理事長コラム

『師』と仰いだ吉田宏岳先生の事

令和2年2月3日

吉田宏岳先生の事はこのコラムでも何度も書いていますが敢えて『師』として、中村博彦先生に引き続き書く事にします。

吉田先生とは38歳に児童施設を辞めてから『教育と福祉を考える会』のお仲間にして頂いた事から始まります。勿論最初は私は末席も末席で小さくなっていて吉田先生は中央に座られ最初の挨拶をされている時に私は「大学の教授格の方ばかりの中で緊張する。」とばかり思っていました。

そんな存在の吉田先生でしたが、何回かの例会を重ねていったある日に吉田先生の家に行く事になり、私も同席させて頂く事になり、(運転手のような役割で)家に着くとそこは、お寺であり寺の1画に幼稚園もありました。私は寺の本堂を案内して頂きながら厚かましくも「何宗のお寺ですか。」とお聞きすると優しい眼差しで「真言宗豊山派なので長谷寺系のお寺です。」と先生に答えて頂いたので(多分目を輝かせながら)「お大師様のお寺ですか。私は高校2年の夏休みから四国八十八ヶ所を歩いていて、いつでもご案内しますよ。」とまるで少年のように答えていたのを今でも鮮明に覚えています。

私が吉田宏岳先生を『師』と仰ぐのかと言うと一つには『これは凄いから形にしよう。』と思われた事は即実行されて、継続される事を私自身まねが出来たらと思った事です。何度か先生の家で布団を並べて寝ていても朝の勤行をされなくて「布団の中で唱えている。」と豪語されていた先生が四国霊場を先生と二人で歩いてからは「こんな素晴らしい事はない」と、毎月8日には朝早くから『ごま供養』を、第三日曜には『写経会』 を開催され、春と秋にはバス一台で巡礼の旅ツアーをされていました。勿論私は出来る限り写経会の時には時期に合わせて『山菜おこわ』『竹の子ごはん』『栗蒸しごはん』等を作って貰い皆さんに振る舞う事をしましたし、四国巡拝の折りは道案内をさせて貰いました。

また、私が法人を設立するときには人材の紹介や資金の提供もして頂きました。資金の提供では先生の家にお願いに行くと設立準備資金として1千5百万円の提供をして頂いた時には正直「私にそれほどの価値があるのか」と真剣に悩みました。

平成10年5月に本館施設の事業開始をして、正直私が舞い上がったのと、私の理念で押し通そうとした事により、職員がどんどんと退職した時のタイミングで理事会があり私は思わず大きな声を出して「施設長を辞めたらー」と叫んだ時にはいつも温厚な吉田先生が私の声以上に大きな声で「今の言葉は取り消しなさい」と言われて自分を取り戻した事がありました。

その時の体験から「どんなに厳しい状況になっても自分を見失う事の愚かさ」を知りました。勿論それからも自暴自棄になる場面が全くなかったわけではありませんが、大変な時に大きく深呼吸をしてから冷静に考えるようにしているつもりです。

私はまだまだ、吉田宏岳先生のようには出来ませんが先生の器の大きさをこれからも追い続けていきたいと考えていますのでリピーターの皆さん私の動きにも興味を持っていて下さい。