理事長コラム

1998年5月に本部本館が開設してから

紆余曲折があり、何とか竣工式が開催されたのが5月15日で、準備の段階で今須小中学校の体育館に椅子を借りに行った時に私が職員室に挨拶に行き、その当時の小学校の教頭先生と共に体育館に行くと職員が床に寝そべっていて挨拶もまともに出来ない状況に私の頭は真っ白になったのを今でも鮮明に覚えています。

開所した当時は措置施設の時代で(各市町村長さんの措置依頼で入居を受けるシステム)今の介護老人福祉施設(特養)様に入居待機者の方が多く存在するわけでなくて、大きくは2つの事で対応に苦慮しました。1つには入居者さんがどんどん入られる状況ではないので、先代の理事長(義父)と共に市町村回りをしました。2つ目は借り入れに対する返済については基本的に寄付によってしなければいけない決まりがあったのです。この2つの理由で私は施設でじっくりと仕事が出来る状況ではありませんでした。何故ならば、借り入れに対する償還については、先代の理事長にもかなり負担して頂きましたが、私自身も法人から頂く給料については基本的に法人に寄付をして、我が家の家計はそれまでしていた非常勤講師と家庭教師の手当で賄う綱渡りの生活を2年間しました。つまり、1日も休みなく早朝から夜遅くまでうごめいても、職員教育や入居者さんとの接点を多く持てたとは言い難いものでした。

でも、そんな中で開始当初は入居者さんの状況がわからない中で、夜の対応は多くありました。例えて言うと「自分の部屋から出て行かれて食堂で横になってみえる方があります。」とか「施設の中を探してもみえません。」とか、「状態の悪い方がみえるのですが。」と言う連絡が毎晩のようにあり、その都度施設に向かう毎日でした。また、経営的に厳しいものがあり、当時は1回当たり3600円の宿直費用を削減する為に週に3回は宿直をしましたが今となっては「あの時頑張ったから今がある」と思っています。

施設長として福祉の理念を語るだけで運営が上手くいくと言うような甘い現実はありませんでした。時には理事会の席で「施設長を辞めたらええんか」と声を張り上げた事を吉田宏岳先生に凄い勢いで怒られたりして、「高齢者施設のハード面の勉強はしたけどソフト面は出来ていなくて職員との乖離がある。」と理解して施設開始した2年目の途中で自ら施設長を辞し、現場で汗をかくことにしました。

とは言っても介護が出来るわけでもないので、便所掃除から始めたと言うのが実態です。と言うのはその頃の入居者さんはお元気な方が多く、認知症の方の中には便座に綺麗に大便を付けられる方がおみえになって、職員の中には「どうせ綺麗にしてもまたされるので綺麗にしても仕方がない」との発想の職員も多くいた中で、私が黙々と作業をしているのに協力してくれる職員が出てきて、そんな中でおむつの見直しから順次進めて行く事が出来今に至っていると思っています。

リピーターの皆さん。完全な形ではありませんが一つひとつ積み上げてきた施設ですので、今はコロナ禍で施設にきて頂くわけにはいきませんが、コロナが終息したら色んな形でご縁を頂ければ幸いです。