理事長コラム

昨日チラッと登場して貰った祝(はふり)先生について書きます。

令和2年4月3日

大学時代5年間(「えっ大学は4年じゃないの。」私は勉強が好きだったから5年何です。この答弁は間違っています。正しくは、勉強が好きだったのでは無くて大学が好きだったのだと言う事で・・・。)を通して所属していたサークル活動は郷土研究の会で顧問の先生が祝(はふり)先生だったのです。祝先生は折口信夫(おりぐちしのぶ)先生の直弟子で文化庁を退職された後、名城大学法学部に天下った方だと聞いています。

また祝先生は文化庁に勤務されている時にイギリスのロンドンに長く留学されていた本場仕込みの『イギリス紳士』の方です。私が一年生に入学して郷土研究の会に入部した時にはまだサークル活動としての承認が得られていない状態でクラブボックスが与えられていなくて、(私が2年生の時にその当時の学術局の代表者に私がなるのを条件に学術局に所属でき、同時にクラブボックスを獲得しました。)サークル活動の拠点は祝先生に相鍵を作って頂き先生の研究室に間借りしていて、先生が講義を終えて部屋に戻られると必ず鏡のある洗面台で髪を整えられるのを感心して見ていたものです。

祝先生はとても温厚な方で物静かな方でしたが、時代が学生運動の盛んな時代で私が教授会で名前が挙がった時にはいつもは発言される事が少ない祝先生が私の弁護をして下さり危うく退学になるのを救って下さった事もありました。その時の発言内容を聞いてやはり信念のあるかただと思いました、その発言とは「若山君は組織の考えの中で活動されたのだから、もし若山君を退学にするのであれば、集会に参加した学生を全員退学にしなさい。」で、私は大学生活を続ける事が出来ました。

サークル活動の一環として最初に手掛けたのは長野県妻籠を一大観光地にする為に大学の建築学科と共にプロジェクトを組み調査を進めて行く時も、ダムで沈む前の岐阜県揖斐郡徳山村(当時)の調査の時も祝先生が先頭指揮を取って下さり多くの事を学びました。大学を何とか卒業して教員を経て児童養護施設の指導員になった頃に祝先生の奥さんから突然手紙を頂きました。その内容に「主人が癌に侵され顔色も悪く『サルノコシカケ』を煎じて飲ませたいが自宅のある藤沢ではあまり良い品物が手に入らない。若山さんの所は山深いところだと聞いているので、もし手に入るのであればわけて欲しい。」との趣旨のものでした。

私はその手紙を読み終えて直ぐに私の父進が、我が家の玄関先にある(今もありますが)古木の紅梅の木に出来ていた立派なサルノコシカケを籠に入れて乾燥させてあるのを知っていたので、勤務先の施設に事情を話して藤沢市のご自宅まで届ける事にしました。藤沢駅に着きご自宅に連絡をして道順を聞き何とかご自宅に着くと奥様が玄関先で出迎えて下さり、「しばらくお待ちください。」と言われて奥に行かれおおよそ15分後に奥様が出てみえた時に私は感動しました。と言うのは奥様の横にスーツにネクタイをして右手でステッキを持った先生が「体調が悪いので立ったままで失礼します。遠いところをわざわざありがとう。」と言われて、「せっかく来てもらったがこれで失礼します。」と言って奥に行かれるのを見届けながら、私は「15分もかかったのは身支度を整える為だったんだ。

最後までイギリス紳士だと感動して、私もこうありたい。」と思いました。その後3か月位してから再び奥様から手紙を頂きました。『若山さんに届けて頂いたサルノコシカケを毎日煎じて飲んで頂いたお陰か茶色かった爪の色がピンク色になり嬉しく思うと共に行動力のある若山さんに感謝しております。』との内容に涙が溢れたのを覚えています。私は祝先生の様に『イギリス紳士』のような振る舞いは出来ませんが(スーツのズボンにサスペンダーをするくらいかなー。)祝先生の様に信念を持った生き方をこれからもしていきたいと思っていますので、リピーターの皆さん、そんな私の生き様も見守って頂ければ嬉しいのですが。