令和5年10月16日
いつもの様に大谷徹奘師の日めくりカレンダーの言葉で、昨年の6月から日めくりカレンダーをめくっているので少なくとも15回は目にしているはずなのに、いつも新鮮に感じています。特に今朝はこの言葉が私の心にスッと入ってきたので、先ずはその時の気持ちを素直に書く事にします。
最初に思ったのは、小学校時代までは困った事が起きると母秋江さんが長女光子さん、次女春子さんは勿論の事、地域の方々も巻き込んで私をカバーしてくれる体制を取って下さったので、困り事が困り事で失くなってしまうので、自分を成長させる芽を摘んでしまっていたので・・・。決して母秋江さんを責めているのでは有りません。あの頃の私はそんな環境が当たり前だと思っていたし、考え方によっては本当に幸せな日々だったと思っています。夏休みの宿題は全く手付かずで2学期が始まる3日前くらいにになって出来てない事を話しすると、一定は怒られるのですが、そんな時の私の得意技はべそをかいて泣く事です。そうすると、私に代わって春子お姉さまが答えを書いて私はそれを一生懸命写すのです。絵を画く課題にしても、下絵を春子さんなのでいくら色塗りを自分でしてもどう考えても私が画いた絵ではないのですが、それで通ってしまうのです。
そんな私ですから何の矛盾も感じる事無く過ごしてしまっていたと思います。そんな私でしたから38歳で児童養護施の指導員を退職してフリーの立場で大学・短大・専門学校の非常勤講師と家庭教師と一番形にしたかった教育・福祉カウンセラーの仕事をしていくのも、全て自己責任で、初めての講義では80分の授業時間なのに40分話をした段階で、話をする内容がなくなってしまい、4月だと言うのに背中から滝の様な汗を出したのを今でも覚えています。この失敗からしっかりとした内容を準備していかなければいけない事を理解したものでした。
大学の講義をする様になると、講義用の教科書の執筆を依頼された時には、思いの限りの文章を書いて自信一杯で編集会議に出席した時は「この内容には魅力を感じますが、教科書としては使えません。」と編集者の方に酷評されて、全面的に書き直した事もありました。その後も何冊かの依頼を受けましたが、同じ失敗をする事は無かったです。フリーになって2年目には拠点施設をつくらないと本当の意味でやりたいことが出来ないと言う事で、『情緒障害児短期治療施設』の建設を計画して、その当時の岐阜県児童家庭課にパーツまで持っていった時には「ここ10年は計画していません」との回答に唖然としたものです。計画した伏線はあったのです。それは当時の厚労省の専門官と話をしていて、必要性を語って行く中で決めた事なのですが、今考えてみたら当たり前の事なのですが、国が承認する前に岐阜県の承認を取らなければいけないと言う、基本中の基本を逸脱していて徹底的に弱い自分をさらけ出して色んな思いをして強くなった事がありました。
特養の計画の時も、土地取得で大変な思いをして強くなった事もありました。リピーターの皆さん、昔から言いますよね「失敗は成功の基」と。自分で事業をさせて貰う中で一杯失敗をして強くなったんだと思います。これからも失敗をしながら強くなっていきますので宜しくお願い致します。