理事長コラム

逃げればこわさがましますよ

令和5年2月19日

大谷徹奘師の言葉に「この言葉は私の人生を物語っているな。」と先ずは思った次第です。と言うのは、中学生までの私は何事にも消極的で後になってからうだうだと後悔している生き方でした。これは、私が小さい頃は虚弱であったが為に母秋江さんの大きな包容力の中でぬくぬくと育ち文字通り手も足も出さなくても良くて、それでいて頭の中ではうじうじと考えている生き方だったのです。しかも、中学を卒業するまでは、1学年1クラスだったのでその殻をぶち破る事が出来ず軟弱を演じ続いていたのです。

高校生になり私立のマンモス校に入学したので、お馬鹿をすることが出来るようになったのですが、今度は父進さんの庇護を受けてのものでした。では、大学時代はどうだったかと言えば、実家を離れての長屋のような学生向けの住宅で、凧の糸が切れた様な生活で自分なりに色んな事を頑張りたいとあがいた時期でした。中学生までは対人恐怖症の赤面症だった反動の様に、高校生の時は良くしゃべる性格になっていたので、生徒会長等をしていたのが役にたったのか、大学2年の時にサークル活動として郷土研究の会(柳田民俗学)に所属していて色んな展開の中で活動をしていたので、学術局(他に文化局と体育局)に加入する事が出来、半年後には学術局長として学生会活動にも関わる様になりました。

確かに大学時代は色んな事をさせて貰いましたが、今から考えるとその時は大真面目にしていた事も、本当に責任ある対応だったかと言うと甚だ疑問です。本当の意味で自己責任の中で行動をしてきたのは、やはり、社会福祉法人杉和会を設立してからだと思います。と言うのは、法人の中で何をするにも私が最終的な責任を追わなければいけません。そんな時に正直「逃げたい」と思うような場面がこの25年の間に沢山ありました。でも、私が責任を持ってやらなければ誰も出来ないのです。だから、厳しい場面に出会った時には下腹に力を入れて言葉を慎重に選びながら対応をしていきました。良い結果になるまでは正直イライラもしながら、ドキドキもしながら眠れない夜を何日も過ごして、でも、良い方向に向かっていった時に振り替えると、私自身が強くなっていることに気が付きました。

まだまだ、「上り坂」ばかりでなくて、「下り坂」もあるだろうし「まさかの坂」もあるかも知れません。正直人一倍打たれ強い人間にはなりましたが、まだまた出来ないことも沢山ありますし、やりたいこともまだまだあります。と言う事は、これからも決して逃げることなく頑張っていきますので、リピーターの皆さんこれからも叱咤激励を宜しくお願い致します。