理事長コラム

平成9年度事業で本格的に事業が推進していく中で

令和2年3月22日

用地も確保ができ、平成8年度事業での計画が出来るように本格的に設計士と共に施設見学も本格化して、夢を語り思いを語り図面も完成して、その当時の岐阜県西濃福祉事務所との打ち合わせも順調にいっていたので、平成8年度事業での計画が遂行するものと確信していたのですが、『予定は未定であり、決定ではない』の格言のような事態として西濃福祉事務所から1本の電話がありました。

それは、「大垣市は独自の福祉事務所があり、大垣での特養の80床と50床の計画がある情報が入っていなかったが、2つの計画を優先させたいので、関ケ原町の計画は見合わせたい。」との連絡に頭が真っ白。その現実を受け入れる事が出来なくて、怒りが沸き上がってきました。「こんな大切な事を1本の電話で済ませるのか。」と。私は直ぐに西濃福祉事務所に行き「納得がいかない。」と強く迫りましたが「大垣市の情報が突如来たので。」とばかりでらちが空きません。その当時の支援者として大垣市商工会議所会頭であった河合達夫さんに相談に行きました。(当時河合会頭のお孫さんの家庭教師をしていたので、藁をも掴む思いで・・・)

-必死に話す私の話を聞いて下さり、岐阜県庁への陳情の機会を作って下さり、県庁へ河合会頭を筆頭に、私の他に今は優・悠・邑家族会会長の吉田さん(当時は設立準備後援会代表)にも同席して貰い河合会頭に口火を切って貰い、私が熱く語り、吉田さんも熱く語りで、その当時の民生部長さんが「主旨は良く分かりましたので次年度の検討課題とさせて下さい。」で陳情が無事に出来、平成9年度事業で特養計画が復活して、書類作成を一生懸命にするのですがその当時はパソコンではなくいわゆるワープロでの書類作成だったので、罫線を引くのも大変でしたが、何とか分厚い書類を作る事が出来ました。

その当時は、岐阜県の担当者と打ち合わせをして出来たものを県の担当者が厚生省に行きヒヤリングを受ける流れだったので、県の担当者と最終的には二人三脚で県の担当者も休み返上でして頂きました。国からの内示を頂きほっとすることなく法人認可の書類に取り組み平成9年7月17日に法人認可が来た時には天にも昇る思いでした。公認を受けた法人での理事会を緊急に開き、8月8日に入札を行い翌年10年5月15日に竣工式を行い5月18日に開所しました。無事に開所しましたが、そこからも波乱万丈がありましたのでリピーターの皆さんまだまだお付き合い下さい。