理事長コラム

終戦記念日に思う事

国民の祝日である記念日と言うのは楽しい日でなければいけないのかと少し穿った角度からみている私は変なのでしょうか。

確かに慰霊に伴う行事をテレビで写し出してはいますが、75年前の今日は悲惨な戦争の終わりを告げた日。私は昭和28年生まれだから勿論戦争体験はありません。しかし、今の日本の平和の日々は悲惨な戦争を二度と起こさない起こしたくないとの戦争体験者の思いからだと思うと『終戦記念日』は戦争で亡くなられた多くの御霊に対して思いを馳せ、今の平和を感謝する日なのではないかと思っています。

そんな日だったので朝イチ(6時30分)で仏壇にお灯を点け線香を手向けお経を挙げました。勿論お盆と言う意味では先祖の御霊に対してもしっかり手を合わせました。そしてお経をあげている間、父進さん、母秋江さん、養母英子さん、姉光子さんの写真に向かって一杯いっぱい話が出来ました。今私が遣り甲斐のある仕事に打ち込めるのも決して自分だけの力ではなくて多くの方々の目に見えてのお力添えと目には見えないお力添えがあったからと言う事で今日は一日『感謝の日』と位置付けて暑い一日を過ごしたいと考えています。勿論『予定は未定で決定では無い』ので、今日の一日がどんなものになるかはわかりませんので夕方に改めて報告します。(とりあえず朝食を頂きます)

施設に来て、資料の整理をしていて、岐阜県清流の国推進部外国人活躍・共生社会推進課長さんから、8月24日に『外国人材受け入れ企業交換会』での発表者依頼の書類を見付けたので、本日は午後にかつての入居者の方の家族の引き継ぎのみの予定なので、じっくりと資料作りをする事にしました。時間が無いときにはとっても失礼な話ですが、かつての資料を引っ張りだして、思い付くままに話をするパターンが殆どなのですが、社会福祉法人を代表しての参加で、珍しく時間的余裕もあったので、パソコンで厚労省社会・援護局が出している『福祉・介護人材確保対策』なる78ページからの資料を読み必要なページをコピーして、発表の為のレジメもしっかり作成する事が出来ました。いつもは「予習も復習もしたことない」等と半ば自慢気に話をしているのですが、しっかり資料が出来るとやはり効率良く話が出来るなと改めて思っている次第です。(当たり前の事を67歳の今気がつく私は変な男ですかね)

資料が出来たタイミングで丁度12時になり終戦記念日に合わせたサイレンが町内広報のスピーカーから鳴り響いてきたので、事務所内にいた私と五次事務長と吉田部長の3人が起立して黙祷を捧げました。その後パソコンで『終戦記念日』を検索すると日本大百科全書の解説に「8月15日。1945年(昭和20年)8月10日、日本は米英中3国によるポツダム宣言受諾を申し入れ、15日無条件降伏し、第二次世界対戦が終結した。戦争の誤りと惨禍を反省、平和を誓うため、63年以降毎年この日に全国戦没者追悼式が行われていたが、82年4月、有識者懇談会の意見を受けて、戦争を知らない世代に戦争の経験と平和の意義を伝えるため、この日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とすることが閣議決定された。」と記してあるのを目にして、戦後75年が経過しても平和への思いは持ち続けなければいけない。

私は「お盆中の一日なので祭日で無くても良い」と言う事なのかはわかりませんが、大切に語り継がれるべき日だと思うのですが、リピーターの皆さんはどのように思われますか。本日はゆったりとした時間の流れね中で考えた次第です。朝もお経をあげましたが、家に帰ってからもしっかり仏壇の前でお経をあげたいと思っています。