令和2年4月5日
私が高校2年の新学期の日(4月7日)が姉光子が急逝した日で、もやもやの日々の中でやんちゃをしては父進に迷惑ばかりかけていた私を、その当時担任だった西田先生が多分『エネルギーが有り余っているから何かに熱中させないと危なっかしい』と考えられていた時期に、生徒会選挙の応募があったのです。その当時は『三無主義』だとか『シラケ時代』とか言われている時代で定員に至らない状況があった事もあり、西田先生がクラスの同級生を誘導する形で副会長に立候補することになりました。そして、見事無投票当選を果たしたのです。しかしながら、実際に役員の一員になると元役員の3年生の先輩の中には結構熱くうるさいことを言ってくる方がいて、その当時の私は結構激論していたように思います。
但し、後期の改選期前になって、一年生から生徒会批判をする輩が出てきて自ら会長に立候補する生意気な女子が現れたのです。しかしながら私的には「批判は誰でも出来るが実際に形に出来ると思うならばやったら良い。私は出ない。」と考えていました。ところが、その動きを知った同級生のスポーツクラブ所属の女子が中心になって決起して(これも西田先生が影で糸を引いていたのかも知れませんが確証はありません。)私を会長立候補者に祭り上げたのです。その頃のスポーツ系の女子は元気な子ばかりで、足のこぶしの所まであるズルズルのスカートをはいて学校内を闊歩している子ばかりだったのですが、私は自らは出ないと考えていたので全く選挙活動をする意志がなかったのですが、一年生の候補者が必死な運動を繰り広げているのを見て、例えば相手候補者が登校する生徒達に玄関先で呼び掛けているのを見て、翌日にはズルズルスカートの賑やかな(いやいや不気味な)メンバーが玄関先を占拠して選挙活動をしているのです。
私が登校してくると「若山君。タスキをして立って立って。」と言われてしぶしぶタスキを掛けると彼女達はますますヒートアップして・・・。いつもは基本的に近寄る事のない存在の女子軍団が可愛く(いやいや不気味かな)「若山君を宜しくお願いしま~す。」と言われるのはかえって逆効果でないのかと思いつつも、「こんなに一生懸命になってくれているけど相手は本気だし勝てないよ。」と思っていました。しかしながら、その時の選挙では、私以外の女子軍団を中心としたこちら側の勢いは凄まじくて、立ち会い演説会で私が演壇に上がって話をしようとしたら、ズルズルスカート軍団がずらっと後ろに立っていて私が話をする度に「お願いしま~~~す。」を連呼して、流石にスポーツ系は縦社会です。上級生にも下級生にも根回しがしてあったんだと思います。
私は開票の場所にも行かずにいたのですが、開票結果は圧倒的に私の票が多かったと女子軍団のリーダー(と言うよりボスかな)が興奮気味に知らせに来てくれました。せっかく会長になったんだから今まで出来なかったような生徒会活動をしようと考えた私には強い味方がついたのです。と言うのは、今までだったら生徒会活動にあまり協力的でなかったスポーツクラブのメンバーややんちゃな生徒達がこちら側についたのです。だから、私が会長の時の卒業生を送る為のイベントは例年になく参加者が多くて準備も盛り上がりました。いつもは学校生活も一生懸命でない子達がバンドを組んで練習に打ち込む姿は感動もんでした。
当日を迎え『いつもと同じでくだらないイベントだろう』と思っている送られる側の3年生が開会の挨拶を教頭先生がされていてもザワザワしていてうるさい中、私が会長挨拶をする段階でもうるさくて、私は一生懸命に準備してくれたメンバーに申し訳ないとの思いで一杯になり、「やかましい。後輩が一生懸命に準備したのを静かに見たらんかい。」と思わず叫んでいました。その後は先輩達も『いつもとは違う』と感じて貰えたのか一番最初のバンド演奏が良かった為か成功裏に終わり、参加してくれたメンバーと共に喜んだものです。(当然の事ですが祝杯はやりました。)
しかしながら職員の中には私の行動を善しとしない方がおみえになったのだと思います。(多分、私の前に挨拶をした教頭先生一派)例年だと卒業式の送辞は生徒会長がするのですが、「若山だと、卒業式でも何を言い出すかわからない。」と言う事で代わりがたてられ送辞の挨拶は出来なかった次第です。リピーターの皆さん私の生き方をどう思われますか・・・。
新型コロナウイルスの報道ばかりの中でかつての自分を振り返る時間がコラムを通じて出来たのは有り難いことだと思います。勿論、絶対に許してはいけないことは新型コロナウイルスを施設に持ち込まないことが必須なのでこれからも職員が一丸になり阻止する事は勿論ですが、家族、地域、ボランティアの方々の理解も得て終息まで頑張りたいと考えています。改めてリピーターの皆さんも手洗い、うがいと消毒をしっかりしていきましょう。