【路上の戦後史】の大きな見出しで「『ヤンキー』日本様式に」「リーゼントに学ラン、全国へ」の見出しに興味を持って読ませて頂きました。記事の中では「ヤンキー」「ツッパリ」日本が生んだ最大の若者文化であると断言してあり私は正に私が高校生、大学生の時代の事だったなと思った次第です。
記事を読んでいく中で「『ヤンキー』はアメリカ人の俗称だが、日本の不良少年たちが何故そう呼ばれるようになったのかは定かでない。彼らの登場時期としては、1960年代後半の横須賀の若者たちが元祖との説がある。横須賀には米海軍の基地があり、当時はベトナム戦争に従軍する若い兵士たちも寄港した時に街にでただろうから、路上の日米交流があったかもしれない。」とあり、『ヤンキー』にそんな由来があった事など全く知らなかったと言う事は新聞とは視野を広げるものだと改めて思った次第です。
記事は続きます。「リーゼントやロックンロールは戦後アメリカの不良文化に由来するが、そこにさまざまな要素が加えられ、日本固有の様式へと変化していく。とりわけ70年代に世間を騒がせた暴走族は『特攻服』と呼ばれたツナギ服、労働着、鉢巻などをまとい、旗を持って改造バイクで集団走行すると言うユニークなスタイルを全国に広めた。70年代後半~80年代前半、原宿の歩行者天国では、フィフティーズ・ファッションを身に着けて、ラジカセから流れるロックンロールに合わせて踊る『ローラー』と呼ばれる若者たちが現れている。彼らは暴走族のような危険なことよりも、ストリートで楽しく遊びたい、目立ちたいと言う欲求に素直に従っていた。ホコ天には、より奇抜な服を着てダンスするグループ『竹の子族』も登場している。当時は受験戦争や管理教育が過熱し、若者が校内暴力など反学校行動に走った時期。フィフティーズ・ファッションにはそんな彼らの心情も仮託されていた。」以上の記事を読みながら「高校生の時にはリーゼントの高校生も沢山いたけど私はロン毛で通していたな。学ランの知り合いも沢山いたし短ランの子もいたな。だけど私は全く興味がなかったな。」と懐かしく思ったものです。
そして私が教員を辞し児童養護施設の指導員をしていた頃は中学校も荒れていて、校舎内の廊下を自転車で走り抜ける子だいたなと懐かしく思い出しました。どの時代でも押さえつけると反発する子が出てくるもんだとも思った次第です。色んな事を若者がしてくれるから面白いのだから今の若者ももっと元気でいて欲しいなとわけの分からない事を思った次第です。