理事長コラム

父進に勘当された時のパラダイスのような日々の話です

令和2年3月16日

勘当されたときの父進さんのお言葉は「教員を辞めたのは仕方がないけど、毎日ネクタイを締めて学校に勤務していた宏が家でゴロゴロしていたら今須は田舎だから『若山さんちの宏君このごろとっても変だ』と言われたらいかんので、どこか遠くで生活をしなさい。」と言われて、その頃の私は「それもそうだ」と変に納得をしたので、当時は『勘当』だとは思わなかったのですが、これはいわゆる世間では『勘当』と言うのですよね。

どこかに行くと言っても当てがなかったのですだ、ふと学生時代のサークル活動で落語や演劇をしていたのですが、もう一つ学術的なサークルで『郷土研究の会』と言う、いわゆる柳田民俗学にも所属していて、ダムで沈む『徳山村』に長く留まって調査した時に、その当時徳山村の語り部でインスタントカメラで地元住民をバチバチ撮って後に写真集まで出した増山たず子さんの所が民宿をしている事を思い出し、私はぶしつけにも民宿での『居候』を決め込み当たって砕けろ精神で徳山村戸入の増山さんの家に突然押しかけ、「民宿のお客さんが一人でもあったら私がお客さんの食事を作り接待もしますから遠慮なく写真を撮りに出掛けて下さい。但し、お客さんがあった時の料金はただにして下さい。

お客さんが無い時は一日2000円で泊めて下さい。」とむしの良い提案をしたのですだ、増山のおばちゃんはその条件をニコニコしながら了解してくれました。料理を作ると見栄を張ったのですが、正直そんなに自信があったわけではありません。但し、増山さんの家は大きな囲炉裏があり自在鉤が吊るしてありいつも炭火が点いました。そこで、お客さんの人数プラス私の分の魚(イワナ、鮎、マス)を養殖している所に買いに行くと共に徳山で作っているとても固いお豆腐を手に入れ、尚且つ、食べきれなくて困っている家のジャガイモを貰って来たものを料理しました。でも、よく考えてみると料理と言えるのかなあ。

だって、魚は綺麗に洗って鉄櫛に刺してしっかり塩を付けて囲炉裏の炭火で焼くだけだし、お豆腐は半分に切ってお皿に乗せて、村の方に連れて行って貰って手に入れた天然わさびをすってお醤油はお客さんに好きなだけかけて貰い、ジャガイモの料理は綺麗に洗ったのを炭火の上に網を乗せたところで焼いて貰いお客さんに好みでバターか塩をつけて食べて貰う。

お漬物として、わさびの葉を前日に土鍋にお湯を沸かし葉を入れて密封して一晩そのままにしたものを切って出すと言うものです。昭和54年は衆参同時選挙があり、最後の選挙戦と言う事でマスコミが大挙して来て、景気の良い時で取材や撮影が終わってからは宴会が始まり私もちゃっかりお相伴にあずかり、徳山村ではよーく飲まして貰ったなあと思いますし、マスコミ関係の方と酔っぱらいながら激論をしたなとの思い出ばかりです。リピーターの皆さん『勘当』も良いもんだと思いませんか。実はこんな生活が5か月も出来たんですから『勘当』も良かったと父進さんに感謝ですかね