令和7年3月6日
週刊現代に連載されている『なりゆきまかせの 老年計画』3月8日号を読んでみて魅力ある生き方をされていると思いましたので紹介します。【(冬の鍋の話があった後の会話があり)「やっぱり温まるね」「寒い日はやっぱり鍋ね」そう言いながら、絶えず卓上のティッシュに手が伸びる。「温かいものを食べると鼻水が出るね」「昔はそんなことなかったよね」「最近はすぐ出る」毎日老人3人で食卓を囲んでいる。年齢を合計すると、今年の秋には3人で225歳になる勘定だ。
たしかに、鍋を食べながらしじゅう鼻をかんでいる若者など見たことがない。自分たちだって、若い頃は鼻水なんか出なかった。鍋に限らず、温かいものを食べるとなぜ老人は鼻水が出るのだろう。食べ終わった食卓の上には、ティッシュの花が咲いている。(中略)老人3人が乗っているクルマに、後から若者が乗り込んでくると、フロントグラスがフワッと曇る。「さすが若いね」「グラスが曇るからね「爺さんと婆さんじゃ曇りもしない」きっと私たちも、昔はフロントグラスを曇らせるほどの熱気を放っていたに違いない。
悔しいから口を丸めてハーっと息を吐いても、フロントグラスまで届かない。(フランスに遊学された時の下宿の主のお母さんの紹介があります。)このお母さんというのが見た目にも相当インパクトのあるお年寄りだった。なかば禿げて乱れた白髪に、牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡。着古した粗衣をまとって、いつも暖炉の斜め前方に陣取っていた。
暖炉の火の勢いが衰えると、手もとにある炭入れからコークスをシャベルで掬って暖炉まで運ぶのが彼女の役割だった。椅子から立ち上がって、暖炉の火床にシャベルの先が届くまで、5歩か6歩。この数歩の間、彼女はかならずおならをしながら歩くのだ。一歩進むとプッ。もう一歩進むとプッ。プッ、プッ、プッ、プッ、プッ。毎日、毎回、往きだけで帰りはしないのだが、そのリズミカルな連動に感心すると同時に、まだ若かった私は不愉快な未来を見たようにうろたえた。そうか、歳を取るとこんなふうになるのか・・・。
ケンブリッジの夜を思い出したのは、つい最近、歩きながら無意識のうちに連続しておならをしたからだ。あれ、俺もとうとうあのお母さんになっちまったか。ひとつひとつ、着実に老人の兆候を重ねていく。小便が近いのはだいぶ以前からだが、最近、トイレにたどり着いてパンツの前に、我慢できずにチビッと漏らしそうになることがときどきある。去年までは我慢できたのに、その我慢が利かなくなってきた。このままだと、尿漏れパンツ界隈に突入する日も近い。】
※本日は殆ど玉村豊男さんの文を書き写しただけなのですが、私はお陰様で71歳の今も色んな出来事があり走り回る様な毎日ですが体の変調は頷くことがあり(どれとは言いませんが)この様に自分の中で起こっている事をすんなりと、しかも理路整然と書けるのは素晴らしいと思いました。玉村さんと私の共通点は「自分がしたいことをさせて貰える環境に恵まれた事だ」と思うと『感謝』以外の言葉は出てきません。
※玉村豊男さんの紹介・・・1945年東京都生まれ。大学(東京大学)在学中にフランスに留学し、世界を旅する。帰国後、エッセイストとして活躍。その後、長野県東御市に移住し、ワイナリー「ヴィラデストガーデンファームアンドワイナリー」を設立する。著書に「料理の四面体」「男子厨房学入門」など多数