令和2年10月3日
本日14時のお約束で自民党岐阜県連の事務局次長の方が12月に行われる市町村議会議員の方達向けの勉強会で私に話をして欲しいとの依頼の為に施設におみえになり、三時間以上私の人となりについて語りました。その折、「演題を早く決めて欲しい」との事だったので、家に帰ってから、思い付いた演題が『相手を思いやる心』でした。この演題は文字通り、私の生きざまそのものであり、どの角度からでも話が出来るし、色々な議員の方々に対しても心に響くものになると思ったからです。
私の『相手を思いやる心』の原点は、私を生んでくれた母秋江さんの病弱な息子を思い守ろうとする考え方だと思います。『半沢直樹』で香川君が言ってましたよね。「施されたら施し返す。恩返しです」と。私は母秋江さんには『恩返し』が全く出来ませんでしたが、その分を地域の中でお返ししなければと考えての今の生きざまだと考えています。『見返りを求めない生き方』が結果的に相手に響くのでないかと思います。
今、新規事業として立ち上げた盲養護老人ホームにしても、岐阜県内の社会福祉法人が20年来、計画すら出来なかったのは、経営が厳しい事がわかっているから。しかしながら、私は「だったら岐阜県に無くても良いのか」と考えた時に、「岐阜県民にとっての安心を得る為の一助として不可欠」と考えたからです。昔の格言に『備えあれば憂い無し』の一つを我が法人杉和会で出来ないかと考えたからです。私の母は、私が生まれて半年後に約10分近く心臓が止まった時に「私の命と引き換えに息子を生かして下さい」的な事を心の底から叫んでいたと思います。私の母は私が中1の時に他界しているのですが、そんな母秋江さんだったと思います。
私はその母秋江さんの考え方を引き継いでいるので、他人が困ってみえる時に「私に出来る事は何だろう。」と考え行動を起こす事を常に実践してきたつもりです。44歳の時に特別養護老人ホーム70床を立ち上げ、今では208床にまで組織が大きくなった分、多方面に渡りやれる範疇が多くなりましたが、根底の考え方は変わらないのです。施設が3施設になっても私の考え方は変わりません。それは、『入居者さんは何をして差し上げたら喜んで貰えるのか』と言う事で、喜んで貰った時の掛け値なしの笑顔こそ、私の至福の喜びです。もちろん喜んで貰う為には原資も必要です。先般実施した『まつたけ尽くしのバイキング』でまつたけ10キロで16万円がかかりましたが、日頃、全職員で節約して貰って捻出したお金で支払う事が出来ました。
『相手の懐に飛び込んで』は入居者さんにだけではなく、全ての方にしていくべき事だと思っています。リピーターの皆さん。こんな生き方しか出来ない私ですが今後とも末永くごひいきにお願いします。