私は小さい頃、「虚弱で勉強が出来なかった。」と言う事は何度もこのコラムで書いているのでリピーターの皆さんはご理解されているかと思いますが、だからこそ『勉強で分からないことが分からない』指導者ではなくて『分からないと言う事が分かる』カリスマ的学習指導者だったと居直った言い方をしていました。
「分からなかったからこそ勉強が出来ない事を共有できた。」と言う事で『人生無駄なし』だと思っています。
中学卒であったが為に社会に受け入れられず反社会的な人生を歩んでしまった卒業生には殆ど何も出来ない無力さを知った私は「最低でも高校卒業の資格を取得させる」との決意をして『鬼気迫る指導者』に徹した12年間だったと思います。
私の勤務時間は14時から22時で週2回の休みと言う事でしたが、2年目からは基本的には休みを取らず午前中には出勤して一人ひとりに合った教材を手作りして、16時から18時までは小学3年生から6年生の宿題+本読みを見させて貰い、18時から19時は子どもたちと共に夕食を頂き19時から22時まで中学生の集団指導、それ以降の時間は時間を決めずにマンツーマン指導を行いました。
子どもたちは「若山先生がしてくれる事は僕たちの為にしてくれているんだから頑張るしかない」と言う事を浸透させるのに2年近くかかりましたが、苦労して高校進学出来た先輩から後輩に伝えられ私が子どもたちに引っ張られるような事もありましたが13年間全うすることが出来ました。
頑張っても公立高校への進学が難しい女子2人が「それでも高校へ進学したい」との望みを叶えたい。と言う事でその当時の理事長にお願いしたところ「その子らの努力が足らなかったと思うが若山さんが夜遅くまで頑張っている事に免じて私立の入学金は私が出します。」と言う許可を貰ったので本人2人に「初めての事だからあなた達が無事卒業できなかったら後輩たちへの配慮は出来なくなるので頑張るしかないぞ。」と話をしたのを今でも鮮明に覚えています。
その後、この2人の実績により県単事業の補助が付くようになったのは有難い事に違いありませんが、他の施設では私が所属していた施設のようなプロセスはなくて、何の努力もさせずに「この点数で行けるのはこの高校だ」くらいの指導で安易に進学させていたのか「先生が高校へ行ける。と言ったから行っただけや」と簡単に高校を退学する子が続出する現象に苛立ちを覚えていたからです。
本題の意が理解して頂ければうれしいです。