理事長コラム

夜中に看取りの対応をして父進の事を改めて思いました

令和元年10月2日

横浜、東京泊と連泊して昨日は朝7時の東京発の新幹線に乗り、9時30分には岐阜県庁での打ち合わせをして、12時前に施設に帰り18時30分までバタバタの1日で、お風呂に入り夕食を頂き21時過ぎにベットに横になったら直ぐに眠りについたのですが22時に携帯でのコールがあり目を醒ますし携帯に出ると、夕方から肩呼吸をされていた入居者の方が天寿を全うされたとの連絡を宿直者から受け、直ぐに施設に行き、家族対応をしていると嘱託医の先生が来て下さり死亡診断書を書いて頂き、今後の話をして、家族の方を関ヶ原町役場にお連れして埋火葬許可申請や斎場の使用申請の書類のお手伝いをして、家族の家にお送りして再びベットについたのは次の日の午前零時45分。流石に直ぐには寝れなくて、目をつぶると父進さんの葬儀の事を思いだしました。父進は明治最後ですから45年生まれですから私が38歳で天国へ召されたのですが(私と違って聖人のような生き方でしたから間違いなく天国だと思います・・・。)私が生まれた時に父進さんは既に42歳だったので私は38歳と言えど平均寿命以上を生きたので「私がもう少ししっかりするまで生きて欲しかった。」との思いはありますが、生まれてからずっと心配と迷惑ばかりかけて恩返しが何も出来なかったので申し訳ない気持ちで一杯なのですが、前にもこのコラムで書いたと思うのですが、私は生まれてからずっと心配と迷惑しかかけてこなくて誉められた記憶がなかったのですが、私が38歳の誕生日の時に父進さんが私に向かって「宏より優れた経歴だと思っていたけど宏のように大学で講義をすることはなかったので、それだけはよかったぞ」と言われて嬉しかったのですが、それからまもなくして体調を崩して病院に入院してその年の8月12日に他界したのですがあれから28年。6年の紆余曲折があり、社会福祉法人を設立して特養の定員が208人で職員を150人までの規模になり地域での貢献も出来ていて岐阜県老施協会長で全国老施協総務・組織委員長の任まで任されている事私の姿をを父進は予想だにしなかったと思うと「今生きていたら」と思うことが全くないと言うと嘘になります。何が言いたいかと言うと『人の生き死にはままならない』ですが、与えられた寿命を精一杯生きられたのなら満足しなければいけないし、父進は私の38歳の誕生日に息子である私を褒めてひょっとしたら今の私の姿を夢に見てホッとしたのかもしれないな。私は父進に親孝行が出来なかった分、地域の高齢者の方に喜んで頂けるようにこれからも頑張っていきたいと考えています。リピーターの皆さん昨夜は夜中の対応があり思考力ゼロでのコラムですので題材は良かったけど中身はなかった事を私自身承知してのコラムアップですが次回はがんばりますのでお許し下さい。