令和5月26日
既にこのコラムで報告しましたが、5月15日は孫娘の誕生日であり、16日は私の誕生日でもありました。そして本日は私と私の奥様の41回目の結婚記念日なのであります。そこで結婚記念日の日に合わせてかをりさんとの出会いについて既にこのコラムでも話したかも知れませんが改めて語りたいと思います。私は正直言って大学時代も教員時代も明確な希望や目的があったわけではなく、26歳の時に児童養護施設指導員と言うある意味『天職』に巡り合い「フレックスで仕事しています。」と豪語して尚且つ「公休については大学5年行かせて貰った時、そして教員を辞めて5か月間旧徳山村での生活をエンジョイしていたので前倒しで頂いているのでいらないのです。」と言って思いっきり児童養護の子供たちと格闘していて、気づいたら30歳を目前にした施設内の大掃除の時にその当時中学生男子に「先生、年が明けたら30歳になるけど結婚相手はおらんね。」と囃し立てられたのです。
囃し立てられたのには理由があります。端的に言うと『口は災いの基』で日頃の子どもたちとの話題の中で「先生彼女いないようだけどいつ結婚するの」と言われる度に「30歳までには結婚するから。」と言っていたのです。ところが30歳を前にしても子ども達との格闘が楽しくて恋愛等と言うものとは全く無縁の日々だったので多分子どもなりに心配していたのだと思います。
その年は年末年始のお休みを3日(12月31日から1月2日)頂いていたので伯父さんから結婚を紹介してくれる方の所に身上書なるものを持って行けと言われていたので、紹介者の所に行ったのが12月31日で翌日元旦の日に紹介して頂いた方の家で顔合わせをして、翌日に私の車であてもなく車を走らせ、一週間後の1月9日に京都までドライブをして1月15日(当時は成人の日でした。)に明治村に行き、明治村の中の教会でパイプオルガンの演奏がされている所の長椅子に二人で座っている時に「結婚しましょう。」と言って、3月1日に結納、5月26日に結婚式と言う慌ただしさの日程でした。
つまり私は良く言われる「釣った魚には餌をやらない。」と言いますが「釣った時にも餌は与えていないのです。」と言う事なのですが結婚式を挙げてから『41年』考え深いものがあります。リピーターの皆さん。若山宏はこんな男ですがこれからもよろしくお願いいたします。