「本日のコラムは私の勝手な思いです。」とのお断りを入れた上でお話させて頂きます。
昨日まで繰り広げられた箱根駅伝で120%の結果を出したのが青山学院大学で80%の結果しか出せなかったのが駒沢大学だったと思います。私は中学校までは70%程度しか自分を出せなかった。それはこのコラムでも何度か取り上げている通り、母秋江さんの庇護(溺愛)の中での生活が心地よくて、弱い自分を演じている方が楽だったからだと思います。と言う事は母秋江が私が大人になるまで元気でいたら私の人生は全く違うものになっていたと思います。
高校時代から大学時代は父進の庇護の中ではありますが100%の自分を出す事が出来ました。しかし、この時代の100%はあくまでも父進の庇護の中での頑張りです。そして、大学を卒業しての教員時代は90%に落ちるのです。かなり好きな事を頑張ったつもりでも父進の教育界での影響力があっての事だったからです。そして父進に断りも無しに教員を辞し自分探しをした旧徳山村での5ヶ月間は自分自身のモラトリアムの時空なので評価は出来ません。
徳山村での生活を終えての13年間は生まれて初めて自らやるべき事を決めて自己責任の中での展開でしたから120%だったと言えます。但し、結果的には経営者にとって都合の良いものだった事を悟ると共に「自分の力で全て切り開いて行きたい。」との思いで38歳の時に児童養護施設を退職しました。その当時父進は健在でしたが私の行動に口を挟む事が無かったのは今になって思うには凄い忍耐力だったと思うようになりました。そして、どこにも所属しない生活を6年間経験さた時代は結果的には多くの素晴らしい支援者を得ましたので自分では150%だったと思います。
そして、法人認可を得て、特別養護老人ホームの事業を開始してからの25年は厳しい状況もたくさんありましたが、その都度理解ある支援者に恵まれて200%だと思っています。この200%は勿論多くの皆さんのご理解とご支援があってのものです。これからも、驕る事無く頑張って行く所存ですので、益々のご支援を宜しくお願い致します。