令和8年3月25日
中学を卒業するまでの私は大きな声も出せない様な人間だったのです。そんなことを今新たにお付き合いさせて頂いている方々に言っても「そんなの信じられません。」としか言われないのですが『小説より奇なり』で事実なのであります。
そんな私が大きな声をみんなの前で出せた事実としての記憶が高校2年生の2月の出来事を今でも鮮明に覚えています。その出来事とは私がその当時生徒会長をさせて貰っている時に卒業生を送るイベントで『予餞会』が開かれ生徒会長として開会の挨拶をする時に卒業生の3年生が騒いでいたので挨拶をする前に「3年生、喧しい」と大きな声で一括してから「在校生のみんなで卒業生を盛り上げる為に頑張ってきたのだからしっかりと見てやって下さい」と言ったのを今でも覚えています。それからの皆にとって納得がいかない出来事については時には声を荒げながら話をする様になったと記憶しています。その様な生き方の中、特に児童養護施設の指導員になってからは自分の生き方に自信を持つ様になってからは大変な生き方ではありましたが堂々とした方向性を見出したものにしてきたつもりです。
そして38歳の時に児童養護施設の指導員を退職して、6年間の無納税者の生活の中で44歳の時に法人設立が承認され翌年に特別養護老人ホーム優・悠・邑 本館が事業開始してからは大変な事が起きた事には前面に立ち、職員の動きが遅かったり、不十分であった時に『瞬間湯沸かし器』の様になった事が度々でした。事業開始をして2年目の時だったと思いますが、夏祭りが無事に終わり片付けを開始して間無しにその当時の主任格だった職員が反省会の為の食事の準備をしているのを見つけて、「順番が違う」と思った瞬間に施設全体に鳴り響くような声で言ったのですが、結果的には後片付けの効率が上がった事を今でも覚えています。
今、同じような事をしたら『パワハラ』と言われかねない行為だったと思っています。今も『瞬間湯沸かし器』の様になることはありますが『一呼吸』おいて話をする術をこの歳になって身に付けた様に思います。但し、とことんの時に大きな声を出した時などに「大きな声を出させて俺が血圧を上げて倒れたら良いと思っているのか」等との暴言を出すとすると「これは歳を取ったと言う事ですかね。