理事長コラム

『肉親とはどこまで』をパソコンで検索すると

令和元年10月22日

「一般的に『肉親』って言うとどこまでが肉親に入るのでしょうか?自分の親、兄弟だけ?夫の父、母も入るのでしょうか?肉親って身近な血族の事を言います。親、子、兄弟、祖父母、孫など2親等くらいだだと思います。」とありました。そうだとすると、私の子ども(長男の誠、次男の諭と孫の翔の他の肉親と言うのは私の直ぐ上の姉春子さんだけだと言う事に今更ながら気が付くと共に、父進、母秋江、姉光子のことはこのコラムに何度となく登場しているのに次兄姉である春子さんの事は殆どいやいや全く登場していない事に気が付きました。

考えてみたら『肉親』の中で一番長く存在しているのに。そこで、姉春子さんの事を書こうと考えていると久しぶりに施設に来て帰ろうとしている姉春子さんの顔が見えたので玄関先まで追いかけて話をしました。私が「最近コラムに進さん、秋江さんは、光子さんが良く登場しているのでそろそろ春子さんの事を書こうかと思ってるんだけど。」と話しかけると姉春子さんが「この間のみっちゃんがおんぶして学校へ行った時に私がアンカを持ってたのに書いてなかったよ。」と言われたので思わず私は「記憶にございません。」と答えると姉春子さんはプリプリしながら「おかしなこと書かんでね。と言って施設を出ていきました。

そして改めて記憶は曖昧なものだと思うと同時に、姉春子との記憶を辿ってみてコラムのネタにすることにします。姉春子さんは父進、母秋江の間に産まれた3人の子どもの真ん中で上に姉がいて、下に弟(私の事です。)がいる文字通り『いじけたり』『すねたり』する環境だったようです。私にとっては姉光子は甘えれる存在で、春子さんは怖い存在だったと思うし、姉春子さんの事を思い出すと『拗ねて、膨れた顔』ばかりが思い出されます。

そして私が、中学1年の5月のゴールデンウイーク後に腸ねん転の手術を関ケ原病院(今は診療所)でして久しぶりに学校へ行って英語の授業が全く分からず姉春子さんに教えて貰ったのですが、あまりに厳しい教え方だったので次に教えて貰おうとは思わなかったのを今でも覚えています。私にとってはあまり良い思い出のない姉春子さんですが、私が高校2年の4月に唯一甘えれる存在だった姉光子さんが結婚半年と言う時にくも膜下出血で23歳の若さで急逝してからは『厳しい』姉の存在が一変してお互いに支え合う仲の良い兄弟になったのです。

私が44歳で優・悠・邑を立ち上げる前後は陰に陽に助けてくれましたし、施設を立ち上げてからの2年間は厳しい状況が続きましたが、この時も支えてくれたありがたい存在です。施設を立ち上げそれなりの存在になり、最近の姉春子さんとの会話の中で春子さんから「最近は沢山の方からお兄さんが頑張っているね。」と話しかけられる。」と言うので「4学年も上の姉に私が年上だとは言われたないで」と言うと姉春子さんはニコニコ顔で「だって私が若く見られている証だから。とぬけぬけと言うのです。でも姉光子さんの死によって春子さんの生き方が変わり幸せな生活をしているのだから人生は分からないものです。とにかく、これからも仲の良い姉弟でいたいと思っています。