令和7年6月1日
1998年(平成10年)5月18日に優・悠・邑が事業開始をしました。そんな中で、私の専門分野は『児童養護』であり、『福祉への思いと理念』は誰にも劣らない自負は持っていましたが『高齢者福祉・介護』の知識はハード面への知識はあっても、ソフト面に対する知識は全く無くて、その当時は新卒者の採用には困る事がない状況で、高齢者介護の経験者は数える程しかいなくて、正直手探りのような状態で、私自身が大学等の講義で週13コマも引き受けていて、家庭教師も引き続き行っていました(借り入れに対する償還財源に充てる為)。尚且つ、なかなか措置依頼が来ない中で、その当時の理事長と共に市町村廻りをしていて、現場にいく時間は土日を中心にしか時間が取れなくて、職員教育もままならない状態でした。
そんな中で、一生懸命に頑張っている職員が腰を痛めている事に心を痛めて、その当時の対応としては、各職員に腰痛ベルトをそれぞれに2本づつ貸し与える事しか出来ない事に対しても苛立ちを覚える毎日でした。そんな中で、全国老施協全国大会が岐阜の地で実施された時の最後の記念講演で『北欧式トランスファー』に巡り合い、「私が悶々としていた問題を解消するには『北欧式トランスファー』の導入しかない。」との思いで、その時の講師の先生(デンマーク在住の小島ブンゴウド孝子氏)を翌年に岐阜県老施協の研修で、高山・中津川・岐阜・大垣の4会場で実施して頂くと共に、当法人でも2日間に渡って指導して頂くと共に、現在、優・悠・邑 和(なごみ)の施設長の吉澤に小島ブンゴード孝子氏の家にホームステイをしながらの指導を受けさせ、吉澤が帰国後は3か月をかけて徹底指導を実施すると共に、ハード面としてスライディングボード、スライディングシート及び跳ね上げの車椅子の購入を行い、その頃は全員の職員がしっかりトランスファーが出来ていて、遠く北は山形県から南は鹿児島県からと、多くの法人が指導を仰ぎに来ていました。
その頃は確かに出来ていたのです。但し、吉澤施設長が10年前に大垣の優・悠・邑 和合に異動になり、4年前に盲養護老人ホームが事業開始して職員の異動や新規採用があり、最近職員の中に腰痛を訴える職員が出ました。その職員に話を聞くと、トランスファー自体についても理解していないと言う事がわかり、私自身愕然となってしまいました。そこで改めて体制を立て直す事を指示したのですが、遅々として進んでいない事を本日確認して正直怒り心頭です。しらしながら、任せていて出来なかった時間を取り戻す事は出来ないので、20年前の思いをもう一度立て直しの為に、私が中心になって実施していきたいと考えています。
「いつまで理事長が先頭に立つの」との意見もあるだろうし「職員に任せては」との意見もある事は理解するのですが、大切な職員が一人でも欠けることの無い様に『阿修羅』と化して頑張って行きたいと考えています。先ずはトランスファーの大切さを理解させ、技術の習得に力を入れていきたいと考えています。『継続は力なり』が出来ていなかった事に忸怩たる思いはありますが、ここは正念場と頑張ります。