今まで生きてきた70年余りの中で一杯の出会いが有りました。私は一人として出会いをいい加減にした事はない。と言い切れるかは怪しいですが、出来る限り大切にしてきたつもりです。
正直自信がないのは幼少期及び少年期です。特にオギャアと生まれてこの世に私を引き出してくれた母秋江さんには私自身が甘えるばかりで何も恩返しが出来なかった。母秋江の私に対する執着がなかったら、多分私は少年期を迎える前にこの世からおさらばしていたかも知れない。但し、そんな事を考えてもやり直しが出来るわけでないので、今の私を受け入れるしかないのですが。
何か禅問答の様な書き出しになってしまいました。本来の私はそれほど理屈をこねる性格では無いのですが。来週火曜日(28日)から全国大会が始まるので、神経が研ぎ澄まされているからかも知れません。人生にもしもは無いのですがもしも母秋江さんが46歳の若さでこの世からあの世(どんな世界なのかはわかりませんが)に行かずに今も健在だったら「60―90」で私自身が存在していたかもわかりません。と言うよりもその可能性は大ではなかったか。
かつて読んだ本の中にカンガルーの赤ちゃんを厳しい社会に出したくないと考えたカンガルーの母親が少年期を迎えても袋から出さずにいて、子どものカンガルーがタバコを吸いたいと言ったのでタバコを与えて袋の中に火が燃え上がり・・・。何てのもあったな。但し、母秋江が中1の時に他界した事により、私は最低限の事は自分でやり、高2で母親代わりだった姉光子を失くして四国遍路に巡りあってからは相手の気持ちになった生き方が出来る様になり、今は母秋江に出来なかった恩返しを地域の要介護の高齢者に出来ていることに喜びを持って生きてます。
リピーターの皆さん、本日も支離滅裂の文章ですがお許し下さい。全国大会が終わったらじっくり書きますので。