理事長コラム

本日は6歳年上の『みっちゃん』の命日です。

令和4年4月7日

私が高校2年の新学期を迎えた時に『みっちゃん』は新婚生活半年と言う幸せの絶頂期でなければいけない時に急逝しました。51年前の『みっちゃん』が23歳の時です。何度もこのコラムで書きましたが、『みっちゃん』は私の6歳年上の長女だったのですが、68歳になった私はまだまだ姉『みっちゃん』の域を越せてないと思っています。何故ならば、私にとっての姉光子はあまりに大きくて頼りがいのある姉だったからです。

小学3年の頃に私を目の中に入れても痛く無いように育ててくれた母秋江さんの体に癌がある事が判り、その後私が中学1年の1月16日に他界するまで、甘えん坊で何も出来ない私の母親代りとして頼もしい存在の姉『みっちゃん』だったのです。急逝したのが51年も前なのに、私の頭の中には、豪快でありながら包容力があった姉光子でした。今朝も4時20分に行動を開始して4時40分からは祈りの時間になったのですが、いつもよりもほぼ20分早いスタートでしたがその分、姉光子との会話を多くして、お経も『みっちゃん』の為にしっかりあげることが出来ました。改めて本日のタイトルである『本日は6歳年上のみっちゃんの命日です。』を見て、書き出しに51年前と書きましたので「23歳+51年=74歳」と言う事で改めてビックリです。

と言うより74歳の姉光子がイメージ出来ません。と言う事は早くに亡くなった姉光子は、一切歳をとらなくて元気なイメージのままなのです。それで私はと言うと「17歳+51年=68歳」ですからどう考えても私の方がはるかに年をとっているのですが、「おねえちゃんはおねえちゃん」であり「みっちゃんはみっちゃん」なのであります。『みっちゃん』の命日なので姉光子が私にとってどんなに頼りになった存在だったかと言うエピソードを書く事にします。多分このエピソードについては以前にも書いたと思うのですが少し違う角度で書いてみます。

それは、私が中学1年の8月の事です。私はその当時卓球部に所属していて『不破郡中学校体育大会』の応援に行くのを、親に内緒で行き終了が大幅に延びて、帰りが遅くなってしまい、関ケ原駅からのバスがなくなり、家の方では息子が帰ってこない事で大騒ぎになり、家から学校へ問い合わせると「多分応援に行ったんだと思います。」との返答に対して母秋江さんが「駅まで迎えがいる」と言う事で隣の家のおばさんに依頼したりして家の方はてんてこ舞い。迎えにきてくれたおばさんは「ひろっちゃん。お母ちゃんがものすごく心配してたので、ちゃんと謝らなあかんよ。」と言われた段階でその頃のひろっちゃんは既に涙ぐんでいて・・・。家に帰るとあまりに心配したためか父進さんも母秋江さんもがんがん強い言葉で叱ってきて、最後には勢い余って「勝手な事をしたんだからご飯食べんでええ」とまで言われた時に『みっちゃん』だけが冷静に「宏は謝ったんだし、ご飯抜きはあかん」と毅然に言ってくれたお陰で父進さんも母秋江さんも冷静になる事が出来て1件落着。本当に姉光子さんは今から考えても頼りになる存在だったな。

私が13歳の時だから姉光子さんは19歳。つまり高校を卒業して役場に就職した社会人1年目の歳ですよ。「う~ん。今の私にあの頃のみっちゃんのような度量があるのかなあ」リピーターの皆さんはどう思われますか。