理事長コラム

金沢で泊まり午前9時から災害フォーラムが12時過ぎまで休憩無しでありました。

令和7年4月8日

昨夜は18時から交流会が行われ2次会設定が無かったので岐阜県の役員5人で、ホテル近くの居酒屋に行き冷酒をしっかり飲みました。但し、22時30分にはホテルの部屋に戻りお風呂にも入らず爆睡をして6時に目を覚ましお風呂に2回も入り体をシャキッとさせて荷物の整理をして、朝食を食べてチェックアウトを一階フロントでしてから5階のフォーラム会場に行き、色んな方にご挨拶をして、皆さんが集まられていたので、9時5分前から、当番県の太田会長の許可を得て全国介護福祉政治連盟のこの夏に行われる参議院選挙についてのお願いをさせて頂きました。

定刻の9時になり能登半島地震復興フォーラムの開催のアナウンスがあり、最初に震災時にDWATの派遣に行った方2人から話しを聞きながら映像や動画を見て改めて大変だった現状を理解すると共に共助の大切さを実感しました。岐阜県老施協としても震災後の1月22日から要請に応えて派遣を実施してきましたので隊員として大変な苦労をかけた事を改めて理解しました。

2人の発表後、被災地の施設長さんで石川県老施協紙谷副会長、派遣の采配を振って下さった福井県老施協の屋敷副会長さん、2次避難所の対応して下さった名古屋市老施協の尾関会長さんの話しを聞いて、これから各施設ですべき事が山程ある事に気付く事が出来ました。

フォーラムの最後に東海北陸ブロックの会長が新たな災害協定にサインをして最後に被災した施設である石川県老施協紙谷副会長から熱いお礼の言葉を言われて終了しました。今回の企画は素晴らしいものだったと思いなが北陸新幹線の車中でコラムの原稿を打ちました。明日から杉和会の理事長として、岐阜県老施協会長として災害に対する対応の充実をしたいと考えています。