理事長コラム

我が家の大黒柱

令和5年10月14日

垂井にある3施設目の施設である「盲養護老人ホーム優・悠・邑    和(なごみ)」には20畳からある仏間があり、そこの大黒柱は本部施設の家族会からご寄付して頂いた今須杉で、本当にきめの細かい年輪であることが自慢の一つだったのです。そんな中で、本日いつもの様に4時25分のアラームで起きて仏間でのお参りのお経を終えて、何となく仏壇と床の間の間にある柱をしみじみと見たのです。そしてはたと気が付いた事があります。それは我が家の大黒柱も和(なごみ)の柱と遜色無い極めの細かい年輪だったのです。正直なところ2004年12月に新築した家も18年が経過していて「何を今更」と言うような話しなのですが、それが事実なのです。今となっては「今須杉」なのかどうかを確認する術は有りませんが「きっと我が家の大黒柱(床柱)は今須杉だ。この極め細やかさは間違いない。自慢する話が一つ増えた。」と言う話です。

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話しは変わって今朝のお墓参りの時の話です。我が家のお墓参りも済ませてお墓から県道に降りて東の空を仰ぐと(6時を広報が知らせていました。)東の空が赤いのです。私はそう言う状況に直ぐに反応して感動してしまい、しばらくはその様子を見つめてから写真をガラケーの携帯で撮りました。この様に感動出来る私だからこそ「気付きの多い」自分であるのだと思います。小さい頃の私は私を目の中に入れてでも守ってやりたいと思っている母秋江さんがいたので、全く気付きの無い自分だったと思います。気付きの少ない自分でしたので、正直なところ26歳の時に児童養護施設の指導員になった時には余りの世間知らずだったので、経営者の方にしっかり怒られながらも何とか食らい付いていったお陰で、今は何とか気付きのある生き方が出来ているのだと思います。

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学びと言うのは何歳からでも出来ます。「そんな事できんは」と思った生き方をしているといつまでたっても出来ません。だから、気が付いた時がチャンスです。私は厳しい環境に26歳の時に置かれたのが結果的には良かったのだと「古希」を迎えた今、つくづく思っています。不平を言ってても1日、幸せだと思って過ごしても1日ならば、幸せだと思える1日で有りたいと願っています。今「古希」と書きましたが、自分で「古希」と書きながら「私が古希なの」と思っている自分がいます。だって私が小さい頃、70歳の方を目の前にした時に「めっちゃ年寄り」と思っていましたし、その頃の70歳の方は「ご隠居さん」的な存在だったと思います。でも、現代の70歳は私も含めてバリバリの現役の方が殆んどです。最近も「とても理事長さん。70歳にはみえません。」と言われたのですが、どの時代の70歳を念頭においての話なのかと思うと「けっして喜んで良いのかどうか」と思ってしまいます。

私の事をご存じのリピーターの皆さん 私は本当に若いと思いますか。忌憚の無いご意見を下さい。【蛇足】ところで現代の世の中に「ご隠居さん」はいるのでしょうか。