理事長コラム

私の声

令和元年7月3日

私は小さい頃から自分の声にコンプレックスがあり話す声が小さくてボソボソっと話をしていた記憶があります。その他にもいっぱいコンプレックスがありました。例えばお箸の持ち方です。私のお箸の持ち方はスプーンとフォークを進化させた持ち方なのです。どうしてそうなってしまったかと言うと寒くなった11月から2月の時期は霜焼けで手足がはんぱなく腫れて箸が持てなかったからです。その他にも魚の身を解すのも苦手です。これはお箸の使い方が下手な私の代わりに我が父進さんが我が母秋江さんの命令により綺麗にとってくれたので今もその後遺症で下手なのです。ヤナに行って鮎料理を食べる時のくしゃくしゃさは今でも恥ずかしいです。

話を『声』に戻します。先月24日に開催した『かくた君を励ます会イン岐阜』で私が主催者挨拶をした時の話し方や声の出方について聞いたところ「しっかり良く通る声で内容もわかりやすくて良かったですよ。」と言われて話の内容はともかく声が通っていると言われた事に納得がいかず、今朝私の奥さまかをりさんに聞いたら、「結婚する前にはぼそぼそと聞き取りにくかった。」と言われて「やっぱりそうだったんや」と思い「今はどうなの」ともう一度聞くと「今は大きい声で聞き取りやすいです。」と言われて、しばし考え込みました。「どうして声が大きくなったのか」と。そしてつくづく思いました。

平成の30年は、自分の考えを形にしていく事を自信を持って実践してきた時代で(正直途中で舞い上がりくちゃくちゃになり大変な思いをした時もありましたが・・・)自信の現れが声の大きさになりしっかりとした声で話し出来るようになったのかもと思っています。もう一つ思い当たるのは平成4年に児童養護施設の指導員を辞しフリーになり(同時に無納税者にもなりましたが)大学で講義をするようになり、基本的には150人教室位の部屋ではマイクを使わず話をしていたので、自ずと声を張り上げていたのだと思います。講義は最大で週に13コマ(1コマ90分)していて、その時には毎週月曜日は午前2コマ、午後2コマ、夜間2コマの1日6コマをしていたのですが、声が枯れる事はなかったです。(多分この時にしっかりとした複式呼吸を覚えたのだと思います。だから歌もお経もしっかり出来るのだと・・・。

『声』と言うキーワードだけでこれだけ書く事が出来たのは、今(1234)新幹線で東京に迎い本日はかくた君の理解を得る為に埼玉県志木市に行く為にじっくりと携帯の画面に向かう事が出来たから。そして昨夜はしっかり眠る事が出来、頭がすっきりしているから。15時には志木市にある特別養護老人ホームブロンのお計らいで出来た会でしっかり役割を果たして、明日は6時には志木市を出発して岐阜県庁での会議と施設福祉士会の全国大会がある博多に移動。その翌日はシンポジストとしての役割と充実した時間が待ってます。自分なりに頑張りたいと考えてます。リピーターの皆さんこんな生き方をしている私を変わらずご支援下さい。