私が教員を勝手に退職して見事に父進さんから勘当された時に『救う神あれば拾う神あり』の格言通り、25歳の時に勘当された時の5か月間の居候先を受けてくれた増山たづ子さんの写真と記事が大きく載っていたので、久しぶりに増山たづ子さんの事をコラムに書きます。
増山たづ子さんとの出会いは、私が大学2年生(19歳)の時に「ダムで沈む前に民俗学調査をして残したい」と言う事で、大学のサークル活動の一貫で、調査に入る拠点として選んだのが増山たづ子さんが営んでみえた民宿だったのです。私の印象としては、初めてお会いした時には1917年生まれの方ですから、55歳になられていたと思うのですが「顔の黒いおばちゃんで、大きな声で話をされて、良く笑われる方だ」と思っていたのですが、大学を卒業して坂内中学校に赴任していた時に遊びに行った時も、居候をさせて頂いた時も、もっと言うと30代に児童養護施設に勤めていた時は勤め先から近い所に移転されていたので、何度もお会いしましたし、私が特別養護老人ホームを始めた40代後半の時にも何度かお会いしたのですが、と言う事は30年近くのお付き合いをさせて貰っていたのですが「ずーっとおばちゃんのイメージは変わっていない」と言う事で、素晴らしいと言うか、凄いと言うかとにかく素敵なおばちゃんでした。
久しぶりに増山たづ子さんの写真を新聞でみて「いつもこんな感じだったし、いつもカメラを抱えていたな。」と懐かしさを覚えると共に、居候をさせて貰っていた時に2階の部屋を独占させて貰っていた写真まで載っていたのには、感動してしまいました。写真が掲載されているだけで20年以上の時代を通り越して、懐かしく思い出すことができた幸せを感じています。居候をしていた5か月間はとっても素敵な長期休暇だったと思います。だから今は休みなく仕事をしていても、何の不満もないのだと思っています。