令和5年10月27日
今はお墓参りを終えてお風呂に浸かりながら予定の確認をしていて気が付いた事があります。それは、11月の予定の確認をしてから10月の予定(過去の事を「予定」と言うのは変ですが)を見ていて、10月24日の午前中に親不知の抜歯の為の予約がしてあったのですが、24日は東京への出張があり「15時までに議員会館に着いていれば大丈夫だから、9時の予約なら大丈夫」と考えて予約の変更をしなくて24日のスケジュールは文字通り「予定は未定で決定ではない。」を地で行くような展開で午前中は目が回る様な時間が過ぎ、予定していた新幹線には乗れず、次の列車にも飛び乗る様な事態になり、午前中に歯科の予約が入っている事すら忘れていました。忘れてしまったもう一つの理由は、地元の歯科医院での応急処置で痛みが取れていたこともあったのですが・・・。お風呂の中の確認で予約していた事を完全に失念していたので改めて「自分の事は最後になるな」と思った次第です。
話題は変わって、週刊現代の記事【シリーズ 情熱の時代 第19回 東京ディズニーランド開園 1983年「夢と魔法の王国」がやってきた】を見て、考え深いものがあったので書く事にします。考え深い意味について先に書きます。(たいした理由では無いのですが。)実は私が結婚式を挙げたのは1983年5月で、結婚式前の日本の状況はディズニーランドが開園するとの情報が氾濫していた時期と重なります。と言う事で結婚式(5月26日)を終えた後は名古屋に泊まりました。と言うのは結婚式の日の夜に吉田拓郎のコンサートがあったからです。(その頃の私はこよなく吉田拓郎のファンでしたから)そして翌日には成田空港からハワイに飛び29日の日に日本に帰って来て、30日には開演間もない東京ディズニーランドに行きました。ディズニーランドに行ったのは月曜日だったので空いていると考えていたのですが、どういう訳か神奈川県の学校が振替で休みと言う事で大賑わい。と言う記憶しかありません。つまり、開園間もない東京ディズニーランドに行ったと言うご縁が言いたかっただけです。
週刊現代の記事に基づいて話を進めます。先ずは広大な土地を手に入れる為に元々「浦安」は漁師の町だったと言う事で、漁師の人たちとの土地の交渉と漁業権の問題を解決するのには想像もつかないくらいの苦労があったと思います。また、ディズニー社との交渉にも色んな配慮があったとも書いてありました。私は開園して40年も経過すれば飽きられても仕方がないと思うのですが「40年を経てもなお夢と魔法の王国は進化する」との見出しを見て、『現状維持では、後退するばかりである』と言ったウォルトディズニーの思想により常に進化を追求してきたからこそ、多くのリピーターを獲得したとの結びの文章には大きく納得した次第です。