理事長コラム

『週刊現代』の記事の中から

『亀井静香の政界交差点』の書き出しに『政治家は大きく二つに分けられる。己の信念を貫き行動するタイプか、師の意志を引き継いで行動していくタイプだ。』と書いてありました。私はこの考え方は政界だけではないと思うので、少し私の考え方に基づいて述べてみることにします。

私の生き方は高校2年の4月までは師を仰ぐわけでも主体的に生きるのでもなく、手も足も出さないものだったと思います。それどころか誰かに甘えるだけの生き方だったと思うのです。この生き方に変化をもたらしたのは母親代わりの6歳上の姉の死がきっかけでした。私は姉の死によってやけくそにでも自分なりに動く事をやろうとしたのだと思います。暴れまくった高2の一学期があり、その年の夏休みに四国遍路に参加して、『先達の教えは絶対』と理解しました。そして、その頃から『やんちゃ』はしても『やりたいこと』を見つけれるようになってきたように思います。その頃から私は自分がしたいことを形にしていく為に、時には集団の中でリーダーに従ったり、自分がリーダーになったりしてきたと思います。

しかしながら大学を卒業するまでは、『遊びの域』を越えてはいなかったと思います。(当然の事ですか)大学を卒業して父進の根回しもあり教員になったものの自分の師を見つける事は出来ず、勝手に教員を辞し父に勘当された時も強い意志が働いたわけで無く、仰ぐべき師もなく・・・。

私が師と仰ぐべき人に初めて巡り会ったのは38歳で児童養護施設を退職して、フリーな立場で大学の非常勤講師と家庭教師と個別指導に走り回っている中で『教育と福祉を考える会』と言う研修集団(学会と言った方が分かりやすいかもしれません)の責任者をされていた当時日本福祉大学中央福祉専門学校の校長をされていた吉田宏岳先生に出会った時です。宏岳先生は優しい眼差しの中に厳しさを秘めた方で、宏岳先生の指示には何でも答えたいと必死だった事を覚えています。つまり、この時期に『相手の事を知り形にする』事の生き方を実践したのだと思います。

その間に紆余曲折があり、特別養護老人ホーム優・悠・邑の計画にしても、色々な方の師事を受けてきたように思います。確かに今は社会福祉法人杉和会の理事長として、間違いのない方向性を考えてのやり方ですが、よーく考えてみると、色んな事を考えて実践しているようでいて、色んな方の考え方を参考にしての方向性だと思うと、最初に書いた亀井静香氏の『己の信念を貫き』にしても最初から出来たわけではなく、色々な方の知恵の上で出来たものと思うと究極は『謙虚に聞き、最終判断をした事を信じてやり通す事なのかと。

リピーターの皆さん、疲れた頭のなかでグシャグシャの考えなので意味不明の点はご容赦下さい。