令和7年3月28日
いつものようにベットから跳ね起きる前に(トドの様なお腹なので『跳ね起きる』と言う表現は違うかも知れませんが、私的にはそのように思っているのですが・・・。)、ベット上での体操をするのですが、今朝はふと父進さんが布団の上で体操をしていた時の事を思い出している時に「私は小学生の時まで、仏間8畳の部屋で、私が真ん中で両脇に父進さんと母秋江さんが川流れで寝ていたな。」と言う事と、私に部屋が与えられたのは、中学生になった時だったと今更ながら思っています。『川流れ』『自分の部屋が無い』と言う状態を考えていると『甘アマ』の状態が見えてきます。
『自分の部屋が無い』と言うのも、母秋江さんが自分の手元に置いておきたいとの現れだと、今は思っています。何故なら、私自身母秋江さんにべったりの生活だったので、自宅学習は母が傍にいないと出来なかったからです。国語の本読みをする時も、母秋江さんがいないとやらなかった為なのか、その頃の私は本読みが下手で、母秋江さんが苛々しているのが分かると涙が出て来て・・・。そんな事を思い出していて、もう一つ思い出したのは、小学6年生の時に行われた学芸会の時の事です。
私はお爺さん役を頂いたと言う事を母秋江さんに言ったら凄く喜んでくれて、衣装や付け髭も手作りしてくれていたので、「実はセリフは無い」と言えなくなってしまったのです。当日に見に来てくれた母秋江さんは、家に帰ってから「お爺さんらしい姿になっていて上手だった。」と褒めてくれたのは今でも鮮明に覚えています。そんな私が今は3つの施設を経営している法人の理事長でいるのは、母秋江さんも父進さんも想像すら出来なかったと思います。
天国にいる二人は今の私の生き様に安心しながら「宏は頑張っているな」と思っていてくれていると思うのですが、二人には一杯迷惑はかけたし、世話になったのに親孝行らしい事はは何もできなかったので、入居者さん、利用者さんに精一杯の事をすることが『親孝行の代わり』と言う気持ちで、これからも頑張って行きたいと考えています。