- 『誰が見ているわけでもなく』
いつものようにお参りを幸福地蔵様、妙応寺本堂、今須稲荷様、3仏様(観音・毘沙門天・不動明王)等を順番に手を合わせていて六地蔵様の所まで来て六地蔵様それぞれに「おん・ころころ・せんだ・まり・そわか」とご真言を唱えている時にふと合掌をしながらしっかり数珠を両手で重ねている自分に対して「誰が見ているわけでも無いのに、しっかり数珠を手に持って祈っているのは習慣と言うのは素晴らしい」と自画自賛です。
そしてこの時思ったのは「少し意味は違うけれどもこれも『陰徳』(かつて幹部職員に向けてこのコラムで書きましたが)と言う事なのではないかと。」
つまり、誰かに見られていても見られていなくても手を合わせる行為が出来ている自分に対して高校2年の夏休みに四国遍路に参加して以降に自然と出来る様になったのだとしみじみ思いました。
- 『目的があるから毎日続くのです』
六地蔵様でのお参りを終えて我が家のお墓に行きお墓の湯呑に我が家から持参したペットボトルの水を入れている時に、いつも犬の散歩をされていてこれまたいつも朝の挨拶をして下さる方がいて、一生懸命に水を手向けていて私は声を掛けられるまで気が付かなかったのですが、声を掛けられ慌てて声のする方を見て挨拶を返しながら思ったのは「目的があるから毎日続けられる」と言う事です。
つまり犬の散歩をされている方にとっては「飼い犬の為に雨であろうと行かなければ」と言う事なのでしょうが私のお参りは「我が家にいる限りは我が家のお水を父・母・養母に届けたい。」の思いです。
犬の散歩にしても、お墓の水を手向けるにしても『目的』と『思い』があるから毎日続けられるのだと思います。私のお参りは「家にいる時限定」(最近は外泊する事は少なくなったので殆ど毎日なのですが。)ではありますが。
実は私も犬が好きなので犬を飼いたいのですが出張が多かったので私の代わりの散歩がして貰えないので挫折したのですが、朝のお参りも気持ちが良いのでこれからも続けていきたいと思っています。