと言う元々琴の奏者だった方が誰でも弾ける楽器として作成されたもの)による演奏があり皆で懐かしい歌を合唱し、その後、少し時間があったので松村和子の「帰って来いよ」を変曲?編曲?した「三太郎音頭」をカラオケで皆で歌いました。「えっ。三太郎音頭」って、と言う方の為に

一番「桃から生まれた桃太郎」を繰り返す-

二番「まさかり担いだ金太郎」を繰り返す

三番「カメに乗ってる浦島太郎」を繰り返す

です。良かったら宴会芸で使ってみて下さい。盛り上がる事請け合いです。

何はともかくおおぜいの方に集まって頂き、楽しくお話しをしたり、歌を歌ったり出来る場所が提供出来て、飲み物(コーヒー・紅茶・オレンジジュースから選んで頂く)とショートケーキがついてワンコイン(100円)です。良かったら参加下さい。ちなみに来月は10月15日(月曜日)です。

 

①DSCF4842 ②DSCF4843 ③DSCF4847 ④DSCN0805 ⑤DSCN0803 ⑥DSCN0810 ⑦DSCN0795

我が家の猫「リット」の何回目かの登場

2018.9.23

我が家の猫「リット」について書く事が無かったのに、最近はちょくちょく登場すると思いませんか。

実は私自身も不思議なのです。但し、一つだけ理解できる現象があります。それは、我が家の猫「リット」が私に対して尻尾を高々と上げてすりより私の前をジグザグで歩く事が頻繁になって、その事に対して鬱陶しいと思わなくなった自分がいると言うことです。つまり、我が家の猫「リット」に私は家族として認められたと言う事なのでしょう。

今日も早朝4時に私の寝室に入って来て「ニャーニャー」と鳴いて私が起きるとチョコンと座っていて、食べ物が欲しいのかと食べ物を入れる入れ物の方に歩いて行こうとすると、尻尾を高々と上げてジグザグに歩くのです。何とか入れ物の所へたどり着き食べ物を入れて「食べろ」と言うと食べだし、私が食べているかを何度も確かめるようにして食べるのです。しばらく食べるのを見ていて、お手洗いに行き出てくると入り口の前で待っていて、私が歩きだすとまたまた尻尾を高々と上げてジグザグに歩くのです。

今までは私の足音がするだけで逃げて行く存在だったのにと思うと不思議な感じですが、「リット」を可愛く思う私がいるからこその行動なのだと思います。私が階段を降りると健気にも一段一段慎重に降りてきました。だって猫年齢では平成13年11月23日生まれだから95歳位だととの事だから、やはりいたわらなければいけないから。でも、朝早くに起こされるのは勘弁して欲しいけどリットは昼間に寝ているから無理な相談かな。

 

敬老週間最終日のイベントは、大垣の老舗寿司吉(すすよし)さんの握り職人オールキャストでのパフォーマンスがありました。

先ずは日本人には寿司が一番でしかも目の前でのパフォーマンスで新鮮なウニやイクラにマグロに鰻にエビ等など。準備が揃ったところで、私からのご挨拶に続き、寿司吉のオヤジさんからも言葉を頂きスタート。入居者さん利用者さんの顔がいつも以上に輝いているように感じました。

「やっぱり日本の方はお寿司がお好きどすなぁ」の声がどこからともなく聞こえてきそうです。お酒の好きな方もみえるので頂き物の久保田の萬寿を飲んで頂こうとしたら、職員からノンアルコールビールを準備しているのでとの抵抗に会いましたが、寿司には最高のお酒が似合うからとの私の無茶ぶりで何人かの方に飲んで頂きました。

お酒を注ぎながら「美味しく頂ければ大丈夫」と念じていましたが、本当に美味しく喜んで頂けました。私もテンション良く悪乗りして、本日の為に購入したシブメの絵が刺繍してある服を皆さんに披露したりして。味噌汁は施設で準備した私好みの濃い赤だしを提供して。「寿司には赤だしが似合うし濃い方が旨い」。皆さんの食べっぷりは良かったし、皆が完食。

この食べっぷりは板さんも勿論、寿司吉の親父も満足と共に幸せを共有してもらえたと感じました。なかなか、寿司やさんにお連れすることは出来ませんが、このように来て頂いてのパフォーマンスをして頂ける事に感謝しつつ、次は何をして目を耀かして貰おうかと舌なめずりしながら考えている次第です。

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めっちゃ情けないほどの方向音痴

平成30年9月21日

昨日は、「田舎者」がテーマで、そのなかでも「方向音痴」だと書いていましたが、ここまで酷い方向音痴だとは我ながらビックリを通り越して感動もんです。と言うのは、昨夜はお付き合いをそこそこにしてゆっくり眠れたので5時30分に起きてゆったりとお風呂に浸かり朝食開始が7時だったので、一番乗りで和食を頂き、貧乏性なのでしょう15分で食事を終えて8時には本部控え室に行こうと荷物の整理をしていると施設から緊急連絡が入り、研修をキャンセルして帰る事にして、いくら緊急であっても役員の方々にはお断りをしてから帰ろうと、4階に降り、主だった方との挨拶を済ませ1階までエレベーターで行こうとしたのですがチェックアウトの為にどのエレベーターも満員で乗れなくてやむ無く階段を使って脱兎の如く降り、(実際はそれほど早くない)少しでも早く帰る為にタクシーで名古屋駅へ。岐阜羽島に車が置いてあるので駅構内をまたまた脱兎の如く(多分それほど早くない)に新幹線の切符売り場へ。急いでいるとき程トラブルが起きるもの。携帯で切符予約をしたはずなのに操作ミスで出来てない。結局乗ろうとしていた列車には乗れず30分待ちに。しかも慌てた為にホテルでのチェックアウトの手続きが出来てない事に気付く。つまり、部屋のカードキーを持ったまま。これについては、研修の責任者だった実行委員長に連絡すると「後日郵送で大丈夫です。」との返事を頂き一件落着。ジリジリ列車を待っている間に高速はどのインターで降りるのが効率が良いか職員に聞くと新しく出来た養老スマートインターが近いと言われて、初めての養老スマートインターで降りて、正直どちらに行ったら良いのかわからない。天気が悪くて山が霞んでいて、象鼻山だと信じて走って行ったのが全くの検討違い。最近出来た養老スマートインターなのでナビも教えてくれないし。分からないから大垣方面をかなり走ったら、養老スマートインターの表示が出てきた。「私は一体どこをさ迷っていたのか」とにかく、いつも良く通る道に出て、緊急対応して頂いている病院にひた走り。焦るだけ焦りましたが、家族にもドクターにもお話が聞け、申し訳ないけどなくなった入居者さんをご自宅までお送りして、とりあえずは私の役割は果たせました。私の極端な方向音痴が災いした形だったのですが、予定より遅れた私のフォローを機転良くしてくれた職員がいてくれて事なきを得れたのは不幸中の幸いなお話でした。

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